Act1-19

 

【刹那】


「お嬢様、校舎の周りを見てみましょう」

「うん、誰かいるかなー?」

さすがにこの時間となると学園の扉は閉まっているので、周りだけを見回ることにする。
既に先程のような怪しいモノがいたことから考えると、決して油断は出来ない。

「…お嬢様、コレを持っていてください」

「へ…? それ…せっちゃんの大切な短刀やん。せっちゃんが持ってな…」

「いえ…彼のことはもう、全て忘れるべきなんだと思います。私はもう、自分を守れるようになりました。…だからこの短刀に
守られたままだと、それに甘えてしまって、彼のことも忘れ切れないような気がして…」

少し、心が痛む。
心の内に留めて置きたいけれど、彼はもうこの世にはいない。
死者を想い続けることで、大切なものを守ることを忘れてしまっては駄目なのだ。

「…せっちゃん、心のどこかでその志貴さんがまだ生きてる…って思ってるんとちゃう? …せやったら、受け取れんよ」


「――――そうだな。自分も騙せんような嘘は、聞いていて実に不愉快だ。…まあ、ソレの持ち主は死んじゃいない訳だが」


「ッ?! 何者っ!!」

背後からの突然の声に、素早く夕凪を抜き放って身構える。
これほど近づかれるまで気配を感じないとは…!!
さらさらとした黒髪に、ここら辺では見かけない制服を纏った男が、ポケットに手を突っ込んだ姿で歩いてくる。
その顔には不敵な笑みが浮かび、油断ならない雰囲気を醸し出していた。

「ハ…参ったな…。幼き日の幻影か? まったく、今宵の夢は粋な真似をしてくれる…。が…楽しみは後に取っておくとするか…」

私の顔を見て何かを呟き、不敵な笑みを更に嬉しそうに歪めると、身構える私とお嬢様の横を通り過ぎて学園の外へ向けて歩いていく。
夕凪を握る私の手にはいつの間にか冷や汗が滲み、今の男が危険な存在であることを告げていた…。


〜朧月〜


【志貴】


「う…。はぁ…何だか、今日は気絶してばかりだな…」

「ん、起きたでござるか」

川の流れる、ゆったりとしたせせらぎの音が聞こえる。
その川の流れのようにゆっくりと目を覚ました俺の目の前に、揺れる谷間…じゃない!
どうやら、女の子が俺の顔を覗き込んでいたようだ。
袖を無くして動き易さを求めた、珍しい着物を着ている女の子だ。

「森に飛び込んできた人影が見えたので、見に行ってみたでござるが…生きてて良かったでござる」

ほんわかしている女の子だな、と思っていたら、その顔に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
…胸も、わざと強調してるんじゃないだろうな…。
とにかく、彼女にも失礼だろうし、少々残念ながらも胸から視線を逸らす。

「ふふっ…すまない。少々からかってしまったでござる。拙者は長瀬楓と申す」

「う…ま、まぁこっちも悪かった。ゴメン。俺は志貴、遠野志貴だ」

胸を集中して見てしまっていたことを暗に詫びると、彼女は一瞬きょとんとしてから、優しい微笑みを浮かべた。
ふと、彼女の背後に目をやると、火にかけた魚が美味しそうな匂いをさせている。
…自然、腹の音が鳴る。

「ははは、食べて行くといいでござるよ」

「…うぅ、ありがたく頂戴します」

何とも情けない話だが、お昼にコンビニの安いおにぎりを食べて以来何も食べていない。
楓ちゃんに感謝しながら、塩で程よく味付けされた岩魚や山菜を頂いた。
彼女と話している最中に十五歳の中三だと言っていたが、それにしては結構大人びた印象を受ける。
…胸じゃない。絶対に胸で判断したんじゃあないからな。
美味しい夕食を頂いて、満腹になった腹をさすりながら、至福の表情で横になる。

「ふむ、少し休まれるがいい。…今夜は、少々おかしな夜でござるからな。しかし、おかしいといえば貴殿もでござるな…志貴殿?」

「楓姉ちゃん、コイツ、あの『遠野』やろ? 変な力使われる前にノしといた方がええで」

「はは…やっぱり、君達もこちら側の人間か」

見れば、先程とはうって変わって表情を引き締めた楓ちゃんが、手に三本の苦無を持って俺を見ている。
更に俺の頭上の木の上からは、ネギ君と同じくらいの年頃の男の子の姿があった。
楓ちゃんの持つ苦無を見て、先程ヘルマンの翼に突き刺さった四本の苦無を思い出した。
矢張り俺が知り合うのは、“こちら側”にいる者ばかりのようだ。
けれど、ピンチを助けてくれたことを考えると、悪い子ではないというのはわかる。

「待て、コタロー。…志貴殿は、『遠野』…混血の字(あざな)を名乗っているが、甲賀の記録が正しければ、先程の蜘蛛の如き奇怪な
動きは恐らく…『七夜』のもの。…これは一体、どういうことでござろうな?」

「『七夜』やて…?! 混血殺しのプロやないか!」

楓ちゃんは、恐らく森に入ってからの俺とヘルマンとの戦いを見ていたのだろう。
コタロー君は七夜と聞いて更に警戒を深めたようだが、楓ちゃんに押さえ込まれて動けないようだ。
しかし、二人とも『遠野』や『七夜』について知っているのであれば、下手な隠し事は通用しないと思った方がいい。

「…わかった。夕ご飯の恩もあるし、話すよ。けど…君達は何者なんだい?」

「おっと…失礼。拙者は甲賀中忍、忍の者でござる。こっちは犬上小太郎。同じ忍の者と思ってくれて構わないでござるよ」

大抵のことには驚かなくなっていたが、これには少しばかり驚いた。
今のこの時代に、忍の技を受け継いでいるのが、こんな可愛い女の子だとは思わなかったからだ。
楓ちゃんの着ている、袖の無い動き易そうな珍しい着物も、忍だと聞けば納得できる。
押さえ込まれたままの小太郎君は不機嫌そうにこちらを睨んでいたが、楓ちゃんの腕から何とか逃げ出すと森の中へと姿を消した。

「じゃあ、今度は俺か。そうだな…『七夜』が『遠野』から襲撃を受けて滅んだ、というのは知っているよね?」

楓ちゃんが頷く。

『七夜』を襲撃した『遠野』の当主、遠野槙久の気紛れによって遠野家に養子として引き取られた俺は、九年近く前に起きたある事件の
際に記憶を操作され、いつの間にか遠野家の長男となっていた。
その後、貧血でよく倒れる俺が遠野家の跡取りたる長男では頼りない、ということで親戚へと預けられていたのだが、昨年義理の
妹である秋葉から屋敷に呼び戻されたのである。
七夜である俺が、遠野の姓を名乗っていることの理由の説明を終えると、楓ちゃんは腕組みして何事か考え込んだ後、顔を上げて
静かに問いかけてきた。

「なるほど…しかし、記憶があるのはなぜ…?」

「去年起きたある事件の後、義妹…秋葉が全てを打ち明けてくれたんだ。…辛そうな表情で謝っていたけれど、別に憎いとは思わなかったよ。
秋葉は俺に憎まれることを覚悟して、それでも話そうと決心してくれた。それに…元凶たる槙久は既に死んでいたし、槙久の娘だからといって
彼女を恨むのはお門違いだろう?」

俺の瞳の中から、今の言葉が真実か否かを見極めんとばかりにじっと見つめてくる楓ちゃんに、俺も視線を逸らさずに見つめる。
後ろめたいことや嘘偽りは言っていないし、秋葉を憎いだなんて微塵も思っちゃいない。
しばらくの見つめ合いの後、フッと表情を緩めた楓ちゃんが、胸の谷間から俺の七つ夜を取り出して渡してきた。
今更になって気付き、慌ててポケットを探ってみたが、勿論ポケットの中に七つ夜があるはずも無い。

「…恐るべき力に、優しき心…。なるほど、強いはずでござる…。ふふっ…さて、町へ参ろうか?」

ニッと笑った楓ちゃんは苦無を荷物に戻すと、川の中にある石を足場に、森の中を軽々と進んでいく。
七つ夜が温かい…持つのがちょっと嬉しいかも、と思ったのは内緒だ。





□今日の裏話■


「く――――くくっ…何とも懐かしい顔に会ったものだ。これで六銭など、無料(タダ)も同然」

夜の闇のように黒く変色した制服を着た男――――七夜志貴は、先程会った懐かしき少女を思い出し笑みを浮かべる。
幼い頃に会った烏族から外れた少女…刹那は、今や身の丈ほどの大きさを誇る野太刀を奮って戦う一人の戦士となっていた。
成長した彼女との再会は、七夜志貴の体に歓喜の震えを走らせた。
しかし、それは再会の喜びではなく、殺人鬼として殺し甲斐のある相手を殺せることへの悦びである。

――――遠野志貴が恐れる、内に潜む殺害衝動の発露。
それを基にして白レンが作り出した存在である七夜志貴は、殺害衝動を隠さずに寧ろ殺人を嗜好する存在と化していた。

「思う存分解体し尽くしたいところだが…そのためにも、まずはこの体を慣らさなければならんか」

自分の手を見ながら、握ったり開いたりしてその感触を確かめる。
戦闘の感覚は鈍っておらず、寧ろ刹那を殺せるという昂りから鋭さを増している気がしていた。
その普段より鋭さを増した感覚が、七夜に近くにいる『魔』の気配があることを知らせる。

「へぇ…何とも手配のいいことだ」

ポケットの中の七つ夜の感触を確かめ、『魔』の気配のする方へと歩を進める。
学園を出てみると、目の前には橙色の髪を二つに分けた少女と、その少女を取り囲む鬼や妖怪といった無数の化物達の姿。
七夜は口の端を嬉しそうに歪ませ、まず手始めに目の前の妖怪達の首や心臓に刃を疾らせ、絶命させる。


「おやおや…まさか、こんな極上の舞台を用意してくれているとはね…。舞台が用意してあるってことは…『殺せ』ってことだよなぁ?」


殺人鬼の出現。
それは喰い違い始めていた運命の歯車を、更に異なる運命(みち)へと加速させていく――――

 Act1-18  / Act1-20


【書架へ戻る】