Act3-32


【愛衣】


「ハ――――今夜は最高の夜になりそうだ。なあ……『せっちゃん』?」


 突然現れたその人は、どこかの制服を着た志貴さんだった。
 制服――――にしてはいやに黒ずんでいる気もするし、錆びた鉄のような臭いがする。
 いや……確かに姿は志貴さんではあるが、眼鏡はしていないし、どこか――――寒気すら感じるような色気を感じた。
 胡乱気な視線でこちらを一瞥され、私の胸は撥ねるように早鐘を打ち始める。

「志貴さんが……二人……?!」

「違うわ、愛衣ちゃん。あっちのは七夜って言って、志貴さんの恐怖が姿を持ったものよ」

 アスナさんは突然姿を現したもう一人の志貴さんを睨みつけながら、私に説明してくれた。
 志貴さんの恐怖――――アスナさんに『七夜』と呼ばれた男性は、髪を掻き上げて酷く無邪気な笑みを浮かべる。
 だが、私にはその無邪気な笑みが酷く怖ろしいものに感じられた。


「しかし、参ったね。無粋なタキシードですまないが、今夜は是非とも舞って貰わねば治まりがつかない」


 手の上で先程刹那さんに向けて投げた短刀を弄びながら、刹那さんに視線を向けていた。
 短刀を投げつけられたはずの刹那さんは、刀を構えずに切っ先を下に下ろしてしまっている。

「ま――――待って! 今……今、ニセモノを……遠野シキを殺して……!」

「ニセモノ? ……ク――――ククッ、ハハハハハハハハハハハハ!!!」

 慌てた刹那さんが、黒縁眼鏡をした志貴さんの方へ刀の切っ先を向けようとする。
 刹那さんの言葉を聞いて、七夜という男性が突然笑い出した。
 そして――――志貴さんに嘲るような笑みを向ける。


「まったく……無様だな、志貴。何もかも下手なオマエは、ここで潔く逝くといい」




〜朧月〜




【志貴】


「ふん……だから混血のあざななど名乗るべきではないんだよ。『七夜』が退魔を示すように、『遠野』は混血を示す。しかし……退魔が混血を名乗り、混血が退魔を気取る、か……。まったく、世も末だな」

「どういう……意味だ……」

 七夜が訳のわからないことを言う。
 俺が七夜ではなく、遠野を名乗っているのはわかる。
 だが、混血が退魔を気取る、というのはどういう意味だ……?
 睨みつける俺に興味を失ったように、七夜は俺を斬った黒髪の女の子――――このかちゃんが言うには、先程医務室で言っていた刹那ちゃんという子らしい――――へと視線を移す。

「手出しするなよ、志貴。……何せコイツは、『退魔』の血を引くお前を殺そうとした『化け物』なんだからな。しっかし……立派な『化け物』になったもんだ。なぁ……『せっちゃん』?」


「退魔の……血?」


 こちらを一瞥もせずに俺に向かって言い放った言葉に、刹那ちゃんが反応する。
 構えていた野太刀の切っ先が下がり、呆けたような表情で七夜の言葉を反芻していた。
 そして――――ゆっくりとこちらに……いや、俺に視線を向けてくる。
 その瞳には怯えと絶望が滲み、今にも泣き出しそうだった。


――――胸が……苦しい。


 よく……ワカラナイけれど。
 あの子を泣かせちゃダメなんだってことだけはわかった。

 どうやら俺は意識が朦朧としてきて、いつの間にか俯いてしまっていたらしい。
 目を閉じているのか、視界は黒く閉ざされていたが、聴覚だけは異様に敏感になっていて、刃と刃がぶつかり合う音だけが聞こえる。
 一方の刃からは迷い、戸惑い、不安が。
 もう一方の刃からは、殺戮への悦びが。
 一つの感覚が研ぎ澄まされたせいか、音からそういった感情を感じ取ることができた。
 そして、キィンという高い金属音を最後に、二つの刃が距離を取ったことがわかる。


「極死――――」


――――朗々と謳い上げる声。

 アイツが。
 自分によく似た姿のアイツが、●●ちゃんを傷つけようとしている。

 守らなきゃ。
 ●●ちゃんが笑顔でいられるように願ったのは、他ならぬ自分なんだから。
 気付けば、僕の体は動いていた――――――――



「きゃ……っ!?」

「ちっ――――」

「くっ……ぅ――――あ、あれ……? 俺……?」

 女の子の小さな悲鳴が間近で聞こえ、それと同時に衝撃が来て意識を取り戻す。
 意識を失っていたのかと思ったが、どうやら体は動いていたらしい。
 俺の下には先程の悲鳴をあげたらしい刹那ちゃんが目を丸くさせて硬直しており、俺の背後には不機嫌そうな顔をした七夜が立っている。

「……手出しするな、と言ったのが聞こえなかったか。ふん……そんなに死にたいなら、先にオマエから殺してやるよ……!!」

 状況はよくわからなかったが、いつまでもこんな体勢でいる訳にはいかないってことだけはわかった。
 刹那ちゃんの上から退いて立ち上がると、七つ夜を順手に持って身構える。
 七夜は刹那ちゃんを殺そうとしていたのを邪魔されたのが気に入らなかったのか、苛立っているかのように苛烈な攻撃を仕掛けてくる。
 目にも止まらぬ無数の斬撃、下段からの勢いのついた切り払い、相手を翻弄させる異常な動き。
 斬撃には反応できたとしても、七夜の動きはこちらの上をいっている。
 確実に仕留めるには、肉を切らせて骨を断つしか――――

「か、は――――う……っ?!」

 眼鏡を外そうとした瞬間、突然胸に痛みが走り、見れば胸の――――昔の傷の辺りから血が滲んでいる。
 グラリと倒れそうになった瞬間、七夜が俺を仕留めんと迫ってくる姿が見えた。


 意識が薄れていき、死ぬ……そう思った瞬間、俺の視界は純白に彩られた――――――――





□今日の裏話■


「退魔の……血?」


 志貴ちゃんは、遠野シキが退魔の血を引いていると言った。
 混血のあざな……『遠野』を名乗るべきではない、とも言っていた。
 退魔の血を引いていて、本当は遠野姓では無い、志貴ちゃんによく似た男性。


 なら――――考えられる可能性は……この黒縁眼鏡の男性が『七夜志貴』であるということ。


 頭が真っ白になる。
 私は自分の思い込みで、本物の志貴ちゃんを殺そうとしていたのか。
 だとしたら……私は取り返しのつかないことを――――

 ショックを受けている暇も無く、気付けば志貴ちゃんが体勢を低くしてこちらへ迫ってきていた。
 動揺が激しくても体は斬撃に反応し、夕凪の刀身が志貴ちゃんの刃を受け止め、流す。
 志貴ちゃんは数合打ち合った後に一際強烈な一撃を放ち、後ろへ跳んで距離を取る。


「極死――――」


 歪な笑みを浮かべた志貴ちゃんが、指の間に挟んだ短刀を高く掲げて朗々と謳い上げる。

――――それは、幼き日に見た奇跡。

 体を回転させて勢いを持った短刀がこちら目がけて放たれ、私の心臓を確実に狙って迫る。
 回転して背を向けた状態から、大きく夜の闇へと跳躍する影。
 心臓を穿ち貫く刃と、首を捻じ切る魔腕。
 『気』で守られているとは言え、どちらも甚大な被害を被るだろう。
 思考する時間など皆無に等しく、気付けば心臓に向けて飛来する短刀を弾こうと体が動いていた。

――――そこへ、横から強い衝撃。

「きゃ……っ!?」

「ちっ――――」

 首を狙って私の背後に降ってきた志貴ちゃんの舌打ちが聞こえ、倒れた私の上には誰かが覆いかぶさっていた。
 見れば、黒縁眼鏡の――――遠野シキの姿。
 間近に見える志貴ちゃんと同じ顔に心臓が跳ね上がり、そして――――


 そのずれた黒縁眼鏡から見えたその瞳に、私は一瞬我を忘れてしまっていた……。


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