全身の傷。
流れる血。
怯えた猫のような瞳。
彼女は、どんなところで、どんな風に生きてきたのだろうか。
Another Name For Life
第1話 迷い込んだ異邦人
「ひどい目にあったな……」
剣を腰の鞘に収め、マグナがため息をついた。
「ほんとだよ……」
トリスも構えていた杖を下ろす。
「自業自得だな。
周りを確かめなかった君たちの不注意が招いたことだ」
ネスティが軽く二人を睨む。
「「うう……」」
マグナとトリスは同じタイミングでヘコんでいた。
「あのなぁ、ネス。
何度も言ってるけど、俺たちは……」
マグナの口から出た言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
「……!?」
3人が、同時に顔を上げた。
周囲の気配がおかしい。
「これは……
召喚術か……?」
マグナが、鞘から再び剣を抜く。
「ううん、似てるけど、少し違う……
なんて言えばいいのか、わからないんだけど……」
トリスも、杖をギュッと握り締めた。
「ただの召喚術でないことは確かだ。
ふたりとも、気を抜くなよ!」
ネスティも警戒している。
マグナとトリスの傍では、彼らの護衛獣が、それぞれ戦闘体制に入っていた。
彼らの頭より少し上あたりの空間に、歪みが生じる。
その『歪み』から、何かが少しずつ現れてくるのが見えた。
どさりと、『それ』は地面に投げ出された。
「……ッ!?」
その場にいた全員が、息を呑んだ。
現れたのは一人の少女。
ただし、全身傷だらけの。
右脇腹から流れる血が、とても痛々しかった。
「……た、たいへんっ!!」
あまりの出来事に唖然としてしまった一同だが、いち早く正気に戻ったトリスが、弾かれたように少女に駆け寄った。
「マグナ! ネス!!
何ボーっとしてるのよ!! 早く手当てしないとっ!!」
「あ、あぁっ!!」
トリスの声に、マグナも動く。
ネスティはといえば、さすがにひとりの手当てに3人が一度に押し寄せても何もできないだろうと、現状の把握に入った。
ぴくりと、少女の指がわずかに動いた。
「……う……ん……」
喉からかすかに声が漏れる。
わずかに瞳が開かれた。
「あっ、気がついた?」
トリスが嬉しそうに声をかけた。
「……!?」
少女は、トリスたちを視界に入れるとすぐ、バッと彼女たちから離れた。
「え……?
あの、ちょっ……」
「近づくな!!」
事態が飲み込めず、近づいてくるトリスに銃を向ける。
少女の手の中の機械が、がちゃりと小さく音を立てた。
「……!!」
トリスは慌てて足を止める。
だが、少女が荒い息をついているのを見て、慌てた。
「ね、ねえ!!
じっとしてないと……!!」
「下がれ!!
わ、たし……に……近、づくな……!!」
少女からは、鋭い殺気が感じられた。
「…………」
「あ、おいネス!!」
何を思ったか、ネスティは彼女に近づいていく。
マグナの制止も聞き流して。
「……!!」
少女が、ビクッとひるんだ。
「うぁ……ッ!!」
ネスティに銃を向けなおそうとして身体を捻ったせいで、右脇腹の激痛に顔を歪める。
やがて、痛みに耐え切れなくなったのか、ふっと身体が前に倒れる。
近づいていたネスティがそれを受け止めてやった。
銃が、少女の手から落ちる。
石畳の上に落ちる銃の立てた無機質な音が、妙に響いた。
「まったく……
こんな怪我で、こんなことをするなんて。
どういうつもりなんだ……」
再び瞳を硬く閉じた少女に目をやり、ため息をついた。
* * *
「レオルド、助かりそうか?」
マグナが、護衛獣である機械兵士のレオルドに問うと、レオルドは少女の様子を分析した。
「……一番深イ腹部ノ傷ハ、何カ刃物デ付ケラレタモノデス。
ソレ以外ハ全テ銃創ト思ワレマス。
出血ハ多イデスガ、命ニ別状ハアリマセン」
命に別状はない。
この一言を聞いて、マグナとトリスはほっと息をついた。
『銃創』の意味がわからなかったのでレオルドに尋ねたら、「銃ニヨル怪我ノコトデス」と説明された。
銃の傷、といっても弾が打ち込まれたり貫通したりしているものはひとつもなく、すべて紙一重でかわしたかすり傷のようだ。
とはいえ弾に抉られているのだから、軽い怪我とも言いがたいのだが。
「でもとにかく、早くきちんと手当てすれば、元気になるよね?」
「だが、それでもこの出血だ。
召喚術で治せれば良いが、僕たちが今呼べる召喚獣の中に、傷の治療ができるものはいないぞ」
トリスの言葉に、ネスティが反論する。
そして、先ほど倒してのびたままになった野盗たちに目をやる。
「どうせこいつらを役人に引き渡す必要があるし……
いったん引き返さねばなるまい」
「そうだな……
この子も、早くちゃんと治療してやらないといけな……」
「むぅ〜〜〜……」
マグナの言葉は、トリスの声で遮られてしまった。
見ると、手当てが上手くできずに悪戦苦闘しているらしく、手に包帯と布を持って眉間に皺を寄せている。
「まったく……」
ネスティが呆れてため息をつく。
「……ちょっと下がってくれ、トリス」
「ネス??」
言われて、立ち上がり2、3歩下がり、不思議そうな顔をするトリスの手から包帯と布を引き取り、ネスティは少女の腹部の傷に応急処置を施す。
「「おお〜……」」
その手際のよさに、思わず声を上げるマグナとトリス。
そして、ネスティはトリスの方を向いて、
「君はバカか?
あんなやり方では、治る傷も治らなくなるだろうが」
お得意の台詞を浴びせる。
「むぅ……」
「と、とにかく早く戻ろうぜ!
その子の傷だって、浅いわけじゃないんだし!」
マグナが慌ててその場を取り繕う。
少女はレオルドに運んでもらい、一同は街道を引き返した。
* * *
最初に目に入ったのは、見た事のない天井だった。
「ここは……ッ痛!!」
身体を起こそうとしたとき、腹部に痛みが走り、思わず身体を丸める。
痛みが治まるまで、しばらくそのままうずくまる。
落ち着いてから、改めて、自分が今おかれている状況を確認した。
ベッドに寝かされているのは、わかった。
しかも、今までほとんど使ったことのないような、陽射しの香りのする綺麗なベッドに。
幼少の頃は、固い寝台の上で毛布に包まって過ごした。『雇われて』からは、埃っぽいベッドくらいしかなかった。
そんなものとは完全に対照的な、糊のきいたシーツの感触が心地よかった。
次にあたりを見渡してみる。
あまり広くない部屋には、机とテーブル、本棚くらいしか置いておらず、全体的に物が少ない。
部屋の主が物を置くのを嫌ったのか、それとも、大量に物が持ち出されているのか。
いずれにしても、自分には関係ないなと、視線を壁や天井に移す。
最初から何となく違和感を感じていたが、すぐに理由がわかった。
綺麗過ぎるのだ。
壁も、天井も、大破壊後のスラムや地下街、『雇われて』から与えられた部屋でさえも、ひび割れ、ぼろぼろになっていた。
だが、今自分がいる部屋はそんな雰囲気が欠片も感じられない。
多少年季は入っていても、自分の見慣れた、一度破壊された世界のものとは思えなかった。
ついでに、天井に電灯やそれに準じた類の明かりが見当たらないのも気になるところだったが。
――いったい、どこなんだろう、ここは……――
そもそも、ついさっきまで、自分は戦場の真ん中にいたのではなかったか。
それが、見知らぬ部屋で、ベッドに寝かされて。
いったい、何があったのだろうか。
ふいに響いたドアノブの音が、思考にふける頭を元に戻した。
扉の音に反応し、咄嗟に身構えようとする。
が、腹部の痛みで、体制を整えられない。
「……っぅ……」
思わず、声が漏れた。
「あーっ!!
だめだよ、ちゃんと寝てないと!!」
扉から入って来た人物が叱りつけてくる。
警戒はまだ解かない。
――誰……!?――
戦場にいた少女の神経は、これでもかというほど磨り減っていた。
そのため、近づいてくる人物に警戒心しか向けられなかった。
今すぐに、この場を離れたかった。
しかし、身体が言うことをきかない。
ただ、睨みつけることしかできない自分に苛立ちが募った。
トリスは、ひたすら自分のことを睨みつけてくる少女の様子を見て、反射的に、猫のようだと思った。
拾ってきた、決して人には懐こうとしない、警戒心むき出しの野良猫。
そっと彼女に手を伸ばすと、びくっと肩が震えた。
――おびえてるのかな……?――
そう思い、手を少女の方へ伸ばしながら、極力優しい声をかけてみる。
「酷い怪我だったんだから、動いちゃダメだよ。
大丈夫だよ、なにもしないから……」
頭に触れても何も言わなかったので、そのまま柔らかく撫でる。
「…………」
少女の目から、鋭さが幾分か抜けたように見えたとき、開けっ放しになっていた扉から、誰かが入ってきた。
「……おねえちゃん」
入ってきたのが自分の護衛獣と知り、トリスは笑顔で手招きした。
「ああ、ハサハ。ハサハもこっちおいでよ」
「……うん……」
とことこと、トリスの傍へ寄ってくるハサハを見た少女が、自身の周りに張り詰めさせた空気を和らげた。
「……あの」
「ん? なに??」
少女の声に、トリスが応える。
「ここは、一体……」
「あぁ、ここ?
ゼラムの、蒼の派閥の本部だよ」
おずおずと問いかけた少女に対するトリスの答えは、彼女を混乱の渦に巻き込んだ。
――ゼラム……?
蒼の、派閥??
なんだ、それ……?――
「あの、それって……?」
「ああそうか、あなた、別の世界から来たのよね?
どこから来たの? サプレスとかメイトルパっていうわけじゃなさそうだし……
持ってた武器はロレイラルっぽいけど、あそこは人いないしなぁ。
でもシルターンじゃないよねぇ、服とかがそういう感じじゃなかったし……」
「……??
あ、あの……」
「う〜ん、あたしじゃ良くわかんないや。
ネス連れて来ないと……
ちょっと待っててくれる?
ええと……」
扉に向かいながら、トリスはあることに気づいた。
「名前、なんていうの?
あぁ、あたしはトリスっていうんだけど……」
少女は、躊躇ったように視線を彷徨わせてから、ゆっくりと口を開いた。
「……」