それは、始まりを告げる合図。
Another Name For Life
第15話 変革の時 前編
最初に異変に気付いたのは、朝食のときだった。
何気なく視線を移したとき、いつもよりも食が細いように見える。
顔色も、もともと色白だが、今日の彼はさらに青白い。
しかしそのどれもが、観察しないと気付かないような僅かなものであり、また彼自身もうまく隠そうとしているため、簡単に気付くものではない。
だが、一度気付いてしまえば、何事かと気になってしまう。
朝食をとり終え、思い思いに席を立つ。
調子の悪そうな彼――ネスティは、普段どおりに未だ朝食の席に顔を出さない双子の召喚師を起こしに行った。
その足取りも、僅かな違いではあるがおぼつかないように見える。
は、そっと後を追いかけた。
* * *
「ネスティ」
マグナを起こすべく、彼の部屋の扉の前に立っていたネスティに、は声をかける。
「どうした?」
「それ、こっちのセリフ。
体調悪そうだけど、どうしたの?」
言われて、ネスティは僅かに眉の端を動かす。
「――なんのことだ?」
「しらばっくれなくていいよ。私相手に遠慮なんてするなって、言ったでしょ」
の口の端は上がっているが、目はちっとも笑っていない。
観念したように、ネスティはふぅ、とひとつため息をついた。
「……本当に、君は何でもお見通しみたいだな」
「まぁ、全部ってわけじゃないけどね。とにかく今日は部屋でおとなしくしてなよ。マグナたちは私が起こしとくし。
あとで様子見に行くからね。ちゃんと休んでなよ」
「あぁ……すまない」
放っておくと休んでくれないかもしれない。
釘をさすの言葉に返事をして、ネスティは割り当てられた部屋の扉を開け、中に入っていった。
扉が閉まるのを確認してから、はマグナの部屋の戸を叩いた。
* * *
外からのノックに、部屋の主の返事はない。
ためらいもなく扉を開けると、目に入ったのはベッドの上で布団に包まって丸くなっているマグナの姿。
その枕もとに、彼の護衛獣たるロレイラルの機械兵士・レオルドが佇んでいる。
はすたすたとベッドの傍まで歩み寄る。
「おはよう、レオルド」
「オハヨウゴザイマス、殿」
機械兵士独特の、ややくぐもったような声で挨拶を返すレオルドに、はにっこり笑いかける。
そして、未だ寝息を立て続けるマグナのほうへ目をやり、ふぅとため息をひとつ。
「あんたのご主人様、起きる気配は?」
「先程カラ何度モ声ヲカケテイルノデスガ……」
「そうか……」
返事を口の中で呟く程度でしながら、マグナの肩に手をかけて、軽く身体を揺さぶる。
「ほらマグナ、起きて。朝だよ」
「……ん……」
小さく声を漏らすも、目を覚ます様子はない。
「マグナ! ほら、起きろっ!」
揺さぶる力を強くするが、やはり反応はなし。
「しょーがないなぁ……」
と、はマグナの身体を揺さぶっていた手を離し、右側を下にして寝ているマグナの左耳に顔を近づける。
そして、小さく低い声でぼそりと囁きかける。
しっかりばっちり、殺気を込めて。
「…………起きないつもりか?
覚悟は出来てるんだろうな、マグナ。」
「……!!
ご、ごめんなさいーッ!!」
本能が危機を察したのか、マグナはそれまでの熟睡っぷりが嘘のように飛び起きた。
――が身体を離す前に。
自然、部屋に鈍い音がひとつ響く。
「「いだッッ!!」」
マグナは左側のこめかみを、は額を押さえて、それぞれにうずくまる。
お互いにぷるぷると小刻みに震えているあたり、相当痛かったのだろう。
「いたたた……」
しばらく間をおいて、ぶつけた箇所をさすりながらが身体を起こす。
「な、なんなんだよぉ……??」
状況がつかみきれないまま、ワンテンポ遅れてマグナが起き上がった。
「主殿ガ急ニ飛ビ起キタコトデ、囁キカケルタメニ顔ヲ近ヅケテイタ殿ノ額ト主殿ノ側頭部ガ強打サレタ模様デス」
「……冷静な解説ありがと、レオルド……」
淡々と語るレオルドに、は涙を目に溜めたまま顔を向けた。
「……?
…………
って、何でが俺の部屋にいるんだ!?」
「いや遅いよ。気付くの。」
ようやく頭が覚醒したらしいマグナに、思わず裏手でツッコミを入れる。
「たまには私が起こしに来てみようかなと思ってね。ネスティ、毎日大変そうだし」
はネスティの身体の調子がおかしいことを伏せるために、そんな風に告げる。
馬鹿正直に体調が悪そうなことを伝えても、ネスティに迷惑が掛かるだけだ。
しかし、の言葉を聞いたマグナは、しゅんと俯いてしまった。
「……マグナ?」
「なぁ、。
ネス……俺達のこと、嫌になったのかな?」
「え?」
思いもよらない言葉がマグナの口から出たため、は首をかしげた。
「大変だって事は、もう俺達の面倒なんて見るの、うんざりだって思ってるんじゃないのかな……
俺、いつもネスに迷惑ばっかかけてるし……」
眉根を寄せて俯くマグナを見て、はため息をひとつついた。
「あんた、バカでしょ。」
「ぅえ!? 断定!?」
の口から発せられた、ネスティに散々言われるのと同じような、それでいてもっときつい言葉に、マグナは半泣きで顔を上げる。
はそんなマグナの頭をくしゃくしゃっとなでた。
「うんざりだって思ってるなら、もうとっくに見限ってるよ。ネスティは。
でなきゃ、毎朝毎朝起こしに来たりしないでしょ? 私だったらどうでもいい相手なんて放っておくし。
でも、ちゃんと起こしに来てくれるし、召喚術の勉強だって見てくれてるでしょ。
それに、あんたたちが蒼の派閥のあの頭の固いおっさんに責められたときも反論してくれてたじゃないさ」
頭の固いおっさん、とは蒼の派閥の幹部・フリップのことだろうと、マグナは反射的に思った。
野盗退治の一件のあとのいざこざを思い出す。
「少なくとも私から見れば、あんた達、すごく大事にされてるよ。
だから、そんな心配要らないさ。大丈夫」
そう言ってはにっこり笑った。
その笑顔は、心に溜まっていた暗い不安を溶かしていくようだと感じた。
「…………ありがとう、」
「少しは元気になった?」
の問いに、マグナはいつもどおりの人懐っこい笑顔で答えた。
「それじゃ、私今度はトリス起こしてくるから。早く着替えて、ゴハン食べちゃいなよ」
「うん、わかった。ありがとうな、」
は、笑顔で手を振り、扉を閉めた。
* * *
トリスも、マグナ同様ノックに対する返事はない。
扉を開くと、先程のマグナと同じような体勢で丸くなって眠るトリスが目に入った。
トリスの護衛獣のハサハはといえば、おろおろしながら部屋をうろうろと右往左往している。
そんなハサハの動きに微笑ましさを感じ、の顔にも笑みが浮かぶ。
「おはよ、ハサハ。トリス起きてくれないの?」
ハサハはふいに掛けられた声に驚きつつも、声の主がとわかると、その緊張を解いて、こくこくと頷く。
がそんなハサハの頭を軽くなでてやると、ハサハは目を細めた。
「それじゃ、ちゃっちゃと起こしちゃおうかね」
右手で拳を作り、左手のひらにぱしっとぶつけ、気合を入れる。
「トリス起きて。もう朝だよ!」
先程のマグナのことがあったため、今度はやや強めに肩をゆさぶり、かける声も心持ち大きめにする。
「ほら、トリス!!」
「…………んん〜……うるさい……」
寝ぼけたトリスは、おもむろにの頭を掛け布団の中に潜りこませた。
「ちょっ……トリスー!?」
「…………すー……」
トリスはの頭を押さえたままで眠ってしまい、反応がない。
首から上を布団に押し込められているせいで、息苦しい。
しばらくじたばたと暴れていただが、突如ゼンマイが切れたようにぱたりと動かなくなる。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「お、おねえちゃん……!?」
一連のやり取りをはたで見ていたハサハが青ざめる。
慌てて近寄ろうとしたその時。
「だあぁぁーっ!! 起きんかぁ!!!」
が、しがみついている掛け布団ごとトリスを真上に投げ上げた。
「…………ふぇ……!?」
トリスは天井近くまで浮き上がる。
突然の上昇、そして浮遊感に目を覚ましたらしい。
そして、悲鳴をあげる間もなく、ベッドにまっすぐ落ちてくる。
ぼすんっ!! という音と共に、トリスはベッドに受け止められる。
ギィギィと、上下するベッドに合わせてスプリングがきしんだ。
ベッドに落下し、もう一度浮き上がり、ベッドに着地したトリスは、完全に目を丸くしていた。
「………………??????」
何が起こったのかわからず、頭に疑問符を大量に浮かべている。
がそんなトリスの顔を上からゆっくり覗き込んだ。
「あ…………あれ? ……??」
「…………おはよう、トリス。」
心なしか、浮かべられた笑顔が普段より恐ろしい。
「目は、覚めたかな?」
「お、おかげさまで……」
の一言で、自分の置かれた状況を理解する。
どういうわけかいつもと違ってネスティではなくが自分を起こしに来て。
いつもと違う声のうるささから、つい布団にを押し込んでしまい。
しばらく暴れていたのがおさまったから手を離してまた眠り込み。
自由になったが天井近くまで自分を放り投げたのだと。
念のために尋ねてみると、トリスの推測は正しかったということがわかった。
「とにかく、さっさと着替えてゴハン食べに行きな。ハサハが待ちくたびれてるみたいだよ」
「あぁ……うん。ごめんねハサハ」
傍らに不安そうに佇むハサハにトリスが謝ると、ハサハはふるふると頭を振った。
「それじゃ、私もう行くから」
「うん。ありがと。それと、ごめんね」
「いいからいいから。じゃあね」
* * *
トリスの部屋を出てしばらく廊下を歩き、は深いため息をついた。
――騒ぎすぎちゃったな。ネスティ、大丈夫かな……?――
とりあえず様子を見に行こう。
そう思って、は足をネスティの部屋へと向けた。