居場所をくれた。
温かさを、くれた。
Another Name For Life
第16話 FRIENDS
肩に触れているネスティの額は、熱い。
さして厚みのないニット越しに、熱が伝わってくる。
は、背中に回していた腕の力を緩めることで、そのままでは放してくれそうにないネスティを促した。
名残惜しそうにゆっくり離れたネスティを、そっと支える。
そのまま、ベッドに身体を横たえた。
仰向けに寝かせたネスティの額に手を当てたりして、簡単に症状を見る。
「――風邪、だね。昨日、外にいたのが原因?」
でもそれなら、自分のほうがむしろこうなっている可能性は高いはずなのに。
が首をかしげると、ネスティがぽつりぽつりと呟いた。
「……融機人の身体には、この世界の病気に対する抗体がないんだ。だから、定期的に薬を飲む必要がある……
そろそろ、切れる頃だとは思っていたんだが……」
「って、それってすごくヤバイじゃん! その薬って、どこで手に入るの!?」
今にも部屋から飛び出して行きそうなを、その手首を掴むことで止める。
「薬は、蒼の派閥でしか作られない。それに、僕の身体のことを知っている人間も、ごく僅かしかいないし……
僕が取りに行かないと……」
「でも、このままってわけにはいかないでしょ。
風邪って、完全に治す薬もないし、仮にあったとしても今のあんたには……」
そこまで言って、はぴたりと動きを止めた。
「――ねぇ、ネスティ。
“抗体がない”だけで、“一度かかった病気が二度と治らない”わけじゃないんだよね?」
「あ、あぁ。まぁな。
だけど、“抗体がない”時点で、かかったら治らなくなるようなものだと思うんだが……」
の言葉の意図がつかめないネスティは、ただ疑問符を浮かべることしか出来ない。
「ううん。だいじょぶ。それならきっと何とかなる!
――ちょっと待ってて。すぐ戻るから!
折角だから、今のうちにパジャマかなんかに着替えておきなよね」
そう言って、はぱたぱたと部屋を出て行った。
「――何をするつもりなんだ…………?」
残されたネスティは、閉められた扉をぼんやり見つめていたが、やがてのろのろと起き上がり、着替え始めた。
――それにしても、さっきは何てことを……――
つい先程まで、自分を包んでいたぬくもりが、そしてきつく抱きしめた身体が、嫌に鮮明に思い出される。
反射的に、熱に浮かされた顔がさらに熱くなる。
人と触れ合うことを恐れていた自分。
心を開くことが出来なかった自分。
それなのに、には、ありのままの自分をさらけ出すことが出来た。
遠い昔に感じた温かさ。
荒む心では忘れてしまいそうな、そんなものを感じることが出来た。
わかりあえる友ができた。
そんな言葉が、今の自分には一番ふさわしい気がする。
心に感じた温かさを胸に、ネスティは再びベッドにその身を預けた。
* * *
息苦しさは前ほどではなかったが、寒気と全身をぴりぴりと走る痛みは一向に良くならない。
ネスティが端整な顔をしかめ、寝返りを打ったところで、軽いノックと同時に扉の外から声が掛けられた。
「ネスティ? 私、。入って大丈夫?」
「あぁ」
扉の外まで聞こえてくれたかわからないほど、口から出た声はかすれていた。しかし、扉はすぐに開かれた。
入ってきたは、なぜかいつも背中に背負っているリュックを抱えており、服装も先ほどとは違う。
さっきまではいつもの服装にジャケットを羽織っていない格好だったのに、今は首もとを覆うぴったりとした素材の服の上に、無造作に白い無地のシャツを羽織っていた。
扉を閉め、なぜか鍵までかけ、はネスティの横たわるベッドの枕もとまで歩いてきた。
戻ってきてからのは、どこか様子がおかしい。
何かを考え込むような顔をしているし、ネスティの方を見ようとしない。
いったい何をするつもりなのかと、ネスティは額に風邪のものとは違う種類の汗が滲んだ気がした。
はそんなネスティを意に介する様子もなく、ごそごそとリュックを漁り、アーム・ターミナルとヘッドセット――要するにもとの世界で使っていたコンピュータ一式を取り出した。
それらを椅子の上に置いたところで、初めてはネスティへと視線を向けた。
「――今からやること、できれば他のみんなに……特にショウあたりには秘密にしておいて欲しいんだけど……いいかな」
「それは構わないが……本当に何をする気なんだ、?」
秘密にすること自体に異論はない。
自分だって、に明かした秘密があるのだから。
しかし、自分の命を差し出してまで「やましいことは何もしていない」と公言することのできるが隠そうとすることとは何なのだろうか。
それが気になる。
これからすること、そしてその意味を、ネスティが探ろうとしても不思議なことではない。
問われることを予想していたのか、は気まずさを感じさせる風もなく、逆にふっと、苦笑いのような表情を見せる。
「治療、だよ。
でも、見ててあんまり気分のいいもんじゃないかもしんないから……気を悪くしちゃったら、ごめんね」
そう言っておもむろに羽織っていたシャツをその場に脱ぎ捨てる。
中に着ている黒い服は、の身体のラインに合わせて、首元から腹部までを覆っていた。
しかし袖はなく、肩から指先までがむき出しになっている。
「……!!」
ネスティは一瞬息をのんだ。
さらけ出されたの両腕は、傷だらけだった。
銃創の痕。
剣や爪と思われる斬り傷。
どこかに擦ったような痕。
そんなものを含めた、大小さまざまな傷痕が、古いものも新しいものも、両腕に刻まれている。
ネスティの視線に気付き、は苦笑した。
「ひどいもんでしょ。ごめんね、綺麗じゃなくてさ。全身どこもこんな感じなんだよね、私」
「そうか、それで……」
が普段、首から下をほとんど完全に服で覆っているのには気付いていた。自分も、同じように肌を隠しているから。
しかし、その理由まではわからなかった。
今やっと、理解できた。
このたくさんの傷痕を、隠すためなのだろう。
「普通の人ってあんまり見たくないでしょ、こーいうの。だから……ね」
「もしかして、この間の傷も残っているのか?」
塞がったと思っていたら開いてしまっていた、腹部の傷。
ショウが、治療していたけれど。
「うん……
あそこまでざっくりいってると、ショウの符術だと傷痕を完全に消すことは出来ないんだって。
かと言って、アメルに任せるのはしのびないしね」
「そうだな……」
「ごめんね、ネスティもあんまり見たくないんじゃない?」
気遣わしげに投げかけられる視線に、しかしネスティは柔らかく笑ってみせる。
「大丈夫だ、気にするな。君が、生き抜いてきた証だろう?」
「――そう、かな。ありがと」
つられて、も微笑んだ。
手馴れた動作で、は左腕にアーム・ターミナルを取り付ける。
ヘッドセットも取り付け、準備を終えたところで、は一つ大きく息を吸いこんで、吐き出した。
「さて……じゃあ、やりますか」
が右手をこめかみのヘッドセットに添え、低く呟く。
「――アーム・ターミナル、起動。
サイコリンク、接続開始」
途端に、を取り巻く空気の雰囲気が、変わる。
低い音を立てて、左腕のアーム・ターミナルが起動する。
それを確認しながら、はゆっくりと右手を下ろした。
そのまま、カタカタと軽快な音を立ててコントロールパネルを操作してから、再び呟いた。
「召喚プログラム、起動。特殊プログラムデータ、起動。
――――龍王、召喚!!」
言って、は自らの右腕を左手で掴んだ。
ホログラフで浮かび上がった魔法陣が、の右腕にまとわり付く。
「――――ッッ!?」
ネスティは、次の瞬間起こった出来事に目を疑った。
の右腕が、光に包まれたまま肘あたりから異形の者のそれへと変貌した。
びっしりと青銅色に鈍く光る鱗に覆われ、節くれだってしまった指先には鋭い鉤爪。
反射的に、シルターンの龍神を思い出した。
そうだ。
今のの腕は、龍のものにとてもよく似ているのだ。
「……っぐ……ぅ…………!」
は僅かにうめき、苦しそうな表情のまま、その右腕をネスティのほうへと向け、額あたりへと手をかざす。
「この者に巣食う病魔を取り払え……シシリディ!」
声もいつもとは少し響き方が違った。
短い詠唱の後に、畏怖さえ感じさせる右手の先から、柔らかく温かな光が生じ、ネスティを包み込んだ。
全身に光が行き渡り、消えると、今の今まで感じていた熱や身体のだるさ、寒気や痛みが、すべて消え失せていた。
「これは……!?」
驚いてネスティがばっとに目を向けると、はそれに気づいた風はない。
「……っ……う……」
ネスティを癒したものとは質の違う光が溢れ出している右腕を左手で押さえ込む。
腕に取り付けられたアーム・ターミナルのコントロールパネルが、の指が触れていないのにカタカタとひとりでに動く。
「……り、龍王……送還……!」
呟きにあわせ、光はの腕へと収束していった。
それと同時に、異形へと変貌していた腕も、もとの人間のそれへと戻っていた。
「…………っはぁ……ッッ!」
すべてが元通りにおさまると、は肩で大きく息をつき、その場にへたり込んだ。
ネスティのベッドの端にしがみつくような形で、両腕に体重を預ける。
「っ!?」
上下する肩に、ネスティが慌てて上半身を起こす。
「……だい、じょぶ…………
ちょと、ヘバっただけ……」
顔をあげて、力なく笑ってみせた。
その額には、じっとりと汗の玉が浮かんでいる。
「今のは、いったい……」
呟くようなネスティの問いかけに、はぽつぽつと答える。
「この世界の、憑依召喚術に近いもの……
悪魔を、生き物の身体に憑依させて召喚することで、コストになる生体マグネタイトを消費しなくて良くなるんだ。
病気の治療の魔法を持ってる悪魔が、手持ちに一体しかいなくて。
でも、呼ぶためのマグネタイトは足りなかったから……」
「だからって、自分の身体を依代にしたって言うのか?」
は頷いた。
「完全に憑依させると制御しきれなくなる恐れがあるから、右腕だけね。
COMP――アームターミナルは、サイコリンクで遠隔操作が効くから、右腕が使えなくてもCOMP操作して悪魔を戻すことが出来るし」
「制御……って、それじゃあさっきのは……!」
ネスティの脳裏に、苦しそうに眉を寄せ汗の玉を額に浮かべていたがよみがえる。
あれは、が必死で右腕に依り憑かせた悪魔を押さえ込んでいたのか。
「ちょっと、きつかったかな。
滅多にやらないことだし、ただでさえ裏技っぽい代物だし――」
「君はバカかっ!?」
まるで他人事のようにへらりと笑うに、思わずネスティが声を荒げる。
はきょとんと目を丸くしてネスティを見た。
「どうしてそんな無茶な真似をするんだ! 一歩間違えばどうなるか、わかっているんだろう!?」
「けど、私はネスティの病気を治したかったんだよ。他に方法もなかったんだ。それに、大丈夫だったんだからいいじゃないさっ」
怒鳴りつけられるとは思っていなかったは、むっとしたように反論する。
「いいわけないだろう!?
僕のせいで君に何かあったら……僕は…………ッ!」
居場所をつくってくれたひとを。
自分のせいで失うなんて。
そんなの、耐えられない。
「――ごめん。
でも、私もネスティの病気早く治したかったんだ。それだけは、わかって」
ばつが悪そうに自分を見上げる。
彼女は。
どうしてこんなに心に染みる言葉をくれるんだろう。
「……今回だけ、だからな。
次からこんな危険な真似をするときは、先に僕に言ってくれ。毎度毎度この調子だと、心臓に悪い」
そう言って、ネスティはぽんっとの頭に手を置いて、くしゃくしゃっとなでる。
「……うん、わかった」
がにっこりと笑った。
* * *
「さ、ネスティ。
病気は治したけど、体力は戻ってないんだから。今日はおとなしく養生してなさい。いいね?」
言いながら、はすっと立ち上がる。
「だが……」
「いいから。今日はゆっくり休んで、なるべく体力を取り戻す! 明日には薬、取りに行かないといけないんでしょ?」
なんなら、実力行使に出てもいいんだよ?
「あ……あぁ」
顔こそ笑顔を作っているものの、ちっとも笑っていない瞳が、言外に語っている。
有無を言わせない威圧感のあるに、ネスティはぐっと押し黙るしかなかった。
「……ひとつだけ、いいか?」
布団にもぐりこんだネスティが、顔を半ばまで埋めたまま、を見上げる。
「なに?」
「そ、その…………僕が眠るまで……ここに、いてくれないか……?」
最後の方はごにょごにょと聞き取りがたいほど小さな声で。
のぞく顔は、さっきまでの熱とは違う赤みを持っていて。
は思わず小さく笑ってしまった。
「うん。いいよ。ホラ、手ぇ出して」
言いながら、ネスティの前に手を差し出す。
ネスティは最初戸惑ったが、やがておずおずと、差し出された手をきゅっと握り締めた。
剣を振るってきた、少し硬い、手のひら。
それでも、彼女の手は自分のそれよりも温かくて。
とても、安心できた。
「――おやすみ」
「うん。おやすみ」
にっこり笑うに、ネスティも柔らかく微笑んで、ゆっくりと瞳と閉じた。
やがて静かな寝息が聞こえてきて、は掴まれている手を放そうとした。
しかし、抜き出そうとすると握り締める力は強くなって。
「――ネスティ、ふだん人に甘えるの、苦手そうだもんね……」
無意識に、ぬくもりを手放したくないのだろう。
はふっと微笑んで、ベッドに背を預け、自らもゆっくりと瞳を閉じた。
――もうしばらく、こうしててあげるね。
私なんかの手で、いいなら――