太陽が昇る。
新しい時が、また刻まれる。
Another Name For Life
第17話 朝のひとコマ
空が夜の終わりを告げようと、東の端を明るく染め始めた頃、ギブソン・ミモザ邸の扉が静かに開かれ、一人の少女が中から姿を現した。
静かに扉を閉めたが、やはり静かに門をくぐり、澄んだ空気の漂う高級住宅街を歩いていった。
その腰には、剣が下がっている。
* * *
「せぃっ、はっ!!」
誰もいない再開発区に、剣が風を切る音と時折出されるの声だけが響き渡った。
日が昇り、空の半分ほどが昼の色に変わった頃、は来訪者の気配に剣の素振りを止めた。
「――リューグじゃん。おはよう。早いね」
「それ、嫌味か?」
先にいた奴に言われたかねぇ。
半眼で眉間に皺を寄せるリューグに、は小さく笑った。
「いつも、やってんのか?」
「朝稽古? ん〜……
こっちに来る前はね。来てからは怪我してたから外出止められてたようなもんだし、おまけに振ろうにも剣がなかったし。
だからちょっと久々かな」
すっかりカラダなまっちゃってるよ、とはけらけらと笑うが、その言葉にリューグは複雑そうに顔をしかめた。
(あれでなまってるってんなら、前はどんなだったんだよ!?)
まったくもって、この異世界の少女は計り知れない。
「でも、ちょうどよかった。
ねぇリューグ、組み手の相手、してくんない?」
「はぁ?」
思いもよらぬ提案に、間の抜けた声をあげてしまう。
「前は剣の得意な悪魔喚んで相手してもらってたんだけど、マグネタイトないから喚べなくてできないしさぁ。
より実戦に近い方が、実力上がるし。
……どうかな?」
リューグは暫し考える。
の言い分は最もだ。
実戦に近づけることで、いざというときにも体を動かせるようになる。
しかも、相手がだ。
つい先日に「自分を倒してみせろ」と言った相手だ。
手合わせして、勝つことが出来るようになれば。
あの黒騎士に近づくことが出来る。
「いいぜ。
けど、ちょっと待ってろよ。俺は今来たばっかなんだから、身体あったまってねぇんだし」
「かまわないよ。
良くなったら声かけてね」
そう言って、は剣を一端鞘に収めてから、その鞘ごと外して地面に置く。
それからすぐに、拳法の構えを取り、型を始めた。
これも、稽古の一環なのだろう。
慣れているように見える正拳突きや蹴りの動作などひとつひとつに、剣技ほどではないにしても長い時間を感じ取ることが出来た。
それを横目に、リューグも身体をほぐし始めた。
* * *
「ただいまー」
とリューグが屋敷に戻ってきたのは、ちょうど他の者達が起き出し、朝食をとるのにちょうどいい時間だった。
朝食のいい匂いが、疲れた身体に染み渡り、空腹感が増した。
「二人ともおはよう。ってか、おかえり。
朝稽古か何か、行ってたのか?」
二人を出迎えたのは、首にかけたタオルでわしわしと髪を拭くショウだった。
「ちょうど風呂空いたんだ。
汗流してきなよ」
「ってことは、ショウも?」
再開発区には姿を現さなかったが、ショウも朝稽古明けの風呂上り、といった雰囲気だ。
「あぁ。オレがいつもやってるのは庭で出来るからね。
太極拳ってんだけど……知ってるか?」
「名前くらいは、聞いたことある。
中国の拳法のひとつだよね、確か。使い手に会ったことはないけど」
「そ。オレも師匠にやらされて、すっかり習慣になっちゃったから、朝イチにこれやんないと落ち着かなくてさぁ」
リューグにとっては聞き覚えのない単語が飛び交う。
しかしとりあえず、ショウも稽古はしていたことと、何らかの武術を使うのだということは理解できた。
「おい、先入ってこいよ」
リューグがの背中を小突いた。
「いいの?」
きょとんとした目で問うに頷いてみせる。
口には出さないが、女差し置いて風呂に入れるか、というのがどうも彼の本音らしい。
言わないあたりがリューグらしいといえばらしいのかもしれない。
も追及しようとは思わなかった。
「さんきゅ。
じゃ、すぐ出るから部屋で待ってて。呼びに行く。
それじゃあ、お先に!」
言いながら、は小走りで宛がわれた部屋へと向かった。
その後姿を、リューグは複雑そうに眺める。
「…………なぁ、リューグ」
「なんだよ」
ふいにショウに声をかけられ、リューグは面倒くさそうに返事をする。
「……負けたのか?」
「うっせぇ!!」
ショウは何でもお見通しらしい。
リューグの叫びが、屋敷の玄関にむなしく響いた。
* * *
風呂で汗を流し、リューグに空いたことを伝えてから、はぱたぱたとダイニングへ足を向けていた。
そこへ現れた人物に、明るく声をかける。
「おはよ、ネスティ!」
「あぁ、か。おはよう」
柔らかく微笑む彼の顔色は、すっかり常時のものに戻っていた。
「調子、どう?」
「おかげさまで。
……今日、薬を取りに行ってくるよ」
「それがいいよ」
やや声の調子の落ちたネスティを励ますように、ぽんぽんっと背中を叩く。
「私の言ったこと、覚えてる?
辛いこと、あったら言いなよ。
いつでも聞くから」
「……ありがとう」
ネスティが、照れたように笑う。
普段の人を寄せ付けようとしない顔とも、マグナやトリスに時折見せる『兄』の顔とも違う、等身大の『ネスティ』の笑顔。
それを自分に見せてくれることが、は嬉しかった。
* * *
とネスティが応接室に着くと、朝食が用意されていた。
スープにサラダ、果ては揚げ物まで、その一つ一つが手の込んだ凝ったものである。
「あら、なんか今朝はいつもより料理が豪勢じゃない?」
「ホントだ。すごいな」
聞こえた声に振り返ると、嬉しそうな顔のトリスとマグナがいた。
「起きてくるなり挨拶も抜きでそれか、まったく……」
「あはは……おはようトリス、マグナ」
呆れたようにため息をつくネスティにが苦笑する。
「「おはよう、ネス、」」
二人の挨拶は見事にハモる。
「だって、あんまり美味しそうな匂いがするんだもん」
「なぁ?」
相も変わらずの息の合い方だ。そのあたりが双子たる
所以なのか。
「結構なことじゃないか。起きてすぐ空腹を感じるのは健康な証拠だよ」
ギブソンが笑顔で言った。
強い味方を得たトリスとマグナが、にっと笑う。ネスティは呆れたように頭を軽く振った。
「にしても、朝からこんなに凝った料理を、一体誰が……??」
「野菜の皮も剥けない誰かさんの作品でないことは間違いないな。
うん、うん……」
「お黙んなさい」
ごすっ!!
「ほぶっ!?」
ケイナの裏拳がフォルテの顔面に炸裂した。あえなくフォルテは崩れ落ちる。
「ミモザ先輩ですか?」
マグナがミモザに目を向けた。
「んー、そう言って自慢したいんだけどなー。
私じゃないのよねぇ」
含みのある笑みに、マグナが口を開いたとき、奥から声が聞こえた。
「お待たせしました。
パン、焼き上がったんで、どうぞ召し上がってください」
「「へっ……アメル?」」
マグナとトリスが振り返ると、香ばしい匂いを漂わせるパンのたくさん入ったバスケットを抱えたアメルが立っていた。
「あ、マグナさんにトリスさん。おはようございます。
さあ、座って。冷めないうちにどうぞ」
目を丸くし立ち尽くす双子の召喚師を、席へと促す。
「謎はとけたかな? ふたりとも」
「はぁ……」
ギブソンが笑って言った。マグナは空返事しか出来なかった。
「じゃ、これ、全部アメルが作った料理なの!?」
「はい、まあ……」
驚いて声をあげるトリスに、照れたようにアメルが頷いた。
「いいから、早く席に着けよ。
アメルの手料理なんて、しばらく食ってなかったんだからな」
いつのまにか後ろに立っていたリューグが、マグナとトリスの背中をとん、と押した。
最後の言葉が、少し胸に痛かった。
* * *
朝食の席は賑やかだった。
「台所に立つのって久しぶりだから、つい張り切りすぎちゃって……ちょっと多すぎたかな」
改めてテーブルを見渡して、アメルが苦笑する。
「問題ないなーい♪
こんだけうまけりゃオレはもう、どしどし食っちまうぜぇ!」
「んもう、フォルテ! 食べるかしゃべるかどっちかになさいよっ」
本気でこの場の料理を食べ尽くしかねない勢いで食べるフォルテを、ケイナがたしなめた。
「ほう、このパン……不思議な歯触りだね」
パンを口にしたギブソンが、感心したような声をあげる。
「おイモの粉を混ぜているんです。
村の畑でも作れる数少ないお野菜でしたから」
「生活の知恵だな」
アメルの言葉に、納得したようにネスティが言った。
見渡してみると、他の料理にも、どこかしらに何らかの形で芋が使われている。
「あの……おふたりとも、お口に合いませんでしたか?」
つい食事の手を止めてテーブルを見回していたマグナとトリスに、心配そうにアメルが尋ねた。
「ううん、おいしいよ」
「おイモ、好きなの?」
トリスの問いに、アメルの顔がぱっと明るくなる。
「ええ、大好きです♪ おイモさんはとってもすごいんですよ!」
((『さん』付け!?))
そのままアメルが語りモードに突入してしまった。
言葉をはさんだりすることがかなわず、マグナとトリスはアメルの話にただ相槌をうつしかできなかった。
「ん? なんだ、お前さんさっきからちっとも食べてないじゃないか」
ふとの手元が目に入り、フォルテが言った。
「え? そうかな……
ちゃんと食べてるよ?」
はきょとんした顔でフォルテを見る。
しかし、本人の基準はどうあれ、傍目から見るとは本当に食が細い。
それは、いつか聖女の話を持ち掛けられたときの食事の席でも、一緒にいた面々が思ったことではあった。
「ちゃんと食った方がいいぞ。
お前、ちょっと細すぎるからな。
せっかく胸あるのに、バランスが……」
「どこ見てるのよ、あんたはっ!!」
本日、二度目の裏拳炸裂。
前半で止めて置けばよかったのに……
一同は呆れてため息をつき、また食事に戻った。
当のはといえば、自分の腕をしげしげ眺めたり、手首を掴んだりしてみていた。
「う〜ん、心配されるくらい細すぎるつもりはないんだけどなぁ……
ネスティ、どう思う?」
は隣で黙々と食事をとるネスティを見上げた。
「んな…………ッッ!!?」
突然話題を振られ、ネスティは顔を赤くして固まってしまった。
ちょうど飲み込んだものが詰まったらしく、しばらく咳き込む。
は慌ててその背中をさすった。
「……ふぅ……」
「えーと…………ごめん……?」
落ち着いたところで、が謝る。
しかし本人はいたって悪気がない上に、固まった原因がわからないため、最後の方は疑問形になってしまっている。
「……なんで僕に聞くんだ…………」
の様子に呆れ、深いため息と共に肩を落とすネスティ。
ただでさえ、女性の体型についてなんて答えにくいものなのに、先ほどのフォルテの発言がさらにそれを助長してしまっている。
しかし、そんなネスティの微妙な心理なんてにはわからないらしく、きょとんと自分を見ている。
どうすればいいのかと、ネスティは頭を抱えたくなった。
ミモザや正面に座るトリスが含みのある笑みを浮かべていることには、幸か不幸か気付いていないらしい。
「なんでって…………う〜〜ん……」
は暫し宙を仰ぎ、顎に手を当てて考え込むようなしぐさをする。
「やっぱり、ネスティに聞けばいちばん的確な答えをくれそうだからかなっ」
にぱっと。
そんな効果音が付きそうな位明るく笑うに、ネスティは複雑そうな表情を向けるしか出来なかった。
「……天然なとこまで兄貴譲りか……」
傍観していたショウが、自分にしか聞こえない程度の声量で、ぼそりとつぶやいたのは、また別の話。