忘れたいものは、誰にでもある。
そう、たとえば。
Another Name For Life
第18話 In Wonderland?
食事を終え、とりあえず部屋へと戻ろうと思ったの肩を、誰かがちょんちょんとつつく。
「?」
振り返ったの視界に真っ先に入ってきたのは、怪しく光る眼鏡。
「み、ミモザ……さん…………?」
「ちゃん、ちょ〜っとこっちいらっしゃいな♪」
「え、でもあの」
有無を言わせず、
ぐわしっ! との両肩を掴む。
ミモザはにこ〜っと笑った。
「約束、忘れてないわよねぇ?
私ず〜〜〜っと楽しみにしてたのよぉ?」
「や、約束てそんな……」
あれは明らかに一方的なものであり、約束と呼べるようなものではない。
しかし、そんなことをミモザが構うはずもなく。
「さ、行くわよ!
楽しみでついあなたに似合いそうな服、買ってきちゃってるんだからね!!」
「あっ、先輩!
あたしも行きますっ!!」
「ちょ……
待てーっ!!」
ミモザがずるずるとを引きずって出てゆく。
トリスも軽い足取りでその後を追った。
「「「「「……………………」」」」」
残された面々は、呆然とするしかなかった。
「……なぁ、あれ……何だったんだ?」
「頼む、俺に聞かないで…………」
訝しげに尋ねるショウに、マグナはただ遠い目をして答えた。
* * *
買ってきちゃってる、という言葉どおり、ミモザの部屋には服が大量にあった。
かれこれ数十分、ミモザとトリスが服をとっかえひっかえしている。
その様子を、部屋の隅でハサハが眺めていた。
の全身の傷を見た3人が一瞬息をのんだ気がするが、もうそんな空気はどこへやら。
一度見たと思われるトリスも、初めて目の当たりにしたミモザも、ちっともお構いなしだ。
はすっかり疲れ果てていた。
はっきり言って、リューグと今朝行なった朝稽古の数十倍の疲労を感じる。
「うん、いいじゃない!」
「、すごい似合ってるよ!」
「……おねえちゃん、かわいい」
三人が歓声をあげたのは、一枚の青い服。
袖は二の腕あたりまでふくらみのあるパフスリーブ。長袖になっているので腕もきちんと隠れてくれる。
スカートは釣鐘型にふわっと広がっており、中にご丁寧にペチコートとドロワーズまで履かされた。
白いタイツに良く合う、黒い革製の靴も用意されていた。
ミモザがどうやっての服や靴のサイズを知ったかは謎である。
これになぜかオプションとして付いている白いエプロンを着け、完成である。
髪は下ろされて櫛を入れられた。
湿り気の残っていた髪は、三つ編みのくせが抜けて、本来のストレートに戻る。
ミモザが仕上げにと、カチューシャの位置に黒いリボンを巻いた。
「、ご感想は?」
「…………動きにくい」
はしゃぐトリスの問いに、力なく肩を落とす。
「ちゃん、今日一日その格好で過ごしてね♪
途中で脱いだらダメよ」
「え!?」
ミモザの言葉が追い討ちをかける。
冗談じゃない。
タダでさえこんな動きにくい格好だというのに、これで一日過ごすとなると。
――汚れたらまずいじゃんかぁ!!――
なにやら微妙にずれた心の叫び。
頭を抱えたい心境などお構いなしに、トリスはがしっとの腕を掴んだ。
「じゃ、みんなに見せに行こう!!」
「ちょっと待てー!!」
後衛の召喚師と思えぬ力で、トリスはを引っ張ってミモザの部屋を後にした。
ハサハも慌てて後を追う。
「………………」
一人残ったミモザは、散らかった服を片付けながらふと、の全身の古傷を思い出していた。
本人が何も言おうとしなかったため、敢えて問い詰めたりはしなかったが、それにしたってあの傷の多さは尋常ではない。
10歳の頃から、と彼女は言っていた。
今は確か18歳だったはず。
8年間も、戦場で戦い続けて。
辛いものも見ただろう。
それは、幼い頃から『蒼の派閥』という閉鎖空間の中で過ごしてきた自分たちでは到底想像もつかないものだろう。
でも。それでも。
初めて会ったときよりも、ここへ戻ってきて、倒れたときよりも。
今朝の、自分の相棒を慕うあの後輩とのやり取りの間のは、今まででいちばん温かさを感じさせた。
その彼の態度や気配も、気づくかどうかという僅かな差ではあるが、自分たちに対してとも、マグナやトリスに対してとも違うものだった。
お互いに我が強そうだが、いいコンビなのかもしれない。
「……どっちも鈍そうだけどね」
支えあい、助け合うようになるまでは、時間がかかりそうだ。
ミモザは苦笑し、止まりかけていた手をまた動かし始めた。
* * *
ミモザの部屋を出て、真っ先に出会ったのはマグナとレオルドだった。
「あれ、トリス何してるんだ?」
「ちょうど良かったマグナ、ほら見て見て!!」
トリスはうきうきした声で、必死で後ろに隠れようとするをずいっと前に押しやる。
「え? えーと…………
ど、どちらさまで……??」
マグナがきょとんとした顔をする。
その様子を見てトリスが吹きだした。
「やだ、わかんない?」
「…………マグナへるぷ…………」
半泣きの声にはマグナも聞き覚えがある。
はて、どこかで――――
「ソノ姿ハドウサレタノデスカ、殿」
「って、
ぇえ!?
!!??」
レオルドの言葉に、マグナがひっくり返らんばかりの勢いで驚きの声をあげた。
「ミモザさんたちにやられてね…………今日一日このまんまだよ」
は脱力しきった様子でレオルドに愚痴をこぼす。
「はぁ…………変わるもんだなー……」
「へへ、かわいいでしょ〜?」
普段とはまるで様子の違うに、マグナが感嘆の声を漏らす。
トリスは得意げに胸を張った。
「廊下で何を騒いでいるんだ、ふたりとも」
呆れたような声に振り返れば、ため息をつくネスティがいた。
「「あ、ネス!!」」
怒られるかと、マグナとトリスはばつの悪そうな顔をした。
「ネスティ、これから出かけるの?」
「…………?」
陰になっていたマグナの後ろからひょっこりとが顔を出した。
ネスティはふいに掛けられた声に一瞬動きを止める。
「……まさか……か!?」
程度こそ違えど、マグナと同じようなリアクションに、は苦笑した。
ネスティはといえば、印象のまるで違うに驚きを隠せない様子だった。
そんなネスティの様子にトリスがにやりと笑う。
「かわいいでしょ〜♪
…………惚れ直した?」
「なっ……君はバカか!?」
トリスの言葉に、ネスティは顔を真っ赤にした。
ムキになるから、からかわれるんだろうに。
マグナは目の前のやり取りに、ちょっとネスティに同情した。
「それはそうと……
僕はちょっと出かける用ができたんでな。
夕方まで留守にするよ」
場を仕切りなおし、ネスティは言った。
「出かけるっていったい、どこへ?」
「調べ物とか、まあいろいろだ…………」
トリスの問いに、曖昧な返事を返す。
尋ねたトリスはもちろん、隣で聞いていたマグナも、ネスティの珍しい態度に引っかかりを感じた。
出かける理由を知っているは、誰にも気づかれないくらい僅かに目を伏せた。
「くれぐれも言っておくが、僕が留守にしてるからといって、だらけてるんじゃないぞ」
その引っかかりも、ネスティのお説教モードにかき消される。
マグナもトリスも、すねた子供のような顔をした。
「あの一件以来、連中はこちらに手を出してはきていないが……
彼女が狙われていることには変わりはないんだ。くれぐれも、うかつなことはするなよ」
「わかってるよ!」
「ネスったら心配性なんだから」
ぐっと拳を握り締める双子の召喚師に、それでもネスティはどこかで感じる不安を拭いきれない。
「ネスティ。
いってらっしゃい」
「…………あぁ」
マグナ達のいる場所で、細かいことは言えない。
はその一言に、多大な意味を込めて言った。
ネスティの方もそれを察して、短く返事をした。
「……なんか新婚さんっぽくない?」
「言えてるかも」
こっそりトリスとマグナの間でそんなやりとりが行なわれているなど、当の二人は知るよしもない。
* * *
そのままマグナも一緒に、屋敷をうろつく。
途中で会ったフォルテやケイナ、リューグにアメルも、が一瞬誰だかわからなかったらしい。
「そんなにわかんないもん?」
「うん、すごい印象違うよ」
の問いに、マグナが大きく頷いた。
玄関ホールに抜けたところで、通りかかったショウにばったり出会った。
「おっ、どうしたんだみんなして」
「あ、ショウ! ショウも見て見てっ!!」
もはやお決まりになってしまったトリスのひとこと。
も諦めきった様子で前に引っ張り出される。
今まではこの段階で「誰だ?」と問われていたのだが、今回は反応が違った。
「……………………、だよな?」
ショウの顔に浮かぶのは、驚きと、懐かしむような表情と、そして何故だか疲れたようなひとすじの汗。
「かわいいでしょっ?」
「……うん、かわいいな。確かにかわいいよ。
それは認めるけど…………
…………ちょっとやなもん思い出した」
トリスたちから目をそらし遠い目をするショウは、なぜか汗だらだら。
「やなもん、って……?」
あまりいい予感はしないものの、マグナは思わず尋ねずにはいられなかった。
「………………文化祭で、女装させられた兄貴」
「「「……………………」」」
あたりに、冷たい風が吹いた気がした。
「文化祭……って?」
「よーするに祭りだよ。学校で催されるイベント。
そこでクラスメイトの女の子達にさんざんやられたとかで、今のみたいにぐったりした兄貴に会ったことがあってね……」
それがもう、そこらの女なんてメじゃないくらいかわいいって評判になって。
その上、在校生と来客の投票で決まる学校のミスコンでグランプリにまで輝いちゃったもんだからたまらない。
以来その出来事は、兄弟の中では封印されるべき忌まわしい記憶ということで、お互い話題にすら出していなかったのだが。
「まさかこんなとこで思い出すことになるとはなぁ……
まぁ、それだけが兄貴にそっくりだってのもあるんだろうけど」
「でも普段あんまり気になってないみたいだよね、ショウ」
「普段は確かにな。
だけどこーいう服はやっぱりな……」
男二人で微妙極まりない会話を交わす横で、トリスはむーっと頬を膨らませる。
がしっとショウのシャツの襟をわしづかみにして、前後に揺さぶる。
「なによぅ、じゃあショウはがかわいい格好しちゃダメだっていうの!?」
「いや、別に……そこまで……!」
「ト、トリス!!」
「落ち着けよっ!!」
とマグナが慌てて止めに入ったところで。
こんこんっ
玄関の戸が叩かれる音がした。
それを聞いたトリスは、ショウを揺さぶっていた手を止める。
開放されたショウは、深呼吸してぐらぐらする頭を落ち着けていた。ハサハが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「はい?」
マグナが玄関の戸を開けると、オレンジ色のまるでメイド服のような服を着て、大きなバスケットを下げた女性がいた。
「あ、どうもどうも〜
こんにちは♪」
「こんにちは」
人懐っこそうな笑顔で挨拶をされ、マグナも思わず挨拶を返す。
「あなた、ここのお屋敷の人ですよね。
ギブソンさんって今、ご在宅ですか?」
「あの、失礼ですけど……どちらさまですか?」
にこにこと笑顔が崩されない女性に、トリスが訝しげに尋ねる。
しかし女性は気を悪くする風はない。
「見てわかりません?」
「……わかりません」
わかんないから聞くんじゃないのか?
誰かが心の中でツッコんだ。
「ヒントはですねー、このバスケットですね」
「ずいぶんと、大きなバスケットですね……」
ひょいとバスケットを持ち上げ示してみせる。
その時、ショウが僅かに感じたものは。
「…………甘い匂い?」
「え??」
「なんか甘い匂いがするんだ。お菓子みたいな」
隣にいるマグナが、ぽつりと漏らされた呟きを聞き取った。
「ちょっと待っていてください」
「かしこまりましたー♪」
トリスがぱたぱたと、ギブソンを呼びに行った。
しばらくして、ギブソンが現れる。
「どうもお待たせいたしました。
ご注文のケーキ、これでよろしいですね?」
「ああ、ご苦労様。いつもありがとう、パッフェル」
バスケットを掲げる女性――パッフェル――に、ギブソンが笑顔で礼を言った。
「このバスケットの中身、みんなケーキ!?」
マグナ達が目を丸くする。
「呆れたでしょ?
まったく、いい歳して甘いもの大好きなんだから……」
いつの間に玄関にやってきたのか、ミモザが呆れた声をあげる。
「いいじゃないか。それに、甘いものには頭の働きを高める効果があるんだぞ」
ギブソンがにっこり笑って反論する。
「虫歯ができたって知らないからね」
「君こそ、辛いものの食べ過ぎで、胃を悪くしても知らないぞ」
何やら近寄りがたい空間が生成されつつあったが、パッフェルがそれを破り、残りのケーキを運んでゆく。
ギブソンの「いつもの所へ」という指定から、しょっちゅうケーキを注文していることがうかがえた。
「あの人、ケーキ屋さんだったのか」
去ってゆくパッフェルの背中を眺めつつ、マグナが呟いた。
メイド服にも見えたのはウェイトレスの格好だったのだと、今更ながら気付く。
「ああ、パッフェルさんといって、いつもこの屋敷にケーキを届けてくれるんだ」
ギブソンの様子に、手馴れた風のパッフェルの動作にも納得がいった。
「これが、ケーキなのね。
私、初めて見たわ」
物珍しそうにケイナが覗き込む。
「よかったらどうぞ。美味しいですよ。
トリス達もどうだい?」
ギブソンが、ケイナだけでなくトリスたちにもすすめると、マグナとトリス、それからショウも顔をほころばせた。
「いいんですか?」
「いただきまーす♪」
「じゃ、せっかくだから……」
「ほら、この生クリームを載せたパイ菓子がオススメだぞ?」
いい感じの反応を見せる御三方に、ギブソンも嬉しそうだ。
「あのぅ…………」
そこで遠慮がちに掛けられた声に、全員が振り返った。
見ると、が何かを考え込んでいるような、複雑な顔をしている。
「どしたの、??」
トリスがきょとんとした顔で尋ねる。
「あのさぁ……
“けーき”って…………なに??」
「「「「「「……………………」」」」」」
あたりの空気が、真っ白になったような気がした。
「……、かわいいっ!!!」
「うわ!」
沈黙をトリスがに飛びついた。
押し倒されそうになったが何とか踏みとどまってこらえる。
「、なんかもうめちゃくちゃかわいいわ!!
ネスにはもったいないわよ!!」
「ちょっと待て、さりげに何か余計な一言が聞こえるの私だけか!?」
「気にしない気にしない♪」
お構いなしに、トリスはにぎゅ〜っと抱きつく。
半ば呆れたような顔でショウがため息をついた。
「変なところで知識がないんだな……
ケーキってのはあれのこと。お菓子の一種だな」
「お菓子??」
おいおい、そこから説明しないといけないのか!?
きょとんとショウを見るに、ショウは頭を抱えたくなった。
「間食用の食べもんだよ。
甘いのがほとんどだな。ケーキも甘い」
「間食……ねぇ」
「の世界は、お菓子食べないの?」
抱きついたままのトリスがを見上げる。
の世界、というが、ショウは食べるようなので、トリスはむしろの『時代』という意味合いで尋ねているのだが。
「そもそも食料があんまりないからなぁ。
三食ちゃんと食べられる日だってないこともあるし。
栄養は最低限取れるからね。余計なもんは全然食べない」
「じゃあ普段何食べてたのさ……?」
「加工されたもんを適当に、かなぁ。
どこ行っても、食べるもんって言ったら必要な栄養素を入れて、匂いとか味を人工的につけた加工品ばっかりだよ。
だから、『料理』ってのはこの世界来るまでは単語もほとんど聞かないくらいだったし」
マグナの問いに、は簡潔に答えた。
ショウはそのの言葉に、未来の食糧事情を垣間見たような気がした。