焦りは苛立ちへと変わり、心を蝕む。

 闇が巣食う心は、時に思いも寄らぬ事態を呼び起こす。





Another Name For Life

第21話  亀裂






 マグナとトリスがいつものようにネスティに起こされ、眠そうに朝食の席に現れた。



「おはようございます。
 マグナさん、トリスさん」

 朝食を運ぶアメルの挨拶に、ふたりはやっぱり眠そうに返事をし……



「「……あれ??」」



 そこで初めて違和感があることに気づいた。



 アメルがいつも用意する朝食は、彼女特製のお芋の粉を練りこまれたパンに、スープやサラダといったものなのだが。

 今彼女が持っている盆の上に載っている物は、明らかにそういうものとは違う。



 米のご飯を盛り付けるための茶碗と、シルターン風の漆塗りの椀だ。



 よくよくテーブルをよく見ると、煮物やら魚の塩焼きやら、シルターン風の食事が目立つ。

 朝食の席独特の美味しそうな匂いも、普段とは違う雰囲気で、しかしどこか温かだった。



「ねえアメル。
 今日の朝ごはん、いつもと雰囲気違わない?」

 さすがに訝しんでトリスがアメルに尋ねた。

「そうだよなぁ。
 シルターン風っていうか……
 アメル、こういう料理も作れるんだな」

 マグナも感心したように言った。



 しかし、アメルはくすくすと笑う。

「実はですね……」



 しかしそこで現れたものに、アメルの言葉は遮られる。



「おっ、おはよう二人とも。
 ほら、味噌汁冷めるから、早いとこ席着いてくれるか?」



 マグナとトリスが振り返ると、そこにいたのはアメルの持っているものよりも大きな盆に蓋をされた鍋とおひつを載せたショウ。



「あ、うん。わかった」

 マグナが頷く。
 トリスは、いつだったかアメルが同じような口ぶりだったのを思い出した。

 確か、アメルが初めてここで朝食を作ったときに、似たようなことを言われたような……



 そんなトリスの疑問に答えるように、アメルがにっこりと笑って言った。



「今日の朝ごはん、ショウさんが作ってくれたんですよ」

「「えええぇぇ!?」」



 これには、マグナもトリスも驚いたようだ。
 そろって目を丸くして声を上げている。



「そこまで驚かなくても……」
「いや驚くって普通に!」

 苦笑するショウに、マグナがわたわたと手をばたつかせた。

「でも、どうして急に?」
「いっつもアメルばっかりに作らせるわけにいかないだろ。
 こーいうのはやれる奴が交代でやった方が楽だしね。
 あとは、まぁ……そろそろこーいう味が恋しくなったというか」

 トリスの問いにしみじみ答える。
 以前聞いた話では、ショウの故郷はシルターンに近い文化を持っているらしい。故郷の味となると、自然とシルターン風の食事になるわけである。

「味の保障はしないけどね。
 こっちの人の好みに合うかわかんないし」

 そう言いながら、ショウはテーブルの端に持っていた盆を置き、アメルから椀と茶碗を引き取って手際よく盛り付けていた。











「それじゃ、いただきまーす!」



 それぞれが、料理を口へ運ぶ。



「「「「「………………」」」」」

「……どうかな」



 静かになってしまった室内に、恐る恐るショウが声をかけた。



「おいしい!!」

 真っ先に歓声をあげたのは、トリス。

「うん、凄く美味いよショウ!」

 マグナも笑顔で言った。
 他の面々からもいい評価が得られる。

「よかったぁ〜。
 口に合わないって言われたらどうしようかと思っちゃったよ」

 皆の反応をみて、ショウもほっと胸をなでおろした。



「なんていうか、懐かしい味だわ」
「うん、そんな感じ」

 ぽつりと呟いたのは、ケイナと

 マグナとトリスは、以前ケイナがミモザに記憶に関する相談をしていた時、彼女がシルターンに縁があるのでは、と言われていたのを思い出す。
 シルターン風の料理を口にしてそんな感想をもらしたのだから、その可能性はさらに確実性を増したと思ってよいだろう。



「それにしても、本当に美味しいわね。
 服のことといい、ショウ君意外と家事の才能があるのねえ」
「そうですねぇ。
 前にお手伝いして下さってた時にも手際いいなとは思ってましたけど……」

「いや。才能なんて、そんなんじゃないですって。
 オレの家、小さい頃から家事は交代制でやるようになってたし、ここ何年かはひとり暮らししてて自炊してたし。
 単に慣れです、慣れ」

 感心したようなミモザとアメルの言葉に、ショウが照れくさそうに手をぱたぱた振った。

「そんなことないって。こんな美味しい料理が作れるってだけですごいんだから!」

 マグナがぐっと拳を握り締める。



「そうそう。ほんと凄いよショウ。
 なんか、いつでもお嫁に行けそうだね」

「…………いや、ちょっと待て。
 嫁はありえねえだろ。」



 感心したようなトリスの言葉に、ショウは固まる。



「あ、わかるわかる!
 それに、何かこうあったかい感じなんだよな。ショウの料理」
「うん。
 何ていうか、こーいうのを“おふくろの味”っていうのかしらね」

「オレはいつお前らの母親になったんだ!?
 ていうか洒落にならんからそーいうこと言うのやめてくれ!!」



 しみじみとした口調で語る双子の召喚主に、ショウは半泣きで訴える。
 口ぶりから察するに、以前にもこんなことがあったのだろう。

 一同はショウに哀れみを覚えながら、黙々と食事を口へと運んでいた。



 その味は確かにマグナの言うとおり“あったかい感じ”で、トリスの言うとおり“おふくろの味”と言えるものだったとか。



* * *



「これでもない……これも、違う」
「…………」



 昼下がりの、本来ならのどかなはずの時間に。
 ギブソン・ミモザ邸の書庫では、マグナにトリス、そしてネスティの三人が山積みになった文献を睨んでいた。

 レルム村の襲撃。
 そして数日前の屋敷への襲撃。
 どちらも、黒い鎧を着込んだ兵士達によるものだ。

 最後の襲撃からそれなりに日数も経ったが、それでもいつまた彼らが現れるかはわからない。

 事件の調査なども行なうギブソンたちの屋敷の書庫の中になら、もしかしたら彼らに関する手がかりになるような記述が見つかるかもしれない。
 再び現れる前に、少しでも情報を集めなければ。

 そう判断し、先日からずっと文献を漁っているのだが。



「どう、調子は?」

 書庫の扉が開かれ、様子を見に来たミモザとが姿を見せた。
 三人は顔を上げる。しかしネスティだけはすぐに手元の本へ視線を落としてしまう。

 そんなネスティの様子もそこそこに、マグナはため息まじりにぼやいた。

「ダメです。
 いくら記録を探しても、あの黒い兵士たちに関連するような記述はちっとも見当たらなくて……」
「簡単に諦めるな、マグナ」

 しかしそんなマグナへと、ネスティの不機嫌そうな叱責が飛ぶ。
 その声に含まれる苛立ちや焦りを感じ、も思わずため息をつきたくなった。



「連中の戦いぶりは、僕たちのような素人と明らかに違っていた。
 徹底された指揮系統とそれを遵守した動きは、組織だった訓練を前提に成立するものだ。

 とにかく、情報が必要なんだ。
 これから先のことを考えようにも、奴らのことを知らないままでは、身動きのとりようがない」

「それはたしかにそうだけどね……」

 トリスも疲れきったように言った。

「でもね、ネス。
 だからって、いくらなんでもここにある文献の山の中から敵の正体を探りだすのは無茶よ……」
「そうだよ。
 それにそもそも、あいつらが正規の軍隊だって保証すらないんだし……」

 同意するように、トリスの言葉にマグナも頷く。



「じゃあ、君たちは他に何かいい方法があるというのか!?」

 二人の様子に苛立ちがピークに達したのか、ネスティはがたんと大きな音を立てて立ち上がり、二人に向かって声を荒げる。



「いいかげんにしろ!」



 突如発せられたの怒鳴り声に、三人は思わずその場に凍りつく。
 声の方へ視線を移せば、は両腕を胸の前で組み、むすっとしている。

「少し落ち着け。
 ここであんたらが言い争いしてどうする」
ちゃんの言う通りよ。
 一生懸命なのはわかるけど、それが空回りをしちゃ意味がないわ」

「ですが……」

 とミモザに諭され、しかしネスティは不満そうに呟く。
 ミモザはふぅ、とひとつ息をついた。

「ひと息入れなさいな。
 私たちも、ちょうど休憩にするところだから。ね?」

 そう言ってにこりと微笑むミモザが書庫を出ると、マグナとトリスもそれに続いた。





「「…………」」

 その場に残されたのは、互いに不機嫌そうなとネスティ。



「…………何を焦ってる?」

 沈黙を破ったのは、

「……べつに、君に関係ないだろう」
「そうだね、確かに関係ないさ」

 突っぱねるようなネスティの物言いに、も普段より口調がきつい。

「だったら、僕のことなんて放っておいてくれればいいだろう?」

 鬱陶しそうに、ネスティはから視線をそらす。

「嫌だ。」
「な……!?」

 きっぱりと発せられたのはたった一言。
 ネスティは思わず、の顔を見た。



「確かに、あんたが何を考えてるかなんて、私には関係ない。
 だけど、そうやって心をすり減らしてるネスティは、正直見ててつらい」
「だったら、見なければいい。
 そうすれば気にもならないじゃないか」

 苛立ちが少しずつ、しかし確実に心の中を侵食していくのを、ネスティは感じた。
 普段なら何でもなく流してしまうようなの言葉も、今の自分にとってはストレスを煽るだけだ。



「やだね。
 あんたを放っておくのも、見ないようにするのも嫌だ。
 何とかしてやりたいって思う。

 今のネスティは、すごくあんたらしくない。
 一体、何をそこまで焦る必要があるんだ?」



 の口から発せられる言葉のひとつひとつが。



 今はただ、煩い。





 ネスティの中で、何かが音を立てて、切れた。





「それこそいらないおせっかいだ!
 君には関係ないんだから黙っててくれないかっ!?」

「…………!?」



 怒りを露にして、怒鳴りつける。

 普段と明らかに様子の違うネスティに、はびくりと肩をすくめた。





「君はいつもそうだ!
 そうやって、何でもわかってるみたいに振る舞って!

 君に僕の何がわかるって言うんだ!?
 知ったかぶりして僕のことを見透かしたように言うな!!



 ……もう放っておいてくれ!!
 迷惑なんだ、僕に関わるな!!」





 怒りと共に瞳に浮かべられたものは。

 はっきりとした、拒絶。

 は、呆然と佇むしかできなかった。



 ひとしきり思いをぶつけたネスティは、肩で荒く息をついた。

 顔を上げると、そこには。





「そう、か…………」



 哀しそうな顔で僅かに微笑む、





 その顔を見て、ネスティの頭は急速に冷えていった。



 そして、理解する。

 自分のしたことを。





 は俯いてネスティから視線をそらし、ぽつりぽつりと呟く。



「友達だから、心配だって。
 ただそれだけだったんだけど…………

 あんたには、迷惑なだけだったんだね」



 今まで、こんなを見たことがあっただろうか。



「あの、…………」

「ごめんねっ。うるさくして」



 何と言葉をかけたらいいかもわからずに呼びかけたネスティの言葉は、やや強めなの声に遮られる。



「悪かったよ。
 私のしたことで、あんたが気を悪くしてるなんて思わなかった。
 配慮、足りないね。

 ごめん、もう邪魔しない。
 じゃあ、私もう行くから」



 はネスティの顔を見ようとしないまま、踵を返し、すたすたと普段よりも早足で書庫の扉へと向かっていく。



「あ……」



 思わず、喉から声が零れた。
 それが聞こえたのか、が出口でぴたりと足を止める。



「……おせっかいついでにひとつだけ。

 あの槍使い――イオスは、自分の事を軍人だって、言ってた。
 あの連中が軍隊なのは確かだよ。どこのか、までは聞かなかったから知らないけど」

「――――!!」



 情報。

 ここ数日の間ずっと欲しかったもの。
 これで、少しは調べる能率も上がるだろう。



 ネスティが安堵し、に礼の言葉を言おうと口を開こうとした。

 しかし。



「それじゃ、私もう行くから。
 休憩して、ミモザさんたちに顔見せたほうがいいよ。みんな心配してるから。

 ――安心して。
 私はそっちには顔出さないから」



 出された言葉は、先ほどの自分のものよりも遥かに強い、拒絶。





「………………じゃあね」

「――――ッッ!!
 …………!!」



 ネスティの呼びかけもむなしく、扉は閉ざされる。

 すぐに、ぱたぱたと遠ざかる足音が聞こえた。





「………………………………ッッ!」

――僕は、何てことを…………!!――



 苛立っていたのは、確かだ。
 焦っていたのだと、自分でもわかっている。

 しかし、そんなことはただの言い訳でしかない事だということも、嫌というほどわかっていた。



 傷つけた。

 自分を救ってくれた少女を。
 出会えたことを誇りに思うとまで言ってくれた、友を。



 本心なんかじゃないのに。
 あんなこと、思ったこともなかったのに。



 しかし、もう遅い。



 零れた水は、コップへは戻ってくれない。

 一度口から出てしまった言葉は、取り消せない。





 ネスティは、爪が手のひらに食い込みそうなほどに、ぎゅっと拳を握り締めた。





 たった一時の苛立ちが生み出したものは、途方もない後悔の念。



 悲しそうなの笑顔が、頭に焼き付いて離れない。



 友達であるはずのイオスと敵対することになった時だって。
 敵だと疑われた時だって。
 辛いであろうはずの過去を、皆の前で話した時だって。
 アメルのことを失念していたロッカとリューグに対して怒りを垣間見せた時だって。

 友である悪魔たちを召喚できないのが、寂しくて辛いと言った時だって。



 はあんなに悲しみを見せたことは、なかった。



「――くそっ!!」



 握り固めていた拳を、机に叩きつける。



 力任せに振り下ろした拳は痛んだが、心の痛みはそんなものの比ではない。



――でも、は…………――



 彼女の心に作ってしまった傷は、それよりも更に深く、痛い筈だ。





 謝らないと。

 会って、ちゃんと話さないと。



 そう思い、を追いかけようと扉を開く。

 そして、を探そうと思ったその時。



「――ネスティ?」



 声をかけられて振り返ると、そこにはショウがいた。

「あ……ショウ……」
「マグナたちは来たのに、ネスティだけなかなか来ないから、心配したよ。
 作業続けたい気持ちはわかるけど、たまには休まないと身体に良くないぞ?」
「あぁ…………すまない」

 にっこりと害意のない笑顔で言われ、ネスティは口ごもりながらも何とか言葉を発した。

 そしてショウの言葉に引っ掛かりを覚え、訪ねる。

「僕だけ……って、はどうしたんだ?」
?」

 きょとんと、ショウは僅かに高い位置にあるネスティの顔を見た。

なら、出かけてくるって言ってたけど」
「どこに!?」

 思わず声が大きくなる。
 ネスティの剣幕に気圧されつつも、ショウは答える。

「そこまでは言ってなかったな。
 何か用事でもあったのか?」

 ショウの言葉に、ネスティはゆるく首を振った。



「…………いや、なんでもない」



 言えない。
 こればかりは、絶対に。

 自分の責任なのだから。
 自分で解決するしかないのだから。



「そっか。
 まぁ、調べ物するにも探しに行くにしても、いったん休憩したほうがいい。
 休むのも大事な仕事だからね」



 何かあるのは察しているであろうに、それでもそのことには触れようとせずただ笑顔を浮かべる。

 今はそのショウの気遣いが、何よりも有難かった。

 前半ほのぼのまとまったのに、そんな空気はどこへやら。
 一転してシリアスになっちゃいました。

 苛々してる時って、気遣ってくれる言葉も鬱陶しく感じちゃったりするんですよね。
 それでやつあたりして。
 今回のネスティさんはかなりテンパってたご様子。ファンの皆様申し訳ありません。

 喧嘩、とはまた違うかもしれないですが、長丁場の話には付きものかなと思い、ついつい長くなってしまいました。
 気まずい空気もそのままに、次回に続きます。

UP: 04.02.26
更新: 04.04.25

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