否は、これ人に匪ず。君子の貞に利ろしからず。大往き小来る。
八方塞がりで、行く手が見えない。
どうしていいのかもわからない。
後悔しても、もう遅い。
どうすれば、いいのか。
Another Name For Life
第22話 天地否
「収穫はあったかい?」
「いえ、全然です」
アメルが入れてくれた温かいお茶を口に含み、気分が落ち着いたところでギブソンが尋ねた。
マグナとトリスは、ただ首を横に振るしか出来なかった。
しゅんと落ち込む双子召喚師に、ギブソンはふぅ、とため息をつく。
そこでがちゃりと応接室の扉が開き、ネスティとショウが現れた。
「ネス、どうしたんだ?
随分遅かったみたいだけど……」
「大したことじゃない。
気にするな」
マグナの問いに答えるネスティの声は抑揚のないもので、暗に触れて欲しくないのだということがうかがえた。
隣で聞いていたショウは、先程出かけることを告げに来たの様子も合わせて、気にかかった。
表向きは普段と何も変わらなかった。
それゆえにマグナとトリスも、何も疑いを持とうとはしなかった。
しかし、声の調子や表情は、どこか作られたもののようだった。
僅かな、それこそ砂一粒ほどの違いだったが。
二人の様子をおかしくする“何か”があったのだ。
マグナたちが書庫を出て、ネスティが自分と会うまでの間に。
しかしそれをただ無遠慮に問うほど、ショウとて愚かではない。
二人の問題は、二人で解決すべきだ。
干渉するのは、頼られたときか、傍目からでも明らかに収拾がつかなくなっているのが見て取れたときだけでいい。
「まあ、私たちの調査も似たようなものだよ」
ギブソンが、気落ちしている様子のマグナたちに声をかける。
「確か……召喚師の連続失踪事件ですよね?」
顎に手を添えてトリスが呟く。
「ああ、そうだよ。
報告によるとまた一人行方不明者が出たとのことだ」
「尋常じゃないですね、それは……」
ギブソンの言葉に、ネスティが眉根を寄せた。
「まあ、まだ事件性があるとはっきり確定したわけじゃない。
地道に足取りを追って調べていくつもりだよ。
焦ってもしかたがないことだからね」
「そうそう、この手の調査を長く続けるコツは、根を詰めないことなのよ」
ギブソンとミモザの言葉には、マグナたちへのねぎらいの意も込められているように感じられる。
先輩達の温かな言葉に、マグナとトリスが笑顔を浮かべた。
しかし。
「――でも、それも時と場合によるんじゃないでしょうか?」
「「ネス……」」
仏頂面のネスティに、さすがのマグナとトリスも不安そうな表情を隠せない。
「いたずらに時間をかけることで、取り返しのつかない事態を招いたりしたら……」
今日の自分はおかしい。
そう、はっきりと心のどこかで感じる。
しかしそれでも、不安は広がる。
その不安が焦りを生み、苛立ちへと変わり、心に深い闇を作り上げていくのが、自分でもよくわかっていた。
だがそれを払拭する術は、ない。
こんな時に励ましてくれたであろう友は、つい先程自らの手で遠くへ追いやってしまった。
何よりそれが一番腹立たしくあった。
「悲観的な考えはあまり好ましくないよ、ネスティ」
「僕は現実を見すえた話をしているだけです」
普段なら素直に聞き入れたであろうギブソンの言葉も、ぴしゃりと遮る。
やや乱暴にカップに残ったお茶をあおると、ネスティは立ち上がりすたすたと扉へと歩を進める。
「時間が惜しいので失礼させてもらいます。
それでは!」
それだけ言い残し、扉をくぐっていった。
「ちょっと、ネス!」
「どこ行くんだよ!?」
トリスとマグナの問いかけに答えるものはない。
一体、何をあんなに焦っているというのか。
普段から神経質な方ではあったが、あそこまで苛立っているネスティなど、二人はほとんど見たことがない。
今まで経験のなかったことに不安を覚え、二人は顔を見合わせた。
「だいぶカリカリしてるみたいね、あの子」
「無理もあるまい。
今の状況は彼にとって不本意すぎるものなんだからな」
ミモザとギブソンが、揃ってため息をついた。
「不本意…………ですか?」
ギブソンの言葉にマグナが首をかしげた。
それに気づいたミモザが、二人に向き直る。
「ねえ、ふたりとも。
あなたたちの目的ってなんだったかしら?」
その言葉に、マグナとトリスは顔を見合わせ、はっとする。
「……そういえば」
自分たちの本来の目的は、見聞の旅。
すなわち、ゼラムを離れること。
それなのに、今はこうやって聖王都に留まり、先輩方の屋敷に世話になっている。
「彼は生真面目な性格だからな。
任務の遅滞に必要以上の責任を感じているんだろう」
「……いろんな意味で、損をする性格ですね」
ギブソンが言うと、ショウが付け加えるようにぽつりと呟く。
「そういうトコって昔の貴方みたいよね、ギブソン?」
「否定はしないよ。
だからこそ、彼の心境がわかるんだしな」
茶化すようなミモザの言葉に、ギブソンは苦笑いを浮かべる。
「「…………」」
「ん、どうした?」
マグナとトリスは、黙って俯いていた。
ショウがそれに気づき声をかける。
「うん……
ちょっと、ネスのことが気になって」
「これって、やっぱり俺達のせいなんだよな……」
このふたりは、本当にわかりやすい。
よく言えば素直。悪く言えば単純。
しかし、抱え込んでいるよりは打ち明けてくれた方が見ている側としても精神的に楽になる。
どこかの親戚と色白眼鏡にも、少しはこの素直さがあればいいのにと、ショウはこの時本気で思った。
ショウはおもむろにマグナとトリスの頭に手を載せ、わしわしとやや乱暴に撫でた。
「「わわっ!?」」
突然のことに二人は驚く。
「ちょ、何するのよショウ!」
手が離れたところで、くしゃくしゃになった頭を直しつつ、トリスが抗議の声を上げる。
しかしそれを気にするでもなく、ショウはにっと笑ってみせた。
「お前らまでそんな顔してどうするんだ?
それに、今のこの状況は、誰にも予測できなかったことだろ?
たまたま起こった出来事が積み重なって起きた、いわば偶然の産物だ。違うか?」
「それは俺だってわかってるよ。でも……」
言い聞かせるようなショウの言葉に、マグナはしゅんと眉根を寄せる。
ショウはそんなマグナと、同じように俯くトリスの肩に、ぽんとそれぞれ手を置いた。
「とにかく、一度ネスティと話してくるといい。
自分の考えてることを話して、ネスティの考えてることも教えてもらってきな。
今のあいつは、ふくらみきった風船みたいなもんだ。
溜め込んでるものを抜いてやらないと、すぐに破裂する。
それが今できるのは、多分お前らだけだ。
だから、行ってきな」
「「ショウ……」」
それでもまだ不安そうに自分を見上げる二人に、ショウはにこりと笑って見せた。
その顔を見て、意を決したように揃って頷く。
「よし、じゃあ行ってらっしゃい」
「「うん、行ってきます!!」」
力強く頷いて返事をするマグナとトリスに、ショウは満足そうに手を振る。
扉の前まで歩いていき、そこでぴたりと足を止める。
「?」
「ねえ、ショウ」
二人の行動を不思議に思いショウが首をかしげたところで、マグナたちは揃って振り返った。
トリスの呼びかけに「なんだ?」と返すと。
トリスは、にっこりと満面の笑みを浮かべて、言った。
「ショウ、やっぱりおかあさんみたい。」
「…………だから“おかーさん”はやめれて。」
へなへなと脱力しきった声でその場にへたりこむショウを見て、マグナとトリスは声を上げて笑った。
「いいからさっさと行ってこいっつーの!」
「あははは……はーいっ」
「それじゃ、いってきまーす」
笑い声を残し、マグナたちは今度こそ応接室を出て行った。
その後姿を見送り、扉が閉まったところでショウは「やれやれ」と立ち上がる。
「……なんか、すっかり保父さんね、ショウ君」
「こーいうのはオレの役割じゃあないはずなんですけどねー」
くすくす笑うミモザにショウも頭をわしわしかいて苦笑してみせる。
「まぁ、しゃあないですね。
とネスティがあの調子じゃ」
言葉がきつくとも、いつも誰かを励ましてきたのは、。
マグナとトリスを正しい方へと導くのは、ネスティ。
そのふたりの様子が、今はおかしい。
「やはり、君も気づいていたか」
「まぁ、オレも一応悪魔召喚師の家系ですからね。
感情の変化を見るのは、これでも苦手じゃないっすから。それに――」
言いかけた言葉を、はっと飲み込む。
「それに――何?」
「あ、えっと。
は、結構兄貴に似たところあるみたいだなと。
行動パターンというか、そういうのがホントにそっくりなんですよ。
変に意地っ張りっていうか頑固なところとかあったし」
ミモザの問いかけに出した言葉は、どこか取り繕う風がある。
しかし本当に思ったことでもあるので、違和感はそれほど強くはならなかったはずだ。
「前から少し気になっていたんだが、君のお兄さんというのはどういう人なんだい?」
「機会があったら話しますよ。
それより今は…………」
そうだ。
今問題にすべきは、いない人間よりも今いる後輩とその仲間たち。
「そうねえ……
少し、考えた方がいいわね」
ミモザもう〜んと首をひねる。
「とにかく、マグナたちを待ちましょう。
様子を聞いてからでも、遅くはないはずですから」
「そうね」
* * *
マグナとトリスは、応接室を出てすぐにネスティに会うべく書庫へ直行したのだが。
「あれ?」
「ネス……いないじゃない」
そこはもぬけのから。
先程出て行ったときとさほど変わらない様子の室内に、思わずマグナとトリスは顔を見合わせた。
ネスティの性格を考えれば、あのあと一直線にここへ来ていると踏んだのだが。
ふたりが首を捻っていると、廊下からこつこつと足音が聞こえてきた。
振り返ってみれば。
「……ここで何をしているんだ?」
「「ネス!」」
探していた顔がそこにはあった。
ネスティはいつも以上に険しい顔をしており、疲労も色濃く見て取れた。
「入るんじゃないなら、どいてくれ」
扉を塞ぐ形で立っていたマグナとトリスに、感情を見せぬ声で言い放つ。
すっ、とふたりが左右に下がるとネスティはその間を通り奥の机の前に腰をおろし、開きっぱなしになっていた書物に手をかけた。
「……ねえ、ネス」
「邪魔をしないでくれ。僕は忙しいんだ」
恐る恐る掛けられたトリスの言葉にぴしゃりと返す。
その声の冷たさに、トリスはもちろん隣にいたマグナも、思わず肩をすくめる。
しかし震える声を抑え、マグナが言った。
「…………らしくないよ、ネス」
その言葉に、ネスティはぴくりと一瞬だけ手を止める。
トリスも、ぎゅっと拳を握り締めてネスティを見据えた。
「うん。今のネス、全然、ネスらしくない。
いつものネスなら、わかってるはずなのに」
「……………………」
ネスティは黙って顔を上げ、マグナとトリスの方へ顔を向ける。
その表情は未だ読み取れない。
「ネスがいらいらしてる理由、俺たちだってわかるよ」
「本当なら、あたしたちはとっくにゼラムを出て、南に向かってなくちゃいけないのよね」
「だけどさ、ショウも言ってた。
今みたいなことになるなんて誰も予想できなかったことじゃないか」
「……君たちに言われなくともそれぐらい、僕にだってわかってる!」
黙っていたネスティが、唐突に声を荒げる。
マグナもトリスも口をつぐんだ。
驚きを隠せない二人の顔を見て、先程のが脳裏に浮かんだ。
ネスティは机の上で拳を固め、視線を下に落とした。
「わかっているからこそ、余計に腹立たしいんだ」
「ネス……」
悲痛な声に、気遣わしげな声をかけるのは、マグナ。
トリスも、今まで見たことさえなかった様子のネスティに、しゅんとなる。
「関わらなければ良かったんだ…………
レルムの村になんて行かなければ! そうすれば…………ッッ」
「「ネスっ!!」」
絞り出されるようなネスティの言葉に、こればかりはさすがの二人も叱責するような声を上げる。
ネスティもはっと顔を上げ、苦い顔をした。
「……すまない、今のは言い過ぎだった。
だけど、僕は不安なんだ。
たどり着くべき結末も、進むべき方向さえも見えてこない。
こんな毎日がこれからずっと続いたら…………そう考えると、僕は」
「あたしはそうは思えないの」
遮るように、はっきりした声でトリスが言った。
マグナも、隣で頷いている。
「だって、さ。
確かに今のあたしたちは、状況に流されてるように見えるけど」
「けど俺たちは、それに甘んじようって思ってなんかいない。
切り開く道をそれぞれ探してる」
「時間がかかるのは……最良の方法を探そうとしているからでしょ?」
「それだけのことだよ。ネスが気に病む必要なんて無い」
かわるがわる、トリスとマグナが言葉を紡ぐ。
ネスティに言い聞かせるように。自分たちに、言い聞かせるように。
思いもよらぬ言葉に、ネスティは目を見開いた。
「そうだな……
君たちの言うとおりだと、いいんだがな…………」
しかし出てきた言葉は、辛そうなものだった。
静かに目を伏せるネスティは、どこか痛さを感じさせる。
「ネス?」
「悪いが、すこし一人にしてくれないか?
気持ちを切り替える時間が欲しい……」
気遣わしげなマグナに視線を合わせないようにしながら、ぽつりと言った。
マグナもトリスも、まだ納得の行かないような顔をしていたが、しぶしぶ扉へと足を向ける。
「……それじゃ、俺たちは行くから」
「無茶、しないでね」
閉じかけた扉から顔を出して声をかけるが、ネスティの反応はない。
二人は小さくため息をつき、扉を静かに閉めた。
「……………………」
静かになった書庫で、ネスティはひとりどこを見るでもなく視線を宙に漂わせていた。
本当に、今日の自分はどうかしている。
今までに、叱り付ける以外でトリスやマグナに対して声を荒げたことなどあっただろうか。
ほんの一部でも、気持ちをぶつけたことなどあっただろうか。
ネスティは重いため息をひとつついた。
先程、応接室を出てすぐに、屋敷を一回りしてを探した。
もしかしたらまだ外に出ていないかもしれないという期待の元に。
だが、彼女は影も形も見当たらない。
本当に外へ出て行ってしまったのだ。
今すぐにでも、外へ飛び出していきたかった。
謝って、さっき言ってしまった事を弁解したかった。
しかし、そんな余裕さえ、今の自分にはない。
探しに行かねばならないが、しかしそれ以上に、黒い兵士達のことを調べなければという余計な使命感が先立ち、足を鈍らせる。
それに、せっかくがくれた情報を、無駄にはしたくない。
そう思えばこそ、屋敷に留まることを決意したのに。
自分は、もしかしたらマグナ達まで傷つけてしまったのではないだろうか。
気遣ってくれた、弟弟子と妹弟子までも。
何だか、もう今は何をするにも集中できない気がした。
――すこし、頭を冷やしてこよう――
ため息をついて、ネスティは扉をくぐった。
こんな時にいつも傍にいてくれた少女が、ひどく気にかかった。