記憶にない光景。
身体が、血が知っている光景。
それは、懐郷の念なのか。
Another Name For Life
第25話 故郷
「さ、到着したわよ」
ミモザの案内した場所は、緑に囲まれた美しい湿原だった。
「へえ、こんな場所が近くにあるんだ」
「フロト湿原だな。僕も、来るのは初めてだが……」
マグナが感心したような声を上げ、ネスティが呟いた。
「草が青々と茂っていてすごくきれいですねえ」
「足下がふわふわしててなんだか不思議だわ。お家のじゅうたんみたい!」
「面白いだろ? 地面と草の間に、水が溜まってるからだぜ」
楽しそうにはしゃぐアメルとミニスに説明をするのは、フォルテだ。
「へえ……詳しいね」
「まあな♪」
感心するトリスににっと笑ってみせる。
「そういうどうでもいいことだけは、やたらに詳しいのよ。そいつは」
「いや、こういう細かい知識って、意外なところで役立つもんなんだよ。
たいしたものだよ」
「へへ。
まっ、雑学は冒険者のメシのタネだからな」
ケイナの呆れたような口調に、ショウが反論した。
「このフロト湿原はね、見習い時代の頃からの私のお気に入りの場所なのよ。
ここでしか見られない動植物も多くてね……観察するために、一日中入り浸ってたわ」
「本当だ。
……あっ、あっちにいる動物って初めて見る種類!」
「え! どこどこっ!?」
しみじみと景色を眺めるミモザだったが、マグナの言葉にガバッと目の色を変えて喰いついた。
「ほら、あそこ…………って、ミモザ先輩!?」
「ちょっと観察してくるから、後の事はよろしくねぇ〜〜ッッ!!」
マグナが方向を指し示すと、一呼吸置いた頃にはもうミモザは遠く彼方へ走り去ってしまっていた。
「…………行っちゃった」
姿が見えなくなり、沈黙があたりを包む。
数刻の間を置いてから、ぽつりとトリスが呟き、漸く全てが再び動き出した。
「やれやれ、困った人だ……」
「いいじゃないの。
ここからは、それぞれ自由行動にすれば。
今日は骨休めに来たんだし」
ため息をつくネスティに、ケイナが苦笑してみせた。
「それは構わねーが……
オレとしてはその前に腹ごしらえを……」
「私も、お腹ぺこぺこ!」
「はいはい、それじゃまずはみんなでお弁当にしましょうね」
フォルテとミニスが騒ぐ。
アメルの一声で、全員の顔がぱぁっと明るくなった。
* * *
「美味しい〜!」
弁当のおかずを口にするなり、トリスが歓声をあげた。
「これ誰が作ったの!?
凄く美味しいんだけどッッ!」
「あぁ、それオレのだ」
トリスの取り皿を見たショウが一言。
「ほんとに!?」
心なしか、トリスやマグナの目が輝いたように見える。
尊敬の眼差しで見つめられて、ショウは照れくさそうに手をぱたぱた振った。
「そんな大したもんじゃないんだよ。
それ、作るの結構簡単だし」
「でも凄いよ! ほんとに美味しいし!!」
興奮気味なマグナに、トリスが頷いて同意する。
ショウは頬を染めて居心地悪そうに頭をかいていた。
「でも、ショウさん本当に凄いですよ。
栄養のバランスとかもちゃんと考えてるし、彩りもきれいだし……」
「そうよね。
これだけのものが作れるって、相当な才能だわ」
アメルとミニスも感心している。
特にミニスはショウの料理を食べるのはこれが初めてで、冷めてしまった弁当でこの味なら、作りたてはどれほどの物なのかと強い興味を示していた。
「あ、ネスティ。そこの水筒とってくれる?」
「……あぁ、これか?」
「さんきゅ」
他のメンバーが料理や味について話をしている横で、話題の枠に入ることなく黙々と食事を続けるのは、とネスティの味オンチ二人組であった。
* * *
食事を終え、皆それぞれにくつろぎ始めていた。
も、散歩でもしようかと腰を上げる。
バルレルはどうしているかと周りを見回せば、ショウと二人で何かを話し込んでいた。
とりあえずそちらの方へと足を向ける。
「二人とも、何話してるの?」
「よぉ、テメェか」
「バルレル。 私は“”だって言ってるっしょ?」
「へぇへぇ……」
バルレルは、仲間達に対しては『ニンゲン』やら『メガネ』やらといったぞんざいな呼称を使うが、とショウだけはきちんと名前で呼んでいる。
これは、最初にが約束をとりつけたことだ。
――名前には、きちんと意味を持って付けられてる。
悪魔のあんたには、それがよくわかってるだろ?――
そう言って、はバルレルに名前をきちんと呼ばせていた。
また、屋敷の部屋の広さの都合などで、バルレルはショウと同室だった。
一応、バルレルはの護衛獣なのだからと同室にするべきなのかもしれなかったのだが、の部屋はあの屋敷にしては珍しく狭いもので、が寝泊りすればそれでいっぱいだった。
それとは逆に三人は入れるであろう部屋を割り当てられたショウが、バルレルを自身の部屋に招きいれたのだ。
バルレルはどういうわけかショウの事が気に入ったらしく、「ルームメイトなんだから名前で呼べば?」というの言葉にも素直に応じている。
「大したことじゃないけど、オレの故郷もこんな感じだったって話してたんだ」
「ショウの故郷……?
じゃあ、もしかして……」
が思っていることを代弁するかのように、ショウは言った。
「あぁ。
の一族が……兄貴やオレ、それに
碧海が生まれて……そして育ったところは。
ちょうどこんな感じの緑の茂った所だったんだ」
それを聞き、は心のどこかで感じていた懐かしさの意味を知った。
それは、自分の中に流れる一族の故郷へ馳せる想い。
目を閉じると感じられる空気の匂い。木々の音。
そのひとつひとつが、身体を通してやがて心へと染み入ってゆく。
「オレ達の住んでた所は山奥の小さな村で……自然が壊されていく中で、あそこはずっと緑に囲まれてたよ」
「……いちどだけ、ばっちゃんから聞いたことがある。
本物を、一度でいいからちゃんと見てみたかったな」
お互いに違う思いで、それでも同じように淋しそうに笑うショウと。
もう帰ることの出来ない故郷。
永遠に目にすることのない場所。
「……ま、無いものねだりしてもしょうがないさな。
私その辺ぶらついてくるよ」
「ああ、わかった。
気をつけろよ」
ショウの言葉に、は片手をあげて答え、その場から立ち去った。
「なぁバルレル。お前の護衛獣なんだろ。
ついてかなくていいのか?」
「いいんだよ。
今のアイツについてったって、邪魔にしかならねぇし。
それにオレが疲れちまうしな。骨休めに来てんだろ? オレら」
ため息まじりに答えるバルレルに、先程のの様子を思い出す。
言われてみれば、纏っていたものはあまり良い雰囲気ではなかった気がする。
悪魔は人間の負の感情を好むらしいが、ひとくちに『負の感情』と言ってもいろいろあるのだろう。
今のから感じるものは、バルレルの好みではないようだ。
ショウはバルレルを眺めながら、そんな事をぼんやりと考えていた。
* * *
「おっ」
辺りをぶらついていたが次に見かけたのは、手ごろな大きさの岩に座りぼんやりしているネスティだった。
「どうしたー、浮かない顔して」
「……か」
正面に回りこんだを見上げ、ネスティは座っている位置をずらす。
もうひとり腰掛けられるだけの空間が出来たのを見て、はそこへ座った。
「……これから先のこと、気にしてる?」
「まぁ、な…………
どうにも、頭から離れなくてな。
それに、マグナとトリスの事もあるし……」
肩を落としてため息をつくネスティの背中を、は軽くぽんぽんっと叩く。
「大丈夫だよ。
あの二人だって、きっとわかってるさ」
「だと、いいんだがな」
の言葉を聞いても、ネスティの顔は浮かない。
「まったく……マグナ達のことになるといつもそんな顔するね。
心配性だな、ネスティは」
「……悪かったな」
くくっとのどの奥で笑うを見て、ネスティはむっとしたように眉根を寄せる。
「誰も悪いなんて言ってないっての。
それだけ、あの二人を大事に想ってるんでしょ?
むしろいい事だと思うよ、私は」
大事に思っているなどと正面から言われてしまうと、思わず反論したくなる。
しかし、下手な言い訳をしたところでには通じないだろう。
そう思うからこそ、ネスティは否定せずに黙っていた。
「大事に思ってくれる人がいるって、それだけで励みになるから、ね……」
そう言って虚空を見つめるの眼は、酷く寂しそうに映った。
「でも。心配する気持ちはわかるけど、少しは気を抜いていいんじゃない?
休むのも仕事のうちだよ。特にネスティは疲れ溜め込みやすいタイプだし」
こちらを振り返りにっと笑うからは、先程見せた寂しさなどかけらも見当たらない。
そのまま、はすっと立ち上がる。
「さて、私はもう少しその辺ぶらぶらしてくるね。
ネスティも、たまには羽、伸ばしなよ」
「……あぁ、わかってる」
頷いてみせると、満足そうな笑顔が返ってきた。
「――!」
そのままどこかへと歩いていくの後ろ姿に、ネスティが声をかけた。
呼びかけに振り返ると、ネスティは囁くような声で、それでもに聞こえるほどにはっきりと言った。
「…………ありがとう」
感謝の言葉には、は拳を天に振り上げて応えた。
* * *
は湿原を囲む木々の奥へ奥へと歩いていった。
そのまま進んだ先は、小高い丘になっていた。
木々が辺りを囲っているために一見わかりにくいが、湿原を見渡すことが出来る。
そこではぴたりと足を止めた。
「――で、あんたはここで何をしてるんだ?」
は湿原の方を向いたまま、はっきりした声で言った。
暫しの沈黙の後、木々が擦れる音がする。
の真後ろから、黒い鎧が現れた。
「やはり、貴様は気づいていたか」
「そりゃあ、ね。
気配の消し方がまだ甘いよ。あんたの部隊」
首をひねって目線で後ろの人物を捉え、にっと笑う。
そのまま、黒鎧はのそばへ歩み寄った。
「しばらくぶりだね、ルヴァイド」
すぐそばに立たれて初めて、は黒鎧――ルヴァイドに体ごと向き直った。
ルヴァイドは相変わらず髑髏を模したような兜で顔を隠しているため表情が読み取れない。
「……一度聞こうと思っていたのだが、お前は一体何者だ?
戦況を観る眼、剣の腕、度胸。
それに何よりも戦場慣れしているとしか思えないその素振り……
お前はただの冒険者ではあるまい?」
炎上するレルムの村での立ち振る舞い。
そして、イオスの報告にあった戦闘能力。
それだけで、が見た目通りの娘でないことはわかる。
そして何よりもルヴァイドの目を引くものは、その気配。
戦場でまみえる敵の指揮官。
今まで幾人も見てきた者達ととてもよく似た気配を、この少女は持っている。
彼女は間違いなく、
兵士ではなく
指揮官だ。
それだけの能力を有しているに違いない。
そんな少女が、なぜ冒険者などをして、聖女を守っているのか。
あのレルムの村の一件以来、ルヴァイドはそれをずっと考えていた。
はそんなルヴァイドに、ふっと笑ってみせる。
「……私は、私だよ。
それ以上でも、それ以下でもない。
……それに、私の身の上を知ったところで、ルヴァイドはどうするんだ?」
詮索するなとでも言いたげな物言いに、ルヴァイドは少しむっとしたが、確かに知ったところでどうにもならないのは事実だ。
仮にがどこかの騎士の家柄の娘で、何らかの理由により冒険者稼業に身をやつしているのだとすれば、もしかしたら彼女の国がバックについて、聖女捕獲の任務を妨げる可能性だって、ゼロだとは言い切れない。
しかしそんな確率は、万分の一もないようなものだ。確かに気に掛けるような事ではない。
「……別に、ただの好奇心だ」
「そうか。
なら、別に教える必要もないな」
素直に自分の心の内を伝えるルヴァイドに、も淡々と答える。
はで、自分が異世界から来た“はぐれ”だと知られるのがいい事ではないとわかっている。
それ故、よほど切羽詰った事情から探ろうとしているわけでもないならあえて教える義理も必要もないと判断した。
「……………………」
「……………………」
重い沈黙が流れる。
ぽつりと、が口を開いた。
「……で、あんたらはここで何してるんだ?」
「貴様らの監視だ。
今日のところは手を出すつもりはない」
なるほど、とは視線を湿原へと落とす。
ルヴァイドが嘘を言っているかどうかを判断することなど、にとっては容易だった。
あくまで、『彼ら』は“監視”だ。ルヴァイドは嘘を言っていない。
だからこそ、急いで皆と合流する必要はないと思っていた。
しかしそんな考えは甘かったのだと思い知らされる。
前者ではなく、後者の方で。
ガゥンガゥン、ガゥンッッ!!
「「――――!?」」
湿原の方から、銃声が響き渡った。
「…………先走った奴が、いるみたいだよ。ルヴァイド」
「あの……馬鹿者が!」
感情を見せぬの声とは対照的に、ルヴァイドの声は苦いものが含まれていた。
はルヴァイドを見上げて言った。
「あんたが嘘をついたわけじゃないのは、わかってるからね」
「――――ッ!?」
突然のの言葉に、ルヴァイドは一瞬、兜の奥で目を見開く。
はそれに構うことなく、ルヴァイドを促しつつ丘を滑るように降りていった。
ルヴァイドも、黙っての後を追った。