忘れたくても、忘れられない。
否。
忘れては、いけない。
犯した罪を。
逃れられぬ運命を。
そうやって、ただがむしゃらに歩いていた。
Another Name For Life
第27話 夢を信じて
フロト湿原からの帰り道。
は何も言わず、俯いてただ前進しているだけだった。
帰宅した頃には、もう普通にマグナやトリス達と会話もしていたのだが、瞳の奥の憂いは、完全に隠しきれていない。
ネスティは、そのことがずっと気になっていた。
皆が寝静まる屋敷内を静かに歩く。
部屋の扉の前に立ったとき、中からは人がいる気配が一切感じられなかった。
しかし、どこかへ出かけているとも考えにくい。
だとすれば、行き先は限られる。
ネスティが予想したとおり、はテラスにいた。
いつもの服装からジャケットを脱いでいるラフな格好。髪は三つ編みではなく首の後ろでひとまとめにしており、わずかに癖の残った髪が、時折吹く風にさらさらと揺られている。
手すりに両肘をついてもたれかかり、どこか遠くを見つめている。
「――――!?」
声をかけようとして、ネスティは言葉を失った。
――泣いてる……?――
髪に隠れた奥で、確かに、の頬を涙が伝っているように見えた。
ネスティは僅かに躊躇したが、それでも一呼吸おいて、呼びかける。
「――」
「……ッッ!?」
名を呼ばれたは、弾かれたようにびくりと肩をすくめ、それから恐る恐る振り返る。
「…………あ……ネスティ」
「……こんな時間にそんな格好でこんな所にいると、風邪を引くぞ」
ゆるく微笑むは、泣いてなどいなかった。
気のせいだったのかと思いながら、努めていつもの調子で話し掛けるよう心がけた。
泣いていたのか、と尋ねようともしたが、何かが咎めてそれは言葉にはならなかった。
「ごめんごめん。
なんか、風に当たりたくてね」
そう言いながらわしわしと無造作に頭をかく姿は、確かにいつも通りのだ。
しかし、違和感に気づかぬほどに、ネスティとて鈍感ではない。
「……本当に、それだけか?」
「――!」
探りを入れるような物言いに、明らかにの表情が強張る。
「君の様子がおかしいことくらい、僕にだって見抜くことは出来るさ。
……昼間の、イオスのことか?」
「――――別に、ネスティが気にすることじゃないよ。
ほんとに大したことじゃ……」
「君はいつだってそうだな。
周りを頼ろうとせずに、いつもひとりで抱え込む。
……溜め込んでいるものを、少しは吐き出してみたらどうなんだ?
どんな些細なことでもいい。愚痴だって聞く。
君は僕に『遠慮はいらない』と言っただろう? だったら、君だって僕に遠慮する必要なんてないさ。
僕だって、君の話を聞くくらいのことは出来るんだぞ」
穏やかな視線に射抜かれ、はばつが悪そうに俯く。
そして、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……昔のこと、少し思い出してただけだよ」
「昔……というと……」
「退魔師やってたときと……それよりも前のこと。
私さ、物心つく頃には両親はもういなくてね。
私を育ててくれたのは、ばっちゃん――アオイっていう名前で、私の祖父にあたる人の妹だった。
ショウの妹にもあたるんだよね。何だか不思議な感じだけど。
その人は、優しかったけど……反面、けっこう厳しい人でね。
私をじっちゃんに負けないくらいの悪魔召喚師にするためにって、いろんなことやらされたよ。
神話に出てくる“妖精の騎士”の師匠に当たる女神から剣を習わされたり、格闘技を教えられたり、ばっちゃん自身からたくさんの知識を叩き込まれたり……
大変だったけど、あの頃がなければ今私はここにいなかったと思う。
あの頃毎日繰り返してた訓練とか知識のおかげで、私は生き延びられたから」
育ての親の話をするの顔は、心なしか生き生きとしていた。
「……その人は、今どうしているんだ?」
ふと疑問に思ったことを、尋ねる。
は、10歳の頃から退魔師を始めたという。
その幼さで戦場に立つことも、そのアオイという人物の指示だったのか、と。
「…………死んだよ。
私が、10歳の頃に」
ふっ、と虚ろになる瞳に、ネスティが謝ろうと口を開いた。
しかし、言葉は出てこなかった。
「………………私が、殺したんだ」
「――――ッッ!?」
ネスティは息を呑んだ。
頭の中ではさまざまな言葉がぐるぐると巡っているが、それが口から出てくることはない。
咽喉に何かが詰まりでもしたかのようにあえいで、必死で声を出そうとするものの、全く形にならない。ただ空気のみがヒュウヒュウと、言葉の代わりに咽喉の奥から出て行くだけだった。
「悪魔の召喚ってのは、実はかなり精神力も生命力も要求されるんだ。
大破壊の影響なのか、ばっちゃんは元々そんなに身体が強い方じゃなかった。
なのに、私を強くするためって、そのためだけに召喚を繰り返して……結果、死期はどんどん早まった。
そんなときに、大勢でやって来た悪魔の群れから、私を守るために戦って……そのまま……
……ばっちゃんは、私の所為で死んだんだ」
反射的に、ネスティは以前ここで同じようにと話していた時のことを思い出す。
守る側が何もかも決めることが、守られる側にとっては辛いことだ。
確かに、はあの時そう言っていた。
そのときには事情などわからなかったけれど、はあの時、アメルと自分を重ね合わせていたのだろう。
リューグとロッカが、自分を守るためと言いながら、それでいて自分の気持ちを考えずに意見をぶつけているのを目の当たりにしていたアメルと。
アオイが、自分を強くするためだと寿命を削って悪魔を召喚し続け、そして襲い掛かる悪魔の軍勢と戦い、死んでいくのをただ見ているしかなかったとを。
「……でもそれは、君が殺したっていうわけじゃ……」
呟かれた言葉に、はゆるゆると首を振る。
「私が殺したんだ。私のせいなんだよ。
私さえいなけりゃ、ばっちゃんはもっと生きられたのに」
「……もしかして、あのとき君がイオスに言った言葉は……」
「――許せなかったんだよ。
生きるチャンスがあるのに、それを自分から放棄したイオスが。
もっと生きたかった筈なのに生きられなかった人だっているのに、贅沢だ、って……」
ネスティは何も言えず、ただを見つめていた。
はああ言ったが、きっとアオイは、のために死んだ事を後悔していないはずだ。
その事をに言ってやりたかった。
しかし、言葉は上手く出てこない。
沈黙をどう捕らえたのか、は自嘲気味に笑ってみせた。
「……それだけじゃない。
私は……喩えなんかじゃなくて、本当にこの手で人を殺してる。
初めて、“友達”になった人を、ね……
私は、あいつの未来を奪ったんだ。
あいつは、私にいろんなことを教えてくれて、初めて居場所をくれた人間だったのに……」
は、ぎゅっと拳を握り締める。
「ネスティ。
私はね……認めるだとか、さんざんあんたに偉そうなことを言ってきたけど……本当は、そんなことを言う資格なんてないんだ。
私は、あんたが考えてるよりも、ずっとタチの悪い存在だよ。
私に関わった人間は、みんな必ず、何らかの形で不幸になってる」
「…………そんなの、偶然だろう?」
ネスティとしては、励ましたつもりの一言だった。
しかし、は首を振るばかり。
「昔ね。ある街に辿り着いたんだ。
そこは、悪魔が支配する街で、その悪魔は定期的に街の住人を生贄として要求してた。
私はその悪魔を倒したんだ。
住人からは、街を救った英雄だって言われて。
その時生贄にされそうになってた子も、いっぱい感謝の言葉をくれた。
もう、生贄なんて捧げなくていいんだって、みんな嬉しそうだったよ。
……けどね。
それから一ヶ月も経たないうちに、風の噂で、その街が悪魔の攻撃で壊滅しかけたって……聞いたんだ」
「……!
まさか……」
息を呑むネスティに、はこくりと小さく頷く。
「そう。
あの街にいた悪魔は、生贄を要求する代わりに、自分のテリトリーを護ってたんだよ。
その悪魔を私が倒してしまったから……」
圧政を強いていたとはいえ、街を守る力となっていた悪魔。
その“守る力”を失えばどうなるか。それは考えるまでもなく明らかだ。
空白になったその場所を自分の領域にするべく、他の勢力が襲い掛かる。
反撃される心配などなく。
「私が関わったせいで……街がひとつなくなりかけたんだ。
ホント、まるで疫病神だね……私は……
きっとイオスも、私に関わったから不幸な目に遭ったんだよ。
そのうち、マグナやトリスや…………ネスティ、あんたにも。
何か災いがふりかかるかもね。
……私は、ここからいなくなったほうがいいのかもしれない」
これ以上、誰かを自分のせいで失うのは、ごめんだから。
「……君は、それでいいのか?
周りのもの全てを遠ざけて、それで君は何を得るんだ」
「もう、今更どうしようもないよ……
私は周りの全てを奪ってしまう。
私が何かを求めちゃいけないんだ……」
「だったら――――
何故、君は泣いているんだ…………!?」
「…………!?
……ぇ……あ……?」
ネスティの言葉に、は初めて自分が涙を流していることに気がついた。
ひとすじ、目の端から零れ落ちた涙が軌跡を描き、雫となって頬を伝い落ちる。
「なんで、こんな…………
私は…………ッッ!」
流れる涙の訳を理解できないまま、はごしごしと無造作に袖で顔を擦る。
しかし、涙はぽろぽろととめどなく零れ落ちつづけた。
――と。
「…………!?」
不意に、温かいものに包まれる。
ネスティに抱きしめられたのだと理解するのに、は僅かに時間を要した。
「……ネスティ……?」
「――泣きたいときは泣けばいい。
辛いことは、溜めこまないで吐き出したほうがずっと楽になる……」
戸惑い、自分の顔を見上げるの耳元で囁いてから、ネスティは僅かに身体を離し、腕の中のの顔を覗き込むようにして、そっと微笑んだ。
「……君自身が、僕に言ってくれた言葉だろ……?
だから、頼むから今ぐらい……
無理、しないでくれ」
「…………〜〜〜〜ッッ!!」
は、顔をくしゃくしゃに歪め、ぎゅっとネスティにしがみつき、胸の辺りに額を押し付ける。
そのまま、流れるに任せて涙をぼろぼろと零した。
時折しゃくり上げるように肩を震わすの背中をそっとなでて、ネスティも、きゅっとに回した腕に力を加えた。
願わくば彼女が、自分の居場所はちゃんとあるのだと、感じてくれるように。
ひとしきり泣いたあと、はネスティの背中に回している腕の力を緩めた。
「……落ち着いたか?」
そっと尋ねるネスティに、はこくりと頷くことで答える。
「…………ホント……だめだな、私………………
ごめん…………」
ぽつりと呟くの頭に、ネスティは手を載せてくしゃっとなでる。
風に揺られて綻びていた髪は、もともときちんと束ねていなかったのだろう。
反動でほどけ、はらりと夜の闇に舞い広がる。
いつも気丈で、自分達を元気付けてくれていた。
その姿には頼もしさと、逞しささえ感じていた。
しかし、今ネスティの腕の中にいる少女は、そんな面影はどこにもない。
歳相応……あるいはもっと幼くさえ見える、小さな存在。
は、18年の間に、どれだけの哀しみを抱えてきたのか。
再び泣き出してしまいそうなに、ネスティは微笑んでみせる。
「謝る必要なんてないさ。
これでおあいこ、だろう?
それに、君は今までずっと、辛い気持ちを耐えてきたんだ。
これからは、僕にくらいは打ち明けてくれていいから。
僕は、君と出逢ったことを後悔したりしない。
君は、暗闇の中に閉じこもったままだった僕を救ってくれたんだ。
君がいたから、僕は今ここで笑っていられるんだ。
それを、忘れないでくれ」
「ネスティ……」
ここにいても、いいのだと。
そう言ってくれる人がいることを。そのあたたかさを。
どれだけの間、忘れていたのだろうか。
「…………ありがとう……」
赤くなってしまったまぶた。
頬に残る、拭いきれなかった涙。
それら全てを含めて、が浮かべた笑顔に、ネスティは初めて、“本物”のを見た気がした。
強さで覆い隠していない。
鋭さで、かき消したりしない。
そんな、ありのままのを。
ふいに、が再びネスティの身体に腕を回し、きゅっと抱きつく。
「な……ちょっ、!?」
そこで初めて、ネスティはとくっついていたままだった事を思い出す。
今まではの様子が様子だっただけに気にならなかったが、一度気にしてしまえばそれは嫌でも頭の中から離れなくなってしまう。
とにかく離れてもらわねばと、ネスティはの肩に手をかけようとした。
しかし、かすれた声にその動きを止める。
「今だけで、いいから…………
……もうすこし、このままでいさせてくれないかな」
「いや、けど……!」
「誰かのあったかさ、こんなに強く感じるの……
……すごく久しぶりなんだ……
わがままだって、子供っぽいって……わかってるんだけど、さ……」
誰にも関わろうとしないで。
たったひとりで、気を張り続け、ただひたすらに生き続ける。
そうやって今までずっと押さえつけていた、孤独からの人恋しさが、今ようやく表に出てきたのだろう。
「……しょうがないな」
まるでちいさな子供のようなに、ネスティは僅かに苦笑し、あやすように、ほどけたままの髪を手でそっと梳いた。
強いと思っていた少女は、居場所を求める迷い子だった。
その孤独と哀しみから、いつの日か解き放たれることを、ネスティは心から願った。
UP: 04.03.18
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