空間を歪ませ、魔界へと転じさせる“異界化”。
それを破ったのは、思いがけないものだった。
Another Name For Life
第29話 異界の喚び声 後編
「……え?」
は、目の前の光景を見て……………………固まった。
のすぐ傍に、バルレルが同じような顔をして立ち尽くしていた。
あれだけいた悪魔は、その大部分が姿を消している。“異界化”が解けた際に地上に留まりきれずに異界に取り残されてしまったのだろう。
残った僅かな悪魔たちは遠巻きに達を取り囲んでいるものの、急激な状況の変化に対応しきれず、戸惑っているようだった。
そして、ショウは座り込んだまま呆然と目の前の“モノ”を見つめていた。
そこにいたのは、頭にふたつ角のようなものを持った、緑の髪の少年だった。
時が止まったかのように、誰も動かない。否、動けない。
その沈黙を、ショウが破った。
「――――なぁ」
声は、多少戸惑いを含みつつも極めて穏やかなものだった。
……はずなのだが。
「君は」
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ショウの呼びかけは、少年の悲鳴にかき消された。
「ぶたないでっ! 食べないでっ!!
痛いことなんかしないでーーっ!!」
「……なんだ、ありゃあ」
「……さぁ」
わんわん泣き喚く少年を見て、バルレルとは呆れたように顔を見合わせた。
「なぁ、あれって……」
「召喚術……だよね、やっぱり」
少年の現れ方は、がバルレルを喚びだした時と様子がそっくりだった。
「いや、あの」
「ボクなんか食べてもおいしくありません!
だから食べないで!
いじめないでぇ!!」
錯乱しきっている少年には、ショウの言葉は耳に入っていないらしい。
「お、おいちょっと……!」
話を聞いてくれ。
そう言いかけながらショウは立ち上がって少年の傍に歩み寄った。
「――――――!?」
と、殺気を感じて、ショウは少年を抱えて横に跳んだ。
残っていたコスモゾンビの一体が、攻撃を仕掛けてきたのだ。
間一髪で、ショウはそれをかわすことが出来た。
その攻撃を合図に、悪魔たちは再び襲い掛かってきた。
とバルレルも、慌てて迎え撃つ。
「ひ……ッッ!?」
ショウの腕の中で、少年が小さく声をあげた。
それが耳に入ったショウは、先程取り落としてそのまま転がっていた剣を拾い上げ、空いた手で少年の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「大丈夫だから。
オレの後ろに下がってて」
なるべく落ち着けるように微笑んでそう言ってみせると、少年の瞳の中の恐怖の色が、若干薄れた。
ショウは少年を背にかばい、悪魔たちに向き直った。
異界化がおさまってからは、完全に形勢は逆転した。
もともと実力ではたちのほうが勝っていたのだ。数で押されることのなくなった相手など、取るに足らない。
悪魔たちは、次々に倒され、黒い粒子へと変わっていった。
「回収、回収……っと♪」
が嬉しそうに、残っていたマグネタイトを淡い緑のエーテルの詰まったカプセルに収めていた。
しかし、残っていた分からはさして回収できなかったようで、すぐに不満そうな顔になった。
「一体、なんだったんだ? アイツらは」
「わからない。
そもそも、どうしてオレ達の世界の悪魔がこんなところに現れたのか……」
バルレルの問いかけに、ショウは手を顎の辺りに持っていって、考え込む。
考えられる原因としては、次元と次元のつなぎ目が、この世界に出来てしまったというものだが、では何故出来たのかとなると、全くわからない。
やショウといった、“あの世界”の者がこの世界にやってきたことで繋がったのかもしれないが、だとしても――――
ショウの思考は、くいくいっとジャケットの裾を引っ張られることで中断された。
見ると、先程の少年がショウを不安そうに見上げていた。
「あ、あの…………
……ありがとう、ございました……」
遠慮がちに言われた言葉に、ショウは頬を緩ませ、少年の頭にぽんぽんと手を載せた。
「……そろそろ、帰ろうか。
日暮れ前っていう約束だもんな」
「そうだね……間に合うかな」
が空を仰いだ。
そこはもう青さがなくなり、橙と紫のグラデーションになっていた。
「しょうがないだろ。事情があったわけだし」
「――――で、どうするの?
このこと」
が真顔で尋ねると、ショウはきょとんとした顔になった。
「“異界化”が起こって、私たちの世界の悪魔が大量に現れた。
これを、今みんなに言っても、混乱を招くだけだと思うんだけど」
「……たしかに、そうだな。
それに、ここは街が近い。蒼の派閥の召喚師とかがいるし、警備だって弱くないだろ。
とりあえず様子を見て、みんなには落ち着いてから話そう」
ただでさえ、デグレアとアメルのことで皆ぴりぴりしている。
そこにわざわざ混乱の種を加えることはないだろう。
とショウの意見がまとまったところで、はバルレルと少年に向き直った。
「つーわけで、あんたらも黙っててね、今のこと」
「へいへい」
バルレルがやる気のない声で返事をし、少年もこくこくと頷いた。
「さ、帰ろう。
君も、一緒に来てくれないか? 話、聞きたいから」
ショウが、まだ怯えている感のある少年に手を差し伸べた。
* * *
ゼラムの門をくぐり、ギブソン・ミモザ邸に辿り着いたころには、もう空は完全に紺色に染まっていた。
扉を開くと真っ先に、腕組みをしたネスティに出迎えられた。
「た、ただいま……」
威圧感に気圧されて、が頬を引きつらせた笑顔で挨拶した。
ショウも同じような顔をしている。
バルレルは表情からは感情が読めない。少年は完全にショウの陰に隠れていた。
「…………随分遅かったじゃないか?」
「ちょっとトラブってね、大変だったんだよ」
が苦笑してみせた。
確かに、たちの服はただ稽古をしただけとは思えないくらいにそこかしこが傷んでいる。
ネスティは、眉根を寄せた。
「……はぐれにでも、襲われたのか?」
「ん、まぁ……ね」
心配そうな声に、微笑んでみせる。
怪我も特になさそうだし、ネスティもそれ以上は追求しないことにした。
小さくついたため息で、不満は表しているが。
「さ、いつまでも玄関の前に突っ立ってないで、中に入ったらどうだ?」
そう言って脇に寄ると、とバルレルがまず屋敷の中へと入った。
それからショウが入り、そして。
「……えと、お邪魔します……」
「――――!?」
聞きなれない声に目を向け、ネスティが固まった。
「………………どういう、ことなんだ?」
絞り出された声は、地の底から響くようだ。
「あ、いや。
その……いろいろあって、ね」
「うん、そうなんだ」
あはは、とごまかすように笑うとショウを、ネスティはじろりと睨みつけた。
「ちゃんと、説明してもらおうか」
「「……はい。」」
こちらに関しては、言い逃れをすることは出来ないようだった。
* * *
夕食前の時間を持て余していた面々が応接室に集まったところで、ひととおりの事情を、悪魔に関することを取り除き、話した。
剣を買って、街の外で稽古をしていたら襲われ、その際に偶然この少年を喚びだしてしまったらしい、と。
話を聞き終え、ネスティはふー……と深く息をついた。
「……ショウ、君だけは何もやらかさないと信じていたんだがな」
「悪かったね。」
ネスティの言葉にぶーたれたのは、だ。
「咄嗟に握りこんだ石の中に、サモナイト石が混じってたらしいんだ。
ほら」
ショウは言いながら、ポケットの中を探り、ビー玉大の小さな緑の石を取り出す。
小粒なその石は淡く輝き、よく見ると中に刻印が刻まれている。
「緑、って事は、この子はメイトルパの……?」
マグナがちらりと少年を見た。
少年は反射的に肩をすくめる。
「そうなのか? ええと……」
呼びかけようとして、そこで初めて、ショウはその少年の名を聞いていないことに気づいた。
「ごめん、名前まだ聞いてなかったな。
オレはショウ。君は?」
「あ、レシィ……です」
少年――レシィは、おずおずと答えた。
「レシィ君は……メイトルパの、メトラルかしら?」
「あ……は、はい」
「めとらる……??」
聞きなれない単語にが首をかしげると、メトラルとはメイトルパに住む亜人の一種なのだと、ミモザが教えてくれた。
ショウは身体をかがめて、レシィと同じ高さに目線を合わせた。
「……喚び出された早々に、怖い思いさせちゃってごめんな。
オレはまだ君を帰す方法を知らないけど、なるべく早く送還の方法を覚えるから――」
「だだっ、ダメですっ!」
ショウの言葉は、レシィにかき消された。
初めての頃は無意識に。しかし、今度は意図的に中断させたのだ。
きょとんと目を丸くするショウを相手に、レシィはまくし立てる。
「ボクはっ!
こわいのや痛いのは苦手ですけど、でも!
料理とか、洗濯とかっ、お掃除とかならっ!
上手にできる自信はありますっ!!
ご迷惑かけたぶんのお詫びと、守ってくれたお礼がしたいんです。
だから……っ!」
けなげな言葉に、しかしショウは戸惑って瞳を揺らめかせる。
何かを言いかけたとき、別の場所から言葉が飛んできた。
「……でも、ショウって料理上手だよな」
「……ぇ?」
「でもって、お掃除とか洗濯もよくやってるわよね」
「……ぇええ!?」
マグナとトリスの言葉は、レシィに打撃を与えたようで、レシィはおののいていた。
そして、へなへなとその場に脱力してへたり込む。
「ボク、お役に立てないんですか……?」
瞳から、今にも涙が零れ落ちそうに潤んでいた。
マグナとトリスは、しまったと言う顔でお互いに顔を見合わせる。
ショウは、レシィの肩にぽんと手を載せた。
「……?」
「なぁ、レシィ。
こう考えることは、出来ないかな」
穏やかな声で、ショウはレシィに語りかける。
「確かに、オレは料理も洗濯も掃除も自分でやっちゃってるけど……
でもそれを同じように君も出来るわけなんだろう?
だったら、オレが掃除して、君が料理作って。
そうやって、できることを分担することだって出来るだろ?
最初から役に立たないって決め付けるより、そう考えた方がずっといいと思うんだけど……
どうかな、レシィ?
オレの言ってること、間違ってると思う?」
レシィは、あっけに取られたような顔をして、それからぶんぶんと首を横に振った。
「い、いいえ!
そんなことないです!!
ボク、一生懸命お手伝いさせてもらいます!!」
ぐっと胸の前で両の拳を握り締めるレシィの頭を、ショウは微笑んでくしゃりと撫でた。
「じゃあ、今後ともよろしくな、レシィ」
「はいっ、ご主人様!!」
レシィが、嬉しそうに笑った。
それが、ショウ達が初めて見たレシィの笑顔だった。
「にしても、ご主人様……か」
「? どうかしましたか、ご主人様??」
「いや、なんでもないよ。
慣れない呼ばれ方ではあるけど、全く呼ばれないわけじゃないし」
そう呟くショウに、レシィは首を傾げた。