教えてくれた人がいる。
信念のもとに、突き進む姿を。
Another Name For Life
第30話 彼女の想い ぼくらの願い
達が悪魔たちと戦っていたその時。
マグナとトリスは、ギブソンの部屋を訪ねていた。
――あたしは、ただ普通に暮らしていたかっただけなのに……
あたしの知らない所で、何もかもが決まってしまう――
テラスで俯いていたアメルは、悲しそうに呟いていた。
――せめて理由がわかるなら、あたしは弱音なんて吐きません。
けど、わからないんですッッ!
どういう答えを出せばいいのか……
どうすれば、今の状況を変えることが出来るのか……!?
あたし、すごく悔しいです……!――
そう、苦しそうに涙を流しながら唇を噛み締める少女に、掛ける言葉が見つからず、マグナとトリスは屋敷の中をうろついていたのだ。
どちらが示すでもなく、二人はギブソンの部屋へ向かった。
話を聞き、また、聞いてもらうことで、何かを得られるかもしれないと、無意識下で思いながら。
そこへ求めたのは、道標になるものなのか、それとも――――
入ってきた後輩たちの目を見、ギブソンはその内に秘められた感情を見る。
「……やはり、君達の決意は変わらないようだね」
マグナとトリスは、沈痛な面持ちで揃って頷いた。
その顔に、ギブソンは思わず苦笑する。
「そんな済まなさそうな顔をしなくていいさ。
さっきは厳しい物言いになったけれど……
私が言いたかったのは、悔いが残るような決断ならば、するべきではないということだよ。
……それが、理屈のうえではどれだけ正しいことであってもね」
「それって……」
「どういうことですか?」
「理性と気持ちは別のものということさ。
私はね、以前の任務でそのことを学んだ」
そう言って、どこか遠い目で窓を見つめる。
その先にあるものに、想いを馳せているのか、あるいは。
「自分の気持ちを無理に抑えて、理性が正しいと命じる選択をしようとしたんだ……
……つらかったな、あの時は。
そして結局、最後には気持ちを抑えきれなくなってしまった」
ギブソンは、
微笑った。
何かを悟ったように。どこか、誇らしげな顔で。
「でも、そのおかげで私はわかったのさ。
人間は、理屈だけじゃ生きていけない。
感情があってこそ人間なんだ、とね」
かつて、学んだこと。
それは自分だけでそこへ行き着いたわけではない。
ギブソンは、ある人物を脳裏に思い浮かべていた。
信念のもとに、ただひたすらに自分の信じた道を突き進んでいた、友の顔を。
「だから……トリス、マグナ。
君達は、君達が正しいと思うことを選べばいい。
理屈に適っている必要はない。
自分の気持ちに迷いがない答えなら、それこそが君達にとっての真実なのだから」
「「……はいっ!!」」
トリスとマグナが声を揃えて頷くと、ギブソンも満足そうに微笑んだ。
* * *
涼しさを感じさせる、本当なら心地よいはずの、しかし今の彼らにとっては厳しさと悪寒を感じさせてしまうような風が、テラスに吹いていた。
アメルは、相変わらず手すりに肘をつき、亜麻色の柔らかな髪を風になびくままにしていた。
「……アメル」
トリスの呼びかけに、ぴくりと肩を震わせるも、アメルは振り返らなかった。
「アメル」
今度はマグナが呼ぶ。
やはり、アメルは動かない。
「そのままでいいから、聞いて頂戴。
あたしたち、さっきギブソン先輩と話して、教わったことがあるの」
アメルは、何も言わない。
言葉の続きを黙って待っているのか、それとも言葉が耳に入っていないのかは、トリスにもマグナにもわからなかった。
しかし構わずに、トリスは続けた。
「悔いの残らない答えが、その人にとっての真実なんだって。
あたしもそうだと思う。
理屈に合った正しい選択をしたとしても、それがあたしの気持ちと一致してないものだったら、後で絶対に後悔するもの」
「俺も。
たとえそれが、例えば100人がそうすべきだって言うようなことだったとしても、俺が納得できないものだったら、きっと俺はそれを選びたいとは思わないから」
マグナが、言葉をつなげた。
「それに、前にショウが言ってた。
『答えは、ひとりひとりの心の中にある』って。
だから……アメル。
教えて欲しいんだ。
君の、今の気持ちを」
「……あたしの、気持ち……?」
そこで初めてアメルは、双子の召喚師の方に顔を向けた。
マグナとトリスは、揃って頷く。
「教えてくれないか?
君が望む、君だけの答えを」
「あなたが望んでること。譲れないって思うこと。望まないことや不安に感じてること全部。
あたしたちは、それを知りたいの」
真剣な眼差しをまっすぐに向けるマグナとトリスに、アメルは戸惑ったような顔を見せ、それからポツリと口にした。
「同じ質問を……させてくれませんか?
あたしも知りたいです。
あなたたちの……トリスさんとマグナさんが望んでいることを」
アメルは、双子の眼差しを正面から受け、同じようにまっすぐな目でふたりを見た。
マグナとトリスは一時口ごもるが、その瞳に躊躇いの色はない。
「あなたを守りたい……そう思ってるわ」
代表し、トリスが言った。
穏やかに、しかし意思の宿る力強さを秘めた声で。
「どうして?」
戸惑ったようにアメルがたずねると、マグナとトリスは顔を見合わせた。
改めて聞かれると、どう答えればよいのかと悩む。
理屈ではなく、直感で。
ふたりは、悩んでいるときはいつもそうやって答えを導き出す。
アメルのことで悩みながら屋敷内をうろついていたふたりに、ネスティが思い出させてくれたことだ。
はっきりとした気持ちを、答えを、もう既にわかっているのだと。
それを、素直に口に出した。
だからこそ、改めて聞かれてしまうとどう返答すればいいものなのか。
しかし、確かなことはひとつある。
「正直、わかんない。
でも、同情や哀れみじゃないの。それだけは、絶対に違うから」
「ただ……」
「ただ?」
アメルは、ゆっくりと紡ぎ出される言葉の続きを、じっと待った。
「あなたのそばにいると不思議とね……落ち着くの」
「そう。
温かいって、感じるんだ」
穏やかに、トリスとマグナは微笑んだ。
「あたしが聖女だって言うのと、関係してるのでしょうか?」
アメルの問いかけには、首を振った。
「関係ないと思う。
だって、はじめて会ったときからそうだったから」
そう。最初から。
あの時。
木の上から降ってきて、に抱き留められて。
一緒に子猫を助けるのを見守っていた、あの時から。
漠然と、しかし確実に。
温かなぬくもりのようなものを、彼女から感じていた。
「俺たちは、君を守りたい」
「あたしたちのわがままな……身勝手な願いよ。
それが、今の気持ち」
「マグナさん、トリスさん……」
双子の名を呼ぶアメルの瞳には、戸惑いと、安心感が揺れる。
相反した感情が、自然と彼女の口から言葉を生み出させた。
「あたしはずっと、自分のせいで他の人に迷惑をかけたくないって思ってました。
自分が我慢してすむのなら、そうしようっていつも考えて……
今まで、ずっとそうしてきました」
「あなたは、優しいから」
「違うのっ!! 優しくなんか……ッッ!!」
トリスの言葉を、かき消すように否定した。
「……あたしは、怖かっただけなんです!
思ったことを口にして、そのせいで嫌われてしまうことが怖かっただけ……
本当は聖女になんてなりたくなかった!
奇跡の力なんて欲しくなかった!!
でも……
あたしは、村の人たちの期待を裏切ることができなかった……」
消え入るような、アメルの言葉。
これは恐らく、彼女がはじめて口にしているであろう、彼女自身の心からの声。
恐れ。不安。
そんなものを、意識してか、無意識にか、アメルはずっと押さえ込んで過ごしてきたのだ。
それは、遠い日の自分たちを思い返させる。
街の路地裏で、兄妹ふたりで身を寄せながら過ごしたあの頃。
その街を、偶然発動してしまった召喚術のせいで壊滅寸前まで追い込んでしまい、それをきっかけに、『蒼の派閥』に連れて行かれた、あの時。
そんな時いつも決まって胸の中に渦巻いているのは、途方もない不安と、絶望。
生き抜くためには、それらを心の奥に無理やりに押し込んでいかねばならかなった。
「あたしは今まで、自分に嘘ばかりついてきました。
でも……
あなたたちと暮らすようになって、少しずつわかってきたんです。
自分の気持ちを正直に言うのは怖いけど、必要なことなんだって。
嫌われたり、迷惑をかけることになっても……それでも、絶対に必要なことなんだって!
だって……
そうじゃなきゃ、一人でいるのと変わらない」
とっさに思い起こされるのは、自らの剣を差し出す、異邦人の少女の姿。
友が敵だとわかっても、素直に友達だと言い切った、あの時のあの姿。
時折言われる言葉は、痛いほどに胸に突き刺さることがあるけれど、でもそれは、彼女が自分の気持ちに嘘をつかずに、
辛い言葉もあえて言ってくれるから。
たとえ全てを敵に回しても、はきっと、その姿を変えることはないだろう。
いつまでも、自分の信念を貫き通すだろう。
「……うん、そうだな。俺もそう思う」
マグナが、大きく頷いた。
「あなたがみんなに迷惑をかけたくないって思うのと同じくらいに、あたしたちはみんな、あなたをつらい目には遭わせたくないのよ」
トリスが、柔らかく微笑む。
「あたしは……みんなと一緒がいい。
絶対に離ればなれになんかなりたくない!
だから……だから、あたし……!!」
絞り出すように、アメルが言った。
最後の方は、涙声だ。
トリスが、そんなアメルをぎゅっと抱きしめる。
「……わかったわ。
アメルの気持ち、ちゃんとわかったから。
だからもう一人で全部背負わないで。
あたしたちが、一緒に支えてあげるから」
トリスがそっと頭を撫でながら穏やかな声で言うと、アメルはしゃくり上げながら、何度も頷いた。
マグナが、そんなふたりを温かい目で見つめていた。
空は、黄昏。
夕焼けが、あたりを柔らかなオレンジ色に染めていた。
いつのまにかやんでいた風が、名残のようにいちどだけ、少女の亜麻色の髪を揺らした。