隠していたこと。
語られる、過去。
笑顔の裏に隠された、闇の記憶。
Another Name For Life
第36話 True Mind 前編
どこをどう走ってきたのか。
それさえもわからずに夢中で逃げ続けていたトリス達の耳に、不意に何か音が聞こえてきた。
ザザ…………ン
「潮騒……海が近いのか?」
「あっ……!
見てください、あれ!」
ショウが呟くのとほぼ同時に、アメルが指した先を見ると。
「あれは……ファナンの灯りだ。
どうやら、僕たちは逆方向に来てしまったらしいな……」
ネスティの声はどこか脱力している。
無理もない。
街道の北に位置する山々と、南の港街ファナン。
目的地と全くの正反対だ。
しかも、ファナンといえば、マグナとトリスと共に最初に目指すはずであった街。
よもやこんな形で来る羽目になるなんて。
「とにかく、今は身体を休めることを優先させようぜ。
幸い、海岸の岩場に身を隠せることだしな」
フォルテの意見を採用し、岩陰で火を起こしてそれぞれに身体を休めることにした。
* * *
「………………」
「……眠れないのか?」
仲間達の眠る岩場から少し離れた岩に座るネスティは、不意に後ろから掛けられた声にバッと振り返った。
そこに立っていたショウの姿を見て、ほっと安堵の息をつく。
「驚かせないでくれ……」
「悪いな、そんなつもりなかったんだけど」
ショウはひらひらと手を振り、ネスティの正面に回る。
ネスティは最初そのショウの行動を黙って見つめていたが、ショウがある一点に視線を留め、僅かに身をすくませた。
「足……怪我してるだろ」
ネスティの足首に視線を落としたままのショウに指摘され、今度こそサッと顔色が変わる。
「ど、どうして……」
「見てりゃわかるさ、それくらい。
ほら、見せてみなよ」
ショウがネスティの足へと手を伸ばすと、ネスティはその足を引っ込める。
「痛……ッッ」
「無理するなよ。
それとも、触られたくないってトコか?」
半ばあきれたように言いながら、ショウは一枚の符を取り出す。
その場にひざまずいて符を構え、印を結ぶと、柔らかな光がネスティの足に染み込んでいく。
「これでよし、と。
オレの符術は力が弱いから、捻挫とかをすぐに治すのは難しいけど……痛み、少しはマシになったんじゃないかな」
「あ、あぁ…………すまない」
にこりと笑って、立ち上がりながらズボンや上着の裾についた砂を落とすショウに、ネスティは申し訳なさそうに俯いた。
「かまわないよ、これくらい。
痛みぶり返したら、遠慮なく言ってくれよ」
「あ、いや……そうじゃなくて……」
触れられるのを――何より、治療のためにと足を晒すことになるのを恐れて、身を引いてしまったことを謝りたかったのだけれど、ショウはそう取らなかったらしい。
蒸し返すのもばかばかしいと、それ以上は口をつぐもうとしたネスティだったが。
「――――あぁ、そうか。
足出したくないんだよな。
符術使うって言えばよかったな、悪かった」
「………………!?」
おそらく何気なく言ったつもりであろう言葉は、しかしネスティの心に警戒を呼ぶには充分だった。
ショウは知ってる――?
僕のことを。僕の、正体を。
だとすれば――――――――出どころは、ひとつしかない。
が、言わない限りは。
仲間の誰も、僕の身体のことなど知らないのだから。
警戒心をあらわにし、自然と睨みつける形になるネスティの視線に気付いてか、ショウは僅かに驚いたような顔をして、それから小さくため息をついた。
「……じゃないからな」
「!?
じゃあ、どうして……!」
タイミングよく、思考を読むかのように先手を打たれ、思わず荒くなりそうになる声を極力押さえる。
そこで、ふと何か引っかかりを覚える。
――――まさか。
半分は疑問。半分は確信。
そんな瞳をショウに向けると、ショウはふっと笑みを浮かべる。
自嘲気味な、口の端だけの笑みを。
「…………ネスティの考えてる通りだ。
オレには――――――
他人の“心の声”が聞こえるんだよ」
「…………!」
当たって欲しくない考えが、当たった。
“心の声”が聞こえるということは、全てを知っているということ。
自分の
感情も。
隠さねばならぬものも、全て。
眉を寄せ、嫌悪とも驚愕ともとれる感情を移したままの視線を、自然と向けてしまう。
「それじゃあ……」
全部、知ってしまっているのかと。
そう問いただすつもりだった。
知られたくない、知られてはいけないことを抱え込む心を、見透かしていたのかと。
けれど。
「――――オレが、好き好んでこんなチカラ持ってるとでも思ってんのかッッ!?」
「!?」
ショウの態度が豹変した。
怒りをむき出しにし、吼えるように声を荒げる。
人当たりがよく冷静でいることのできる、ネスティの知っているショウは、そこにはいない。
驚いてびくりと肩をすくめたネスティを見て、ショウは自分のしたことに気付く。
「…………ごめん。
ネスティに怒鳴ってもしょうがないのにな……」
眉を寄せて辛そうに俯くショウに、ネスティは掛ける言葉を見つけることが出来なかった。
俄かにあたりを支配した沈黙を、やがてショウが破る。
「全部、聞こえてくるわけじゃないんだ。
オレが自分の心にプロテクトをかけて、壁を作って閉ざすことで、ほとんどの“声”は聞こえてこなくなる。
だけど、強く想ったことは、その壁も越えちまうんだ。
どんなにきつく耳をふさいでも、とてつもなく大きな音ってのは聞こえてくるだろ? それと同じだ。
強く想ったイメージは、壁を越えて聞こえてきたり、見えたりする。
強く想う力ってのは、精神力に左右される。
ネスティみたいな術師タイプは、普段から精神を鍛えるから、どうしても強くなりがちなんだ。
その上、心の中にいろいろと抱え込んで、頭の中でいろいろ考えてるから、強く想ったことってのはどうしても聞こえてきやすいんだ。
それはオレにもネスティにも、どうすることも出来ないんだよ」
「……そう、か……
君は、どこまで知っているんだ?」
尋ねないわけにはいかない。
場合によっては、とんでもない事態を引き起こしかねないのだから。
「ネスティが、リィンバウムの人間じゃなくて、そのせいで肌を出さないようにしてるってことだけだよ。
他の事は、“壁”が防いでるからほとんどわからない」
その言葉を聞き、ネスティは僅かに表情を緩めた。
確かに自分が融機人だということは隠しておきたいことだけれど、それ以上に知られてはいけないことは、まだある。
そこが流れていないのなら、ひとまずは安心できるだろう。
「“壁”があって、よかったよ。
何もかもがだだ洩れだったら、今きっともっと険悪だっただろうしな」
「壁、というのは最初からあるものなのか?」
笑ってみせたショウに、ネスティはふと生じた疑問を口にした。
するとショウは途端に表情を暗いものにし、目を伏せる。
「今は、
能力を制御してるからこうしていられるんだよ」
ポツリと呟かれた言葉は、昏く、重い。
「…………物心つく前から、オレには周りの“声”が聞こえてた。
表向きはへつらって笑顔を作ってるような連中も、裏ではドロドロの醜い感情が渦巻いているものなんだっていうことを、オレはガキの頃から嫌でも思い知らされて育ったんだ」
ネスティは、黙ってショウの言葉に耳を傾けていた。
「……オレ、の持ってる悪魔召喚の力、持ってないって話はしたよな」
問われて、頷いた。
マグナとトリスにしていた話だけれど、あの時ネスティもそばにいて、話を聞いていたのだから、覚えている。
落ちこぼれだったのだと。
あの時ショウははっきり言っていた。
「召喚の力を持たないオレは、周りの人間から見れば“役立たずの出来損ない”以外の何者でもなかったんだ。
召喚の力こそが、の血を証明するものであり、当主を継ぐ唯一絶対のモノだったから。
『の直系のくせに』
『お兄さんはこの歳でもうあれだけ優秀なのに』
そんな言葉が、笑顔でヘラヘラしてる分家の年寄り連中なんかの心から、直接流れ込んで来るんだ。
正直今から振り返っても、オレはお世辞にも明るい子供とは言えなかった。
人間全てを、憎んですらいたかもしれない」
ショウの言葉は、ネスティにとって意外そのものだった。
普段のショウは、彼が語るような闇の部分を一切見せない、どこにでもいるような青年だから。
「そうならなかったのは、兄貴達がいたからなんだ。
裏表なく、邪険にしないで、オレを対等に扱ってくれたのは、両親と兄貴と、妹だけだったから。
兄貴は、いつもオレに言ってくれたんだ。
『翔ができないことをおれができて、おれができないことを翔はすることができる。
だから、召喚の力がないことなんて、気にすることない』ってね。
兄貴が励ましてくれたおかげで、オレは10歳になる前までには、この力の制御をできるようになってた。
――だから、こうやって今笑ってられるのも、兄貴のおかげなんだ」
どこか誇らしげに笑うショウの顔を見て、ネスティもつられて笑顔になった。