ノックの音に、は顔を上げた。
「どうぞ」
作業の手をいったん休め、言葉だけで扉の向こうの相手を促すと、開いた扉の隙間からネスティが顔を出した。
Another Name For Life
第42話 名前のないもの
「ちょっと、いいか?」
は頷くことで肯定する。扉を閉めて、ネスティはに促され、ベッドに腰かけた。
机に向かっているは、首もとまで襟のある前開きの綿のシャツに長いズボンといういでたちだった。彼女が部屋着として時々着ているもののひとつで、ネスティも初めて見るわけではない。だがそれでもめったに目にすることのないの服装は新鮮に感じる。
「その……どうなんだ?」
一呼吸置いてから尋ねると、はしゅんと眉根を寄せる。
「それがねぇ……ダメっぽいんだ」
口調は軽いが、その一言にネスティはさっと顔色を変える。
思わず立ち上がっての両肩を掴んだ。
「だ、ダメならもう休め!
こんな時間まで起きてる場合じゃないだろう!?」
焦った口調のネスティに、はきょとんとした顔でネスティを見上げた。
「え、でもまだもうちょっと粘ってみたいし……」
「君はバカか!? 身体が第一に決まってるじゃないか!」
「っちょ……!?」
ネスティはの手の中にあったものを奪い取って机の上にやや乱暴に置き、有無を言わさずにをそのまま抱き上げる。
「ぅわっ!?」
突然の浮遊感に、は反射的にネスティの首に腕を回してしがみつく。
構わずに、ネスティはをベッドの上に半ば放り投げるように横たえた。
がしがみついたままなので、ネスティも諸共にベッドに崩れ落ちたわけなのだが。
「なにす……!?」
抗議の言葉をぶつけようとしたは、自分を見下ろすネスティの真剣な眼差しに口をつぐんだ。
「……やっぱり、あの時ちゃんと止めておけばよかったんだ……!
どうして君はいつも自分の身を省みずに無茶ばかり……ッッ!」
後悔と、憤りと。
そんなものを織り交ぜた、絞り出すような泣きそうな声で、ネスティは呟いた。
昼間の海賊との戦いで、自分の脇を通り抜けて真っ先に駆け出して行った。
驚いて、止めなければと思うと同時に、結局彼女はいつもああなのだと、諦めの気持ちが浮かんでしまっていた。
誰にも止められないから。
今さら追いつくことも出来ないから。
そう思ってはいけなかったのだ。
意地でも。追いつけなくても。
身体を張ってでも、止めなければいけなかったのに。
誰もやらないのなら、他でもない自分がしなければならないことだったはずだ。
戦闘が終わり、ファミィが去り。
ぼろぼろの、傷だらけのの姿を目の当たりにした瞬間、ネスティの心を支配したのは後悔の感情だった。
走って行くを止めることが出来たなら。
止められなくても、一人で海賊の親玉と戦ったりなどせず、誰かが一緒に戦っていたなら。
は、傷を負うことなどなかったのかもしれないのに。
――彼女の怪我は、止めることの出来なかった自分にだって半分くらいの責任はある。
そう思うと苦しくなり、部屋を訪れて様子をうかがいに来たのだが。
いつもと変わらない顔で、それでも「ダメっぽい」などという言葉を彼女自身から聞いてしまえば――
辛そうに自分を見下ろすネスティを、は困惑した顔で眺めていた。
「あの……ネスティ」
が恐る恐る呼びかける。
「……さっきから、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるかっ……!
君はどうしてもっと自分の身体を大事にしないんだっ!」
「………………何のこと?」
きょとんと尋ねられた。
……時間が、凍る。
「何の、ことって……」
「いや、だからさ。」
半ば呆れたようなネスティの呟きを遮りながら、は先ほどネスティに机の上に放られたもの――昼まで彼女が着ていたセーター(もはや残骸とでも言うべきもの)と裁縫道具を指差した。
「アレの話じゃないの?」
「……は?」
これには、さすがのネスティも思わず間の抜けた声を上げる。
はなおもまっすぐな瞳で問う。
「私の服の修復状況と、私の身体がどうこうって……どういうつながり??」
・ ・ ・ ・ ・ ・
一瞬、頭の中が真っ白になったような気がした。
「っ君は……」
ネスティの呟きはもはや完全に脱力しきっていた。
「話がさっぱり見えてこないんだけど……」
困ったように首を傾げるを、ネスティはギッと睨みつけた。
「君は本物のバカか!?
誰が、いつ、服の心配をしているなんて言ったんだ!
僕が聞いているのは、君の体調だっ!!」
「へ?」
まくし立てると、が目を丸くした。
「そ、そうだったの……?」
とんだ勘違いに、は恥ずかしそうに頬を染めて目を伏せた。
「他に何がある。
というか、アレだけボロボロになった服を修繕しようとしていたのか君は。」
「いや、だって。勿体無いなってつい……」
穴だらけで、しかも伸縮する素材であるセーターとスパッツ。
仮に全てを縫いとめられたとしても、どう考えても見た目はよろしくない。
物を大事にしたいと考えるのは確かに悪いことではないと思うが、いくらなんでもアレを修繕して着るというのは何かが間違っているとしか考えられない。
「僕にはアレを直すだけの糸と時間のほうが勿体無いと思うんだが」
「うーん、でもなぁ……」
は真剣に悩んでいる。
ここまで来れば、貧乏性を通り越してもはや病気の域のような気がしなくもない。
「悪いことは言わないから処分しろ。
今僕が止めなくても、他の誰かが絶対に止めるぞ」
「うぅ……はぁい」
ため息混じりに言われ、もしぶしぶ了承した。
「……ところで、ネスティ」
「何だ?」
僅かに間をおいて声をかけられ、ネスティは首をかしげた。
「そろそろ、どいてもらえると助かるんだけど」
「え……………………っうわああぁッッ!?」
ネスティは顔を真っ赤にして飛びのいた。
指摘されるまで、言うなればを押し倒している体勢のままだったことをすっかり失念していた。
……そういえば、その前にもとんでもないことをやらかしていたような気がしなくもない。
「す、すまないっ……!!」
「そんな必死にならなくてもいいのに……」
は身体を起こしてベッドに腰かけ、ひたすら謝るネスティを苦笑しながら見上げた。
鈍感な上に“そういうこと”に疎いからすれば必死になることなどないのかもしれないが、ネスティにしてみればとんだ大失態もいいところである。
立ち上がり、苦悩するネスティの肩をぽんぽんっと叩いてみせた。
「ネスティは、私のこと心配してくれてたんでしょ?
なら、謝ることなんて何もないじゃん」
「そ、そういう問題じゃなくてだな……」
ネスティが口ごもる理由が、にはさっぱりわからなかった。
「それで……怪我の方はどうなんだ?」
「ちゃんと治したよ。もうどこも痛まない。
ご心配おかけしました」
にっこりと笑いながら、は左の袖を少しだけめくり上げて見せた。
ハンドヘルド・コンピュータを取り付けられる場所だけに目立つ傷の少ない左腕は、確かに言うとおり古い傷跡しか見当たらない。
「ね、心配いらないよ」
「君のその言葉が一番信じられないんだが、僕は」
「うわ、ネスティ酷ッッ!」
私ってそんなに信用ない……? などと打ちひしがれるの様子に、ネスティの口元には思わず笑みが浮かんだ。
ゼラムにいたときに彼女が倒れたときも、そこから出て行くときにも。
そして、今回のことでも。
これほどまでにも強く、“誰か”を心配する自分が、間違いなくいた。
ネスティはそっと、目の前のを見つめた。
困った顔。
ちょっと拗ねたような顔。
きょとんと、不思議そうな顔。
戦うときの真剣な眼差し。
怒った顔。
一度だけ見た、泣き顔。
そして――――温かな、笑顔。
くるくると変わる表情の一つ一つが、とても印象的で。
――まさか、な――
心にほのかに色づく感情には、まだ確信はない。
“それ”に、何かを名づけるわけにはいかない。
だけど、今だけは。
あと、少しだけは。
このまま、一緒に笑いあえるように………………
UP: 04.11.11
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