石の壁、石畳。
厚い雲に覆われた空。
霞んだ灰色の世界を鮮やかに彩るもの。
――それらは、棲みついて離れない闇の記憶。
Another Name For Life
第44話 雨の砦
ミニスが母から正式に許可を得たということで、今度こそ一行はアメルの祖母の村へと向かうことになった。
途中の街道で、アメルがこちらへ歩いてくる人影をとらえた。
「マグナさん、トリスさん。
向こうから来るのってひょっとして……」
言われて、双子召喚師がそちらへと視線を移す。
遠目からでもよくわかる長い銀の髪と、特徴的な服装。
「レイムさん?」
「おや、これはこれは。
奇遇ですね」
双子召喚師とアメルが気を許しているらしい雰囲気の相手に、しかし周りの仲間達は怪訝そうな目を向けた。
「……誰だこいつ」
ぽつりと、関係者を除いたその場の全員が思っていたことを代表したかのように呟いたリューグを、アメルが「失礼でしょ」とたしなめる。
「吟遊詩人のレイムさんだよ。
聖王都で――ええと、ミニスが最初に屋敷に来たあたりの頃に知り合ったんだ」
「レイムと申します。
みなさま、どうぞお見知りおきを」
にこりと微笑むその顔に、は何故か心の奥にちりちりしたものを感じた。
「レイムさん、お探しの歌は見つかりましたか?」
「いえ、まだ……」
アメルの問いに小さく首を振って答える。
「ですが、ちょっと気になる話を聞いたので。
――三砦都市トライドラの名はご存じですか?」
聞きなれぬ名に、マグナとトリスは揃って首をかしげた。
「3つの砦を保有する、騎士たちの国家だ。
『聖王都の盾』と呼ばれていて、聖王都を外敵から守る要であり、大絶壁を挟んだ隣国のデグレアを見張る役割を担ってもいる」
兄妹弟子の不勉強に小さくため息をつきながら、ネスティが説明した。
「そのデグレアがとうとう本格的に戦争を始めるらしいんですよ」
「戦でござると!?」
「そう色めき立つなよ、カザミネの旦那。
その手の噂は今まで何回もあったぜ」
「ええ、そのとおりです」
戦争という言葉に表情を変えたカザミネの肩を叩くフォルテの言葉に、レイムは頷く。
「ですが、なんだか私はそのことが気になってしまいまして……
確かめてみようと思って、トライドラまで向かう途中なんですよ」
「そうだったんですか」
「でも、わざわざそんな危険かもしれない場所に行くだなんて」
相槌を打ったトリスの隣に立ったミニスが呟いた。
その呟きはレイムの耳にも届いたようで、フッと笑ってみせた。
「吟遊詩人というのは、そうした噂の真偽を知りたがってしまうものなんですよ」
「なんだい、ようするにヤジ馬根性がすごいってことじゃないか」
「「モーリン!?」」
にやっと笑って失礼なことを言い出すモーリンに、マグナもトリスも慌てた。
「ははは……
たしかにお嬢さんのおっしゃる通りかも知れません」
しかしレイムは気を悪くした様子はなかった。
「おい、いつまで世間話をしているつもりだ?」
ネスティの叱責に、マグナたちはハッと我に返った。
「そうだな、そろそろ出発しないと!」
「それじゃあレイムさん、失礼しますね」
慌しくなった一同の様子を眺めながら、レイムは頷いた。
「お気をつけて。
なにやら雲行きが怪しくなってきていますから。
――ひと雨、来るかもしれませんね」
仲間達と共にその場を去ろうとしたとき、はレイムとすれ違った。
……胸の奥底がちりちりと痛んだのは、気のせいではなかった。
* * *
「なあ、ネス。
さっきレイムさんが言ってた噂って、本当のことなのかな」
レイムと別れてからしばらくして、ふいにマグナが尋ねた。
「デタラメだと言いたいが……
黒の旅団が活動を開始した理由が、あの話で説明できてしまう」
「じゃあ……」
小さく息を呑んだトリスに、ネスティは小さく首を振った。
「僕にもわからない。
ただ、彼の話を聞いて余計な不安を感じてるのだけは事実だな」
「心配すんなって。
トライドラの兵士は精鋭揃いだからな。そう簡単にデグレアに負けはしねーよ」
フォルテの力強い言葉に、マグナとトリスは微かに頬を緩ませた。
自信たっぷりの彼の様子に励まされる。
「そうそう、たしかあんたはその街で剣を習ったのよね」
「……ん?」
ケイナの何気ない一言に、ネスティが首をかしげた。
「とすると……
フォルテ、君は騎士の家柄だったのか」
「――騎士ですって?」
「……やべっ!」
途端に、一同にざわめきが走る。
言われた当人はといえば、焦りを浮かべた顔であさっての方を向いていた。
「ネス、それどういうことなんだ?」
「あの街の剣術道場は王族の指南役を務めるほどの名門なんだ。
普通の人間がそう簡単に習えるものでは……ん?」
ぽつり、と何かが頬に当たった。
「うわっ、雨だぜっ!
本当に降ってきやがったぞ!!」
フォルテの言葉どおり、空からぽつぽつと降る雨が、街道の石畳に模様を描いていく。
あっという間に石畳の色は深く染まり、その頃にはもう、はっきり見えるほどの雨が降り注いでいた。
雨は次第に酷くなっていく。
ミニスが寒そうに肩を震わせ、アメルが小さくくしゃみをした。
「さすがにきついな、この降りじゃ」
リューグが眉を寄せて軽く空を仰いだ。
「どこか雨宿りできるところとか、ないのかな」
言いながらも雨から身を守ろうとする様子さえ見せず、水を含んで重くなった前髪を、は鬱陶しそうにかき上げた。
「休憩所とかは……このあたりにはなさそうだな」
脱いだ上着を頭からかぶって傘代わりにしたショウが辺りを見回すが、それらしいものは目に入ってこない。
「ねえ、あそこに見えるのって建物じゃないかしら?」
「うむ、たしかに城のようなものが見えるでござるな」
ケイナが指した先に目を向けると、霞んだ視界の先に確かに何かが見える。
「そういえばトライドラの砦のひとつが、このあたりにあったな」
「じゃあさ、あそこで雨宿りしよう」
「あのな、そう簡単に砦の中に入れるわけがないだろう」
マグナの提案に呆れた顔を向けたネスティの背中を、ぽんっとモーリンが叩いた。
「別に中に入れなくてもいいだろ?
軒先を借りられりゃ、それだけで十分さ」
「とにかく、急いであそこまで走りましょう」
トリスの言葉に、それぞれが雨に濡れた街道を駆けていった。
* * *
砦に着いた頃には、全員びしょ濡れになってしまっていた。
閉ざされた門の前は塀として積まれている石のおかげで雨がしのげる状態になっていたので、そこで休ませて貰うことにした。
「これは、着替えたほうがよさそうですね……」
すっかり重くなってしまったスカートの裾を持ち上げて、アメルがため息をついた。
「きっ、着替え……でござるか……」
「そーそー、それがいい。
ぜひそうしたまえ♪」
アメルの言葉に反応を見せたのは、カザミネとフォルテ。
特にフォルテなど、にやぁっと怪しげな笑みを浮かべている。
「言っとくけど、こっち見たら容赦なくぶっとばすわよ?」
しかし拳を握り締めたケイナのこの一言で、フォルテはあっさりと引き下がった。
* * *
「本当に着替えなくていいの、?」
着替えを終えたミニスが尋ねれば、は濡れないようにしていたタオルを使って服や髪の水分を取りながら頷いた。
「今、着られる服これくらいしかないし。
着替えはこの前破れちゃったから」
言われて、先日海賊と戦った際にボロボロになってしまったの服を思い出した。
「でもそれ、同じものよね?」
「予備だからね。セーターは同じ物買っといたんだ。
スパッツなんてこれが最後だよ」
代わり映えのない格好を指摘すれば、がうなだれた。
「これ、結構前に手に入れた奴だからあんまり穿いてたくないんだよねー。
前よりきつくなってるんだよ。太ったかなぁ」
「そう言われてみれば確かにちょっときつそうかも。
でも、気にするほど太ってないじゃない」
言いながら、トリスは上から下までをざっと眺めてみた。
一部を除いて体脂肪率の低そうな身体。
体格の割に細い手足。
これのどこが太ったというのだろうか。
「うーん、多少筋肉もついてるのかなぁ。
でも体型変わったのは事実なんだよね。前は全然きつくなかったもんこれ。
あ〜あ、次ボロボロにしちゃったら、今度こそ買い替えかな」
買い替えと聞いて、トリスの瞳の輝き方が変わった。
「じゃあじゃあ!
今度こそあたしに選ばせてよ!!」
「えー、やだよ。
トリス動きにくい服しか持ってきてくれないじゃん」
こればかりは譲ってくれそうな気配がない。
不満そうにトリスはぶーたれた。
「それにしてもさぁ……」
むくれるトリスを放っておいたまま、は砦のほうへと視線をやる。
「ここ、本当に砦なんだよね?」
「え??」
唐突な言葉に、マグナがきょとんと首をかしげた。
「いや……やけに静かだし、人間の気配が全然しないから。
普通、砦って兵士とかがたくさんいるんだしもっとざわついてるんじゃないかな」
「俺もそれは気になってた」
「ああ。それに、雨だといっても見張りくらいはいるはずだ。なのに誰も門の前に立っていないなんて……」
「せんさーニモ反応ガアリマセン」
リューグとネスティ、レオルドが同意した。
「何か事情があって撤退とかしたのかな」
「さぁなぁ……」
会話をしながら、ショウとフォルテが何気なく扉に手をかけ押してみると――――
「……え!?」
古びた蝶番の軋む重い音を立てながら、ゆっくりと両開きの扉の真ん中に隙間が生まれてゆく。
「バカな!
門に鍵も閂もかかっていないのか!?」
もし仮に、ショウが言ったとおり何らかの事情があって砦を空けていたとしても、その場合門扉は固く閉ざされているはずである。
それがすんなり開いてしまった。
異常な事態に、思わず声を上げたネスティだけでなく、皆に動揺が走る。
「それどころじゃないぜ、こいつぁ……」
門の隙間から中の様子をうかがっていたフォルテが、押し殺した声で呟いた。
「――――っ……!」
同様に中の様子をうかがっていたショウは、蒼ざめた顔のまま門の向こう側を凝視していた。
ショウの様子に疑問を持ちながらも門の隙間を眺めてみれば。
「……どうりで、気配がないはずだ」
呟いた声は、低く
昏い。
「これ全部、死体だ。
きっとここの兵士だよ」
視界に飛び込んだのは、地に倒れ伏す大勢の兵士達。
「ひ……っ!」
の言葉に思わず門の隙間から顔を覗かせたミニスが息を呑んだ。
そのまま門扉にしがみついてがたがたと震える身体を、モーリンが支える。
そんなミニスの姿を横目に、は黙って門の片側を開け放つ。
開けた視界に入ってきたものに、戦慄と恐怖が走った。
「ひどすぎます……こんなのって……!」
「いったい、ここで何が起きたっていうのよ……!?」
今にも泣き出しそうな声でアメルが服の胸元をぎゅっと握り締め、ケイナがあたりに視線を彷徨わせた。
「さっきまで感じなかったのに、嫌な気配がそこら中に渦巻いてる……
くそっ、どうして気付かなかったんだよ……!」
ショウが悔しそうに歯噛みした。
は門の中へとためらいなく足を踏み入れる。
足元には沢山の骸。
雨に霞んだ、灰色の世界。
……そんなものに懐かしささえ感じてしまう自分自身に嫌悪の感情さえ抱きつつ、近くの死体のそばへとひざまずいた。
うつ伏せに倒れる死体を、無造作に裏返す。
その行為によって後ろに佇んでいる仲間達から悲鳴が聞こえてきたが、は無視して兵士の亡骸の様子を眺めた。
死因は斬り傷。
裂け具合などから見るかぎり、凶器は彼の近くに転がっている剣――同じものが周囲にいくつも転がっているので、おそらく支給品なのだろう――がもっとも相応しいように見える。
すぐ隣の死体――こちらは最初から仰向けに倒れていた――の様子も見てみれば、やはり同じような武器で同じように殺されている。
立ち上がって、目に付く限りの死体たちをざっと眺める。
……どれも、同じ死に方をしていた。
「……変だな」
「……うむ」
ぽつりと呟くと、すぐ近くから賛同の声が聞こえた。
そちらへと目を向けると、自分と同じように死体の様子を調べていたらしいカザミネが立ち上がるところだった。
「ふたりとも、どうかしたの?」
恐る恐るマグナが尋ねた。
カザミネは訝しそうな顔のままその問いに答える。
「この者たちの傷から判断すると……どうも、お互いに殺しあったようにしか思えぬのでござる」
「倒れてる兵士の傷はみんな同じような凶器でつけられてる。
斬られたりとか突かれたりとか、いろいろだけどね。
傷の大きさとか、深さとかから考えると……そこら中に転がってる剣がたぶん凶器なんだ」
言われてマグナたちも辺りを見回してみれば、確かに同じような形の剣がたくさん転がっていた。
……その多くが、雨に濡れてもまだこびりつく紅いものを刃に残している。
「それと、もうひとつ。
外からの侵入者が原因じゃないだろうっていうのも、この人たちの同士討ちだっていうことに繋がる」
「えっ、どうして侵入者じゃないってわかるの?」
トリスが目を丸くした。
はゆるりと周囲を仰いでみせる。
「……この広場、壁や地面に剣の跡が残ってる。
激しい戦いがあったって証拠だ。
だけど、私達がここに最初に来たとき、門の外側にそんな傷とかあった?」
「あっ、もしかして……外から誰かが襲ったなら、門とか塀にも傷が残るってこと?」
トリスがハッとして言ってみせれば、は小さく頷いた。
「強行突破したりすれば、その痕跡はどこかに残るだろうしね。
まぁもっとも……入り口はここひとつとは限らないし、少数でこれだけ立ち回れる人材でも潜入したとかならまた変わってくるだろうけどね」
“立ち回れる人材”という一言に、話を聞いているトリスだけでなく、マグナやフォルテなども思わずのほうを見てしまったのはここだけの話である。
「それにしても、殺しあうなんて……
どうしてそんなことを……?」
「さぁ、それは拙者にも皆目……
なんとも面妖なことでござるよ」
「なんだかわからんが、ヤバいのだけは確かみたいだな」
「こりゃあ、早々に退散した方が良さそうだぜ」
周囲の様子を警戒しながらカザミネと話すマグナに、リューグとフォルテが告げたとき――
「きゃあっ!!」
ふいにミニスの悲鳴があたりに響いた。
「どうしたの!?」
「いっ、今……そこの戸が、がたんって……!!」
駆け寄ったトリスに、ミニスが震える手で指し示した。
「警告!
せんさーニ生命反応!」
レオルドの言葉を受け、マグナが扉の近くまで歩み寄る。
「出て来いっ!
さもないと、こっちから行くぞ!!」
マグナの声に合わせて、各々武器を構える。
瞬間に、空気が張り詰める。
「ちょ、ちょっとちょっと!!
暴力沙汰はかんべんしてくださいってー!」
……が。
扉の向こうから聞こえてきた、なんとも気の抜けた声により、一瞬でその空気はかき消えてしまった。
「私はただの雇われの身、雑用係のメイド……」
扉の隙間から、困ったような笑顔を張りつけた顔がにゅっと現れた。
……一部の人間が見知った顔だった。
「パッフェルさんじゃないの!」
ケイナが弓を下ろして彼女の名を呼んだ。
パッフェルも一行の顔を見るなり、「あれま」などと呟きながらきょとんと首をかしげる。
顔だけを覗かせていた扉を開け放ち、姿を完全に現した。……服装は普段のウェイトレス姿とほとんど大差ない。
「どーしてみなさんがこんな所に?」
「それはこっちのセリフよ。
まぁ、今のでだいたい理解したけど」
警戒を解いたトリスも、呆れたように言いながら杖を下ろした。
「また新しいお仕事を始められたんですね」
「そーなんですよぉ。
お給金が良かったんで、つい」
とことんまでいつもと変わらない調子のパッフェルにアメルが頬を緩めた。
「なのに、いきなりこんなことに……
あーっ、まだ働き始めたばかりなのにィー!!」
心底悔しそうに、パッフェルは頭を抱えて叫んだ。
「そんなことより、ここでいったいなにが起こったんだ?」
「それが私にもさっぱり。
突然殺し合いが始まって……身の危険を感じた私は、今しがたまで酒蔵に隠れてたんですよ。
で、やっと静かになったから……」
「外に出ようとして僕たちに見つかったってわけか」
唯一の生存者からの情報は全く得ることができなかった。ネスティは小さくため息をつく。
「とにかく、急いでここから離れた方がいいみたいだな」
「そうね」
双子召喚師が顔を見合わせて頷いた。
「さあ、パッフェルさんも行きましょう」
「えー?
でも私、まだここで働いた分のお給金もらってないんですケド……」
手を差し伸べたアメルに対して、パッフェルは至極不満そうに唇を尖らせぼやいた。
「そんなもん諦めろ。
命が助かっただけでも儲けたと思え!」
「いーえ!
タダ働きなんて冗談じゃありません。えぇありませんとも!!」
半ば呆れたようにリューグが諭すも、パッフェルは力を込めてきっぱりと言い放った。
「ぱぱっと行って、金庫から戴いてきます!
それでわっ!!」
言うなり、パッフェルは駆け出した。
それこそ、風のような速さで。
「ちょっと、パッフェルさん!?」
「一人で行かないでくださいよっ!!」
マグナとトリスが慌てて後を追う。
その後をさらに、ショウと、ネスティが追いかけた。