心の底が、ちりちりと痛む。
軋むように。擦れるように。
その感覚が示すものは、わからない。
Another Name For Life
第47話 軋む心
雨は上がり、雲の切れ間から月の光がやわらかに注いでいる。
道場の縁側に座って、はぼんやりと夜空を眺めていた。
ふと、後ろから誰かが近づく気配を感じる。
さっと振り返ると、驚いたような顔のネスティが立っていた。
「あ、なんだ。ネスティか」
「そっ、それはこっちのセリフだ……!
こんな時間にひとりで何をしているんだ」
ネスティは額に浮いた汗を拭う。
「ごめんごめん。ちょっとまだ警戒が抜けなくて。
空を見てただけだよ」
反射的に、近づいた相手に対して射抜くような気を向けてしまった。まともに正面からあてられてしまったネスティは不幸だったというべきか。
ネスティは深いため息をひとつついて、の隣に腰掛ける。同じように空を見上げて、ぽつりと呟いた。
「……大丈夫か?」
「……なにが?」
聞き返してみれば、ネスティがへと視線を落とした。不安と心配の混じった瞳に見つめられる。
「昼間の戦いは……その、君がここに来る前の戦場を……思い出させたりしたんじゃないかと思ってな」
言われて、はきょとんと目を丸くした。
「心配してくれたの?」
「あ、いや。その……なんだ」
途端にネスティは頬を赤く染めて視線をそらす。焦っている様子がおかしくて、はくすくすと笑った。
「……笑うな」
「ごめんごめん」
不機嫌そうに眉を寄せるネスティに、はふっと笑ってみせる。
「ありがとう。大丈夫だよ、私は。
――少なくとも、私はみんなよりもああいう相手に対しては慣れてるんだし。
心配するなら、むしろみんなを心配しないと」
「そ、そういう問題じゃないだろう。
君だって……」
ネスティの言葉を遮るように、は首を振った。
「ネスティ。
生ける屍とか屍鬼の類ってのはね、普通の敵と戦うのとは違うんだよ。
はぐれ召喚獣って呼ばれてる異界の生き物とか。
野盗の類とか兵士とかの、この世界の人間とか。
――私たちが今まで戦ってきたような相手とは、違う」
静かに、は目を伏せる。
「はぐれ達も、人間も、同じ“生き物”だけど……屍の兵士っていうのは、本来動かないはずのものが動くっていうこと。
それは、人間の心の根底にある恐怖とか嫌悪感っていうのを強く刺激する。それと戦って倒すなんてのは、尚更ね。
しかも、たぶんみんなはそうそう人間の死体なんて見ることはないでしょ。
それがさらに、精神に負担をかける。恐怖心は身体を固くするから、普段よりもさらに動きにくくなる。
私は、もう――慣れちゃってるから。
死体もさんざん見てきたし、それが動いて攻撃してくるのだって……」
自嘲気味に笑えば、ネスティの手がぽふっと頭に載ってくる。
「?」
「……そうじゃないんじゃないか?」
「なにが?」
は首をかしげた。ネスティの言葉の意味が、本当にわからない。
「慣れていると言ったって、君の言う“精神の負担”が完全にないわけじゃないんだろう?
辛いなら、無理せず言ってくれ。
気付いているか? 今日のあの戦いが終わってから、君はずっと浮かない顔のままだ」
は顔を上げ、それからかすかに苦笑いを浮かべる。
「……気付いてた?」
「わからないと思ってたか?
そろそろ、僕だってそのくらいはわかるようになってきたんだぞ」
ふいっとネスティがそっぽを向けば、の唇から笑い声が小さく零れる。
「そっちはね、違うことが原因。だから、本当に戦いは関係ないんだ。
いろいろと考えてたことがあったから、ちょっとね」
一呼吸置いてから、は空を仰いだ。
「砦の兵士のために墓掘ってたときにさ……昔、同じように墓作ったときのこと思い出しちゃったんだ」
「…………」
「あぁ、ネスティがそんな顔することないよ。
昔のことだし、思い出したって言ったって本当にたいしたことじゃないんだ」
すまなそうに俯いたネスティに、は慌ててぱたぱたと手を振る。
「あとそれからさ、アメルとショウがあの時に使ったあの力……
ちょっと、気になってね」
「ああ、あれか」
「ショウは覚えてないって言ってたし、アメルはアメルで倒れちゃったから聞くに聞けないし。
あれはなんだったのかなって」
目を閉じれば、浮かんでくる。
アメルの発した太陽のような光と、ショウの発した蒼い光が。
「悪い物だっていう感じはなかったからいいんだけど……なんだか、不安っていうか。
こう、心の奥がちりちりする感じなんだよね」
言いながら、は自分の胸元に掌を押し当てた。
「……」
「……なんて、ちょっと心配しすぎかな?」
一転して、は明るい声で言ってみせた。
「ショウのほうはともかく、少なくともアメルは聖女としての“奇跡”の力の延長だろうしね。きっと、ショウのだってすぐに何だったのかがわかるよ。ねっ?」
「あ、あぁ……たぶんな」
あっけにとられたように目を丸くして、それでもネスティはなんとか返事をした。
「ただの……私の思い過ごしだよね」
そうだ。
きっとこれは杞憂に過ぎない。
だから、胸の奥が軋んでいるような気がするのも、きっとただ神経質になってるだけなんだ。
きっと…………
UP: 05.01.22
-
Back
-
Menu
-
Next
-