彼女は強い。
アイツは強い。
それは、何で測っているものなのか。
Another Name For Life
第50話 強さの証
一瞬の浮遊感。
続いて、叩きつけられる衝撃。
「く……っそぉ……!」
太陽に照らされて温かくなっている砂に手をついて、リューグはよろよろと立ち上がった。
投げ飛ばされた際に手を離れた斧を拾い上げ、柄を握りしめて構える。
目の前には、両手を腰に当てて仁王立ちするモーリンがいる。
「まだまだ!」
吼えながら、一直線に走る。斧を振りかぶり、金髪の女性に向かって振り下ろした。
刃引きのされた訓練用の斧とはいえ、当たり所によっては致命傷になりかねない。しかしリューグはすっかり頭に血がのぼりきっているのか、そんな調節や加減を考えている雰囲気は全くなかった。
しかしリューグの一撃は、するりと横に身をかわすことで避けられてしまう。
そしてモーリンは、勢いがついて止まることができないリューグの腹に、拳を叩きつけた。
「がはっ……!?」
モーリンの拳の速さに、走ってきた自分の速さと斧を振ったことによる身体の流れが上乗せされて、より強い衝撃に襲われた。
たまらずに崩れ落ちて、リューグは腹を押さえて咳き込んだ。
「なんべんやったって、同じだよ!」
冷たい目でリューグを見下ろしながら、モーリンは腕組みをした。
「アンタには、一番大切なものが欠けてるのさ。
技術とか、力とか、そんなんじゃない。もっとずっと大切なものがね。
それがわかんないようなら、いつまでも今のまんまだよ!」
「……!?」
リューグはハッと顔を上げる。
モーリンは踵を返して、道場の方へと身を向けた。
「“強くなりたい”なんて、今のアンタには夢のまた夢だね」
はっきりと言い残して、モーリンはコートを翻して立ち去った。
「……欠けてるモノ……?
何だってんだ、くそぉっ!!」
悔しそうに、リューグは砂浜を殴りつけた。
白い砂が、きらきらと舞い上がった。
* * *
一番大切なものが、欠けている。
それがわからない限りは、強くなんてなれない。
モーリンの言葉が、いつまでもぐるぐると頭の中を駆け巡る。
「……グ、リューグ?」
訝しげにかけられて声で現実に呼び戻され、リューグは顔を上げた。
「大丈夫? 集中できないなら、今日はやめておく?」
眉を寄せたに言われ、リューグはぶんぶんとかぶりを振る。
「冗談じゃねえ、一日だって無駄にできるか。やるぜ」
言いながら、リューグは斧を構えた。普段の旅で愛用している、戦闘のための斧だ。
拳で戦うモーリンを相手にしたときは、さすがに危険ということで訓練用のものを使ったが、の武器は同じく刃を持つ剣である。加えて、の提案によって彼女との稽古はより実戦に近い形をとるため、互いに普段の武器を使うようにしている。
「じゃあ、始めようか」
相変わらず、は剣を構えると雰囲気が一変する。気圧されないようにギュッと斧の柄を握る手に力を込めて、リューグは駆けた。
金属同士のぶつかる鋭い音が、早朝の銀沙の浜に響き渡る。
重い斧の一撃を真っ向から受けるような真似をはしない。剣を構える角度を変えて斧の刃を滑らせ、受け流す。
いくら攻撃を仕掛けても手応えを感じないことに、リューグはだんだん苛立ち始めた。
「このおっ!!」
苛立つから、攻撃が単調になる。単調になった攻撃はあっさり見切られて、余計に当たらなくなる。
そんな簡単な悪循環に気付くこともできずに、リューグはがむしゃらに斧を振り回し続けた。
「…………」
ふいに、は後ろへ大きく跳んだ。
急に視界から攻撃対象が消えたことに、リューグは手を止めて顔を上げた。は剣を下ろして、大きなため息をつく。
「……もう、今日はおしまい。道場に帰るよ」
「な……おいっ!?」
剣を鞘に収めるに、思わずリューグは声を上げた。
「まだ終わってねえだろうが! 俺はまだ……!!」
「リューグ」
たしなめるように名を呼ぶ声は、荒げられたリューグのそれよりもずっと静かなものだったけれど、はっきりとその場に響き渡った。
リューグが押し黙ると、は改めてゆっくりと口を開く。
「――ちっとも集中できてない。
そんな状態で修行したって、何にもならない。
身につかないことをいつまでも繰り返したってしょうがないだろう?」
冷ややかな視線は、昨日のモーリンと酷く似ていた。
リューグは何も言えず、唇を噛み締めた。
* * *
昼食後。
「おい」
呼び止められてが振り返ると、そこにはどこか真剣な面持ちのリューグが立っていた。
「ちょっと、話があるんだけどよ」
「なに?」
「いや、ここじゃちょっと……」
目をそらして、言いづらそうにリューグは口ごもった。それを見てがこくんと頷く。
「ん、わかった。場所変えよう」
リューグとが連れ立って出てゆくのを、その場の数名が眺めていた。
一瞬の沈黙。
ひと呼吸おいて、途端に場は騒然となった。
「……今の見た?」
「ええ、ばっちりと」
何故かわざわざひそめられたトリスの言葉に、アメルがしっかり頷いて同意する。
ちなみにアメルは昨日一日ぐっすり眠ったおかげで、すっかり元気を取り戻していた。
「二人っきりで何話すつもりなのかしら」
「わざわざ呼び出したってところも気になるわね。だってあの二人、ほとんど毎朝の稽古で顔合わせてるもの。ふたりで組み手とかもしてるらしいし」
「その時に話さなかったっていうことは、やっぱりそういう時に話すような内容じゃないってことですよね」
ミニス、トリス、アメルの三人娘が口々にしゃべる。周りの面々はその様子を複雑な顔で眺めていた。
なかでもひときわ複雑そうな顔をしている人物の元へ、トリスがつつつっと寄ってゆく。
「ねぇねぇネス〜、気にならない?」
「……別に」
憮然とした顔でネスティが答えるが、トリスは気にせずに肘で突っついてみせる。
素っ気ない返事をしつつも、ネスティの眉間にはかなりはっきりと皺が刻み込まれている。トリス的にはそれを面白がっているのだが、その原因の半分以上が自分自身の行動が原因だとは、彼女は露ほども考えない。
「そんなことよりトリス、ふたりが行っちゃうわよ!」
「あっ、待って!」
ミニスがちょいちょいと手招きすると、トリスは慌ててそちらへと身を翻した。
――ネスティのマントをがっちり掴んで。
「!? おいトリス……ぅぐッ!!」
兄弟子の首が絞まるのもお構いなしに、トリスはぐいぐい進んでいく。
「行くわよマグナ!」
「え、俺も!?」
何故か指名を受け、マグナは顔を引きつらせた。
しかしここで放っておくとトリスもネスティも後が怖いので、マグナは泣く泣く妹の後を追う羽目になった。
* * *
リューグは、を連れて銀沙の浜にやってきた。
波打ち際までは近寄らず、乾いた砂の上に二人向き合って立っている。
リューグが何かを言いたそうにしているのを、は黙って見つめる。
……林に紛れて、数名がその様子を眺めていた。
「昼下がりの海岸……夕暮れ時とか夜に比べれば多少は雰囲気が落ちるけど、それでも愛の告白の状況としてはばっちりよね」
「リューグったら、怒ってばっかりだと思ったのに、いつの間にさんのことを……」
ミニスが腕組みをして唸ってみせて、アメルが頬に手を当てて驚いたように感嘆の息をついてみせた。
「ネスがいつまでも優柔不断だから、リューグに先越されたりするのよ」
「……何の話だ」
「別に、告白するって決まったわけじゃないだろ?」
「甘いわねマグナ」
びしっと、トリスはマグナに指を突きつける。
「ただでさえ普段からあの二人は朝に一緒に稽古なんてしてる仲なのよ? それにリューグはを目標にしてるみたいだし、そういう憧れの気持ちが恋につながる事だって充分にあるのよっ」
……それは普通、女性が男性に惚れる場合ではないだろうか。
とくに、“戦士”として目標にしている場合は。
マグナは頭に思い浮かべた言葉を飲み込んだ。
どうせ今の妹に言ったところで、聞いてくれるはずがない。
「――しっ! 静かにっ」
押し殺したミニスの声に、海岸の二人に視線が集まった。
「……お前に、聞きたい事があるんだ」
リューグが切り出した。
俄かに緊張が走った空間に、潮騒だけが静かに響く。
「――お前が強さを手に入れたきっかけを、教えてくれ」
「……え?」
訝しげにが眉を寄せた。
それからすぐに、普段の稽古で相対しているような鋭さを秘めた瞳になる。
「どうして、私にそんな事を聞くんだ?」
「俺は……」
ぎゅっと、リューグは拳を握り締める。
「……ねえ、なんて言ってるか聞こえる?」
「……ぜんぜん」
トリスが呟くと、ミニスは首を振った。他の者も同様のようで、トリスはため息をついた。
「でもこれ以上は近づけないしなぁ……なんか悔しいわ」
「もう諦めて帰ろうよトリス……」
「やだ」
マグナの疲れたような声は、即座に拒否された。
「俺は、強くなりたいんだ。誰よりも……あの黒騎士よりも……
そのために必要な“何か”が、見つからねえんだ」
「だから、私に聞いたのか?」
リューグは頷いて、昨日モーリンに言われた事をにそのまま伝えた。
欠けている“大切なもの”がわからなければ、強くはなれないのだと。
は黙ってリューグを見据える。
「大切なものって、何なんだよ……技術でもなくて、力でもないなら……」
「その何かを私から聞いたとして、あんたはそれで納得するのか?」
「――!?」
静かなの言葉に、リューグはハッと顔を上げた。
「人に教えられて、それで手に入れたつもりになるのか?
あんたの求めてる“大切なもの”とやらは、そんなに簡単に手に入るものなのか?」
「……それは……ッ」
リューグは目を伏せた。指摘されたことばが、ぐさりと胸に突き刺さった。
「……なんだか雰囲気がよくないですね」
この位置からでは表情もろくに見えないし、声もまともに聞こえないが、身振りから雰囲気は読める。
アメルの一言に、ネスティが小さく息をついた。
すぐ隣にいたマグナはそれを目にしていたが、硬い表情からは内心は全くわからなかった。
俯いたリューグの肩に、はぽんと手を載せた。
「焦らないでいい。
気持ちを楽にして、今まで目を向けていなかったものにも目を向けてみて。
幅広くいろんなものを見てみれば、見つからなかったこともきっと見つけられるから」
穏やかな声は、静かにリューグの耳に入ってゆく。
ゆっくりと顔を上げると、がニッと笑っていた。
「……なんてね。
偉そうに言ってみたけどさ、私だって自分が強いと思ったことはないよ。私のことを強いかどうか判断するのは、私の周りであって私自身じゃないし」
「…………」
てめえはじゅうぶん強いだろうが、などととリューグは内心で思ったけれど、なんだか悔しさを感じてしまい口には出さなかった。
「これからだよ、リューグは。
私と違って、まだまだ伸びる余地あるし」
「はっ、どうせ俺は未熟者だよ」
「そういう意味じゃなくてさぁ……」
そっぽを向いたリューグに、が苦笑いを浮かべる。
「体格だってまだまだ作っていけるし、技術とか駆け引きも学べる。
リューグはまだ発達途中なんだよ。年齢的にもまだ余地がじゅうぶんにあるしね」
「そんな悠長にしてられるかよ」
「そうかな? 大事なことだよ。
『まだいける、まだ頑張れる』って思ってれば、どこまでも前にいけるものなんだし。まぁ、焦りすぎると逆に失敗するけどね」
「お前はどうなんだよ」
はきょとんと首をかしげた。
「自分と違ってって言うけど、お前だってまだ伸びるんじゃねえのか? 歳のこというなら、大して変わらねえだろうし」
リューグは何気なく言ったつもりだったが、は困ったように眉を寄せて笑う。
その笑顔を、リューグはどこかで見たことがあるような気がした。
「私は……ホラ、女だから。やっぱり限界あるんだよね、どうしても。体格とか、力とか。悔しいけどこればっかりはどうしようもないから。
リューグはそんな心配ないんだから、頑張りなよね」
拳を作って胸元をトンッと軽く叩かれた。
軽い衝撃に、リューグは呆気にとられたように目を見開いたが、すぐにいつもどおりのぶっきらぼうな表情を作る。
「はっ、言われるまでもねえよ」
表情こそ愛想がなかったが、声ににじむ感情は穏やかだった。
「……ところでさ」
「なんだよ」
ふいに話題を変えたが、ある方向を指差した。
「みんなあんなところで何してるんだろ」
「……!?」
慌ててリューグがそちらを向くと、どこかで見たような服や髪が、林の影でちらちらと見え隠れしていた。
「わわ、見つかった!?」
早足でこちらへずんずんと歩いてきたリューグに、トリス達は慌てた。
そしてうっかり茂みから姿を現してしまい、ばっちりリューグと目が合ってしまう。
「「「「あ。」」」」
「……何してんだ、てめえら」
訝しげに眉を寄せられて、三人娘とマグナは引きつった笑顔を浮かべる。
ネスティはため息をつきつつ眼鏡を押し上げていた。
「あ、あはは……お、お邪魔しましたー!」
言うなり、トリスは一目散に駆け出した。アメルとミニスが後を追う。
「あっ、おい!」
三人娘に逃げられて、リューグはマグナへと視線を移した。
「…………どういうことか、説明してもらえるよなぁ?」
「お、俺たちは別に何も……トリスに引っ張られてここに来ただけだし。なぁ、ネス?」
マグナがネスティを見上げると、ネスティは疲れたように小さく頷いた。
「ったく、何だってんだあいつら……!」
不機嫌そうに、リューグはトリスたちの走ってきた方へと歩いていった。
マグナはその場の勢いとはいえ責任をトリスに押し付けてしまった形になったのに気づいて、慌ててリューグを追った。このままリューグが今しがた自分の言ったことをそのままトリスに伝えてしまうと、後が怖い。何故こんな目にあうのかと、マグナは半ば泣きたい心境だった。
残されたネスティが服やマントについていた砂粒をはたいていると、が隣までやってきた。
「何してたの、みんな」
「……いつから気付いていたんだ?」
の問いには答えず、自分の頭に浮かんだことをネスティは尋ねた。
自分の質問を無視されたことに、は嫌な顔はしなかった。
「リューグと話してるときに、これがちらっと見えた」
言いながら、はネスティのマントを軽く引っ張る。
「あと、アメルのスカートとか、ミニスの髪とかも。
それにみんな、気配隠すの下手だよ。道場からついてきてるの、すぐわかったよ」
「……最初からじゃないか。はじめからそう言えばいいだろうに」
あきれたように指摘すれば、それもそっか、とは小さく笑った。
「彼とは……何を話していたんだ?」
恐る恐る、ネスティは尋ねた。
は僅かに目を見開いてネスティを見上げてから、くすっと笑った。
「ないしょ」
人差し指を立てて唇に当ててみせるの瞳は、どこか悪戯っ子のような雰囲気を含んでいる。
ネスティが眉を寄せると、手を下ろして微笑んだ。
「話してもいいんだけど、リューグが嫌がると思うから。一応これでも、相談受けた身だしね。
ネスティが何の心配してるか知らないけど、たぶんそれとは全然違うと思うよ」
「ぼ、僕は別に……ただ、気になっただけだ」
の言葉に目をそらして咳払いをすると、はきょとんと首をかしげた。
「そう? そんな風に見えたんだけど」
「……きっと、君の気のせいだ」
素っ気なく答えたネスティは、まっすぐに自分を見つめてくると、どういうわけか目を合わせることができなかった。