面子と、意地と、プライドと。
譲れないもののために、負けるわけにはいかない。
Another Name For Life
第51話 ハブとマングース
事の始まりは、偶然の再会から。
買出しをしていたマグナとトリスは、大通りで見知った顔と鉢合わせをしてしまった。
「……あっ!」
先に気付いたのは、トリスだった。
うっかり声に出してしまい、隣にいたマグナと護衛獣たちだけではなく、視線の先の相手にも気付かれてしまった。
「け、ケルマ……!?」
「貴方達は……チビジャリと一緒にいた、蒼の派閥の召喚師!?」
マグナと、ケルマと呼ばれた女性の声が重なった。
ケルマ=ウォーデン。
女性ながら、金の派閥の召喚師の中でも名門と謳われる、ウォーデン家の当主をつとめる人物である。
上等な服に身を包み、なぜか両腕の肘から指先にかけて、ごついガントレットが覆っている。
さらさらのまっすぐな金色の髪といい、熟れた唇といい、魅惑的な曲線を描く身体といい、十二分に美人の部類に入る容貌を持つのだが……
性格は、微妙かもしれない。
彼女と蒼の派閥に属するマグナ達が出会ったきっかけは、彼らの仲間であるミニス=マーンだった。
金の派閥のマーン家とウォーデン家は、長い間対立関係にあったため、もともと仲が良くない。
その上さらにいろいろな事情があったらしく、ケルマはミニスを追い回している。
なんでも、ミニスがなくしたというサモナイト石のペンダントは、かつてウォーデン家が所有していたものだったとかで、それを取り返そうとしているらしい。ミニス本人がさんざん「今手元に持っていない」と言っているにも拘らず、ケルマはそれを信じようとせずにいるのだ。
ちなみに、彼女の言う『チビジャリ』というのはミニスのこと。逆にミニスも彼女を『年増』呼ばわりしている。
11歳の子供相手に、かなり大人げないやりとりである。
周りが見えなくなる性質の持ち主なのかもしれないが、はた迷惑なものである。
閑話休題。
「貴方達がここにいるということは……さては、あの小娘もこの街にいるんですわね!?」
ケルマにびしぃっ! と指を突きつけられて、マグナとトリスは顔を見合わせた。
一呼吸おいて、マグナが切り出した。
「……ああ、そうだよ」
「今すぐここへ連れておいでなさい!」
「ダメよ。どうせまたペンダント絡みなんでしょ?」
トリスに指摘されると、ケルマは眉を吊り上げた。
「わたくしは正当なる権利を主張しているまでですわ!」
往来で大声を張り上げるケルマは、どうやら完全に頭に血が昇ってしまっているらしい。
「あのなあ、ケルマ。
何度も言うようだけど、今ペンダントはミニスのところには無いんだ」
「そんな白々しい嘘に騙されるものですかっ」
ため息まじりのマグナの言葉などものともしない。
「本当だってば! 嘘だと思うなら、金の派閥の本部に行ってみなさいよ。
ファミィさんに聞けば、あたしたちが嘘をついてないってわかるから!」
トリスに言われて、ケルマは何か考え込むようなしぐさをしてから、腰に両手を当てた。
「……いいでしょう!
その代わり、嘘だとわかったら貴方達もまとめてぶちのめして差し上げますから!
覚悟なさいッッ!!」
言い残して、ケルマは肩をいからせながら立ち去っていった。
「……やれやれ」
「これで嘘かどうかわかったら、諦めてくれるかしらね?」
深い深いため息をついて、双子召喚師は顔を見合わせた。
……そして、周囲ににわかに人だかりが出来ていることに気付き、そそくさとその場を後にした。
* * *
モーリンの家に帰ってきて、自室で一休みしていたトリスは、ばたばたという足音が廊下から響いてくるのに気付いた。
その足音が、自室の扉の前で止まる。直後のやや乱暴なノックの音に、トリスは首をかしげながら扉を開けた。
「た、たた、大変です!!」
次の瞬間、血相を変えたアメルが飛び出してきた。
「ど……どうしたの、アメル?」
「き、き、き……」
恐る恐るトリスが尋ねても、アメルは慌てた様子のままで何かを言おうとしている。
「ああ、ほら落ち着いて。深呼吸して」
なだめるようにぽんぽんと肩を叩かれて、アメルは大きく息を吸いこみ、吐き出した。
落ち着いたところで、改めて口を開く。
「来ちゃったんです!
金の派閥のケルマさんが、ミニスちゃんに決闘を申し込みに来ちゃったんですっ!!」
「えぇっ!?」
ファミィの元へ行け、と彼女に言ったのはつい先ごろの話だったというのに。
頭痛がしてくる頭を押さえて、トリスはアメルについていった。
* * *
道場では、既にミニスとケルマの言い合いが始まっていた。
「だから、いいかげん私を逆恨みするのはよしてよっ!」
「逆恨みではなくってよ!
愚弟だったとはいえ、ギブンは紛れもなくウォーデン家の末子。姉として、長女として、そしてウォーデンの当主として……弟を負かした貴方に報復を挑むのは当然のことですわ!!」
ケルマのよく通る甲高い声は、道場の壁も越えてしまうかのようだった。
「へぇー……
ミニス。お前さん、そんなナリしてやるもんだなあ」
などと口笛を吹いてみせたフォルテは、ケイナに撃墜されていた。
「まったく、ガキ相手によくここまでムキになれるもんだぜ」
リューグが呆れきって、冷めた眼でケルマを見やった。
「だいたい、あれは貴方の弟が悪いんじゃないの!」
「それはそれ、これはこれですわ。
マーン家の小娘に負かされた愚弟の恥は、当主として見過ごすわけにはいきませんの!」
胸を張ってびしぃっ! とケルマがミニスに指を突きつけたところで、トリスとマグナがアメルに連れられて道場にやってきた。
「あっ、トリスにマグナ! 貴方達からも、この年増女に何とか言ってやってちょうだいよ!」
「年増って言うなぁっ!!」
禁句を耳にしてケルマが叫んだ。
「どうでもいいけどさ……近所迷惑になるから、あんま騒がないでやっとくれよ」
「まったくだ」
家主のモーリンと、眉間にしわを寄せたネスティが、深いため息をついた。
なぜかネスティが視線を向けてくることに、マグナもトリスも理不尽さを感じずにはいられない。
「俺たちにそんな顔されたって……」
「だいたい、ケルマ。あたし達が言ったように、ファミィさんとは話したの?」
「無論ですわ。ここに貴方がたがいるというのは、あの女から聞いたんですもの」
ケルマの一言に、マグナとトリスは目を丸くした。
「おかあさま……なんてことを……」
ミニスはへなへなと道場の床にへたり込んだ。脳裏に、一見のほほんとした母の笑顔を浮かべているに違いない。
「ですから、今回の件は保護者公認ですわよ!
一対一でわたくしと勝負なさい、ミニス=マーンっ!!」
もはや逃げられない。
ミニスはぐうの音も出なかった。
* * *
そして、いざ決戦である。
ケルマの先導で向かった決闘場は、海岸の岩場にある『クローネ洞窟』という場所だった。
「それにしても、みんな薄情よねぇ。一対一だからって、応援くらいしたげてもいいのに」
トリスがむぅと唇を尖らせた。
この場にいるのは決闘をするミニスとケルマの他には、マグナとトリス、とショウ、そしてカザミネだけだった。
「仕方あるまい。アメル殿は病みあがり、他の者も多忙だということだからな。
だからこそ、立会人として我々が来たのではないか」
「それはそうだけど、もしケルマが手下を呼んだりしたら……」
不安そうに眉を寄せるマグナに、カザミネはきっぱりと言った。
「その時は、拙者が一命に代えてもミニス殿をお守りいたすでござるよ。
それに、ショウ殿達もいるのだし、心配いたすな」
「そうそう。兵士くらいなら、私たちが何とかするからさ」
がカザミネの言葉に頷きながら、にっこり笑ってみせた。
「それにしても、この洞窟は……」
ショウが岩天井を仰ぎながら何かを呟いていた。
「ちょっと、どうしてわざわざこんな狭っ苦しい場所を選んだわけ……?」
ジト目で見据える少女に、ケルマはにやりと口の端を吊り上げた。
「ほーっほっほっほ!!
ミニス=マーン、破れたりですわ!」
口元に手を添えて、突然の高笑い。
自信満々の口調に、ミニスは思わず身構えた。
「この狭い洞窟では、ご自慢のワイヴァーンも呼べないでしょう?
そのうえ、ここの岩はとても脆いというオマケつき……下手に召喚術を使って衝撃でも与えようものなら、落盤でぺちゃんこですわ!」
とんでもない場所を選択したものである。
確かにミニスはまだまだ成長過程にある子供の体格のため、肉弾戦に持ち込むのは非常に不利である。
召喚術の方は優秀でも、それを封じさえすれば撃破はたやすい。
「ほーっほほほほほ!!
まんまとわたくしの策にハマりましたわね!!」
しかし。
「……あのねぇ。だから、シルヴァーナのペンダントは今私のところにはないって言ってるでしょ?
持ってないんだから、呼べるわけないじゃない」
「ぐ……よ、用心に用心を重ねただけのことですわ!」
「それと、もうひとつ。
召喚術が使えないのは、そっちだって同じじゃない。どうやって決闘するつもりなの?」
「…………あ。」
ケルマは、肝心なことを頭に入れていなかった。
ミニスは深い深いため息をつく。
「……バッカじゃないの?」
「何ですってぇ!?」
「……どうやら復讐に燃えるあまり、周りが見えていなかったようでござるな」
「だめじゃん……」
周りが見えないにも程がある。あまりのお粗末さに、ショウは呟かずにいられなかった。
「バーカ、大バカ!! 頭に行く栄養、みーんなその胸に行っちゃってるんじゃないの!?」
「洗濯板にも満たない小娘が、ひがみ根性で言わないで欲しいですわねッ!」
「こ……これからいくらでも大きくなるもん!」
「ほーっほほほほ! 親の姿から察するに、虚しい夢ですわねぇ」
「うぅ〜ッ!」
結局、召喚術の使えない二人の女召喚師の戦いは、悪口合戦に落ち着いてしまった。
「このぶんでは、拙者たちの出番はなさそうでござるな」
「まぁ、被害がないならそれでいいよね」
カザミネとは、だいぶ安心した雰囲気でふたりを見ていた。
しかし、この言葉はすぐに撤回されることになる。
「なによ! いくら大きくたって、お嫁の貰い手がないなら意味ないじゃない!!」
「!!」
ミニスの一言で、ケルマの顔色が一気に変わる。
「私知ってるんだから! アナタが、今までいくつ縁談を断られたかってね!」
「な……」
「やーい、年増っ! 悔しかったら結婚してみなさいよ!!」
「おい、ミニスっ!?」
「それはいくらなんでもシャレになってないってば!」
双子召喚師が叫ぶが、ミニスは黙ることもなくケルマを罵っている。
「…………ふ、ふふっ…………」
俯いたケルマから、押し殺した笑い声が零れる。
「ふふ……うふふふふ……」
ケルマの表情はうかがえないが、肩は震えている。さすがに不穏なものを感じたのかミニスは黙り込んだ。
洞窟の中に、ケルマの小さな笑い声だけが響いてゆく。
「わたくしだって……わたくしだって、できることならそうしたいですわよ……
弟達さえしっかりしていれば……わたくしなしでもやっていけるなら……」
ぶるぶると、握りこぶしが震えていた。
「婚期を逃すなんてこと、絶対になかったんですのにぃぃぃッッ!!」
キッと顔を上げて叫ぶケルマに、魔力が集まってゆく。
「ちょ、ちょっと……! こんなところで……本気なの!?」
「ケルマ、落ち着いて!!」
ミニスやトリスの言葉も、今のケルマには全く聞こえない。
「うわあぁぁぁぁん!!
くたばりなさい、ですわぁぁぁ!!!」
ぼろぼろ涙を流しながら、ケルマが召喚術を放った。
ほとんど暴発に近いそれは、おそらく対象に定めたであろうはずのミニスには向かわず、岩天井に直撃した。
「きゃあっ!?」
爆発と共に起きた衝撃に襲われて、ミニスは倒れこみそうになる。
しかし岩の床に叩きつけられることはなく、誰かに抱きとめられた。
「大丈夫か、ミニス!?」
「私は平気。それよりもケルマが!」
抱きとめてくれたへの礼もそこそこに、ミニスがケルマの方へ視線を向けると。
「…………!!」
感情を爆発させ、岩盤を揺るがした攻撃によって正気を取り戻したケルマの頭上に、岩が降ってきた。
「だめだ、間に合わない……!」
誰かの言葉が耳に届いているだろうか。
ケルマはぎゅっと目を閉じる。
「キェェェェェェ!!」
気合の声と共に、金属が硬い物にぶつかる不協和音が響いた。
痛みも衝撃も、襲ってこなかった。
ケルマがおそるおそる目を開けると、そこには刀を手にした男の後ろ姿があった。
「あ……」
「無事でござるか?」
カザミネが刀を鞘に収めて尋ねれば、ケルマはこくこくと頷いてみせる。
「早く拙者の背におぶさるでござる。この洞窟、長くはもたぬぞ!」
「は……はいっ」
カザミネがケルマを背負ったのを確認しながら、はミニスを抱き上げた。
「ショウ!!」
「わかってる!!」
ショウは符を数枚取り出す。
「はっ!!」
気合と共に符に力を注ぎ、洞窟に溜まっている水に投げ込んだ。
直後に、太い蔦がするすると何本も伸びてゆき、洞窟の天井や壁を覆っていった。
頑丈な蔓が岩に絡みつき、落盤を防いだ。
「さぁ、今のうちに!」
ショウの言葉に合わせて、トリスをかばうマグナと、ケルマを背負ったカザミネ、ミニスを抱き上げているの順に、洞窟から脱出した。
しんがりのショウが洞窟を抜け出したと同時に、蔓を引きちぎって岩が落ちる。
全員が無事に脱出した頃には、クローネ洞窟は完全に埋まってしまっていた。
* * *
「この決闘は、勝負なしとするでござる。
皆もそれでよろしいな?」
カザミネの言葉に、立会人になっていた者たちは頷く。
「私怨に目が曇れば、勝負に勝つことなどできぬぞ、ケルマ殿」
「…………」
ぼんやりとした風のケルマは、何も答えなかった。
「そして、ミニス殿。
言葉というものは、時として真剣以上の切れ味をもつものでござる。くれぐれも、それを忘れることのないようにな」
「うん……」
ミニスは真剣な顔つきで頷いた。
「ごめんなさい、ケルマ」
「…………」
やはり、ケルマは何も言わなかった。
「では、道場に戻るとするでござるか」
そう言って、カザミネが踵を返す。
「あ……あのっ!!」
「ん?」
今まで口を閉ざしていたケルマに呼び止められて、カザミネは振り返った。
「助けてくださって、ありがとうございます。その……」
「カザミネと申す。
流れの剣客でござるよ」
「……カザミネ様……」
ケルマは頬を染めて、どこかぼうっとした瞳でカザミネを見つめていた。
「ああそれから、言い忘れておったが……
ケルマ殿、おぬしはまだまだ女盛りでござるよ」
「!!」
口元に笑みを浮かべるカザミネの言葉に、ケルマは頬を真っ赤に染めた。
「ゆえに、きっと良縁が見つかるであろうて。あまり自分を卑下してはいかぬぞ?
では、御免」
こんどこそ踵を返して、浜辺から立ち去ってゆくカザミネの後ろ姿を、マグナとトリスがどこか感動したような顔つきで見送った。
「すてき……」
「え?」
沈黙を破ったケルマの言葉に、ミニスが怪訝な目を向けた。
「あの強さ、あの優しさ……!
わたくしはきっと、あの方と出会う運命だったんですわっ!!」
ケルマは両手を胸の前で組んでいた。
そして、呆気にとられている周りの面々など目に入らない様子で、もう姿の見えなくなってしまったカザミネの立ち去った方へと駆け出す。
「カザミネさまー!
どうか、このわたくしめと結婚を前提に交際してくださいませぇー!
カザミネさまぁぁー!!」
なんだかとんでもない言葉を絶叫しながら、ケルマは走り去ってしまった。
「…………」
残された五人は、呆然とそちらを見つめるしかできなかった。
「はぁ……もう、好きにすれば?」
完璧に呆れきったミニスの言葉が、その場の全員の心境を見事に表していた。