警鐘が、響き渡る。
それでも、歩みは止めることが出来ない。
優しさが。
強い想いが。
災厄の引き金になりかねないというのに。
Another Name For Life
第54話 警告の鐘
翌朝。
一夜明けても、アメルはまだ塞ぎこんだままだった。様子を見に行ったリューグは不安の色を見え隠れさせながら、閉ざされた扉をちらちらと見やる。
そんなアメルを除いて、大部屋に集まった一行は、改めてルウにこれまでのいきさつを話した。
アメルが幼い頃に祖父から聞いた話だけを頼りに、彼女の祖母が住んでいるという村を探して、ここまでやってきたのだと。
「でも、まさかこんな結果になるなんて思わなかったわ」
沈んだ顔でトリスがこぼした言葉に、ルウがハッと口元を押さえた。
「ルウ、あの子に余計なこと言っちゃったのかしら」
「そんなことないわ」
首を振って否定したのはケイナだった。
「確かにアメルには辛い事だったかもしれないけど、事実は事実としてちゃんと受け止めなくちゃいけないと思うもの」
だれともなく、その言葉に同意するように頷きあった。
「けどな、なんだってそのジイさまはわざわざこんな場所を指定したんだ?
おかしいじゃねえか」
ふいにレナードがぽつりと呟いて眉を寄せた。
「確かに、嘘をつくならもっと他にうまいやり方があったはずであろうに……」
顎に手を当てて、思案するようにカザミネが唸る。
「ばれない嘘をつくコツってのはな、嘘の中に何割かの真実を混ぜて、信憑性を持たせることだぜ」
「てことは、なんだい。レナードの旦那は、じいさんがこの場所を選んだのには何か理由でもあるって言いたいのか?」
「そういう可能性も考えられるってことさ」
フォルテが尋ねれば、レナードは曖昧な返事で答えをぼかしたが、瞳の奥にははっきりとした肯定の色を持っている。
「――ちょいと待っとくれよ!」
モーリンが険しい顔で声を上げた。
「本当にあの子のじいさんが嘘をついたとは、まだ決まってないだろ?」
「そうだよ! ひょっとしたら、ルウの知らない村があるのかもしれないじゃないっ」
推測で、嘘をついたことを前提に話を進めるな。
モーリンとミニスの目つきには、そういった非難をはっきりと含めている。
「……なあ、ルウ」
暫し考え込むようなしぐさをしてから、マグナはルウに声をかけた。
「ミニスが言ったみたいに、ルウの知らない村があるって可能性はあるのかな?」
「うーん……どうかなぁ。確かに、ルウも森の全てを知ってるわけじゃないし。そういう村が出来てたなら、知らずにいたって事もあるかも」
ルウの言葉を聞き、マグナとトリスは顔を見合わせてから、神妙な顔で頷きあった。
「……やっぱり、あたし達自身でもう一度この森を調べてみる必要がありそうね」
トリスの提案に、多数の仲間が同意した。
しかし若干名、渋い顔をしている者もいる。
「僕は反対だ」
その中で、ネスティがきっぱりと言い放った。
「お前さんらしくないな。いつもだったら徹底して調べるように言うクチじゃねえか」
「ここが普通の場所ならそれもいいだろう。しかし、そうじゃない。
悪魔の軍勢が封印されている森なんだぞ。一刻も早く離れるべきだと僕は思う」
訝しげに眉を寄せるフォルテの言葉にも、ネスティは厳しい顔を崩そうとしない。
「それはわかるけど……ちょっと警戒しすぎじゃないかしら」
「そうよそうよっ。結界があるんでしょ? だったら恐がる必要なんてないじゃない」
ケイナも不審そうに呟いて、ミニスが不満の混じった声で抗議する。
「――君たちは悪魔というものの恐ろしさをわかってないんだッ!!」
ネスティが声を荒げた。
皆びくりと肩をすくめて、呆然とネスティを見つめる。
「お、おいネス……なにもそんなに怒鳴らなくても……」
「心拍数ガ上ガッテイマス。ドウサレマシタカ?」
恐る恐るたしなめるマグナと、心配しているらしい雰囲気のレオルドの言葉に、ネスティは険しい顔のままで何も答えない。
「確かに、ネスの言う通りよ。あたしたちはちょっと楽観的すぎるかもって思う」
静かなトリスの声が、はっきりと響き渡った。
「でもね、このまま引き返したら、アメルはどうなるの?」
ネスティはハッと息を呑んだ。
「少なくともあたしは、彼女が納得できるだけのことはしてあげたい。
たとえちょっとだけでも可能性があるんだったら、確かめるべきだって思うの」
トリスの意見は、正論だった。
「……好きにすればいいさ。だが、どうなっても僕は知らないからな」
不機嫌そうな声のまま言い残して、ネスティは外へ出て行ってしまった。
「俺もその意見に賛成だ。このままじゃ、あいつがまた苦しい思いをするだけだ」
それまで黙っていたリューグが口を開いた。
「アメルの様子、どんな感じだった?」
「落ち着きはしたが、まだ元気はねえな」
詳しい様子までは聞いていなかったので、トリスが尋ねた。リューグはルウの寝室へと続く扉にちらりと目を向ける。
「今の話は、折を見て俺のほうから伝えとく。その方がいいだろ」
「うん、そうしてくれると助かるよ」
リューグの提案に、マグナが頷いた。
「やれやれ、これでどうにか今後の方針は固まったな」
レナードの言葉に合わせるように、それぞれがホッとしたような顔になる。先の見えない状況ほど、精神をすり減らすものはない。
俄かに張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩む。そうして生まれた刹那の安息を、思い思いにかみしめていた。
「それにしても……
ネスティのあの様子、ちょっと変じゃなかった? なんだかいつもの彼らしくないような……」
ケイナの言葉に、マグナとトリスが揃ってしゅんとなる。怒鳴られることの多い二人だが、普段と違うネスティの様子に、不安を感じているのだろう。もしくは、今日のように声を荒げていた、いつかの彼を思い出しているのかもしれない。
「珍しいな、が追いかけないなんて」
「べつに私だって、いつもいつも追っかけるわけじゃないよ」
率直な感想を述べたつもりだったらしいショウは、の返事には「そうか?」と首をかしげていた。
「今は……たぶんまだ、時機じゃないから。あとで話しに行ってみるつもり」
ネスティの出て行った扉を見つめたまま、は呟いた。
「彼が不安がる気持ち、ルウにはよくわかるな。
あの森に封印されてる悪魔たちは、この世界を侵略するためにやって来た軍勢だっていうもの。普通の召喚術で喚ばれる悪魔よりも、ずっと強い力を持ってるはずだから……」
サプレスの召喚師だというルウだからこそ、よりはっきりと理解できるのだろう。初心者とはいえ同じくサプレスの術を扱うは、こめかみのあたりに手をやって俯いていた。
「あのさ、そのことなんだけど……」
「詳しく教えてくれないかしら」
至極真面目な顔をして、マグナとトリスが言った。
「え、ちょっと。マグナもトリスも、本当に知らないの?」
「「うん、ちっとも」」
見事に重なった返事に、ミニスは深いため息をついた。普段のネスティの苦労を痛感しているのだろうか。
「ていうか、トリス。あんたの部屋の本に載ってたじゃん。読んでないの?」
「あれ、そうだったっけ??」
「おねえちゃん……」
の言葉に、トリスはきょとんと首をかしげた。ハサハの耳がくたりと垂れているのは、目の錯覚ではないだろう。
「はぁ、呆れた……」
「まぁそう言うなって。俺やお前だって、知ってるのはおとぎ話くらいだろ?」
フォルテが苦笑してフォローした。
しかしミニスにしてみれば、仮にも召喚師が、子供でも知っているようなおとぎ話とはいえ、外界からの侵略者についての伝承を欠片も知らないなどという状態に歯がゆさと不甲斐なさを感じるのだろう。
「ショウとかレナードの旦那とか、知らない奴も結構いるわけだし。
ここはひとつ、アフラーン家に伝わってる本場もんのヤツを聞かせてもらおうじゃねーか」
「本場もんって、あんたねえ……」
にかっと笑ったフォルテの提案は良いものに聞こえるのだが、何故か言い回しが微妙な気がしてならない。ケイナが深くため息をついた。
「ルウもおばあさまから聞かされただけだから、そんなに詳しくはないんだけど……
ずっとずっと昔から、リィンバウムは異世界からやって来る敵たちに侵略されていたの。人間はまだ召喚術を知らなくて、強大な敵の力になす術もなく滅ぼされそうになったわ。
でも、異世界から来たのは敵だけじゃなかった。味方もいたのよ。
サプレスの天使たちや、シルターンの龍神たち。
彼らは宿敵である悪魔や荒ぶる鬼神たちと戦うために、人間達に協力してくれたの」
「協力って、誓約とかじゃなくて?」
マグナが尋ねると、ルウは頷いた。
「信じられない……」
驚愕と、ある種の感動を交えたミニスが感嘆の声を零した。
「うん、今からじゃとても考えられないことだとルウも思うよ。でも、本当の話なの。
彼らは自分達の意思で、リィンバウムと人間たちを助けてくれた。対等の友人としてね。
でも……」
ルウは僅かに顔を曇らせた。
「それが失われたのは、人間が召喚術という力におぼれたから」
「どうして?」
「召喚師のキミなら、わかってるはずだよ。
召喚術は誓約によって対象に命令を与えて、支配するものでしょ?」
不思議に思ったのかそれをすぐに尋ねたトリスだったが、ルウの苦笑まじりの言葉に、ハッと目を丸くした。
「“対等の友人”のすることじゃねえよな、そりゃあ」
フォルテが渋い顔でため息をついた。
「天使も龍神も、次々とリィンバウムを去っていってしまった。
彼らの助力をなくした人間達を、悪魔たちが見逃すはずはない。
狡猾な大悪魔のひとりが軍勢を率いて、総攻撃を仕掛けてきたの」
「それが、あの森の悪魔たちなのね」
納得したようにケイナが呟いた。
「で、戦はどうなったのでござるか!?」
カザミネが息巻いてルウに詰め寄った。剣幕に多少気圧されたが、息を整えて、ルウは続きを話し始めた。
「そのままだったら人間が負けていたでしょう。
だけど、たったひとりだけ……それでも人間を助けてくれた天使がいたの。
それが――豊穣の天使、アルミネ」
「――ッ!!」
ふいに頭を駆け抜けていった痛みに、は顔をしかめて頭を押さえた。
しかしルウの話に聞き入っている仲間達は、輪の外に僅かに外れた場所に座っているの様子に気付いた風はなかった。
「その天使は大悪魔に一騎討ちを挑んで、自分の命と引き換えに結界を張って、大悪魔とその軍勢を封じたと伝わってるわ」
――チガウ……!――
「……!?」
どこからか聞こえてきた声に、は痛む頭を押さえながら顔を上げ、辺りを見回す。
しかし感じたと思った気配はすぐに消えうせた。
(気のせい、か……? 頭痛のせいで神経質になってるだけか)
じりじりと胸の奥で渦巻く感覚は消えないが、それでもは無理やり自分を納得させた。
「アルミネ……だから“アルミネスの森”か」
ぽつりとショウが呟いた。
「おとぎ話じゃ、そこまで詳しくなかったわ。森や天使の名前なんて書いてなかったし」
「まあ、おとぎ話ってのはそういうもんだ。子供向けだからな」
感心したようなミニスに、レナードが言った。
「ネスティが不安がるのも、なんかわかったような気がするよ。そんなにすごいのが封印されてるならさ」
モーリンが軽く身震いした。
「心配しないで。キミたちの案内役は、ルウがしてあげるから」
ルウの言葉に、一同の驚いた視線が集まる。
「え、でも……」
「ほっとけないでしょ。キミたちだけであの森をうろつかせるなんて、心配でしかたないしね」
躊躇ったようにトリスが口を開くと、ルウは悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
「それに……あの子に余計な不安を与えたの、ルウだもの」
笑みは、一転して寂しさを交えた自嘲気味なものへと変わる。
彼女は彼女なりに、アメルへ告げたことに対して責任を感じるのだろう。
「……わかった。じゃあ、お願いするよ」
決意を感じ取ってか、マグナが力強く頷いた。
* * *
「あ、いたいた」
ルウの家から少し離れた木々の合間。
突然ひょっこりと顔を出したに、ネスティは心臓が跳ね上がるのを感じた。
すぐに表情を厳しいものへと作り変え、低く押し殺した声で尋ねる。
「……何しに来たんだ?」
「様子見に」
気圧される様子もなく、はけろりとした顔で言ってみせた。
「……予想、当たっちゃったね」
「ああ」
ぽつりとが言うと、ネスティも一言だけを呟いた。
「本当に、昔っからいつもなんだよな。嫌な予感ばっかり的中するの。
こうあってほしいと思うことは、何ひとつ叶わないくせにさ」
なんてことのない調子のの言葉は、それでもどこか自嘲気味で、哀しさを含んでいる。
「あぁ、ネスティがそんな顔することないのに」
つられて表情を曇らせていたのだろうか。高い位置にあるネスティの顔を覗き込むようにして、は苦笑していた。
「私の運がないのは前からなんだから、ネスティはそんな顔しなくていいの」
手を伸ばして、はネスティの眉間に指を当てる。そこに寄った皺を伸ばすように軽く擦った。
突然のことにネスティは一瞬呆気にとられたが、顔に触れているの細い指の感触に、顔を真っ赤にして後ずさった。
「な、き、君はいきなり何を……ッ!!」
「皺寄せてばっかりだと、直らなくなるって言わない? 私のせいで皺寄せちゃってるなら、私が直したほうがいいかなって」
「わけがわからないぞ、その理屈は」
呆れ顔でネスティがため息をついた。なんだか、彼女の心配をするのがばからしくなってきてしまう。
当のはそんなネスティの様子を見て面白そうに笑っている。それがさらにネスティの脱力具合を助長させていた。
「結界、か……どのくらい強力なものなんだろうね」
ふいに、それまでの雰囲気から一転して重さを含んだ声で呟きながら、は森の方へと視線を送る。
「もう、ずっと昔に張られたものなんでしょ? 維持させてるって感じもないし。いつ限界がくるかもわからないわけだから……」
「君にしては珍しく弱気だな」
何気なく――本当に、何の気もなしにネスティは率直に感想を口にした。
しかし返ってきたのは、頼りないの微笑だった。
「私だって、不安になることくらいあるよ」
そこにいたのは、前向きな召喚師でも、迷いのない刃を振るう剣士でもなかった。
いつだったかネスティだけが見た、儚い少女としての。
「……すまない、そんなつもりじゃなかったんだが」
「いいよ、気にしないで」
謝罪を口にしたネスティに、は傷ついた風もなく手をひらひらさせた。
「でも、覚えておいて。
生きているものである限り、完璧な存在なんてありえないんだ。どんなときだって、不器用でもなんとか乗り切っていくしかない。
それは、誰だって例外じゃないんだよ。私も、ネスティも」
静かなの言葉は、ネスティに向けて話しているようでいて、まるで己自信に言い聞かせているように、ネスティの目には映った。
「ああ、肝に銘じておくよ」
敢えて気付かないふりをして、ネスティはの頭に手を載せた。
その手は、の手に包まれた。
「ネスティの手、ひんやりしてて気持ちいいー」
気付けば、頭に載せた手を両手で掴まれ、額まで下げられていた。
掌に滑らかな額が押し当てられ、ネスティは頬を赤く染めたが、ふと違和感に気付いた。
へらりと笑うの額は、こころもち熱く感じる。
「少し熱いぞ……熱があるのか?」
「ううん、普通」
否定しながら、はネスティの掌を今度はこめかみに押し当てる。
「ただ、時々ちょっと頭が痛くなるだけ。病気とか疲れって感じじゃないから、大丈夫だよ」
「――君はバカか! 症状が出始めているなら、おとなしくしていろ!」
「ネスティ、声大きいよ……」
うー、とが唸る声で、ネスティは“症状”が頭痛だったことを失念していた自分に気付いた。
「だいじょぶ。これ……たぶん、嫌な予感と重なってるだけだと思うから」
苦い顔のまま、はふたたび森を見据える。
「“アルミネスの森”か……
天使の結界とやらが、どこまで信用できるものなのかね……」
まだ痛むらしい頭に触れさせられていた手から、ネスティはの苦しみと悪寒を、少しだけ感じ取ったような気がした。