呼びかけに応じてはいけない。
差し出された手をとってはいけない。
進んだ先に見えるもの。
そこに何があっても、前に進める覚悟がないのなら。
Another Name For Life
第55話 Sympathy
ファナンの街に買い出しに行っていたマグナとトリスが戻ってきた。
アメルもなんとか外に出られるようになったので、準備を整えた一行はルウの案内のもと森の奥へと入っていった。
「ここが封印の森……」
普通の森とは違う雰囲気を感じとったのだろう。トリスは服の胸元をぎゅっと掴みながら、生い茂る木々を見上げた。
「改めて近くで見ると、つくづくでっかいもんだねぇ。これだけ広い森、どうやって調べてくんだい?」
「森の外周をぐるっと廻って行くつもり」
モーリンの質問に、ルウは即座に答えた。
「結界の内側には人が入ることはできないから、村があるとすればその辺りしかないと思うの」
「無難だな。下手に結界とやらに近づかなけりゃ、面倒も避けられるだろうし」
フォルテが満足そうに頷いた。
「これだけ深い森だ。用心のためにも、何人かで固まって動くようにしたほうがいい」
森で育ったリューグの言葉には説得力があった。皆同意して、それぞれで集団を作り、歩き出した。
* * *
「大丈夫か、?」
「ん……」
ネスティに尋ねられ、は頭を押さえたまま曖昧な返事をした。
先程よりもずっと頭痛が酷くなっているのだろう。ちらりと向けられた目は、ぼんやりと濁っている。
「だから僕はルウの家で休んでいろと言ったのに……」
仲間達から離れて独りで歩いているネスティのそばに、はやって来た。
体調が悪いのは知っていたし、顔色が良くない彼女にネスティは戻って休むように言った。しかしは黙って首を振り、ネスティの隣を歩く。どこかおぼつかない足どりのを放っておけず、ネスティは歩調を落とし続けた。
そうしているうちに他の仲間はどんどん先へ進んでしまったらしく、辺りは静寂に支配されていた。
の足が、止まった。
少し先まで歩いてしまったネスティは、のところへ引き返す。
額に脂汗を滲ませて顔を歪めるの肩に、ネスティはそっと手を添える。
「やっぱり少し休め。そこまで歩けるか?」
支えるように肩を抱いて促すと、はおとなしく従った。手近な木の陰まで連れて行くと、は幹に身体を預けて大きく息をついた。ネスティも同じ幹のすぐ隣に寄りかかる。
「座ったほうがいいんじゃ……」
すぐそばの大きな石を指してネスティが尋ねるが、は手をひらひらと振って断った。首を振って頭が揺れるのも辛いのだろう。
「ネスティ……行っていいよ」
今ならまだ仲間達と合流しようと思えばできるかもしれないと、は言いたいのだろう。
「……君はバカか? こんな状態の君を置いて行けるものか」
ため息混じりに呟いた言葉は、少しばかり棘があっただろうかと、口に出してからネスティは不安に駆られた。
「ありがと……ごめんね」
それでもは、ぎこちなく笑顔を浮かべてくれた。
――ふいに、がネスティに身を寄せた。
「な……っ!?」
幹に身体を押し付けるようにぎゅっと密着されて、ネスティは狼狽する。思わず声を上げてしまいそうになった唇に、の指先がそっと触れた。
「黙って」
が少しだけ背伸びをして、ネスティの耳元で囁きかける。少しだけ掠れた声に、心臓が早鐘を打つ。
しかしネスティの顔を覗き込むように見上げるの瞳は、甘い雰囲気を感じさせるものではない。まるで戦いの場に立ったときのような鋭い光を宿した真剣なものだった。
すぐにネスティも警戒をしようとしたものの、押さえつけられている状態では、色々な意味でどうしようもない。
「呼吸、私に合わせて……力を抜いて」
こんな状況でどうしろというんだと内心で文句を浮かべつつ、それでもなんとかネスティは言われたとおりに呼吸を整えて、のそれと同調させる。
耳に痛すぎるほどの沈黙が続いたのは、一瞬だったか、それとももっと永いものだったのか。
「――そこにいるのは誰だ!?」
がネスティから僅かに身を離して、木々の入り組んだ方に鋭い声を飛ばす。
「出てこないならこっちから行くぞ!」
様子を見るつもりを感じさせないほどに、ほとんど間髪を入れずには警告を投げかける。左手は既に剣の鞘に添えられていた。
「わ、わっ……待ってくれよ! 俺だよっ!!」
がさがさという音と共に飛び出してきたのは、慌てた様子のマグナだった。
「ま、マグナ……?」
仲間の姿を認めて、は拍子抜けしたように目を瞬かせた。
すぐ後ろに、バルレルとレオルドも控えている。
「ちょっと後ろ振り返ってみたらネスももいないから、心配になって戻ってきたんだよ!」
憤慨するようにマグナはむくれた。心なしか顔が赤いのは、怒りからだろうか。
「メガネよぉ、悪魔の恐ろしさがどうこう言ってた割に、けっこうちゃっかりしてやがるじゃねえか。けけけ」
にやっとバルレルが意地の悪い笑みを浮かべる。
そこで初めて、ネスティは自分のおかれている状況を再認識した。
とふたり、幹に寄りかかっている。
しかも、縋りついているように密着した状態で。
おまけに、ネスティの肩には、の右手が寄り添うように触れている。
途端にネスティは顔を耳まで真っ赤に染め上げた。
「ち、違……誤解だ! これは……!!」
マグナが顔を紅くしていたのも、あるいはこれが原因だったのかもしれない。
慌てての身体を引き離すと、の身体はぐらりと傾いだ。そのまま後ろに倒れこみそうになったのを慌てて支えて、事なきを得る。
様子を見に来たのが、マグナでよかった。
これがトリスだったなら、きっとバルレルと組んでからかい倒すに決まっている。
「マグナ達だったのかぁ……」
一方は、眉を寄せて難しい顔でため息をついていた。
「珍シイデスネ。殿ガ敵味方ノ識別ヲ誤ルトハ」
「気配があるのは気付いたんだけどね……」
腕組みをして唸ると話すレオルドの言葉を聞いて、ネスティは一連のの行動の意味を悟った。
「神経過敏になってるだけなのか、それとも本当に誰かいるのか、区別がつかなかったんだよね。だからネスティに呼吸合わせてもらって、ネスティの分の気配は抑えられたんだけど……
不調気味とはいえ、敵か味方かの区別までつかなくなるなんてなぁ……」
そこまで重症なのかなぁと、はうなだれる。張り詰めていた感覚がなくなった途端に頭痛も再発したのか、こめかみの辺りをぐいぐいと揉み解していた。
「そういえば、アメルどうしてる?」
ふと思い出したようにはマグナに尋ねた。
「トリスとショウがついてる。まだちょっと元気なかったみたいだけど、二人に任せてこっちに来たんだ」
答えたマグナの顔には、彼らへの信頼が浮かべられている。
「そっか、なら大丈夫だね」
微笑を浮かべたにも、同じ色があった。
「それより、いつまでもここにいるわけにはいかないな。みんなと合流しよう。
レオルドは索敵とナビをお願い」
指示を出しながら、は歩き出した。先程までのふらついた足どりではなく、しっかりと前に進んでいる。
マグナ達がいるから、心配をかけたくないと思っているのだろうか。先程までの苦しそうな様子が目に焼きついているネスティとしては、無理をさせたくなかった。しかし、のことだから無理をするなと言っても聞き入れはしないだろう。
「……つらかったら、すぐに言うんだぞ」
だから、ぽつりとに聞こえる程度の声で、彼女に囁きかける。
「……わかった」
も、小さく頷いた。
* * *
遅れていた達が、仲間達の姿をとらえた。彼らは足を止めて、辺りの様子をうかがっている。
それを見て、ネスティは彼らもマグナと同様に、はぐれた自分達に気付いて待っていたのかと考えた。しかしどうやら違うらしい。
「おっかしいなぁ……」
ルウが腕組みをして唸っている。
「何がだい?」
「なんかね、森の様子が違うのよ。いつもなら獣とかに出くわすこともあるんだけど」
モーリンに尋ねられて、ルウは周囲を見回しながら答えた。
「そういや、鳥の鳴き声ひとつしてねえな」
リューグも不審そうに眉を寄せて空を仰ぐ。
たしかに、たまに風が吹くのか梢の音は時折耳に入ってくるが、生物の気配や音というものはまるで感じられない。
ふとネスティは先程と二人でいた時の事を思い出した。あの時は気にも留めていなかったが、森の中にいるとは思えないほどの静けさは、あまりに不自然なものではなかっただろうか。
ちょうど、今のように。
ふいに、その静寂の中から、かすかに音が生まれたような気がした。
「ねえ……何か聞こえない?」
ミニスが恐る恐る周りに尋ねた。
確かに、耳鳴りのような高い音が聞こえる。少しずつ、確実に大きくなっていくその音に、ネスティは顔をしかめた。
「本当だ……何だ、これ?」
「ボ、ボクには何も聞こえませんけど……」
ショウも眉を寄せていたが、レシィはそんな主人の様子におろおろと戸惑っている。
「ううん……確かに森の奥から聞こえてくる……!」
だんだん大きくなってゆく音が耳障りなのか、トリスの声は心なしか苦しそうなものに変わっていた。
「おいおい、お前らしっかりしろって」
「ちょっと! あんたまさか、こんなにうるさい音が聞こえないっていうの!?」
不審そうなフォルテの言葉にケイナが驚く。見回してみれば、音が聞こえている者とそうでない者がいるようだ。
ルウがハッと息を呑んだ。
「結界だわ……森の結界が何かに反応して、こんな音を立ててるんだわ!」
聞こえる者と、聞こえない者。
そして、森の結界。
それらが符合して、ネスティの中ではっきりと答えが浮かび上がった。
「魔力の共鳴だ……!
それを僕たち召喚師の感覚が、こんな異音として捉えたんだ!」
話している間にも、音の効力は増していく。それだけ、共鳴が強くなっているということだろう。
「ううっ……頭が、割れそう……!」
ミニスが頭を押さえてうずくまった。
「おい! こいつはガキにはきついぞ!!」
サプレスの者ゆえか魔力を強く感知できるバルレルが声を荒げた。珍しい彼の慌てようは、今の状況が危険だということを知らせる。
「みんな急いでここから離れて!
こんなことルウも初めてなの……何が起こるかわからないよ!!」
案内役のルウが不安の混じった声で叫んだが、この場にいる者の半数以上が共鳴音に苦しめられている現状では、身動きがままならない。
「ミニス! しっかりしなってば!!」
「う……」
モーリンが呼びかけるが、ミニスはうずくまったまま動けない。
そのミニスのそばに、リューグが膝をついた。
「こいつは俺が見る。あんたは他の女連中を!」
突然の申し出にモーリンは驚いたのか一瞬言葉を失ったが、リューグの瞳に宿る光を見て、はっきり頷いた。
「、大丈夫かっ!?」
ネスティの隣にいるは、頭を抱えて苦しそうに顔を歪めている。
ミニスと違ってうずくまってはいないものの、立っていられるのが不思議なくらい弱っているのが見て取れる。普段の彼女ならここまで弱りはしなかったのだろうけれど、頭痛が辛いところに共鳴の音波を浴びてしまっては、ひとたまりもない。
ネスティの呼びかけになんとか顔を上げれば、ふらりとバランスを崩してしまった。とっさに支えると、腕をぐっと掴まれる。触れている腕から、身体が小さく震えているのが伝わってきた。
一刻も早くこの場から連れ去ってやりたかったが、ネスティも音の影響は受けている。思うように動かない自分の身体が恨めしかった。
「さあアメル、早く……!」
呆けたように虚ろな表情で森の奥を見つめているアメルへと声をかけるトリスも、心なしか辛そうだった。
しかしアメルは、そんなトリスに手を引かれているのにも気付かず、根でも張ったかのようにその場に立ち尽くして動かない。
「…………呼んでいる……」
ぽつりと、アメルの唇から言葉か零れた。
「この森、あたしは知ってる……
呼びかけてくれたから、思い出せた……」
アメルの身体から、光が零れだす。
かつてスルゼン砦で見たものと同質の光が、少しずつ溢れてゆく。
「あたしは……この森を知ってる……!」
光に呼応するように、大気が震えた。
「だめだ……」
支えているが呟いた。
ネスティがそちらへと目を向ければ、は真っ青な顔でアメルを凝視していた。
「下がれアメル! そこから離れろ!!」
の叫びに、ネスティも我に返る。結界の共鳴が、アメルから生み出された光の出現によって、今までにないほど強力なものになっているのに、今さらながら気がついた。
しかし、熱に浮かされたようなアメルには、の声は届いていないようだった。
「マグナ、トリス! いや、誰でもいい!
アメルをそこから下がらせろ!!
もう結界がもたない!!!」
もし結界を視覚できる者がいたなら、張り巡らされた結界に亀裂でも見られたかもしれない。
おそらくは、綻びかけた結界の亀裂を感知して叫んだのだろう。
彼女の言葉に応えるように、マグナとトリスがアメルを後退させた。
しかし。
光が弾ける。
何かが爆発するように、震える空気が駆け抜けていくのを感じた。
眩しさに固く閉じていた瞳を恐る恐る開くと、そこには。
「グルォォオオーッ!!」
地の底から響き渡るような雄叫びを上げる異形の者たちが姿を現していた。
「こいつらって、まさか……」
「結界の中に封じられてた、悪魔の軍勢……!?」
蒼ざめたマグナとトリスが顔を合わせる。
「あ、あたし……そんな、どうして……!?」
正気を取り戻したらしいアメルは、双子召喚師よりもさらに蒼白の顔色で震えていた。
「ヨクも……よクモ我らヲ、コノ地に縛リ続けてクレたナァァァ!!」
まるで呪詛のような、怒りと怨みで満ちた声が悪魔達から紡がれる。
「こロスうぅゥゥゥ!
殺しテヤるゥゥぅぅぅっ!!!」
叫びと共に襲い掛かる得物は、呆然と立ち尽くしていたアメルを狙う。
とっさのことに、マグナもトリスも反応が遅れた。
「っ!!」
鋭い金属音が響いた。
アメルを貫かんとしていた槍は、彼女のすぐそばの地面に突き刺さる。
「大丈夫か?」
「、さん……」
大きな穂先をもつ槍を切り払ったのは、先程までぐったりとしていたはずのだった。いつの間にネスティの腕から抜け出していたのだろうか。手にはしっかりと剣が握られている。
「話はあとだ!
トリス、アメルを連れて下がれ!」
指示を出しながら剣を構え直すの顔には、弱った雰囲気はまるでない。
いつもの戦いの場の――むしろそれ以上の厳しさがぴりぴりと伝わってくる。
いつになく気迫を感じるの姿に何故か胸騒ぎのようなものを感じながら、ネスティも杖を構えた。