ぞろぞろと姿を現す悪魔の群れを見たときに、心の奥がざわつくのを感じた。
その深淵より湧き上がってくる感情は、知っている。
怒りでも、恐怖でもない。
しいて名をあげるなら、“憎悪”。
なぜ、見知らぬ連中にそんなものを抱いたのかはわからない。
ただわかることは、その感情が自分ではない別の“誰か”のものだということ。
それを自覚している、ひどく冷静な自分がいるということ。
そして煮えたぎる心の中でわずかに煌いたのは、ひとかけらの“哀しみ”だった。
Another Name For Life
第56話 心の海より生まれるモノ
気がつけば、は抜いたままで手にぶら下げていた剣の柄を握り締めていた。
巻きつけてある革がぎちぎちと軋んだ音を立てる。
すぐ隣にいたマグナあたりには、聞こえているかもしれない。
自身は、悪魔達に対してさしたる感情を持たない。
だからこそ、湧き上がる感情を抑える術がなかった。
ほとんど自分の意思とは関係なく、の足は駆け出していた。
ひとり突進してきた命知らずに、当然ながら悪魔達は狙いを定めてくる。
一見人間の女性に近い姿をした悪魔達は、得物を手に一斉に踊りかかった。
しかし。
「やぁっ!!」
荒い気合の声と共に薙ぎ払った剣が、異形の者達の身体を引き裂いた。
「ギャアァァァ!!」
断末魔の悲鳴を上げて、数体の悪魔が事切れる。
くずおれる悪魔を見つめる自分の瞳は、どこまでも冷え切っていたかもしれない。
その瞳のままで、さらに奥にいる悪魔達へと視線を向ける。
敵だけでなく味方にも、戦慄が走るのを感じた。
それでも、さすがに悪魔というべきか。
異形の者達は、態勢を立て直して向かってくる。
仲間の方はといえば、呆然と立ち尽くしているのか動きがない。
そうなれば必然的に、前に突出したままのが標的になるだろう。
先程よりも鋭い動作で、剣や槍が襲い掛かってくる。
これをすべてかわすのはさすがに不可能だろう。身に降りかかる痛みを予想して、はぐっと歯を食いしばった。
刃の衝撃の代わりにやってきたのは、一陣の旋風だった。
巻き起こる風にあおられて、攻撃を仕掛けるために不安定な体勢だった悪魔達は吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
が振り返ると、ネスティが風を起こす召喚獣のウィンゲイルを送還しているのが目に入った。
サモナイト石を懐にしまいながら、ネスティはつかつかと歩み寄り、のすぐ傍まで来て立ち止まった。
すぅ、と息を吸い込んで。
「――君はバカかっ!?」
……至近距離で大音量。
「むやみに突っ走るなと何度言わせれば気が済むんだ!!
見ているこっちの方が寿命が縮むんだぞ!」
そして戦闘中にも拘らず、最前列でお説教。
「え、あ……うん、ごめん」
「本当に反省しているのか君は!?」
疑わしいと言いたげに、ネスティはじろりとを睨みつける。
呆れるくらい、いつもどおりだ。
「うん、してる。ほんとにごめんね」
だからも、いつもどおりの笑顔を浮かべられた。
自分のものではない、誰かの感情は、いつの間にか静まっている。
「こら、お前ら! 真面目に戦えー!」
前進しながら符を数枚抜き出したショウががなる。
「わかってる!」
も返事をしながら、剣を構えなおす。ネスティよりも数歩前に立ち、後衛の召喚師である彼を守る位置に陣取った。
「ネスティ」
やがて広がりだした戦の喧騒に紛れながら、はネスティの名を呼んだ。
かえってきた小さな返事は、喧騒の中でもはっきり聞こえる。
「……ありがと」
振り返らずに、伝えた。
そのまま、敵陣へと駆けて行く。
ネスティがどんな反応をしているのかは、あえて気にしないことにして。
* * *
最初に現れた悪魔は全て退治することが出来たが、すぐに別の悪魔が森の中から姿を現してきた。倒しても倒しても、きりがない。
「マグナ殿、トリス殿! ここはひとまず逃げの一手でござるぞ!」
カザミネの言葉に、双子の召喚師は頷いた。
「わかった! みんな、なんとか逃げ出そう!」
「合図をしたら、それぞれ違う方角に別れて逃げ出して!」
「落ち合う場所はどうする?」
「ルウの家でいいわ! あそこだったら、悪魔も簡単に近づけないし」
レナードの問いかけにはルウが答えた。
「よし……今だッ!!」
マグナが吼えると、仲間達は散り散りに森へと逃げ込んだ。
* * *
後方から追いかけてきた悪魔をが銃で撃ち倒したとき、同行していたマグナとネスティは、それぞれ荒い息遣いのままで苦い顔をしていた。
「なんで……どうして、こんなことになったんだよ!」
置かれている状況の不条理さと、積もりに積もった疲労は、マグナの心をささくれ立たせるには充分すぎたのだろう。誰にともなく呟いた言葉は、吐き出されるにつれて荒いものになる。
そして、持て余した負の感情をぶつけることのできる相手は、すぐそばにいた。
「なあ、ネス……
ひょっとして、ネスはこうなるって事わかってたんじゃないのか?」
ネスティは答えない。マグナは眉をつり上げ叫んだ。
「ネスっ!!」
「……ああそうさ、予想してなかったわけじゃない!!」
対するネスティの声も、自然と荒げられる。
「けどな、僕だって彼女がそのきっかけになるなんて思いもしなかったんだ!
こんな形で関わることになるなんて……!」
いつの間にか、駆けていた足は止まっていた。
絞り出すようなネスティの言葉は、その場に引き止められるだけの力を持っている。
後悔と苦悩の浮かぶネスティの顔を見て、マグナは僅かにたじろいだ。
「でも……だったら、どうして止めてくれなかったんだよ!」
「――止めたら、ここには来なかったのか?」
ぽつりとが呟くと、マグナは目を見開いた。
「危険だから森に入るな。解けるかもしれないから結界に近づくな。
そう言っていれば、あんたたちはそれに従ったのか?
――無駄だろう。
あんたたちは、アメルは、真実を見るためにこの森に来た。
見極めるまでは帰らないと、心に決めていたはずだ。誰が止めたとしても、聞き入れるつもりなんてなかったんだろう?
どんなものにだって、絶対なんて存在しないんだ。
結界が張ってあったとしても、破れない保証なんてない。
ネスティはちゃんと警告をしていたさ。
でも、危険だと承知でここに来たのは、他でもないあんた達だ。
なら、それはもうあんたたちの責任であって、ネスティを責めるのは筋違いなんじゃないのか?」
静かに告げれば、唇を噛み締めて黙り込むマグナの姿が目に入る。
「もっともネスティにだって、非がないとは言えないけど。
どうしてもここに来たくなかったのなら、実力行使してでも止めるべきだったんだ。
全力でかかれば、止めるのは不可能じゃなかったはずなんだから」
ネスティも言葉に詰まった様子で、苦い顔を俯かせた。
重苦しい沈黙は、地の底から響くような叫び声によって破られた。
「逃ガすモノかぁァァ!!」
ハッとそちらに顔を向けると、数体の悪魔がごく近くまで迫ってきている。
「許サヌ……忌々シき召喚師ドモ!!
調律者の一族メェぇぇ!!!」
「ロウ、ラー……?」
悪魔の言葉を、は知らず知らずのうちに反芻していた。
途端に、鋭い耳鳴りが聴覚を支配する。
「ぐ……っ!」
割れるように頭が痛んで、は頭をおさえてうずくまった。
――……ス…………丈夫?
――ああ…………な。
――調律者なんて……ても、普…………と何も………………のにね……
……………………私だっ…………られたら……って……
――……リア……
――ねえ、…………
たと…………っても…………
あなたは……私の大切な…………………………
「――っ!!!」
悲痛なネスティの叫びが、彼方へと流されていたの感覚を現実へと引き戻した。
顔を上げれば、悪魔が自分の脳天に向かって槍を振り下ろそうとしている。
「死ネェェェ!!」
回避しようにも、身体が動かない。
頭の中が、真っ白になる。
死を覚悟したに届いたのは、痛みでも衝撃でもなく、何か重いものが弾かれる鈍い音だった。
我に返って視線をめぐらせれば、視界に紅が広がる。
「深紅の……機械兵士……」
呟いたのは、ネスティだった。
シルエットはどことなく“黒の旅団”のゼルフィルドに似ている。系統が似通っているのかもしれない。
「型式番号SG216EX、すぺしゃるなんばーず……
マサカ、伝説ノ……!?」
珍しく驚愕を露わにしたレオルドの声が響いた。
たちを庇う様に佇んでいるその機械兵士は、振り向くことなく言葉を紡いだ。
「しーるどヲ展開スル。対衝撃ノ準備ヲ。
我ガ主人ノ召喚術ガ発動シマス!」
最後の警告に合わせたかのように、静かな声がたちの後ろから聞こえてきた。
そこにいたのは、まだ幼さの残る顔立ちの少年だった。
「機界の探求者エルジン=ノイラームが指令する。
速やかに実行せよ……」
詠唱は魔力の高まりを生み出すと、異界への扉を開く。
エルジンという名の少年が喚び出したのは、普段ではまず目にすることがないような、強大な力を持った機界の召喚獣。
「行っけぇぇー!!」
悪魔の群れを指しながらエルジンが吼えると、召喚獣は主の命令を受け、光を放った。
機械兵士の張ったシールドの向こう側で、悪魔達が断末魔の悲鳴を上げて次々と倒れてゆく。
「すごい、一撃で……!」
「なんて魔力だ……!」
同じ機属性の召喚師であるマグナとネスティは、息を呑んでいた。
役目を終えた召喚獣を送還し、エルジンは機械兵士に呼びかける。
「エスガルドは残った敵をお願い。ここは僕が引き受けるから」
「了解シタ!」
短く答えて、機械兵士エスガルドは森の奥へと歩を進める。
後ろ姿を見送ってから、エルジンは改めてたちに向き直った。
「さてと……おねえさんたち、大丈夫?」
エルジンは座り込んだままのに顔を向けながら尋ねた。
頷いて、はゆっくりと立ち上がる。
「おかげさまでね。ええと……?」
「僕はエルジン=ノイラーム。そっちのおにいさん達と同じ、蒼の派閥にいた召喚師」
屈託のない笑顔を浮かべながら、エルジンは言った。
「でも今は、エルゴの守護者の一人。“機界の探求者”って呼ばれてるんだ」
エルジンの口から出た言葉に、ネスティが目を見開いた。
「エルゴの守護者!? 君が、あの……!?」
ネスティとは対照的にマグナやが首をかしげていると、エルジンが何かに気付いたように顔を上げた。
「どうやらカイナおねえちゃん、うまく結界を修理してくれたみたいだね」
その言葉に合わせるかのように木々の陰から姿を現した女性に、エルジンは明るく声をかける。
「カイナおねえちゃーん、お疲れさまー!」
「ふう……なんとか最悪の事態は避けられましたね」
あの悪魔を封じていた結界を修理したというのだから、消耗したのだろう。息をつきつつも、カイナと呼ばれた女性はエルジンに笑顔を向けた。
ふわりと微笑むその面立ちに、は何故か見覚えがあるような気がした。
「……あら?」
エルジンのそばに立つ見慣れない人物達の姿をとらえて、カイナはきょとんとした顔になる。年の頃は自分達と同じくらいだろうけれど、今の表情からはどこか幼さが感じられる。
「ああ、この人たちは悪魔に襲われてたんだ。僕とエスガルドで助けたんだよ」
「そうだったんですか……災難でしたね」
おっとりとした口調ながら、彼女からはこちらを労わる雰囲気が伝わってくる。
「もしや、貴女もエルゴの守護者では……?」
「ええ。カイナと申します」
恐る恐る尋ねたネスティの言葉に、カイナはあっさりと頷いた。
「信じられない……まさかこの目で見ることになるなんて……」
「なあネス、エルゴの守護者ってなんなんだ??」
話についていけないマグナが、多少不機嫌そうな顔をしながらネスティに尋ねた。
「詳しいお話は、あとで私の方からいたしますよ」
ふてくされた子供のような顔に苦笑しながらカイナが言うと、マグナはばつが悪そうに肩をすくめた。
「でも、その前に……」
カイナが森の方に視線を向けた。
「おぉーい、マグナー!! 無事かぁー!?」
フォルテの大きな怒鳴り声が聞こえてくる。
他にも何人か仲間が向かってきているらしく、静かだった森にざわめきが混じった。
カイナはにっこりと笑った。
「仲間の皆さんに、無事をお知らせするのが先ですね」
* * *
カイナの言葉に同意して、マグナたちは歩き出そうとした。
しかし、一歩足を踏み出した瞬間に、ふらりと力なくよろめいた人物に気付く。
「お、おい!」
「あ……ごめん」
すぐそばに立っていたネスティが支えたが、の顔色は先程よりも数段酷い。緊張の糸が切れたことで、今まで蓄積していた疲労と症状があふれ出してしまったのだろう。
「だいじょぶ、たいした事ないから……」
「君はバカか!? そんな言い訳が通じるわけないだろう!」
一人で歩き出そうとしたに、ネスティは怒りを通り越して呆れはててしまう。
深い深いため息をついてから、一言尋ねた。
「……歩けそうか?」
「なんとか」
やはり一言だけ返ってくるが、その言葉に信頼性などというものは欠片も存在しない。
それまで呆然とやりとりを眺めていたマグナが、ハッと我に返る。
「無理しちゃダメだよ、!」
「べつに、無理なんて……」
しかしマグナはの言葉を遮る。
「レオルド! を運んでやってくれ!」
「了解シマシタ、主殿」
「ちょ……!」
有無を言わさず、レオルドはをひょいと抱き上げた。
不満そうにネスティとマグナを見下ろしているに、ネスティはきっぱりと言い放った。
「君の『大丈夫』が一番信用ならないんだ。
いいから、おとなしく僕たちの言葉に従っておけ」
助けを求めるようにちらりとが視線をめぐらす。
しかし、その先にいたエルジンとカイナも同意するように頷いたものだから、はしぶしぶ引き下がるしかなかった。