笑顔を、守りたい。

 悲しい顔を、させたくないから。





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第2話  沈黙が与えたぬくもり






 イオスはルヴァイドに、助けた少女が目を覚ましたこと、何らかの事情で声が出なくなってしまっていること、そしてそのために少女について聞くことが出来ない、ということを報告した。
「せめて、我々にも読める文字を書くことが出来ればよかったんですが……」
「無いものねだりをしても仕方あるまい。あの娘が回復するのを待とう。
 しばらくはお前が面倒を見ていてくれ、イオス。
 もうしばらくは騒ぎにしたくないんだが……軍医に診せることも考えねばならんかもな」
「はっ」



* * *



 ひととおりの話を終え、イオスはルヴァイドのテントを後にした。
 自分のテントに戻り、中に入る。

 そこで一瞬、動きが止まった。



「…………何をしてるんだ…………??」



 テントを出るまではベッドに横になっていたはずのは、どういうわけかベッドの隅っこ(枕のない方)で膝を抱えて座っていた。
 膝に額をつけて俯いていたが、イオスが声をかけたことで顔を上げた。

 その顔は出て行く前のものよりも蒼ざめて、怯えきった表情をしていた。

 イオスが近づくと、泣きそうな顔で見上げてきた。

「肩の傷はまだまだ治らないんだ。ちゃんと寝ていないとダメだろう?」
 うずくまっているにそう声をかけ、横になるように促したが、は動こうとしない。
 無理矢理にでも寝かしつけてやれるならそうしたかったが、肩の怪我のせいで手荒に扱うことがためらわれる。イオスは困り果ててしまった。

「一体どうしたっていうんだ……?」

 相手が口を利けないということが、ここまで大変なことだとは思わなかった。

 このままこうしていても仕方が無い。
 とにかくを寝かせてやらないと、いつまで経っても怪我は治らないだろう。



「怖い夢でも、見たのか?」

 ここまで子供扱いしていいものかと少し悩んだが、他に思い当たることもなかったのでそう聞いてみた。



 は目を見開き、そしてすぐにイオスにしがみついた。

 肩が、小さく震えていた。





 実は、イオスの言ったとおり、『怖い夢』のせいで眠れなかったのだ。

 目を閉じると、気を失う間際の光景――屍と瓦礫が散乱し、血と火薬の匂いのする戦場で、骸の兵士が自分に向かってサーベルを振り上げてきた瞬間が浮かび上がってくるせいで。

 恐怖を打ち消す方法がわからなかった。どうすることもできなかった。

 こわくて、うずくまっているのが精一杯だった。





 の様子を見たイオスは、自分の言葉が当たっていたことを理解した。
 とにかく落ち着かせようと、軽く頭を撫でてやる。

「ちゃんと寝た方がいい。怪我がいつまでも治らないぞ。
 眠れるまで、ここにいるから」

 小さな子供をあやすようにそう言ってやると、の表情が少しやわらいだ。

 のろのろと、右肩をかばいながら横になる。
 イオスが毛布をかけてやった。



 は僅かに照れたような笑顔を浮かべ、口を動かす。

「ありがとう」と。



 聞こえなくてもいい。
 とにかく、感謝の気持ちを伝えたかったから。



 そのまま、イオスの手をきゅっと握って目を閉じる。
 しばらくすると、小さく寝息が聞こえ始めた。



 やっと眠ってくれたに、イオスは安堵の息をついた。

 同時に、掴んだまま離してくれそうにない手をどうしたものかと、頭を悩ますことになる。



* * *



 結局、は転がり込んでからまる1日経っても、声を出すことは出来なかった。
 仕方がないので、軍医に診せることにした。

 軍医がしばらくを診たあと、こう診断した。

「肩の傷、かなり治りが早いですね。隊長の応急処置が良かったんでしょうか?
 あと、声ですが……やはり精神的な、一時的なものと思われます。
 何かのきっかけでまた声が出せるようになるでしょう」

 最終的に話せるようになるのに必要なのは、『声を出したい』という患者の意思。
 だから、なるべく会話をするようにしてください、と言って軍医はイオスのテントを去った。

 ルヴァイドにの診断結果を報告すると、ルヴァイドはイオスをの世話役に任命した。

「本来なら誰か女に任せたほうがいいのかもしれんが、黒の旅団に女の兵士はいないからな。
 お前にもなついているようだし、適任だろう?」

 そんなことを言われて断れるはずもなく、ルヴァイドの言い回しにやや引っ掛かりを覚えつつも、それを承認した。



 そうして、イオスはの面倒を見ることになった。



* * *



 の肩の傷は、本当に治りが早かった。

 1ヶ月以上はかかると、最初の診断で言われたものが、それから3日でふさがってしまった。
 うっすらと残った傷も、そのうちに癒えていくだろう。

 ほどなくして、黒の旅団の駐屯地では、イオスの後ろにくっついて歩くの姿を見るようになった。
 隊長の後をついていく小さな少女の姿に、旅団員は微笑ましさを感じていた。

 言葉こそしゃべらないものの、話しかけるとイオスのかげに隠れながらも照れたように微笑んでくれる。
 その様子が可愛らしかった。

 いつしかは、旅団メンバー達の妹的存在のように扱われ始めていた。



 イオスはイオスで、自分にくっついてくる世話対象である少女に、最初は戸惑っていたものの、慣れてくると面倒の見かたもわかるようになってきた。
 時折自分や旅団員が話しかけると、きょとんとした顔をしたり微笑んだりする。

――小動物を連れてる気分だな……――

 失礼この上ないが的を得た考えが頭をよぎり、苦笑する。

 実際、小さくて動きもちょこちょこして、尚且つしゃべれないために表情で自分の意思を示すの世話は、ペットか何かを飼い始めたように感じさせられる。



 の笑顔は、心を温かくしてくれた。

 思わず、今回の行軍の目的さえ忘れてしまいそうなほどに。



 それでも、忘れるわけにはいかない。



 自分は軍人だ。
 上の命令は、絶対。

 例えそれが、己の手を汚すことであっても。
 己の心を、信念を曲げることになっても。



 の笑顔を見られなくなるかもしれない。

 それが、今のイオスにとっては辛いことだった。



* * *



 ルヴァイドに呼ばれ、イオスがルヴァイドのテントを訪れる。

 はついて来たがったが、任務の際にはテントで待っているようにと言っておいてあるので、今はイオスのテントの中でおとなしくしている。

「失礼します……
 ……!?」

 中に入ったとたん、イオスが顔をしかめる。

 そこには、彼の上司だけでなく、最も見たくない顔のひとつがあったから。



「こんにちは、イオスさん」

 にっこりと微笑む、長い銀髪の男。
 デグレアの、顧問召喚師。
 その笑顔には、どこか胡散臭さを感じずに入られなかった。

「……何の用だ」

 つっけんどんに尋ねても男は笑顔を崩さない。

「おやおや、随分とご挨拶ですねぇ。
 私はただ、上からの指令を伝えに来ただけですよ?」

 そう言ってから男は、視線をルヴァイドへと移す。



「命令の変更です。
 レルムの村の聖女を捕獲する際、村に火を放て、と」

「「!?」」



 男の言葉に、ルヴァイドもイオスも顔色を変える。
 機械兵士のゼルフィルドは、表情の違いこそ見た目ではわからないものの、戸惑いを感じていることが伺える。

「そんな……!!
 もともとは村に潜入して、聖女を捕獲してくるだけの作戦だったハズだ!!
 どういうことなんだ、レイム!!」

 イオスが声を荒げる。

「ですから、その作戦を変更する命令なのですよ。
 余計な邪魔が入らぬよう、村に火を放ち、その上で村人も殲滅せよとのことです」

 レイムと呼ばれた男が、涼しい顔で言い放つ。

「僕たちに……村人を皆殺しにしろと言うのか?」

 搾り出すようなイオスの声。

 当然だろう。
 武器も戦う術も持たぬ村人を殲滅すると言うことは、それはすなわち、無抵抗の者を皆殺しにすると言うこと。騎士として、軍人として、あるまじきことだ。



「よせ、イオス」

 ルヴァイドが、今にもレイムに殴りかかりそうなイオスを制す。

「ですが……!!」
「議会の命令は絶対だ。それを忘れてはいまい?」

 そう言われ、イオスは押し黙る。
 拳を握り締めて、噴き出しそうな感情を押さえつけた。

 そのままルヴァイドはレイムに向き直る。

「承知した。
 命令を、実行する。それがデグレアの騎士たる俺の為すべき事だ」
「ええ、では、議会の方へは私が伝えておきましょう」

「……用件は、それだけか?」

 早く帰れ。

 ルヴァイドが暗にそう言っているのが、明らかだった。
 このまま帰ってくれれば、の存在にも気づかれない。

 しかしそんな思いこそ裏切られるものなのである。



「いえ、もうひとつ。
 最近この旅団内に、“はぐれ”が紛れ込んだという噂を耳にしましてね」

 それを聞いて、イオスが凍りつく。

「何故、そんなことを……?」

「いえ、調査をと思いまして。もしかしたら“はぐれ”を装って侵入したスパイかもしれないという疑いもありますし……」

 訝しげに聞くルヴァイドにも、レイムの調子は崩れない。
 あくまで、物腰柔らかく。淡々と。

「そんなことはありえない!
 アイツは、周りに誰もいない状況で、何もない空間から僕の目の前に現れた!! その時のことはゼルフィルドも感知している!!
 召喚獣が召喚師の目の前に召喚されることは、召喚師のお前が一番よくわかっていることだろう!?」

 そこまで言って、イオスははっと、余計なことを言ってしまったと気づいた。
 これでは、少なくともが“ここ”に存在することを教えているようなものだ。
 イオスは自らの迂闊さを呪った。

「ほぅ……?
 なかなか、興味深いですね……」

――しまった……!――

 イオスの顔色がまともに悪くなる。
 このままを奴に会わせでもして、そのまま研究のためにと連れ去られでもしたら。

 考えるだけでぞっとした。

 この召喚師は、普通と違う気配がするから。
 こんな奴にを連れて行かれたら、それこそは心を完全に閉ざしてしまう。

 最初にテントで目を覚ましたときの、怯えた様子が脳裏に蘇ってくる。

 それだけは、見たくなかった。



 イオスの様子に、レイムはくすりと笑う。
 それから、ルヴァイドに向かって言った。

「まぁ、その“はぐれ”については次の機会でもよさそうですね。
 私は今から命令を伝えたことを報告しに行かねばなりませんし……」

 それでは、失礼します。

 レイムはぺこりと軽く一礼したあと、テントから出て行った。



 しばらくしてからイオスが、ルヴァイドに向かって頭を下げる。

「……申し訳ありませんでした、ルヴァイド様……」

 命令は絶対。
 そのことを忘れたことなどなかったのに、上からの命令を伝える男に対して放った言葉は、命令に背くと言っていいものだった。
 そんなことをすれば、自分の身どころか、上司であるルヴァイドの立場まで危うくしてしまうのに。

 彼が、小さな村の聖女の捕獲などと言う不本意な任務についている理由を、忘れたわけではないのに。

「……構わぬ。命令への服従は、これから示せばいいものだ」

 そう言うルヴァイドの顔も、どこか浮かない。

 心苦しさは、ルヴァイドとて充分に感じているのだろう。
 表に出したか、そうでないかという違いだけだ。

「それよりも、俺はあいつの方が心配だ」
「すみません、私の配慮が足りませんでした……」

 あいつ、とはのことである。
 未だに名前を知らないルヴァイドたちは彼女のことを呼ぶ単語が他に思いつかなかったのだ。
“はぐれ”などという言葉で済ませてしまいたくはなかったから。



「とりあえず今回は去ってくれたが……次は充分警戒しておかねばならないな……」

 は、ルヴァイドにとってもただの居候ではなかった。
 時々様子を見に行ってやると、はにかんだような笑顔を見せてくれる。
 部下が世話をしているが、旅団の責任者はルヴァイドであり、事実上の保護者なのだから、娘でも出来たかのような気分になる。

 とはいえ、小さく見えても絶対に10歳は超えているであろうの父親、という風に錯覚してしまうのは、少しばかり複雑な心境ではあるのだが。



「アイツの世話役はお前なんだ。
 お前が守ってやるんだぞ、イオス」

 ルヴァイドの言葉に、イオスも力強く頷いた。



 しかし、これからの任務を考えると、心が重くなった。

 あの子の笑顔が、消えてしまわなければいいのだけれど。







 レルムの村は、もうすぐそこまで。

 彼らの運命を変える出来事も。

UP: 03.10.08
更新: 05.08.15

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