紅が、支配する。
もう、あの子の笑顔は見られないかもしれない。
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第3話 差し伸べられた救いの手 前編
ルヴァイド率いる黒の旅団は、レルムの村付近にテントを張っていた。
今夜、彼らは村に火を放つ。
聖女を捕獲し、村人を殲滅するために。
イオスは気が重かった。
にはまだ、今夜の任務について話してはいなかった。
夜に任務で出かけるから、駐屯地で待っていろ、と。
一人残しておくことも心配だったが、任務の場に連れて行くわけには行かない。
一緒に残ろうかとも思ったが、はそれを承知しなかった。
ひとりでも大丈夫かと何度も念を押して聞くと、それに応えるように頷く。
本人が頑として聞かないのだから、イオスも承諾し、テントにを残していくことにした。
ちなみに、は世話役であるイオスのテントに住んでいる。
問題が起きるのでは、という懸念が一部から起こったものの、声が出せないは、何かあったときにすぐ近くの人間に頼れるようにしておいたほうがいいという事で、イオスのテントにベッドがもうひとつ持ち込まれたというわけである。
実際、時々は悪夢にうなされ、よくイオスを頼った。そういうわけで、この方法は成功したと言える。
念のため、駐屯地の動きも感知できるようにして、何かあったら伝えるようにゼルフィルドに頼んでおくことにした。
愛用の槍を握りしめる手に、力を込める。
決意を、揺るがせないように。
イオスは空を仰いだ。
夕焼けに染まる朱の空が、これから自分達の行うことを暗示しているようで、痛かった。
* * *
火の位置は、風下になる方角へ置くことにした。
そうすることで、森へ逃げ込む村人までも追ったりしないようにするためだ。
聖女さえ捕獲できればいい。
あとの村人は、可能な限り、殺したくない。
それが、ルヴァイドをはじめ、黒の旅団全員の共通の考えだった。
自分達の帰りを待つ少女のためにも、可能な限り非道な真似をしたくはなかったから。
ルヴァイドが任務の変更内容と作戦を伝えた時、兵士達には二重の意味でのざわめきが起こった。
任務内容の残酷さに対する憤りと、ルヴァイドの作戦への賛同の意思。
彼らとて、デグレアの誇り高き騎士たちだ。
いくら任務といえども、無抵抗の村人を皆殺しにはしたくなかった。
任地に赴こうとするルヴァイドのもとに、が近づいてきた。
それに気づいたルヴァイドとイオスが、そちらへ顔を向ける。
「どうした?」
被ろうとした甲冑の兜を手にしたままで、ルヴァイドがに尋ねる。
何か言いたそうにしているを見て、イオスが胸中を察する。
「もしかして……見送りか?」
イオスに言いたいことを当てられ、が嬉しそうに頷く。
自分を見上げるの頭に、ルヴァイドがぽんぽんとあやすように手を載せた。
「心配するな、すぐに戻るからな」
そう言って兜を被る。
……と。
「――――!!」
とたんにの顔が強張る。
ささっと、ルヴァイドから離れ、イオスの陰に隠れてしまった。
これにはさすがにルヴァイドも驚く。
「ど、どうしたんだ?」
イオスの問いかけにもは応えず、顔を上げようとしない。
原因がさっぱりわからないが、怯えられてしまったということに、ルヴァイドは少しだけショックを受けた。
「ほら、どうしたんだ? 怖くなんかないだろう?
僕たちは、君を傷つけたりしないんだから……」
そのままではしがみ付いたコートのすそを離しそうにないをそっとなだめ、顔を上げさせた。
力いっぱい握り締めていたコートを恐る恐る離したの頭を、「いい子だ」と言って撫でてやる。
「留守中は、くれぐれも注意するんだぞ?」
頷くの背をそっと押して、テントの方へと促す。
「……では、行くぞ!」
気を取り直し、ルヴァイドの号令が響く。
森の奥へ向かう黒鎧の兵士達の後ろ姿を、はそっと見送った。
* * *
村が紅に染まる。
イオスは、その中を歩いていた。
自分たちのしたものとはいえ、嫌悪感は否めない。
それでも、放棄するわけには行かない。
迷いを振り切るように、槍を握りなおす。
ふと、後ろに気配を感じて振り返る。
すると、手に鉈を握り締めた、ひとりの男が立っていた。
村人なのだろう。手も足も震えており、怯えているのがよくわかる。
「よ、よくも村を…………!!
うああぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
男がイオスに襲い掛かる。
怒りと恐怖で動きは見切りやすくなっている。
突進してくる男を、軽く横に動くことで避けられる。
そう思っていた。
しかし。
左の二の腕に、痛みが走る。
男に目をやると、鉈から紅いものが滴り落ちている。
すぐに自分の血だと、理解した。
「あ……ああぁっ……」
男も、自分が目の前の相手を傷つけたのだと理解したらしい。
イオスの腕から、そして自分の手にした鉈からぽたぽたと地面に紅い点を作っていく光景が、さらに頭の混乱を助長させてしまったらしい。
イオスが、槍を手にゆらりと男に歩み寄る。
「ひ、ひいぃぃぃっっ!!」
男は、腰を抜かしたのかその場にぺたりと尻餅をつく。
その場にあった紅の点が、さらに深い赤によって塗り替えられた。
* * *
――風向きが、変わった気がした。
どこをどう歩いたのか、わからないが。
イオスはいつの間にかゼルフィルドのもとへとやって来ていたらしい。
漆黒の機体が、炎によって微かに朱に彩られていた。
「ゼルフィルド。何か異常はあったか?」
「……将ガ、一部ノ兵ヲ率イテ、村ヲ出タ……」
その言葉に、イオスが引っ掛かりを覚えた。
村を出たというなら、その理由はふたつ考えられる。
「……撤退命令が出たのでは、ないのか?」
「イヤ、出テイナイ」
『聖女』を捕らえれば、任務は完了する。
そうなれば撤退命令が出されるだろう。
しかし、それがないとなれば。
「……ゼルフィルド。
ルヴァイド様はどこにいるかわかるか?」
「三砦都市方面ヘ向カッテイル」
「?? 何故だ……?」
聖女が、そちらの方角へ逃げたのだろうか。
いずれにしても、ルヴァイドの方で何かが起こっているのは確かだ。
「ルヴァイド様のもとへ行く。案内してくれ」
ゼルフィルドにそう言って、二人は炎の中を走っていった。
* * *
向かった先にいたルヴァイドの言葉を聞いて、イオスは一瞬目の前が暗くなった気がした。
冒険者の女に邪魔をされたせいで足止めを喰らい、聖女の捕獲が出来なかった。
ルヴァイドを止めることが出来たその女冒険者にも驚いた。
しかし、そんなことは些細なことに過ぎない。
村を焼き払って。
人を殺して。
そこまでして、聖女を捕獲できなかったことからすれば。
このまま帰っても、『彼女』に会わせる顔がない――
兵士に命令を出している時にも、イオスの頭はどこかぼうっとしていた。