自分が決めたことなのだから。
曲げるつもりなんて、ない。
with
第8話 事実と決意
「みんなの知らない間に料理用意して、驚かせちゃいなよ!」
トリスのそんな提案のために、たちは本屋にいた。
初心者でも1から覚えられる料理の作り方の載った本を探すために。
この中で唯一料理の出来るアメルが、いくつかの本をぱらぱら見て、その中からわかりやすそうだと思われる本を2、3冊選んでやった。
も中身を確認して、『これなら出来そうだ』と判断し、その本を買った。
金には余裕があったので、これくらいの出費は痛手ではない。
(ちょっとくらい、許してもらえるよね……?)
予定外の買い物は気が引けたが、無駄な出費というわけではないのだと自分を納得させた。
「よし、これであとは実際に作れるようになればおっけーだよ!」
トリスがぐっと握りこぶしを作った。
「トリスも1冊買ってみたらどうだ?」
「そのセリフ、そっくりお返ししますよーだ!」
マグナが茶化すと、トリスもすかさず反論した。
……この二人は家事が出来ない。
「これで、みんなの役に立てるかな……」
「うん、きっと喜んでくれるよ」
嬉しそうに顔を綻ばせるに、アメルが同意して頭をなでた。
* * *
もっといろんなところを回ってみよう、とトリス達は言ったが、はそれを丁重に断った。
イオスがいつ帰ってくるかわからない以上、は商店街から離れるわけにはいかない。
「ここに連れてきてくれた人が、迎えに来てくれるまで待たないと……」
「そっかぁ……じゃあ、しょうがないな」
マグナは至極残念そうに頭をかいた。
「ねえねえ、その人ってどんな人なの?」
トリスが、の保護者(?)に興味を示した。
「え?
んーと、そうだなぁ……
綺麗な金色の髪してて、それから、とってもやさしい人です。
召喚されたあたしを拾ってくれたのもその人で、ずっと面倒見てくれてるんです」
楽しそうに話すは、今まででいちばんいい顔をしていた。
「へぇー……」
相槌を打つマグナの隣で、トリスがにっと笑う。
何か、いたずらでも思いついたような顔で。
「じゃあさ、って、その人のこと好き?」
「はいっ♪」
笑顔で頷くに、トリスは拍子抜けした。
トリスの言葉には、当然というかなんと言うか、いろいろな裏が含まれていたのだが。
そんなものにが気付いてくれるはずがなかった。
「う〜ん……
の考えてる『好き』と、あたしの言いたい『好き』って、ちょっと意味が違うものなんだけどなぁ」
「意味?
好きだってことに、意味とかあるんですか??」
きょとんと純粋な瞳で問う。
トリスは仕方なく、聞き方を変えることにした。
「その人と一緒にいて、どきどきしたりとか。
そーいうの、何かない?」
そう言われて、は人差し指を顎に当てて天を仰いだ。
「どきどき……?
んーと、たぶんないです」
出てきた言葉に、トリスは「そう」とため息でもつかんばかりの調子で返事をした。
どうやら、にとってその人物は『そういう』対象ではないらしいと、もうこの話を終わらせようとトリスが口を開こうとしたとき、が言った。
「そういうんじゃなくて、一緒にいると安心するんです。
あったかい気持ちになれて、ほっとできて、そういう感じになるんです。
あたしは、ここにいてもいいんだって。
そう言ってくれてるような気がして……」
思わず言葉を失ったトリス達の方を向いて、はにっこりと微笑んだ。
幸せそうに。
「あたし、この世界に来られて、よかったって思ってます。
ここは、とってもあったかいから。
この世界も、あのひとたちも……トリスさんたちも。
あたし……みんなみんな、大好きです」
孤独から救ってくれたこの世界。
にとって、『リィンバウム』という世界は、かけがえのないものになっていた。
まっすぐな瞳で『大好きだ』と言い切ったに、トリス達も自然と微笑んだ。
* * *
話し込んでいるうちに、ずいぶん時間が経ってしまっていた。
マグナ達はそろそろ他の所へ行こうということになった。
「じゃあ……悪いけど俺たちそろそろ行くよ」
「はい。
何か、引き止めちゃったみたいですいませんです」
「いいのよ。
あたし達も楽しかったし!」
頭を下げたに、トリスがにっこり笑って言った。
「それじゃあ、ちゃん。
お連れさんによろしくね」
「……ばいばい、おねえちゃん」
アメルの挨拶に続いて、ハサハがぽつりと言った。
あまり話が出来なかったハサハが挨拶の言葉を言ってくれたことが、はとても嬉しかった。
「はい、皆さんもお気をつけて。
……また、どこかで会えるといいですね」
「うん、きっとまた会えるよ!
そしたら、また一緒にいろんなとこ見て回ろう!」
「も元気でな!」
トリスとマグナが言った。
は、笑って頷いた。
「それじゃあ……さよなら!」
がコートの裾をひるがえし、人ごみの中へ消えていった。
マグナ達はその後ろ姿を、人に紛れて見えなくなるまで見送っていた。
* * *
が待ち合わせていた店へ向かうと、イオスの姿はなかった。
「あれ??」
まだ来ていないのかと店の前までやって来たとき、路地の影からイオスがすっと姿を現した。
「遅かったな、。
どこまで行ってきてたんだ?」
「あっ、イオスさん!」
その姿を捉え、がてこてこと傍へ駆けていく。
隣へやって来たを見て、イオスがふっと微笑んだ。
「その服…………
よく似合ってるよ」
「ほんとですか?
ありがとうございますっ」
イオスの言葉に、は満面の笑顔を浮かべた。
抱えていた荷物――買い物をしている間に、ひとつにまとめた方が運びやすいだろうと、アメルの提案でひとつの大きな袋にまとめていた――を、ぎゅっと抱きしめる。
その荷物をイオスがひょいと持ちあげて片手で抱えると、が僅かに目を見開いた。
「買い物、もうほとんど終わったみたいだね」
「イオスさん?
あたしのものなんだから、あたしが持ちますよ」
イオスの手から袋を取ろうとするを、首を振って制した。
「いいから。
折角僕が同行してるのに、君に荷物を持たせるわけにはいかないよ」
でも、とまだ納得のいかない顔のだったが、このままここで続けていたとしても、イオスは荷物を渡さないだろう。そう思い、諦めることにした。
「必要なものとか、わかったのか?」
「はい。
親切な人がいて、お店の場所とか教えてくれて、一緒に買い物してくれたんです」
にこにこ笑顔のの言葉に、イオスは呆れたようにため息をついた。
「……
今回は何もなかったみたいだからいいけど、次からは見ず知らずの相手に勝手について行ったらダメだぞ」
イオスに言われ、は素直に頷いた。
見知らぬものの危険は、もといた世界で嫌というほど教えられている。
とて、いくらリィンバウムが“あの世界”よりも安全だといっても、その位わきまえることは出来た。
(――もっとも、が何事もなくついていけたのなら、悪人というわけでもないんだろうけどな)
イオスはイオスで、の人見知りの強さを知っている。
また、が人の善し悪しを見抜く力に長けていることもわかっていた。
負傷した兵士の補充のために雇った傭兵達の中には、柄の悪い荒くれ者も何人かいた。
は、そういう人間には一切近寄ろうとしなかった。それ以外の人間には、僅かながらも接触していたのだから、そういった見極めの方は確かなのだろう。
それに限らず、は人の心の動きにとても敏感だと、イオスは常々感じている。
レルムの村から帰ってきたとき。
友だと思えた少女が、敵対している聖女を守る者たちのひとりと知ったとき。
は、イオスの心を敏感に察知し、心に温かさをくれている。
つくづく、不思議な少女だ。
そう思わせるには充分だった。
「でもね、とってもいい人たちだったんですよ。
すごく、あったかい感じがしたんです」
「がそこまで言うのは珍しいな。
どんな人たちだったんだ?」
いつもよりも機嫌の良いの様子が気になってか、イオスが尋ねた。
「えっと……
まず、双子の兄妹の、マグナさんとトリスさんって人です。
『蒼の派閥』の召喚師だって、言ってました」
イオスが、眉の端をぴくりと動かした。
しかしはそれには気付かないで話を進める。
「あと、アメルさんっていう優しいお姉さん。
ちょっと、感じが普通の人と違ったかな」
「…………!」
『アメル』の名を聞き、イオスが足を止めた。
急に立ち止まったイオスを不思議に思ったが振り返ると、その顔には絶望ともいえる表情が浮かんでいた。
「…………イオス、さん…………?」
かすれたようなの声が耳に届き、イオスははっとしたように顔をあげ、すぐに悲しそうな顔で俯いた。
はそんなイオスのもとへ近寄り、覗き込むような形で不安そうにイオスの顔を見上げる。
「あの…………」
「…………君には、まだ教えてなかったんだったな…………」
イオスの声は、絞り出されるように、辛さを含んでいた。
「…………僕達の捕獲対象……
……『聖女』の名前は、“アメル”だ………………」
「……………………!!?」
が、息を呑んだ。
人通りの多い商店街の中で、ふたりの周りだけ、耳に痛いほどの静寂が流れたような気がした。
「じゃあ、あのひとたちは…………」
「……聖王都に身を隠していた聖女と、彼女を守る召喚師たちだ。
つまり…………僕たちの、敵だ……」
「………………」
の顔には、もはや先程までの明るさはなかった。
そこにあるのは、ただ絶望だけだ。
――辛い、だろうな……――
旅団の駐屯地の外へ出て、初めて出来た友達だったのだろう。
それが、『任務』という、自分ではどうにもできない都合で敵味方に引き裂かれなくてはならなくなってしまったのだから、のショックは痛いほどにわかる。
隠しておくべきか、言ってしまうか。
黙っていても、アメルは捕獲対象なのだから嫌でもいつかばれる。
きっとそうなれば、「どうして言ってくれなかったのか」と、ただ教えてしまう以上に彼女を傷つける。
そう判断して、彼女が接した『友達』の正体を教えたのだが。
イオスには、もはやかける言葉が見つからなかった。
「………………ごめんなさい」
「え…………?」
突然の謝罪の言葉に、イオスは首をかしげた。
「あたし、無神経なこと言っちゃってたんですね。
友達だからこそ、敵味方に分かれたら手を抜いたらいけないとか……
イオスさんの気持ち、ちっとも考えてなかった」
だらりと下がっていたの両の拳は、ぐっと握り締められている。
「あたしは、イオスさんにひどいこと……!」
「、それは違うよ」
ふわりと、頭に乗せられた手に、が顔を上げると。
そこには、優しさと切なさの混じりあった、イオスの温かい笑顔。
「あのときのの言葉は、僕を元気付けてくれたんだ。
それは、嘘じゃない。
……むしろ、謝らないといけないのは僕の方だ。
僕たちの都合で、君は友達と敵対することになったんだから……」
「そんな、イオスさんは悪くないです!」
ばっと顔を上げたに、イオスは僅かに目を見開く。
しかしすぐに元どおりの表情に戻ると、の頭を優しくなでた。
「は、優しい子だね。
僕たちに、無理についてくる必要はないんだよ?
今ならまだ、間に合う……」
「嫌ですっ」
発せられた言葉は、はっきりと、決意を含んでいた。
「あたしが、イオスさんたちと一緒にいるって決めたんです。
だから、何があってもついて行きます!
今さら、置いていったり……しな、いで…………!」
言い終わらないうちに、ぼろぼろとの目から大粒の涙が零れ落ちる。
「……ごめん。
そんなつもりじゃ、ないんだ。
けど、君が辛い思いをするのは、嫌だから」
「だ、ったら……!
そんなこと、言わ……ないでっ!
……あたしは、アメルさん達と戦うのはいやだけど……
でもッッ!
イオスさんたちと一緒にいられないほうが、ずっとずっと嫌です!」
きっ、と。
涙でくしゃくしゃになりながら、それでもイオスを見据える瞳は、揺るがない決意だけを映す。
あぁ。
どうして君は。
そんなに嬉しい言葉をくれるのか。
イオスは、の頭の上に載せていた手を背中へとまわし、きゅっと、片腕だけでを軽く抱きしめた。
「……ありがとう」
ひとこと、耳元で囁いて。
すぐに開放すると、はしばらく目を瞬かせていたが、やがて照れたように微笑んだ。