それはまるで、漆黒の夜空に浮かぶ白銀の月のように。
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第9話 Silver Moon
仕事も終えた。
買うべきものは買った。
これ以上長居をすることはないだろうということで、イオスとは商店街を抜けるために歩いていた。
ふと、が足を止める。
「…………?」
ぼんやりとどこかを見つめるの視線の先を追ってみると、そこにはいろいろなアクセサリーを扱っている店があった。
イオスはふっと頬を緩めた。
「、ちょっと寄ってみるかい?」
「え、でも」
「いいから。
ほら」
遠慮するの手を引き、イオスは店の中に入った。
「うわぁ…………!」
店内に入って見る光景は、外のショーウィンドウのものを眺めるのとは違った。
「すごい、きれい……」
は飾られている商品を楽しそうに眺めた。
宝石が埋められたものや、金属のみの細工、木で作られたものなど、さまざまなものが飾られていた。
その中で、ふと目に付いたものがひとつ。
銀製のバレッタだ。
楕円形のそれの中央には、小さな白い石が飾られている。
一見して、相当な値打ちものというわけでもなさそうだった。
細工も他のものほど複雑ではない。どちらかといえば地味な方で、目を引くようなものは他にいくらでもあるはずだ。
それなのに。
どうしてか、引き込まれるように、目が離せない。
イオスは、さっきまで色々なものを見ていたがひとつの品をじっと見つめているのに気付いた。
近くにいた店員に、話し掛ける。
「」
「……?」
声をかけられて、はイオスの方を向く。
イオスは、がずっと見つめ続けていた髪飾りを手にとり、に差し出した。
「ほら」
「え?」
「気に入ったんだろう? これ。
もう会計は済ませてきたから」
微笑むイオスの言葉は唐突で、はすぐに呑み込むことが出来なかった。
暫しの間を置き、驚きに目を丸くする。
「え!?
で、でも! これ安くないでしょ!?」
「大したことないよ、これくらい」
「だけど……」
は躊躇い、受け取ろうとしない。
イオスはの手をとって、その手のひらの上に髪飾りをのせる。
そして、そのまま両手でそっとの手を包み込む。
「いいから。
正式に僕達の仲間になったっていう記念に、僕からのささやかなプレゼントだ。
……そう、思ってくれないか?」
「イオスさん……」
は俯き、包み込まれた手に視線を向ける。
「君に、受け取って欲しいんだ」
「…………」
戸惑いを浮かべたまま、は押し黙る。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えちゃいます」
顔を上げ、が微笑んだ。
その顔を見たイオスも、安心したように微笑む。
「イオスさん、ほんとにありがとうございます。
さっそく、つけてみていいですか?」
イオスが頷くのを見てから、は後ろの髪を少し取り、留めた。
「…………!?」
の髪に収まったとたん、髪飾りに別物のような存在感が生まれた。
まるで、彼女のためにあつらえたかのように。
イオスの脳裏に、店員に髪飾りのことを聞いたときの言葉が蘇る。
店員の話によれば、あれはどこからか流れてきたもので、製作者もわからないのだという。
もしかしたら、ここでがこの髪飾りと出逢ったのは、偶然ではなかったのかもしれない。
思わず、そんなことさえ考えてしまうほどに、と髪飾りは調和していた。
「へへ、似合いますか?」
「…………」
「……イオスさん?」
「……え!?
あ、あぁ! 似合うよ、とても」
やや照れたようにが尋ねたが、イオスは答えない。
訝しげに首をかしげて名を呼ぶと、弾かれたように慌てて返事をした。
はそんなイオスの態度に疑問符を浮かべている。
それに対してイオスはといえば。
――気付かれて、いないよな……?――
言えるわけがない。
思わず見とれて、声が出なかったなんて。
の長い黒髪が揺れたとき。
光を反射し、髪飾りが煌いたとき。
幼い少女にしか見えなかったはずの彼女が、歳相応……あるいはそれ以上の美しい娘に見えた。
まるで、お伽噺か何かに出てくる神秘の存在のように感じた。
何故、そんな感情を抱いたのか。
イオスにはわからなかった。
* * *
預けていた馬を引き取り、ゼラムの門を出た。
来たときと同じように、はイオスの腕の中にちょこんと収まっている。
違う点は、買った荷物をが抱えているところ。
先程の店での出来事があったために、イオスは一瞬躊躇ったが、これがいちばん収まりがいいわけだし、がそんなことを知っているはずもないため、行きと違う方法をとったりしたら訝しむだろうから、結局このまま進むことにしたのだ。
腕の中にいるは、さっき感じたような雰囲気を失って、いつもの彼女そのままの気配だった。
きっと、気のせいだったのだろう。
そう言い聞かせて、イオスは馬を走らせた。
* * *
駐屯地に帰りついた頃には、夕焼けが西の空を染めていた。
イオスは馬から下りて、が下りるのに手を貸す。
が大地に降り立ち、抱えていた荷物をイオスが引き取ったところで、近くを通りかかった兵士が二人に気付いた。
「あっ、隊長。
ご苦労様です………………………………ん?」
イオスに挨拶をした兵士は、すぐそばにいたに目を留める。
「…………あぁ、誰かと思ったらちゃんか!
見違えたよ!
新しい服、凄く似合ってるよ」
「そ、そうですか?」
誉められて、は頬を染めた。
夕焼けに照らされても、赤くなったのがよくわかる程真っ赤だった。
「ルヴァイド様はどちらに?」
「あ、はい。
テントのほうにいらっしゃいます」
イオスが尋ねると、兵士はテントが建ち並ぶ方を示す。
「そうか。
、行こう」
イオスはを促し、ルヴァイドのテントのほうへと向かう。
はその後をとてとてと追いかけていった。
明るい金色の短い髪と、漆黒の長い髪。
対照的なふたりの後姿は、ある種の美しささえも感じさせるものだった。
兵士は、思わずその場に釘付けになった。
* * *
「失礼します」
一言挨拶をして、イオスはルヴァイドのテントへと入った。
もそれについていく。
「偵察部隊の報告を持ってまいりました」
「そうか、ご苦労だったな」
イオスはルヴァイドに数枚の紙を差し出し、それを指しながら何事かを話している。
はそれをテントの隅でぼうっと眺めていた。
「買出しのほうも、無事に終わったみたいだな。
似合ってるぞ、」
ふいに自分のほうに話題が振られ、はきょとんとした顔になり、それからルヴァイドの言葉に頬を染めた。
「え? あ、ありがとうございますっ!」
慌てふためく様子に、思わず笑みがこぼれる。
ぴょこんと頭を下げたの髪に収められたバレッタが、鈍く煌いた。
「ん……
それは?」
「え?
あぁ、イオスさんが買ってくれたんです」
が満面の笑顔でそう言うと、ルヴァイドは「ほぅ」と小さく呟き、にっと笑う。
微妙に上げられたその口の端が、なんだか昼間見たトリスのようだなぁとはのんきに考えていた。
しかし、そこに多分に含まれる意味を理解できるイオスは、ひとすじ汗を流して力なく自身の上司を見た。
「……何をお考えで? ルヴァイド様」
「さぁな。
当ててみるか?」
座って目の前の机に肘を突きながら手を組み、自分を見上げるルヴァイドは、にやりと笑っている。
イオスは目をそらして、背中を伝う嫌な汗を必死で無視した。
「……遠慮しておきます……」
今後しばらくの間この話題を持ち出されそうだと、イオスは心の中だけで密かに頭を抱えた。