心を込めて。
想いを、込めて。
with
第11話 恩返し
だれかが、呼ぶ声がする。
「…………さん、イオスさん」
まだ起こさないでくれ。
そう思いながら、また意識は沈んでゆく。
「もう……!」
額に、何か温かな感触。
「……パトラ!」
閉ざされたまぶたの裏に、光を感じる。
その光が収まると、眠気はどこかへ消え去ってしまった。
「イオスさん、起きてくださいっ!」
自分の名を呼ぶ声に、イオスは目を開ける。
「…………?」
「おはようございますっ」
視界に映るのは、自分の額に手を載せ、上から顔を覗き込む少女。
驚いて名前を呼ぶと、黒髪の少女はにっこりと笑った。
「今、何を……?」
「どうしても起きてもらいたくて、魔法使いました。
“パトラ”っていう、眠気を取ったり、逆に高揚した気分を押さえたりする魔法なんですけど」
何でわざわざそんなことをしたのか。
イオスはわけがわからずに首をかしげた。
「……どうしたんだ?
今日、いつもより早くないか……?」
テントの入り口の合わせられた布の隙間からもれてくる光は、普段起きるときよりも弱い。
本来ならもう少し寝てから目を覚まし、夢の中にいるを起こすのに。
「あ、ごめんなさい。もう少し寝てたかったですよね。
でも、ちょっと来てほしいんです」
そう言いながら、はイオスの寝巻きの袖をくいくいと引っ張る。
そんな様子にイオスは笑みを零し、の頭を軽くなでた。
「わかったわかった。
それじゃあ、少し待っていてくれないか? 今着替えるから」
「はいっ。
じゃあ、テントの外で待ってますね」
そう言ってテントから出て行くの髪には、数日前に買ってやった銀のバレッタが飾られている。
光加減で鈍く輝くそれは、相も変わらずに美しかった。
* * *
簡単に着替えを終え、イオスがに引っ張られて(と言っても、が手を引いて先導しただけなのだけれど)向かった場所は、調理場。
この時間なら当番の者が支度を始める頃だろうに、そこには誰もいなかった。
代わりに、大きな鍋がひとつかまどで温められていた。
はその蓋を開き、小皿に中身のスープを少しあけ、イオスに差し出す。
「はい、どうぞ」
「どうぞ、って…………」
イオスは、目の前で小皿を差し出しているの意図がよくわからない。
味見をしてほしいということくらいはわかるが、何故それをが要求するのか……
そこまで考えて、ようやくひとつの答えにぶつかった。
「もしかして、これ…………君が?」
尋ねると、はこくんと小さく頷いた。
「つくるの、初めてだったから……うまくいったかわからないけど。
でも、イオスさんに最初に食べてもらいたくて」
そう言いながら照れくさそうに笑うの手から、小皿を引き取って、中のスープに口をつける。
「…………」
「……ど、どうですか……?」
空になった皿を見つめ押し黙るイオスを、は固唾を飲んで見守る。
「……おいしい」
ぽつりと呟かれた言葉に、の顔がぱぁっと明るくなった。
「ほんと!?」
「ああ。
本当に初めて作ったのか? すごく良い出来だよ」
「えへへ、よかったー。
ありがとうございます、イオスさん!」
本当に嬉しそうにはしゃぐの様子に、イオスは微笑む。
ふとそこで疑問がひとつ生まれる。
「それにしても……なんで急に料理なんて?」
「日ごろの感謝を込めて、なのです!」
尋ねると、はぐっと拳を握り締めた。
聖王都へ出かけてから、の表情は前よりも豊かになったような気がする。
恐らく、ゼラムへ行ったときに出来た友人達の影響なのだろう。
「トリスさんが、『みんなの知らない間に料理用意して、驚かせちゃいな』って言ってたんです。
それで、アメルさんが初心者でも一から作れる料理の本を選んでくれたんですよ」
満面の笑顔で話す。
その姿には、微笑ましさ以上に罪悪感さえ覚えてしまう。
それが顔に出てしまったのか、は恐る恐るイオスの顔を覗き込む。
「あの……ごめんなさい。
あたし、またやっちゃいましたね」
「いいんだよ、気にしなくて。
謝るべきはむしろ僕達なんだから」
ゆるく微笑むイオスに、は首を振る。
「そんなことないです。
それに、今のあたしは“黒の旅団”の一員ですよ。
だいじょうぶ、ちゃんと……割り切れますから」
そう言い切ったの
瞳は、迷いがない。
本来なら争いなど好まないであろうこの少女が何故こんな瞳をすることができるのか。
それが、彼女の生来のものであるのか、はたまた――――
そこで、イオスは生じた考えを振り払う。
思ってはいけないことを、考えてしまった気がしたから。
「でも、この時間にもう完成してるって事は、、今日は随分早起きだったんじゃないか?」
「まぁ、ちょっぴり。
だけどどのくらい時間がかかるのかとか、わからなかったから。
それに、結局用意した時間全部使っちゃったし」
何もかもが本当に初めてなのだから、本に書いてある時間の配分なんて、あてにならない。
それよりもたくさんの余裕を持って臨んだけれど、結局時間ぎりぎりまでかかったのだから、ある意味読みは当たっていたと思っていいのだろう。
「そろそろ、みんな来ますよね。
食べられるように、準備しておかないと」
コートを着ていないため半袖の服を着ているのに、わざわざ腕まくりのようなしぐさをして、は食器の用意を始める。
芝居がかったようなしぐさに頬を緩めて、イオスが声をかけた。
「手伝おうか?」
しかしは首を横に振る。
「ううん、いいです。
これは、あたしのみんなへの恩返しだから、全部あたしがやるんです!
だから、イオスさんはそこに座っててくださいね」
そう、楽しそうな顔で言うものだから、イオスも口を挟まないようにした。
どうしても必要になったと思ったら呼んでくれ。
それだけ言って、ちょこちょこと動き回って食事の準備をするの背中を見つめていた。
* * *
初めて作ったの料理は大絶賛だった。
鍋いっぱいのスープも、パンもサラダも、きれいに片付いてしまった。
は上機嫌でトレーに乗せたひとり分の食事を持って、ルヴァイドのテントへと赴いた。
「ルヴァイドさーん、朝ごはん持ってきましたー」
「あぁ、入っていいぞ」
返事を確認してから、はトレーをひっくり返さないようにそろりそろりとテントへ入っていく。
「おはようございます、ルヴァイドさん」
「あぁ、おはよう。そこに置いてくれ」
言われたとおり、は机の上にトレーを置いた。
ルヴァイドは間もなく椅子に座り、ゆっくりと朝食をとり始める。
少し下がったところで、はそれを眺めていた。
「……今日のスープ、いつもと味が違うな」
「おいしくなかったですか?」
思わずしゅんとなるの様子に首を傾げつつ、ルヴァイドは言葉を続けた。
「いや、その逆だ。いつもよりも美味い」
「……ほんとに!?」
「……さっきからどうしたんだ、?」
くるくると表情が変わるは微笑ましいが、何か様子がおかしくも見える。
尋ねてみると、は照れくさそうに言った。
「それ、つくったの……あたしなんです」
その言葉を聞き、ルヴァイドは面食らって目を見開く。
「しかし……お前は以前料理はしたことがないと……」
「はい。今日はじめて作ったんです。
うまくいったかわかんなくて、ちょっと不安だったんですけど」
「…………」
改めて、ルヴァイドは目の前の料理をしげしげと眺める。
初めてにはとても思えないほど、しっかりした出来だった。確かに、野菜の切り口などをよく見れば、ところどころ歪んでいたりもするが。
とはいえ、味の方は申し分ない。このまま修行を積めば料理人にもなれるだろうと思わず期待してしまう。
それにしても、いくら交代制にしており尚且つ素人の集団であるとはいえ、包丁も持ったことのない少女に負けるというあたり、自身の部隊の兵士達は立場がない。
思わずそんなことを考えてしまい、ルヴァイドは喉の奥だけで笑った。
ルヴァイドは、朝食をパンひとかけらも残さずにきれいに平らげてから、その大きな手での頭を優しくなでた。
「ごちそうさま。
美味かったぞ」
「えへへ、お粗末さまです」
も嬉しそうに目を細めた。
「また食べたいくらいだ。
次はいつ作るんだ?」
「ん〜……ほんとは毎日! って言いたいんですけど、イオスさんにその話したら、毎食大人数のを作るのは大変だから、慣れるまでは少しずつにした方がいいって言われたんです。
だから、近いうちにまた作りますね」
「ああ、楽しみにしておこう。
……はいい奥さんになれそうだな」
冗談めかしてそんなことを言ってみると、はきょとんと首を傾げる。
「料理が上手だと、“いい奥さん”なんですか?」
まさかそんなことを聞かれるとは思わなかったので、ルヴァイドは僅かに苦笑した。
「あぁ……まあ、一般的にはそうだと思うぞ」
「ふーん……
ところで、“奥さん”てなんですか?」
「……………………………は?」
これにはさすがのルヴァイドも固まるしかなかった。
* * *
朝食の時間が終わり、兵士達がそれぞれに稽古に励む。
そんな中、も召喚術の訓練をしていた。
「――誓約の名の下に、が命じる……来たれ!」
手の中のサモナイト石が赤く輝き、目の前に、頭に皿を載せてきゅうりを持った生き物が現れる。
はその生き物――ナガレに二言三言挨拶をし、それから送還する。
ここ数日の間に繰り返されたその行為は、始めた頃よりも自然な流れで行なわれた。
「うん、だいぶ安定してきたな。
ずいぶん飲み込みが早いね」
「えへへ。
ありがとうございます、エリックさん」
エリックと呼ばれた淡い栗色の髪の男がにっこり微笑んだ。
彼はこの“旅団”に所属している召喚師で、ルヴァイドの命によりに召喚術を教えていた。
が異世界人であるということは、声の出なかった頃から既に、もともとの旅団員は皆知っている。
しかし、魔界魔法という特殊な魔法の使い手であるということは、イオスやルヴァイド、そしてゼルフィルド以外には、を診た軍医とエリックにしか知らせていなかった。
「やっぱり、例の魔法とコツは同じなのかい?」
「ううん、結構違いますよ。
でも、どっちもあたしには合ってるみたいですから」
「そうか。
よし、じゃあ今度はもう少し召喚獣のランクを上げて挑戦してみようか」
「はいっ!」
エリックの言葉には元気よく返事をした。
と。
次の瞬間。
「――――!?」
びくりと、の肩がはね上がる。
小刻みにぶるぶると震えているのが、傍目からでもわかった。
「どうしたんだ、ちゃん?」
訝しげに尋ねるエリックの言葉にも、は答えようとしない。
ただ、テントが群生する方を見つめ、怯えている。
どうすればいいのかとエリックがに触れようとしたとき。
「おーい、エリックー」
遠くから、兵士がひとり駆けてくる。
エリックと同期で、仲もいい兵士だ。
「どうした?」
「ルヴァイド様が、イオス隊長とちゃんを呼んでこいって…………ちゃん、どうかしたのか?」
尋ねる兵士に、エリックも首を捻るしかない。
「おれにもわからないんだ。
先に隊長にこっちに来てもらうよう言ってくれないか?
これじゃもうおれにはどうしようもないしな」
頷いて、兵士は武術の訓練場の方へと駆けていく。
エリックは、ぎゅっと膝を抱えてうずくまるの背をなで、つとめて優しい声をかけた。
「ちゃん。
もうすぐイオス隊長来てくれるから。
それまで我慢してて」
その言葉がの耳に届いたのかは、わからない。
――こんな小さな子がここまで怯えるなんて……一体何だっていうんだ?――
エリックは、一刻も早くイオスがここへ来ることを待ち望んだ。