怯える少女が感じ取ったものは、何だったのか。
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第12話 天敵との遭遇
「ッッ!!」
駆けつけてきたイオスの声に、はバッと頭を上げる。
今にも泣き出しそうに歪むその顔に、イオスは焦りを覚える。
「何があったんだ!?」
「わかりません。
急に怯えてしまって……」
「そうか。すまない。
あとは僕が何とかするから」
エリックは一礼するとその場を去っていった。
時々心配そうに振り返るが、彼の視界の中にが映る間、その様子が変わることはなかった。
「、。
どうしたんだ? 何があった?」
「…………い、イオス……さん……」
しゃがみこむの横に片膝をついたイオス。
は、そっと背中をなでてくれているイオスにぎゅっとしがみついた。
「……?」
しがみつかれたことで、の震えがより一層強く感じられる。
イオスはそんなを抱きしめて、小さな子にするように頭をなでる。
今まで、がこんなに怯えたことがあっただろうか。
「……こわい……いやだ……
たすけて…………助けて…………!!」
イオスにしがみついたまま、はうわごとのように呟き続ける。
「大丈夫、。
僕がついてるから。大丈夫だから…………」
回した腕に力をこめ、イオスは囁きかける。
伝わるぬくもりと、イオスの声に、は強張っている身体からゆっくりと力を抜いた。
「ルヴァイド様が呼んでる。行こう」
まだ辛そうなを促して、寄り添うように小さな肩を抱き、イオスはゆっくりと歩を進めた。
腕の中で、真っ青な顔で未だ辛そうに眉根を寄せるに、不安を拭い去れないまま。
* * *
イオスがルヴァイドのテントに辿り着いた頃には、呼び出しが来てから随分時間が経ってしまっていた。
「ルヴァイド様。
遅くなって申し訳ありません」
「イオスか。入れ」
返事を確認したあとで、イオスは天幕を捲って中に入り、そこで目に付いたモノに硬直する。
そばにいたも、びくっと肩をすくめ、イオスにしがみついた。
「こんにちは。
随分と遅かったようですが……どうかされたのですか?」
そこにいたのは、椅子に悠然と腰掛ける、レイム。
自分たちを呼び出した真の相手を知り、そして容易に想像されるその理由に、イオスは奥歯をぐっと噛み締めた。
レイムはそんな様子に気づいてか、くすりと小さく笑みを零す。
そして、イオスにしがみついている小さな少女に目を留めた。
「そちらが例の“はぐれ”ですか?
また随分とお小さいようですが……本当に兵士として採用するおつもりで?」
ちらりとルヴァイドに目を向ける。
ルヴァイドは絡みつくようなその視線に嫌そうに眉をしかめる。主の変化にただ傍らで佇んでいたゼルフィルドが僅かに動きを見せた。
ルヴァイドはそれを制しながら、きっぱりと言う。
「その通りだ。
彼女はこう見えて優秀だ。見た目で判断しないで貰いたいものだな」
それを聞き、レイムは「ほう……」と小さく呟き、席を立つ。
そのままゆっくりと、のほうへ歩み寄っていく。
はびくっと震えて、イオスの陰にかくれた。
レイムはそれを気にするでもなくかがみ込み、目線の高さを合わせたににこりと微笑んでみせる。
街で見かけようものなら、娘達が黄色い声でも上げそうなその笑顔に、しかしは怯えきってイオスのコートをぎゅっと掴んでいた。
「はじめまして、可愛らしいお嬢さん。
私はレイムと申します。“黒の旅団”の顧問召喚師として、デグレアに協力させていただいています」
はぶるぶる震えて泣きそうになりながらも、旅団の名とその後に続いた聞きなれない単語に、恐る恐る口を開いた。
「顧問……召喚師……?」
「はい。そうですよ」
レイムは貼り付けられた笑顔を崩さないまま、言葉を続ける。
「元老院議会の決定を、この黒の旅団に伝える者です。
言わば、この“黒の旅団”の……ルヴァイドさんの上司ですね」
「…………上司…………?」
その言葉に、は疑りぶかそうにルヴァイドをちらりと見る。
沈痛な面持ちが、その言葉が真実なのだということを裏付けていた。
「さて、お嬢さん。
あなたのお名前は、なんとおっしゃるんですか?」
「…………」
は答えない。
名を告げることが、何か良くないことを引き起こすのではないかと、反射的に思っていた。
昔言われた言葉が、脳裏に蘇っていたから。
――名前には、きちんと意味を持って付けられてるんだ。
アクマは、時としてそれを利用する。
も気をつけたほうがいい――
しかし、目の前の相手は旅団の上司……つまり自分にとっても上司なのだ。
名乗らないことが失礼に当たることくらい、にもわかる。
は覚悟して、震える声で呟くように、言った。
「………………」
「さん、ですか。
いい名前ですね」
レイムがにっこり微笑んだ。
そして頭をなでようとしたのかに手を伸ばしたが、はイオスの背中に顔をうずめるようにしがみつく。
その様子を見て、レイムは苦笑した。
「おやおや、嫌われてしまったようですね」
手を引っ込めて身体を起こし、ルヴァイドに向き直った。
「さんは調子が悪いようですし、今日はこれで失礼させていただきましょう。
彼女の実力については、また後日確かめることにします。
それでは……」
笑顔のままで、銀の髪をなびかせ、レイムはテントを出て行った。
* * *
レイムが立ち去り、しばらくした後で、ようやくはのろのろとイオスから離れた。
イオスは心配そうにの顔を覗き込む。
「さっきから、一体どうしたんだ?」
尋ねられて、はまた表情を曇らせた。
「……あのひと……」
ぽつりと呟かれた言葉に、イオスとルヴァイドは耳を傾けた。
「…………あのひと、普通じゃない。
すごく、怖い感じがするんです」
「レイムの、ことか?」
イオスの問いかけに、はこくんと頷く。
思い出すのも怖い、と言わんばかりに蒼ざめた顔をしていた。
前々からあの男には確かに不信感を抱いていた。
確かに、常人とはかけ離れた雰囲気も持っている。
しかし、このの怯えようも尋常ではない。
余計な詮索は無用。
だが、イオスは何か隠しでもしているのだろうかと、疑わずにはいられなかった。
「あのひとと、また会わないといけないんですよね……」
心底嫌そうにが呟いた。
そこまで言うか? などと一瞬考えてしまうが、あの怯えようではそれもまた無理ないことなのかもしれないとも思ってしまう。
イオスはぽんぽんっと軽くの頭をなでた。
「大丈夫だよ。
いざとなったら、僕やゼルフィルド、それにルヴァイド様が守るから。
だから、は心配しないで」
イオスの言葉に、はルヴァイドとゼルフィルドを見る。
ルヴァイドも、微笑んで頷いて見せた。表情の変わらないゼルフィルドからも、温かさを感じる。
「…………ありがとう…………」
が、はにかんで微笑んだ。
* * *
「え……?
イオスさん、行っちゃうんですか?」
哀しみさえ感じるの眼を見つめ、申し訳なさそうにイオスは頷いた。
「ああ、すまないな。
でもこれも任務だから……」
イオスは、ゼルフィルドと共に聖女一行の監視を命じられた。
そのため、しばらく留守にすることになったのだ。
「お仕事だから、しょうがないってわかってます。
でも、やっぱりちょっとさびしいです」
「……」
イオスはしゅんとなるの頭に手をやり、黒い絹のような髪を梳いてやった。
「すぐに戻ってくるから。
海を渡ってしまうわけじゃないんだからね」
「そうですけど……」
の顔はいつまで経っても晴れることがない。
数日前にレイムと顔を合わせて以来、いつも以上にはイオスのそばに居たがっていた。
今日のこれも、その時の事が尾を引いているのかもしれないと、イオスは思った。
「戦いに行くわけじゃないんだって、わかってるんです。
でも、なんだか不安で……
何か、良くないことが起こるんじゃないかって、心配になっちゃって……」
「……良くないこと?」
眉根を寄せるの言葉に、イオスは首を傾げる。
はこくんと頷いてから、イオスのコートの袖をきゅっと掴んだ。
「イオスさん。
ちゃんと、無事に帰ってきてくださいね」
「…………」
は、泣きそうな顔で不安そうに自分を見上げてくる。
イオスはを安心させようと、細い身体をきゅっと抱きしめた。
「約束する。
ちゃんと、帰ってくるよ」
腕の中の少女は、小さく頷いた。
身体を離すと、はもう落ち着いていた。
イオスの顔を見上げて、にっこりと笑ってみせる。
「ありがとう、イオスさん。
あたしは、大丈夫です。
だから……いってらしゃい」
「…………ああ」
その笑顔を見て、イオスも微笑むことができた。
この後に起こる出来事を、まだふたりは、知らない。