迫り来るもの。
絶対の、恐怖。
with
第14話 虚空の影
事情が飲み込めず、ひとり首を傾げるの後ろ姿を見つめる者がいた。
「……!?」
視線と共に感じたモノに、は身体中が粟立つのを感じた。
ざっと辺りを見回すと、木々の一角に目を留め、そこをじっと見る。
数秒とも数十分ともとれる時間が過ぎた頃、木々の隙間から、に視線を向け、またが視線を浴びせ続けた者が姿を現した。
「こんにちは、さん」
「――!!」
銀の髪をなびかせ、涼やかに微笑むレイムを目にし、はあからさまに後ずさった。
その様子に、レイムは苦笑いを浮かべてみせる。
「相変わらず嫌われてしまっているようですねえ……
私、貴女に何かしましたか?」
「……………………」
は答えない。
「それとも…………
先程の貴女の様子と、何か関係でもあるのでしょうか?」
「…………?」
探りを入れるようなレイムの物言いに、しかしは首を傾げるだけ。
「どうやら、貴女自身は覚えていないようですね」
「……なんの、話……!?」
にやりと口の端だけで笑ってみせるレイムからは、ある種の恐怖を感じ取れる。
はぎゅっと胸の前で両手を合わせ、握り締めた。
不安を握りつぶすかのように。
そんなのしぐさにすら笑みを浮かべ、レイムは一歩ずつゆっくりとに歩み寄った。
は今すぐにこの場から逃げ去りたい衝動にかられたが、足がすくんで動かず、それさえもかなわなかった。
「ふふ……実に興味深い……」
怯えるの目の前に立ったレイムが、彼女に向かってそっと手を伸ばす。
小さな顎に手が触れた、その瞬間。
「…………嫌……ッッ!!」
バチンッと乾いた音を立てて、レイムの手が弾かれた。
反射的に手が出たことに一番驚いているのは、他でもない本人だった。
呆然と、赤くなったレイムの手を見つめている。
レイムは暫くの間何も言わず、それからすぐに笑ってみせた。
普段と同じ、腹の読めない顔だ。
「…………まぁ、いいでしょう。
いずれまた…………確かめればいいことですし、ね」
それだけ言い残し、レイムは小さく会釈をして、その場から去っていった。
はへたり込み、そのまま震えながら自分の身体を抱きしめるように、両腕にぎゅっと力をこめた。
怖い。こわい。
助けて……たすけて…………たすけて………………!!
脳裏に浮かんだのは、イオスの顔。
すぐに霞んで、闇へと消えた。
次に浮かぶのは、ルヴァイドと、ゼルフィルド。
イオスと同じように、すぐに消えてしまう。
その後も、エリックやマグナ、トリス、アメルといった人々が、浮かんでは闇へかき消えた。
幻影を追いかけるように、の目が彷徨う。
最後にひとり、影をとらえた。
「――――……」
名を呼ぶ声は、音にならずにかすれて消えた。
* * *
レイムは、先程の光景を思い返していた。
旅団に紛れていた、黒い心の持ち主。あの、顔に大きな傷を持った男。
今ひとつつかみ所のないの実態を調べようと、燻っていた彼の心の闇に『種』を植えつけ、けしかけた。
身を危険に置くことで、普段抑えているモノを見ることができればそれでよし。
仮にそれができずにがあのまま男達の手に掛けられたとしても、それはレイムの知るところではない。
それにもしそうなれば、ついでにイオスやルヴァイドの心にも深い負の感情を生み出させてくれる。
それはそれで、レイムとしても悪くない。
しかし、それは思いもよらない結果を招いた。
の様子が急変したと思ったら、傷を持つ男に植え付けた闇が、根こそぎ消し去られてしまった。
『種』は、苗床になった男自身の闇に深く根付いていた。
それゆえ、『種』を取り払い、その上で心の闇を消し去ったりすれば、想像を絶する痛みとなって宿主を襲う。
あのときの男の苦しみの正体は、まさしくこれだ。
他の男達は、傷を持つ男の邪気にあてられただけに過ぎない。
だから、心の闇を取り払われても、苦痛を感じなかったのだ。
そんなことは、レイムにとってはどうでもいいことだった。
むしろ気になるのは、自分が植え付けた闇の気を、いとも簡単に消滅させてしまった、あのとかいう娘の方だ。
否。
『』という名のニンゲンの中に潜む、別の“何か”だ。
そもそも、人の心に潜む闇を浄化するなどという芸当は、まずニンゲンにできるようなものではない。
まして、植え付けられた闇の気を切り離すなどもってのほか。
あの存在の正体は、全く見当がつかない。
あまり好ましいものでないことだけは確かだったけれど、それ以上の事はさっぱりわからない。
レイムの『正体』に勘付いているような素振りの本人共々、見極めるのにはもう少し時間を要するようだ。
引き込めるものなら引き込んで利用すればいい。
それがかなわず、その上で敵対するようならば――――
迷わず、消してしまえばいい。
レイムは、にやりと笑った。
それは、普段浮かべる微笑とは、全く異質のものだった。