決断を、間違ったことだとは思わない。
だけど、それが生み出すことがどういう事なのかまでは、考えてもいなかった。
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第15話 こころ、その代償
「構うな、ゼルフィルド! このまま撃てっ!!」
悲痛とも言えるイオスの叫びが、フロト湿原に響き渡った。
聖女を捕らえること。
それが、今の自分たちの任務であり、果たすべきことだ。
そのためなら、自分の命なんて、惜しくない。
使命は、絶対。
それが課せられた掟なのだから。
「お前さえ生き残れば、“あの方”に対象を届けることはできる!
……さあ、僕ごとこいつらを撃ち殺せ!」
周りに立つ聖女一行の視線を感じる。
しかしそんなものには構うことなく、イオスはキッとゼルフィルドを見据える。
ゼルフィルドは、最初そのイオスの行動に戸惑ったのか、沈黙を保っていたが。
「……了解シタ」
がちゃりと、腕に内蔵された銃口をイオスたちの方へと向けた。
紫紺の髪をもつ召喚師の少女が叫ぶ。
銃弾が、放たれた。
――これでいいんだ。
これで………………!!――
イオスはまぶたを閉じた。
黒髪の少女の笑顔を、そこに見たような気がした。
――ごめん、――
心の中だけでそっと謝ると、瞳の裏に映るは銀色の光に包まれた。
――……!?――
キィィィンッ!!
突如響いた鋭い音にハッと目を開くと、そこには見覚えのある後ろ姿が立っていた。
* * *
イオスが結果として命を救われた後、総司令であるルヴァイドが木陰から姿を現し、聖女一行へと宣戦勧告を行なった。
それを聞きとめた後、聖女達はゼラムへと帰って行った。
最後にひとり残った、イオスの恩人たる少女が、低い声でイオスの名を呼んだ。
その声に顔を上げた瞬間、目の前に火花が散る。
髪に隠れた左頬がじんじんと熱を持ち出して始めて、頬を力いっぱい叩かれたのだと理解した。
「もういっぺんでも、こんな真似してみろよ。
――絶対に、許さないからな」
自分を見下ろしそう吐き捨て、踵を返した少女の後ろ姿を、イオスはただ呆然と見送るしかできなかった。
今まで見たこともなかったような鋭い視線には、冷たさと怒りが同居していた。
そして、その中に僅かに感じたものは、哀しみ。
それが何を意味するのかまでは、イオスに理解することはできなかった。
「――イオス」
後ろから、ルヴァイドに声をかけられる。
振り返ると、ルヴァイドは兜を外し、やや呆れたような視線を向けていた。
「……申し訳、ありませんでした」
「に感謝することだな。
たとえ聖女を捕獲するためでも、お前が蜂の巣になるなど俺とて願い下げだ」
「ルヴァイド様……」
「それに、そんなことになってはに申し訳が立たん。
随分と今回のことが気がかりだったようだからな」
その言葉を聞いて、イオスは別れ際のの顔を思い出した。
笑顔で送り出してくれたから、そちらの印象がつよかったけれど。
その前に、ひどく不安そうにしていたのに、今更ながら気づく。
「あの子は変に鋭いから、その顔ではごまかしようもあるまいな。
大目玉は覚悟しておくことだぞ」
ルヴァイドはそう言って、くっくっと笑う。
髪に隠れている分目立たないが、相当見事なモミジが張りつけられているだろうという事は容易に想像がつく。
むしろ、見るも無残に腫れているかもしれない。
あの時のはかなり容赦がなかったから。平手でなく拳だったら、吹っ飛ばされていたとしてもおかしくないほどに。
普通の相手になにげなく振る舞っていてもごまかしが効くかもしれないものでも、相手はあのだ。確実に気づかれる。
泣かれるだろうか。
怒られるだろうか。
それとも――?
考え込むイオスに追い討ちをかけるように、ルヴァイドがぼそりと呟いた。
「――泣かせたら、向こう3ヶ月減俸だからな」
「え。」
イオスが固まったのは、言うまでもない。
* * *
夕暮れ時に駐屯地に戻っても、の姿が見当たらなかった。ざっと一回りしてから自分のテントに戻ったが、そこはもぬけのから。
――どこだ……?――
疲れている身体に鞭打ってあたりをくまなく探す。
足の赴くままに歩を進めると、いつの間にやら河原に出ていた。
その岸辺に、はいた。
「!!」
呼び声には、答えない。
こちらに背を向け、膝を抱えてうずくまり俯くままだ。
構わずイオスはのそばへと歩み寄る。
「」
声をかけながら、肩を軽く揺さぶると、くたりとイオスに身体を預ける。
「――!!」
そこでイオスは初めて気がついた。
頬に幾筋も残る涙の跡。
真っ赤になってしまっている目もと。
閉じられた眼。
泣き疲れて、眠ってしまっている。
こんなところで、たったひとりで。
「……」
呼びかけて、小さな身体をぎゅっと抱きしめると。
「…………ん…………」
腕の中の少女が小さくうめいて、そっと目を開ける。
「……いおす、さん」
かすれた声で名を呼ばれ、返事の代わりに腕に込めた力を強める。
は最初驚いたようだったが、おずおずとイオスの背中に腕を回し、きゅっとしがみついた。
「……イオスさんだ……
ほんものだ……」
嬉しさと、寂しさと。
そんなものが入り混じったような、の声。
「遅くなって、ごめん」
耳元で一言そう呟くと、は顔も上げずにふるふると首を振る。
「ううん、いいの。
ちゃんと、約束どおり帰ってきてくれたから」
その言葉に、イオスは心の隅がちくりと痛むのを感じた。
任務のためだと、そのつもりで叫んだあの一言は。
もし止める者がいなければ。
を、確実に傷つけていただろう。
「……ごめん、本当に……」
「イオスさん……?」
ただただ謝り続けるイオスに、は訝しんで顔を上げた。
「――――ッッ!?」
次の瞬間、蒼ざめて息を呑む。
金の髪の奥に見え隠れする、赤く腫れた頬を見て。
「それ…………」
「あ、あぁ……ちょっとな」
ごまかすようなイオスの言葉に、はむすっとした顔でイオスを睨みつけた。
その顔を見て、イオスはばつが悪そうに「う」と小さくうめく。
「あたしは……役立たずですか?」
「え?」
俯いたが、苦しそうに呟いた。
イオスが思わず問い返すと、は泣き出しそうな顔で、イオスを見上げる。
「あたし、また……のけものなんですか?
みんなあたしの事なんて構わないで、あたしだけ置いてきぼりなんですか……?」
「ちょ、ちょっと待て。
誰がそんな……」
イオスには、が何を言っているのかわからなかった。
「だったら、どうして……!
何も話してくれないんですか!?
あたしは、イオスさんたちと同じ視点でものを見ていたいのに!
イオスさんたちの辛さとか、そうすれば少しでもわかると思ってるのに!
どうして、イオスさんたちはあたしのこと置いて行っちゃうんですか!?」
その言葉に、イオスはハッとする。
守りたいと、そう思っていたからこそ、イオスもルヴァイドも、を任務には参加させようとしなかった。
しかしそれこそが、そもそもを傷つけていたのだとしたら――?
「あたしは……!
守られるだけのお荷物なんかじゃない!
ただ守られてるだけじゃ、だめなのに……!
それじゃ、あの時と何も変わらないのに……!!
あたしは、あたしだって…………!!」
最後の方は、もはや言葉にすらならずに嗚咽の中へと消えていった。
イオスは、泣きじゃくる腕の中の少女にただ呆然としていた。
芯の強い子だと、そう思わされることはあった。
けれど、それだけで。
そこから先を、考えたこともなかった。
は、イオスたちが考えている以上に、ずっと強く、そして脆い。
一見相反しているが、そんな言葉が相応しい。
守られるだけでいるのが嫌だという断固たる信念を、彼女は持っている。
しかしそれを認められない哀しみが、彼女の脆さを同時に生み出している。
相反したものが生み出す、刹那の儚い輝きを、イオスはそっと抱きしめた。
「……帰ろう、。
ちゃんと、全部話すから。
――もう、君をひとりにしないから」
は、イオスの腕の中で、ただ静かに涙を流し続けていた。