子供は、無邪気な存在だ。
しかし、それゆえに残酷でもある。
感情に素直であり、加減を知らない。
この少女は、果たして――――
with
第17話 新たなる召喚師
太陽がだんだんと高くなっていく頃に、『黒の旅団』の駐屯地の一角に、強い魔力が集まっていた。
「が命じる……来たれ、遠異・近異!!」
声と共に現れた赤と青の鬼が、それぞれ炎と氷を撃ち出し、反する属性の作用によってか引き起こされた小規模の爆発に、的として立てられていた丸太が粉々に砕けた。
「…………」
「どうですか、エリックさん?」
明るい声で問われても、エリックは開いた口が塞がらないままにぼんやりと目の前の光景を見つめるしかない。
つい数日前まで、召喚術なんてまったく分からない素人だったはずなのに。
それが、こんな僅かな期間でここまで出来るようになるなんて。
天賦の才、とでも言うべきものなのだろうか。
エリックは目の前ではしゃいでいる少女に、羨望や嫉妬などを超越し、畏怖の念すら感じた。
「あ、あぁ……これならもう、おれが教えることは何もないよ。
ルヴァイド様にも報告をしておくから」
「は……はいっ! ありがとうございます!!」
ガバッと頭を下げたに、エリックは微笑んだ。
「それにしても、ここの所随分熱心だったけど……何かあったのかい?」
「え…………」
尋ねられて、は一瞬目を見開いて、それから照れくさそうに笑った。
「お荷物に、なりたくないから。
あたしは、イオスさんたちと……旅団のみんなと、一緒にいたいから」
そこにある健気さに、エリックは彼女の内に秘められたただならぬ何かを見たような気がした。
「……あの頃とは、違うから」
その呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
* * *
昼食を終えた頃、エリックはルヴァイドのテントに向かった。
「……以上です。
まったく、彼女にはつくづく驚かされましたよ」
「そうか……」
報告を聞き終えたルヴァイドの顔に浮かんだのは、複雑なものを秘めた苦笑い。
努力している少女に対する微笑ましさと、戦場に赴く口実となる力を彼女が手に入れてしまったということに対しての苦しみが、そこにはあった。
「……俺としては、あいつを戦いに巻き込みたくはないんだがな……」
「まだ、ほんの子供ですからね。
待っててくれる方が、よっぽど気が楽ですよ」
「? ……あぁ、そうだな……」
エリックの言葉の一部に引っかかりを感じたが、特に訂正もせずにルヴァイドは頷いた。
「しかし、他ならぬあいつ自身が決めたことだ。
俺も、召喚術を学べば戦場で助かるなどと言ってしまったわけだし……
では、今後はより実戦向きの召喚術の使い方を教えてやってくれ」
「はっ」
短く返事をし、敬礼をして、エリックはテントから出て行った。
「……ふぅ……」
「ヨロシイノデスカ、我ガ将ヨ」
傍らに佇んでいたゼルフィルドが、ルヴァイドに話し掛けた。
「仕方あるまい。これも約束だ。
それに、イオスの話を聞いてしまった以上は……な」
「ハ、戦イニ向イテイルヨウニハ……」
「あぁ。
だが、ひとつ……気になることがある」
そう言いながら、ルヴァイドは目を伏せた。
どこか虚ろな目をしていたが語った過去の中の、言葉。
自分は“兵器”なのだという、あのひとこと。
あの優しく気の弱そうなが戦場で戦う姿など想像すら出来ない。
しかし、彼女を“兵器”に仕立て上げたという機関が“何か”をしてはいないか、それが気にかかる。
良くないことが、起こらなければよいのだけれど。
振り切ろうとしても振り切れない不安が、頭の隅に渦巻く。
これからの未来に、光明を見出さねばならないはずのルヴァイドだったが、しかし暗雲が頭から離れてはくれなかった。
* * *
ルヴァイドに呼ばれ、戦列に加わっていいという許可を得たは、飛び上がらんばかりに喜んだ。
上機嫌で、森の中へと入っていく。
向かう先は、川だ。
は、イオスが自分を拾ったのだというこの川の岸辺が気に入っていた。
原っぱのようになっているところに膝を抱えて座り込み、川の流れを見つめる。
青空と、草と、川と。
今までが知らなかったものが織り成されて生み出す美しさが、は好きだった。
「……へへっ」
膝に顔をうずめながら、思わず笑みを零した。
――これで、あたしも役に立てるんだ――
嬉しさから、いつになく気分が高揚している。
空を仰ぎ、目を閉じて。
息を吸い込んで。
「――――……♪」
旋律が、自然と口をついていた。
* * *
そろそろ日も暮れるという頃に、イオスは散歩に行ったきり帰らないを探していた。
の行く場所は大体決まっているので、それほど苦労を掛けられたことはない。
今日もきっとあそこだろうと、イオスは川の方へ足を向けた。
ふと、風に乗って何かが聞こえてきた。
「――これは……」
歌だった。
歌詞も何もなく、ただ旋律だけを紡いでゆく、歌声。
柔らかく、透き通った声は、しかしどこかで聞き覚えのあるもので。
イオスは歌声が聞こえてくる方へと、自然と足を進めていた。
「――――!」
視界が開け、あと少しで河原に抜けるというところで、イオスの足は止まった。
そこにいたのは、安らいだ笑顔で旋律を奏でる。
おそらくは異世界のものであろう音楽を、今まで見たことのないような表情で歌うは、まるで、イオスの全く知らない者がそこにいるかのような錯覚さえ感じさせる。
近づいて、確かめる。
はっきりとそう思ったか、それとも無自覚か。
ともかく、イオスは誘われるようにふらふらとのいる方へ歩み寄っていった。
ぱきりと、小枝を踏み折る音があたりに響いた。
「「…………!?」」
は歌うのをやめ、弾かれたように振り返る。
そしてその視線が、ばつが悪そうなイオスを捕らえて、ほっと息をついた。
「イオスさん……
びっくりしたぁ」
「す、すまない。
邪魔するつもりはなかったんだけど……」
何の邪魔を? とは首をかしげ、そしてすぐに頬を染める。
「き、聞いてたんですか……!?」
わたわたと慌てるにイオスが頷いてみせると、は顔を真っ赤にして、頬に両手を当てて恥ずかしそうに俯いた。
「へ、下手くそだったでしょ……!?」
「え……どこが?
凄く綺麗な声だったと思うけど」
「そそそそんなこと、ないですっ!!
あたしなんて全然ヘタなんですー!」
にこりと微笑んで言われたイオスの言葉に、はさらにじたばたとのたうち回る。
(……そんなに言うなら、こんな所で歌わなければいいのに)
ちらりとそんな考えが脳裏を掠めたが、イオスの本音はそれとはまるで正反対のものである。
「――下手じゃないよ。
凄く上手かった。もっと聞きたいな」
「……………………ほんとに?」
しゅんと眉根を寄せて見上げてくるの頭を、イオスはそっと撫でながら、「勿論」と言ってみせる。
そこでようやく、は照れくさそうに微笑んだ。
「――あれは、君の世界の歌なのか?」
駐屯地への帰り道。
イオスに問われて、はこくんと頷いた。
「あたし、自分の世界の歌ってほとんど知らないんですよ。教えてもらったりして覚えた曲も3つか4つくらいしかないんです。
だけど、あの歌だけはずっと昔から……物心ついた頃にはもう、知ってたんです。
もしかしたら、子守唄か何かだったのかもしれないなって思うんですけど」
の言葉のとおり、あの歌の旋律は安らぎを与えてくれるようなものだった。
あるいはの考えは正しいのかもしれない。
「でも、あたしは両親の事なんて全然知らないし……
この歌が、あたしの持つたったひとつの、誰かとのつながりなのかもしれないって、ずっとそう思ってたんです」
両親の顔も知らず。
赤ん坊の自分自身を街へと保護した人物は、名前しか知らず。
そんな中で、この歌だけが、きっと幼いにとっての支えだったのだろうと、イオスは思った。
は苦笑いを浮かべてみせた。
「でも、結局何の意味もなかったんですよね。
あたしはもう、リィンバウムにいるんだし。
……あの世界とは、縁がなかったのかもしれない。
…………それに、あのひととも……きっと…………」
「――“あの人”って?」
ポツリと呟かれた言葉は、イオスの耳にも入ってきた。
尋ねると、は僅かに頬を染め、ぱたぱたと手を振った。
「あ、なんでも。
何でもないんです……」
そんな顔でそんなことを言われても、説得力がない。
そうは思ったが、あえて追求するでもなく、イオスは黙っていた。
そのまま、黙々とふたり並んで歩き続けた。
「」
「?」
不意に、イオスが名を呼ぶ。
はきょとんとした顔でイオスを見上げた。
その顔があまりにいつもどおりで、イオスはふっと小さく笑い、それから言った。
「そのうちまた……聴かせてくれないか?」
は驚いて目を見開き、それから言われた言葉の意味を悟って一瞬で顔を真っ赤に染め上げる。
「じゃあ……そのうち」
イオスは満足そうに、はにかんで微笑むの頭に、ぽんぽんっと手を載せた。