“力なきもの”でしかなかったこと。
それこそが――――
with
第20話 The Punishment
抱き起こしたは、息をしていなかった。
慌てて手を取るが、脈はある。
首を掴まれたことで息が止まり、その影響で咽喉が詰まっているのだろう。
イオスはためらいもなく、の唇に己の唇を重ねる。
フゥ……ッ
息を吹き込み、の鼻を押さえ、息を吸い込んでまた吹き込む。
「…………ぅ…………」
何度かそれを繰り返しているうちに、の口から微かに声がこぼれた。
それに気づいたイオスが、必死でに呼びかけた。
「!
しっかりしろ、っ!!」
「……っ……!!」
眉を寄せ、が咳き込んだ。
そして、ゆっくりと潤んだ瑠璃の瞳をのぞかせた。
「!!
気がついたのか!?」
「……っイ、オ……さ……ん……?」
「よかった……!」
咳き込みながら、ちいさなかすれた声で自分の名を呼ぼうとするをぎゅっと抱きしめて、背中をそっとさすってやる。
「……無理にしゃべらなくていい。
苦しいだろ」
「だい、じょぶ……です……」
弱々しく微笑みを浮かべ、はイオスのコートの胸元をきゅっと力なく掴んだ。
その笑顔に、イオスはどこかいたたまれなさを感じずにいられなかった。
ふいに、はハッと先程まで自分の置かれていた状況を思い出し、イオスに詰め寄った。
「悪魔は!?
みんなは、どうなったんですか!?」
「お、おい!
すこし落ち着いて……」
なだめようとするイオスの肩越しに、は目を向ける。
「………………!!!!!」
言葉が、出なかった。
そこにあったのは、絶望。
異形の者どもに無残に殺され、骸と化した――
「あ、あぁ……あぁぁ……ッッ!!」
――“黒の旅団”の、兵士たちだった。
ある者は腹を抉られ。
ある者は四肢をばらばらにされ。
またある者は、全身をずたずたに引き裂かれ。
苦しみ、死んでいった。
「――、見るなっ!」
「うあ……あぁ……ッッ!!」
イオスがの視界を覆うように、彼女の頭を抱え込むように抱きしめた。
は先程とは違った強い力でイオスの服を握り締め、がたがたと震えている。
――よろしく頼むぜ、ちゃん――
仲間だと認めて、笑いかけてくれた人たちが。
――あなたは私たちがちゃんと守りますよ――
なすすべもなく、殺された。
この世界にありえるはずのない存在のせいで。
自分と、同じ世界にしかいない筈の存在のせいで。
――――――あたしの、せいで。
「……あ……たしの…………せいだ……!」
「……!?」
震える声に、イオスは名を呼ぶが、は答えない。
「あいつらが、来たの……あたしのせいだ……!」
「な……!?
そんなわけ……!」
「あいつらは!!」
ないだろう、と続けるつもりのイオスの言葉は、の叫びに消えた。
「……あいつらは、みんな……
あたしの世界の悪魔たちで……!
あたしが、この世界に来たせいで、この世界とつながりができちゃって……
だから、悪魔たちが……!!
……あたしさえ、この世界に来ることがなかったら……みんなは……!!」
「――それは違う!!」
大きな声を上げたイオスに、はびくりと肩を震わせる。
イオスは、を抱きしめる腕にぐっと力を込め、の頭に頬を寄せた。
「……それこそ、君のせいなんかじゃないだろう。
君がリィンバウムに来たのは、誰にも予想できなかったことじゃないか。
君が気にするようなことじゃないよ……」
「でも!
守れなかった!!」
やさしくかけられたイオスの言葉も、は首を振って否定する。
「守らなきゃ、いけなかったのに……!
そうでなければ、なんであたしは……!!
……あたしはどうして……
どうして、こんなに……無力なの……!?」
「……」
悔しそうに、腕の中で自分の服を掴んで震えるの嘆きは、ただ抱きしめてやることしかできないイオスの耳に、胸に、棘のようにちりちりと痛みを与える。
「……っく、ぅう……ッッ…………!!」
押し殺したような嗚咽が零れる。
泣く資格さえ、ないのだと。
まるで、が自らにそう言い聞かせているようだった。
「…………でも、守ることができたものだって、あるじゃないか」
「……ぇ……?」
ポツリと呟かれたイオスの言葉に、は顔を上げた。
「無事に逃げ延びることができた兵士だって、ちゃんといる。
それに…………僕も君も、ここにいる」
囁きかけながら、イオスはの顔を覗き込んだ。
ガーネットとラピスラズリの瞳が、そっと交わる。
「君の、おかげだよ。
……君は無力なんかじゃない。
だから……そんなに、自分を責めたりしないで。
君がそうやって苦しむのなんて、誰も望んでないから……」
そっと、髪を梳いてくれる手が。
包み込んでくれる、温かな腕が。
温かな声が。瞳が。
「……っふ……ぇ……」
――――赦しを、与えてくれた気がして。
「……っぅ……ぁあ……ああぁぁッッ!!」
は、イオスの胸元に顔を押し付けるようにして、泣いた。
今まで、イオスの前で何度も泣いてきたけれど。
ここまで声を上げて泣くのは、これが初めてだった。
少女の慟哭を耳にして、苦しそうに眉を寄せながら、イオスはゆっくりと瞳を閉じた。
仲間への、冥福を祈りながら。
――――が笑顔を取り戻してくれることを、祈りながら。
* * *
木々に遮られた月明かりの中を、イオスとは歩いていた。
これだけ時間が経過していては、結果がどうあれ、もう作戦は終了しているだろう。
それでも、報告はしないといけない。
先行している第二部隊の残存兵が、自分たちの部隊の状況はルヴァイドに報告しているだろうけれど。
「、大丈夫か?」
振り返ってイオスが尋ねると、わずかに呼吸を荒くしながらも、はこくんと頷いてみせた。
きゅっと、つないだ手に籠もる力が、彼女の意思を伝えている。
それを見とめてから、イオスは再びの手を引いて歩き始めた。
「――イオスさん」
不意にかけられた声に振り返ると、そこにはの笑顔があった。
「あたし……こんどは絶対に、みんなを守るから」
イオスは微笑んで、空いている手での頭を撫でてやった。
「ぜったい、守るから………………」
ふたたび、口の中だけで小さく呟かれた声は、耳に届かずに風に消えた。