たとえ遠く離れていても。
想いは繋がると、信じたい。
with
第23話 たからもの
元気を取り戻したは、身なりを整えてルヴァイドに挨拶をしに行くことにした。
河原から戻ったその足で向かっても良かったのだけれど、さすがに寝間着のままでいつまでもうろうろするわけにはいかない。
おまけに裸足だったから、移動するのにはイオスに運んでもらうしかない。イオスは軽いから構わないと言ってくれるのだが(むしろ軽すぎると心配された)、申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、丁重に断った。
数日振りに、普段着ている半袖のワンピースを身につける。
露出した腕の肘から先に刻み込まれる深紅の紋章が、嫌でも目に入る。自分の手の甲や腕を見るたびに先日の悪魔との戦いを思い出してしまう。ここ数日の苦しさはそこから来ていると言ってもいいほどだったけれど、今はもう、ささくれ立った感情も落ち着いている。
は僅かに微笑んで、コートの袖に腕を通した。
「準備できたか?」
バレッタで髪をまとめたところで、テントの外からイオスが声をかけてきた。
「あっ、はーい!」
返事をして、はついたての向こうに顔を出そうとして――ふと、忘れ物に気がついて引き返した。
* * *
「すいません、待たせちゃって」
「いや、大丈夫だよ」
後ろから遠慮がちにかけられた声に、イオスは振り返った。
――と。
少女が大事そうに抱えているものに気がつく。
「それ……持っていくのか?」
「なんか、近くにないと落ち着かなくて」
照れくさそうに笑うの腕の中にあるのは、彼女が元いた世界にいたときから持っている数少ない所持品――鞘に収められた、大振りのナイフだった。
普段はベルトで腰から提げているのだが、今日は久々に外に出るということでつい忘れたのだろう。ベルトごと引っ掴んで持ってきたという雰囲気がある。
いつも持ち歩いている品だが、使っているのは見たことがない。時折触れる機会のあるの手のひらには、武器を扱う者独特の固さなどが全くといっていいほどない。
知らず知らずのうちに、ナイフを凝視していたのだろう。視線の先に気付いたのか、が言った。
「これ……お守りなんです」
「お守り?」
オウム返しに尋ねれば、は頷いた。
「……あたしの大切な人が、くれたんです」
その一言に。
いとおしそうに目を細めて頬を染めるに。
イオスは心のどこか引っかかるものを感じた。
「ずっと前に、あたし、殺されかけたことがあるんです。
その時に助けてくれて、いろんなことを教えてくれた人がいたんです。
でも、その人はすぐにまたお別れしないといけなくなっちゃって。
その時に、これをくれたんです。お守りだって言って。
『オレがいなくなっても、そのナイフがきっとを守るから』って……
その人とはあれからもうずっと会ってないけど、一緒にいたときに感じたあったかさとか、これを見てれば思い出せたから。
辛いことも、これがそばにあったから、乗り越えられたんです」
は、鞘を抱いている手に僅かに力を込め、抱きしめる。
「これは、あたしのひとつめの宝物なんです」
「――ひとつめ?」
イオスの呟きに似た問いかけに、は照れくさそうに微笑んだ。
「ふたつめは――イオスさんがくれた、バレッタ」
イオスは、かすかに目を見開いて、を見つめた。
「どっちもね、あたしには大切なものなんですよ。
ずっと、大事にするから……」
浮かべられた純粋な笑顔に、イオスも自然と頬が緩んだ。
「……ああ」
* * *
とイオスがルヴァイドのテントに着いたとき、ちょうど誰かがテントの中から出てくるところだった。
「あっ、隊長! ちょうど良かった。ルヴァイド様がお呼びですよ」
若い兵士は、どうやらイオスを呼びに行くところだったらしい。イオスも軽く彼に挨拶をして、テントの中へと声をかけた。
「ルヴァイド様、イオスです」
「ああ、入れ」
天幕の外のやりとりは聞こえたのだろう。姿の見えないルヴァイドは別段驚いた様子もなく返事をした。
イオスと共にテントに入ってきたの姿を見て、ルヴァイドは表情を柔らかくする。
「もう、落ち着いたのか?」
「はいっ……心配かけて、ごめんなさいです」
「気にするな。元気になれたのならそれでいい」
最初こそ元気よく返事をして見せたもののすぐにしゅんとうなだれてしまったに、ルヴァイドは優しさを感じさせる声をかけた。はルヴァイドの顔に浮かべられた微笑を見て、嬉しそうに笑った。
「それで、ルヴァイド様」
「ああ……聖女一行の行方がわかった。どうやら、あのままファナンへと抜けたらしい」
「ファナン、ですか」
召喚師の一団が、召喚術を用いることで発展した港湾都市。
そこへ逃げ込まれたとなると、その召喚師の団体に助力を求める可能性がある。
「少々厄介なことになりましたね」
イオスの呟きに、ルヴァイドも重々しく頷く。
「慎重に事を運ばねばなるまい。下手をすれば、ゼラムの二の舞だ。
もうしばらくは様子を見るしかあるまいな」
「そうですね……」
頷きながら、イオスは心のどこかに言いようのない不安を抱いていた。
――それが現実になるか否かは、今の彼にわかるはずもなかった。
* * *
ルヴァイドのテントを出ると、ふいにが空を仰いだ。
「どうかしたのか?」
鳥でもいたのかと思ったイオスが尋ねてみても、は返事をしない。
ぼんやりと、ひとつの方角に目を定めたまま動こうとしなかった。
「……?」
「えっ!? あ、なんですか?」
ぽんっと少し強めに肩を叩いてみると、は飛び上がりそうなほどに身体をこわばらせて、目を瞬かせながらようやく振り向いた。
「なんですかじゃないよ。
ぼうっと空なんて見て……こっちが聞きたいくらいだ」
「ご、ごめんなさいです」
は慌てて頭を下げた。
ようやく調子が戻ってきたを見て、イオスは思わず笑みが零れた。
「あっちの方から……何か音が聞こえたような気がして」
「……音?」
イオスもが指差した方を見て、目を閉じて意識を集中し、聴覚を鋭くさせる。
――遠くの方で、確かに何かの重低音がしているのを聞き取った。
「確かに聞こえる。
それにしても、よくあんなのわかったな」
「なんとなくだったんですけど……あっちの方、気になっちゃって」
視線をめぐらせた方角には、確かファナンがあったはず。
は、そこで起きている“何か”でも感じ取ったのだろうか。
「あまり心配しなくていいんだよ。
気にしすぎたって、君にはきっと辛いだけだから」
落ち着かなさそうにファナンの方角を見つめるの頭に手を載せて撫でてやれば、は小さく頷く。
「……ありがとう」
自分を見上げて笑顔を見せたに、イオスも満たされた思いで微笑んだ。