塞がれた道。
新たに用意された道。
たとえその全てが、誰かの掌の上のものだったとしても。
今さら後戻りなんて、出来はしない。
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第25話 新たなる道標
ファナンから戻った偵察隊が告げた言葉を耳にして、ルヴァイドは眉間に皺を刻み込んだ。
曰く、金の派閥の手により、“黒の旅団”がファナンに入るのを禁じられたのだと。
厄介ごとは避けられそうにないとあらかじめ覚悟していたが、決して実現してほしかったわけではない。
これではもう、現状では打つ手がない。聖女一行がファナンから出てくるのを待つしか、今の自分達には出来ることが見当たらなかった。
しかし、それには問題がある。
待ちの作戦そのものではない。待っている間の、物資の補給だ。
行軍中の物資は、あらかじめある程度定められた分しか用意しない。故に、予定外の長期間の遠征は、その限られた物資――特に食糧だ――を可能なかぎり切り詰めて行かねばならない。
ただでさえ最初の聖女捕獲の任務から時間がだいぶ経過している現在、そろそろ辛くなってきているのは確かだった。加えて先日の大平原の戦闘で、かなりの負傷者が出た。その治療のために、医療品もだいぶ心許なくなってきている。
そこに加えて、今回のファナンへの立入禁止だ。
足りない物資をある程度でも街で補充できれば多少は保つはずだが、それさえも出来ないのだから、状況はかなり悪い。ゼラムまで買いに行くのも不可能ではないけれど、あの街にはファナン以上に自分達を知る者がいるため、迂闊に立ち寄れない。万一買いに行けたとしても、現在地からより遠いゼラムへ行くとなれば、運ぶ手間もかかるため、ろくに補給などできないだろう。
どうしたものかとルヴァイドが頭を抱えたそのとき。
「る、ルヴァイド様!」
「どうした。騒々しいぞ」
「すっすみません。ですが……!」
飛び込んできた兵士は、一喝されてすくみ上がりながらも、なんとか言葉を紡ごうとした。
しかし。
「突然すみませんね、お邪魔しますよ」
「…………!?」
慌てる兵士とは対照的に静かな、しかしそれでいてよく通る声がルヴァイドの耳に入った。
「……レイム!?
なぜ急に貴様が……!」
「おや、ずいぶんとご挨拶ですね」
苦笑して肩をすくめてみせるレイムは、険しい顔のルヴァイドを前にしても微笑を崩さない。
「ファナンの件は私も耳にしています。厄介な事になってしまいましたね」
優雅なしぐさで、レイムは自らの顔にかかってきた長い銀髪を払う。
「そこで、ルヴァイドさん。新たな命令です。
聖女捕獲の任から、貴方がた“黒の旅団”を下ろします」
「な……ッ!?」
普段の調子でさらりと告げられた言葉に、ルヴァイドは絶句した。
今さら、この男は何を言い出すのか。
村を焼き払わせ、罪のない民間人を殺害させ。
それでも、与えられた使命への責任だけを拠り所として今まで戦ってきた自分たちから、その使命そのものを奪おうというのか。
「――あぁ、そう恐い顔をしないで下さい」
言葉とは裏腹に恐れなどまったく抱いている様子のない表情のまま、レイムはひらひらと手を振った。
「勘違いをなさっているようですが……下ろすと言っても、一時的なものです。
先に済ませていただきたい用件ができたので、それが終われば、また元通り聖女の捕獲に回っていただきますから」
ルヴァイドが全身から放っていた殺気が収まるのを待つかのように一呼吸置いてから、はっきりとレイムは告げた。
「三砦都市トライドラの砦を攻略します。
つきましては、貴方がた“黒の旅団”には、ローウェン砦攻略を担当していただきたいのです」
トライドラといえば、『聖王都の盾』と呼ばれる騎士の国家。
その砦を攻略するという事は、すなわち聖王都の守りを突破するという事。
今回の戦争の中で、重要な戦いのひとつと言える。
「ローウェン砦だけでいいのか?」
「ええ。スルゼン砦にはすでに私の部下が向かいました。そして位置関係から、ギエン砦は他二つの砦を攻略した後になるでしょう」
「しかし、今からすぐに向かうとなれば、物資などの問題があるのだが……補給は受けられるのか?」
この男に対して、そんな人道的な問いかけをしたところで、まともな返事が返ってくるだろうかという疑念は確かにあった。
しかしそれでも、自分たちが今の状態でそのまま戦に赴いたところで、何の役にも立たないということがわからないほど、この顧問召喚師は愚かな男ではないはずだろう。
「ご心配には及びません。
さすがに時間的に、デグレアまで帰るわけにはゆきませんが――その代わり、補給はミルザで行ってください」
「ミルザか……」
ミルザとは、聖王国・旧王国の国境に位置する、さして大きくない街の名だ。
大きくないといっても、軍事都市デグレアに管理される街だけに、物資補給などを行う分には何も問題ない。
「作戦開始までの期間は、休暇とでもしてください。
今度の砦攻めを失敗されるわけにはいきませんから、兵たちには英気を養っていただかないと」
にっこりと笑ったレイムの言葉には、違和感を感じずにはいられないルヴァイドだったが、補給と休暇は正直なところありがたいものだった。
「では、これより我々はミルザへ向かい、以後は別命あるまで待機ということでいいのだな?」
「ええ」
はっきりと頷いてみせたレイムを確認してから、ルヴァイドは「了解した」と告げた。
* * *
レイムが去ったあとに、ルヴァイドは兵を集めた。
ローウェン砦の攻略という、ようやく騎士らしい任務に、兵士達は俄かに活気づく。
「イオスさん、“みるざ”ってなんですか?」
「ん、あぁそうか。は知らなかったな」
解散直後につんつんっとコートの袖を引っ張られる感触にイオスが振り返れば、きょとんとした顔のが首をかしげていた。
「ミルザは、聖王国と旧王国の国境にある、デグレアに属している街の名前だ。
この“黒の旅団”の兵士の中にも、ミルザ出身の者は結構いるぞ」
「じゃあ、そのひとたちは、里帰りなんですね」
目の前の少女は、どういうわけか嬉しそうに笑った。
故郷へ帰る者たちの心情を表しているかのように、イオスには見えた。
「イオスさんも、ふるさとはミルザですか?」
「あ、いや。僕は……」
途端に口ごもったイオスを眺めて、は首をかしげた。
「その、僕はミルザの出身ではないよ」
「ふぅん。じゃあ、どんなところなんですか?」
「え……っ」
の瞳の中に見えるのは、極めて純粋な、いかにも子供らしい好奇心。
悪意が全くないだけに、余計にたちが悪い。
イオスは目を泳がせてから、口を開いた。
「そ、そのうち教えてあげるよ。
ほら、もう戻らないと。いろいろ準備しないといけないんだからな」
不自然に話を打ち切って、イオスはの背を押して自分達のテントへと促した。
は不満そうに頬を膨らませていたが、諦めたのかおとなしく従った。
イオスは瞳を伏せて、小さな――本当に小さなため息をついた。