剣を手にして、守るべきものの楯となり刃となる者。
楯に守られながら、彼らの命を繋ぐ糧を生み出す者。
どちらかが、どちらの方が大切などということはない。
それは、どちらも大切な、必要なものだから。
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第27話 剣と命
案内されたエリックの実家は、住宅地の一角にある小さな家だった。
通された部屋の隅には、なにやら荷物が寄せられている。
まるで引越しでもするかのようだった。
「散らかっててすいませんね」
二人がけのソファをイオスとにすすめながら、エリックは自分自身も一人がけのソファに座る。
「引越しでもするのか?」
「いえ、そうじゃないんですよ。おれも帰ってきてから知らされたんで、驚いてるんですけど……」
イオスの問いかけに対してエリックが曖昧な返事をしたところで、ティーセットを盆に載せて、エレンが歩いてきた。
「近いうちに、結婚するんです。姉が」
「え……!?」
イオスは思わず、かちゃかちゃと小さな音を立てながらカップとソーサーの用意をするエレンの横顔を凝視した。
視線を感じて、エレンが微笑む。
「本当にもうすぐなんですけど、家がいつまでたっても片付かなくて。
弟がいないまま式を挙げることになりそうだったんですけど、これなら間に合うかもしれないです」
確かに、仕事――それも軍の任務となれば、家族の結婚式を理由にしたところで帰ってくることなどまずできない。
そういう意味では、この姉弟は幸運だったといえるかもしれない。
「それは……おめでとうございます」
「ありがとう」
祝辞を述べるイオスに礼を言いながら、エレンは紅茶の注がれたカップを配った。
用意ができたところでもうひとつの一人がけのソファに座り、自分の分の紅茶を少しだけ口に含んでから、ホッと小さく息をつく。
「……こんなご時世に、式を挙げるのは……正直ちょっと反対する気持ちもあったんですけどね。
でもあの人が、『こんな時世だからこそ、幸せなことは祝うべきだ』って、きかなくて」
どこか遠い目で、エレンはくすくすと笑った。
* * *
エレンがを連れて別室にいなくなってしまい、イオスはエリックとふたりで彼女達が戻るのを待つことになった。
「しかしあれですね。なんていうか、結婚とか言われても、いまいちピンと来ませんよ。
それに……何だかんだで、二人きりの家族でしたからね、おれにとっては」
「……両親は?」
聞きづらそうに恐る恐る尋ねたイオスの様子に、エリックは僅かに苦笑した。
「もともとうちは、代々デグレアに仕えてきた軍人の家系なんですよ。
兵士だった父親は、おれが小さい頃に戦争で死んだとか。だから、おれは顔も何も覚えてないんです。
母親の方は、父が死んでから何年かして、流行り病で。
それからは姉が自立できる歳になるまで、親戚のもとにいました」
「あ……す、すまない」
ばつが悪そうに謝罪したイオスに向かって、エリックは「いいんですよ」と手を振った。
「しかしそれなら、姉君はやはり軍人の家柄の者と結婚を?」
「いいえ」
答えたのはエリックではなく、もっと高い女性のもの。
振り返ると、エレンが立っていた。
「軍人の妻がどういうものかは、わずかな間でしたけど、子供の頃に母を見て知っていますから」
苦笑まじりに告げられた言葉は、現役の軍人であるイオスには耳に痛いもので、思わず眉を寄せてしまう。
「あぁ、そんなつもりじゃないんですよ? 国民を守るために、軍っていうものが必要なことは、私もよく知っています」
慌てて取り繕うように、エレンは言った。
「私の結婚相手は、パン職人なんです。ほら、大通りにある大きなパン屋、わかります? あそこで働いてるんですけど」
イオスは頷いて、話を促した。
「必要な、大切なものだってわかっていても……やっぱり、夫を戦の場に送り出すっていうのは――女にとって、家族にとっては、辛いものなんですよね。
パン屋も、同じように街の人にとっては必要なものです。日常で人々が糧にしていくものを、生み出す人たちだから。
どちらの方が必要とかっていうことはないんです。どっちも、それぞれに大切なもの。順位なんてつけられない。
だけど同じように必要なものだったら、私は“生み出すこと”の方を選びたかった。
弟や隊長さんを責めてるとか、そんなことはないんですよ。
ただそういう事だっていうだけなんです」
微笑を浮かべる目の前の女性に、強さを感じた。
それは、イオスが普段触れて、また自分も目指す強さとは、まったく別のものだった。
「あぁ、そうそう」
今までの雰囲気から一転して明るい調子で、エレンがぽんっと手を合わせる。
「隊長さんに、見てもらいたいものがあったんですよ。ちょっと待っててくださいね」
それだけ言い残して、エレンは部屋の外へ出て行ってしまった。
数分も待たずに、エレンは帰ってきた。
……もうひとり連れて。
「え……、それ……?」
エレンが背を押して、隠れるようにしていたが現れた。
は、普段着ているコートの代わりにもっと厚手の、この国の気候に適したコートを着ていた。
ほとんど白に近いピンク色のふわふわしたコートは、彼女の小動物的な愛らしさを引き立てている。
「もうそろそろ、寒さも厳しくなってくるから。私のお古で悪いんですけど、よかったらと思って」
お古という割にちっともくたびれた感じはしない。じっと見ていると、こっそりとエリックが囁いた。
「
(……ほんとはあれ、買ったはいいけど姉貴には合わなかったんで、ずっとしまいこまれてたんです。
昔っからおてんばだったから、あんなきれいなコート汚したらまずいってんで)」
元気に走り回る幼い頃のエレンが目に浮かぶようで、イオスは苦笑した。
「……聞こえてるわよ。」
ギラリと姉に睨まれて、エリックはあさってのほうを向いて咳払いなどしてみせていた。
「それから、中の服もあのままじゃ寒いだろうと思ったので……」
言いながらエレンが促して、はコートを脱いだ。
中に着ていたのは、長袖のブラウスとボレロ。それから、釣鐘型にふわりと広がっている膝丈のジャンパースカートだった。
ミルザの娘のごく一般的な装いである。
「行軍には着て行けないかもしれないですけど、女の子なんだし、着替えは多い方がいいでしょう?
と言っても、これも私のお古なんですけどね」
エレンは他にも数着用意したようで、大きめの袋を手にしている。
「いいんですか? そんなに……」
イオスが尋ねると、エレンは笑った。
「ええ、もちろんです。私が着るには小さいですし、子供が生まれたら、とか言ってもその頃にはその頃の流行りがあると思いますし。
どうせ、処分しようと思っていたものですから。着てくれる人がいるなら、その方が服も喜ぶでしょう?」
イオスもも、エレンの厚意を受け取ることにした。
* * *
ふたりがエリックの家を出る頃には、もう日が落ちかけていた。
夕暮れの街を、並んで歩く。
「楽しかったか?」
「はいっ」
尋ねてみれば、元気のよい返事が返ってきて、イオスは頬を緩めた。
「エレンさん、すごくいい人でした。いろんなお話、たくさん聞かせてもらえて、おもしろかったです」
「そうか。よかったね」
はリィンバウムに来てから、女性との交流が極端に少ない。同性の相手と一緒にいるのは、やはり異性ばかりに囲まれた環境とはだいぶ違うものだ。特に女の子の場合は。
そういう意味で、今日の出会いは非常に良いものだったと、イオスも思う。
「またいつでも遊びにおいでって、言われちゃいました」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうといいよ。ただ、エレンさんも今忙しいんだから、ほどほどにな」
一応釘を刺しておくと、は承知しているといわんばかりに頷いてみせた。
「そのコート、あったかそうだね」
「はい、ふわふわで気持ちいいですよ。ほら」
腕を掲げてみせたので、軽く撫でてみる。確かに手触りがいい。
「ほんとだ。中の服もそうだけど、によく似合ってるよ」
「……ほんとですかっ?」
頬を紅潮させて、大きな青い目をさらに大きく見開いて尋ねてくるを見て、イオスは笑みを零した。
「もちろんだよ。すごく可愛い」
「えへへ、ありがとうございます」
は照れくさそうに、はにかみながら笑った。
イオスは荷物を持っていない手で、の手をとった。
「さぁ、帰ろうか?」
「はいっ」
つないだ手は、温かかった。
夕日が、石畳に長い影を作る。
オレンジ色に染まった世界の中を、イオスとは歩いて行った。