「あのね、イオスさんに聞きたいことがあるんです」
それが、部屋に入ってきたの第一声だった。
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第28話 伝わらないもの
「なんだい?」
尋ねてみれば、はまっすぐな瞳を向けたまま、言った。
「結婚って…………“おめでとう”って言うようなものなんですか?」
「え……?」
意外と言えば意外。唐突と言えば唐突。
イオスは思わず眉を寄せて怪訝な顔つきになる。
「何でまた急にそんなことを……?」
「今日、エレンさんが結婚するんだって話聞いたときに、イオスさんが『おめでとうございます』って言って、エレンさんは『ありがとう』って言ってたから。
そういう風にやりとりをするものなのかなって思って」
そんな風に尋ねてくるということは、の世界ではそういった風習はないということだろうか。
口ぶりからして、“結婚”と言う単語そのものは知っていそうだが、それが意味する内容までは知らなさそうだ。
「えーと……一応確認しておきたいんだが、は“結婚”は知っているんだよな?」
恐る恐る尋ねてみると、こくんと頷かれる。
「結婚っていうのは、男女間で婚姻関係を結んで配偶者を得ることですよね」
の口から出てきた言葉は、まるで辞書からそのまま引用したようなもので、とてもじゃないが年頃の少女の解答とは思えない。素っ気もロマンの欠片もない返答に、イオスは微妙に頭を抱えたい心境になった。
* * *
結局、イオスはそれらしいことは何も教えてくれなかった。
ぽふっと軽い音を立てながらベッドに飛び込んで仰向けになり、は天井をぼんやりと見つめる。
「どうして、教えてくれないんだろ……」
口から出てきた独り言は、沈んだ声の調子が彼女の落ち込み具合を表している。
瞳を閉じると、困ったような顔をしたイオスが浮かぶ。
――聞いちゃいけないこと、だったのかなぁ……?――
自分は、余計なことを言ってしまったのだろうか。
間違ったことを言ったつもりはなかったのだけれど、何かイオスの気に障ったりしたのだろうか。
不安が、じわじわと胸の内に湧き上がる。
ただ、知りたいだけだった。
喜ばしいことであるなら、それを自分も一緒に感じたいと、ただそれだけだった。
イオスを困らせるつもりなんてなかった。
湧き上がった不安が、キリキリとの胸を締め付けた。
* * *
ゆらゆらと揺れる暖炉の火を眺めながら、イオスは深いため息をついた。
目を伏せれば浮かんでくるのは、悲しそうな、不満そうなの顔。
彼女の問いに、何も答えてやれなかった自分が、正直悔しい。
けれど、何を言えというのだろうか。
“結婚”というと、大抵の少女や女性にとっては憧れるものであり、また、新たな夫婦の門出を祝うものである。
しかし、あれほどまでに極端な――それこそ、事務的といってもいいほどの回答を出されてしまえば、の中には、普通の少女が持つような“結婚”に対する“感覚”とでも言うものが存在しないのは明らかだと思い知らされる。
それでも、はその“感覚”がどんなものなのかを知りたがっているように見えた。
あの心優しい少女のことだから、祝うような喜ばしいことなら、祝いの言葉は心からのものを贈りたいとでも思っているのだろう。
だが、そんな彼女に対して、的確に言葉で全てを伝える術を、イオスは持ち合わせていない。
今の段階では、自分にはどうしようもないのだ。
そう言い聞かせて諦めさせても、イオスは自分の不甲斐なさに苛立つしかなかった。