―― 次の日 ――


今朝は少し早めに家を出た。
柚子は昨日の疲れ(?)のせいか、まだスヤスヤと眠っていた。

『兄貴、好き…………』

ずっとその言葉が頭の中を回ってる。
あれはきっと、兄として好きと言う意味を軽く越えている…………そんな気がした。

ただの自意識過剰だと思えればそのほうがありがたい。
しかしきっと、あいつは本気で俺のことを…………

テクテクと学校への道を歩いていると、不意に斜め後ろから声をかけられた。

「何か悩み事?」

「ああ、ちょっと妹のことでな……」

「ふーん……」

なんだよ、ほっといてくれよ……
思わず反射的に答えてしまったけど、誰だこの人……って…………


「ああああぁぁあぁー!!」

「おはよう、大島くん」

俺の横にはサラサラの黒髪を揺らしながらニッコリ微笑む美女がいた。
落ち込んで歩いていた俺を不思議そうに見つめながらも、口元の笑みは絶やさない。


「きょうもいい天気ね?」

「そ、そうだね……」

軽く微笑むシャープな口元、ツヤツヤの唇に視線を集めてしまう。
みんな同じ制服なのに、彼女が着ると何だかとても神聖な衣装に見える。

近くにいるだけで圧倒的な美少女オーラに包まれる。
それになんだかいい香りがする……

この声の主……彼女こそが俺の憧れの人、夏蜜さんだ。

でも何でこの時間に!?
俺が問いかける前に夏蜜さんのほうから尋ねてきた。

「いつもより早いのね?」

「夏蜜さんこそ早いんじゃない??」

「私は委員会の当番だから仕方なく……ね?」

おどけた様子でため息をつく夏蜜さん。



しばらくの間、他愛ない会話をしていたのだが
急に彼女が神妙な顔つきになった。

「ねえ、大島君……お願いがあるの」

「??」

「今日もうちのクラス、家庭科の調理実習があるじゃない?」

そんなことは知らないけど、だいたいの予想はつく。

「また助けてくれない?」

「卵割りを?」

「割るだけじゃなくてちゃんと焼いてよ! おいしくして!!」

口を尖らせる夏蜜さんを見て不覚にも笑ってしまった。


「でも今度は違うグループになるんじゃないの?」

「学級委員権限で私と大島君は同じグループにしちゃうからさ! このとーり!」

何が何でも俺に料理をさせたいらしい。
ちょっと困った振りをしながらも、俺は彼女の申し出を快諾した。


「ありがとう。きっとそういってくれると思ってた♪」

「うまくいかなかったら?」

「その時は私と一緒に補習よ」

それも悪くないな……





―― 調理実習後 ――



「今日もすごかったわ。いつもあなたには驚かされてばかり!」

未だ興奮醒めずといった表情の夏蜜さん。俺だって驚いてる。

まさか高校の授業でホイコーローとか蟹玉、
マーボー茄子とか色々作らされるとは思ってなかった。

しかも調味料を作るところからスタートだ。

たった15分でここまで作れたのはクラス、いや学年でも俺しかいないだろう。

「あれって自分で覚えたの?」

「まあね。合わせ調味料とかレシピは大体覚えてるし、もう少し調理場が広ければもっと早く作れたかも」

ちなみに俺、この歳で調理師免許を持ってます。

「でも下味つけないから味が浅かったなぁ。それは大目に見て」

「すごいなぁ、ほんとにすごいよ! 今度うちに来て作ってみてくれない?」

「誉められるのは嬉しいけどやめとくよ」

「えー、なんでよー!!」

不満そうにほっぺを膨らませる夏蜜さん。

「ちゃんと考えておいてねっ」

「はいはい……」

しぶしぶ返事をする俺。

だって彼女の家には専属のコックさんとかメイドさんがいるらしい。
真相は定かではないけど、お金持ちの一人娘と聞いている。

俺だって大恥かきたくないから、さすがに遠慮します。

「そうだ! お礼に……ってわけじゃないけど、今日の午後ひま?」

「時間はあるけど……なに?」

「一緒にプールに行かない? うちの父からチケットもらっちゃったの」

持ち歩いていた手帳から夏蜜さんは細長いチケットを取り出して俺に見せた。
彼女の家に行くのはカンベンだけど、プールで遊ぶくらいならいいか。

それに彼女の水着姿も……
やばい、前かがみになってしまいそうだから考えないでおこう。



―― そして放課後 ――


「すげ……」

市民プールみたいに子供がワラワラしてるところを想像していたのだが、
夏蜜さんが連れて行ってくれたのは一流ホテルのプールだった。

それもリゾート感覚ばっちりの……プールサイドにパラソルとデッキチェアが備え付けてある屋内プール。
平日なので人もいなくて、とても快適に感じた。
俺も彼女も水着はここで借りた。

「大島君、早く! こっちでシャワーあびよう?」

一緒にシャワーって……場所が場所なら鼻血が吹き出しそうなセリフだ。

ともあれ、施設の豪華さに圧倒されていた俺に夏蜜さんが声をかけてくれた。
俺も慌てて彼女の声のするほうへ行く。
透明な間仕切りで囲われた簡易シャワーブースに入る。
さすがに狭いので一緒にシャワーを浴びることは出来ないけど、すぐ隣に彼女がいる。

彼女の水着は真っ赤な生地に大きめのひまわりが描かれたワンピース。
一見すると子供っぽいデザインだが、大人びた彼女の顔やスタイルとのギャップもあって、とてもよく似合っている。

「ごめんね、ビキニじゃなくって」

「い、いや……謝らなくてもいいじゃん、それ!」

「あはっ……男の人ってビキニのほうが好きなんじゃないの?」

男がみんなそうとは限りません。(キリッ

パシャパシャと胸元やおなかにシャワーをかける夏蜜さん。

シャワーを浴びながら俺はじっと彼女を見つめてしまった。俺でなくてもきっと見惚れてしまう。
夏蜜さんの手足が長いのは制服の上からでも知っていたけれど、後ろから見る脚線美は特筆ものだ。
ほくろひとつない真っ白な陶器みたいな肌に、太陽みたいに照り付ける室内照明を受けて輝く髪。

「泳ぎは得意?」

「いや、ぜんぜん……」

「うふっ、私もよ」

ほんの少し学校で手伝いをしたからって、こんなにタイミングよくプールでデートなんて……

これが人生最大のモテ期ってやつか?
だとしたら精一杯エンジョイしなくてはならないっ

「大島君?」

「はっ!」

「何見てたのかなー?」

シャワーでずぶぬれになりながらボンヤリと遠くを見ている俺に、夏蜜さんがツッコミを入れてきた。

「あっちにいるキレイなお姉さん?」

彼女が指す方向を見ると、二十代後半の女性が歩いていた。
確かにキレイかもしれないけど、目の前にもっとすごい人がいるから気にしてなかった。

だがテキトーに相槌を打つ。

「あ、ああー! そうだねっ。つい……ハハハハハ」

「エッチだなぁ! もうっ」

にっこりと笑顔を見せる夏蜜さん。
やばいくらい可愛い……もしかして俺のことを好きなのかと勘違いしてしまいそう。

「目の前にもう一人いることを忘れてませんか?」

「すんません……」

「ふふっ、冗談♪ だってあの人たちのほうがずっとオトナだし、私よりセクシーだもんね?」

それだけを言うと、夏蜜さんはくるっと背を向けてプールサイドへと歩いていった。



人もまばらなリゾートで、俺は一時の楽しい時間を過ごした。
股間の暴れん坊が目立たないように出来るだけ水の中にいたつもりだが、
つねに夏蜜さんが近くにいたから一向に落ち着きを取り戻すことはなかった。

そして二時間後。

「ごめんね、無理やり誘っちゃって」

更衣室から出た俺たちはホテルのロビーで冷たい飲み物を頼んだ。
彼女が持っていたクーポン券にはドリンク一杯サービスと書かれていた。

ドライヤーで乾かしたとはいえ、まだしっとりと濡れたままの髪が色っぽい。

「ほんとに急だったね、夏蜜さん」

「ゴメンナサイ…………でも嬉しかったよ。私、男子の友達少ないしさ」

急に柚子の言葉を思い出した。
どんなに素敵な人でも、学校の男子とは付き合わない……俺が見ている前で彼女はそういった。

そうなると、今日のこの状態は本当にただの遊びなのだろう。
彼女にしてみれば軽いお礼。男友達への恩返し、か。
ちょっとだけ胸が痛い。

「そういえば、このあいだ妹の柚子さんがね……」

ギクッ

「ゆ、ゆずがなにかっ!?」

いきなりキター!!
どうする?このあとどうする??

あらためて振られるのか、俺……
こんな楽しい思い出を作った後で思いっきりお断りされたら立ち直れない。
妹との恋愛特訓で得た自信も粉々になっちまう!

「あのね……」

「う、うん」

「通学路で運悪く私とぶつかっちゃったの。お兄さんからもゴメンナサイっていっといてほしいの」

調理実習のときと同じように両手を俺の前で合わせる夏蜜さん。
かなりほっとした反面、なんだかとても疲れた。

「わかった。でもあいつなら大丈夫だよ! 部活で身体鍛えてるみたいだし」

「仲良しなんだね、妹さんと」

ストローでアイスティーを飲みながら、夏蜜さんはうらやましそうに言った。

「きっと妹さん、大島君のこと大好きよ。それも彼氏にしたいくらいに」

ブハッ……

「吹いちゃったよ…………何でそう思うの?」

「女の勘よ」

夏蜜さん、それ……おおむね正解だと思います。
そんな気持ちは口に出さず、俺は残りのドリンクを一気飲みした。




すっかり日も暮れた。疲れたけど楽しい時間だった。
もしも恋愛の神様がいて、こんな機会を与えてくれたのなら素直に感謝したい。

「そろそろ帰りましょ?」

「送っていくけど?」

「だいじょうぶ。タクシーで帰るわ」

彼女がそう言うのと同時に、待合所に止まっていた黒いタクシーのドアが開いた。

「今日はありがとう。じゃあまた明日!」

「こちらこそ」


俺が手を振ると、彼女を乗せたタクシーがゆっくりと動き出した。




つぎへ


もどる