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第一章 第四話
志穂の手のひらが僅かにうごめく。
「うっ……」
胸に添えられたこいつの手が伺っているのは、俺の気が抜ける瞬間だ。
白くて細い、ひんやりした指先。
それを見せつけられているだけでも穏やかでなくなるというのに。
「やめろよ、志穂……」
「何を?」
「だ、だから……待って! ま、」
ツツツ……
「んはあああっ!」
人差し指が乳首の周りをくるっと引っかいた。
しかも浅乃さんからは見えない角度で、狡猾に!
カリカリッ、カリ♪
(んぎ、ぎもちいいよおおぉぉぉ!!)
無意識にシーツをギュッと掴む。そうでもしなければ志穂の悪戯に耐えられない。
「えっ、え、ちょっと! 奏瀬くん? 仲川さんっ!?」
「大丈夫。この人は少しだけくすぐったがり屋なんですよ」
「うあ、あああっ!」
「仲川さん、彼……悶えてるようにしか見えないんだけど!?」
浅乃さんの言葉に首を縦に振ろうとしても、志穂がそれを許さない。
指先の奏でる旋律は、容易に俺の体から反撃の力を奪い取る。
悔しげな表情を浮かべている俺を見ながら志穂が笑った。
「女の子の前だと悶える癖があるんだよね? 悠真」
「あああぁ、志穂っ、志穂ぉぉぉ~~~!!」
名前を叫ぶのが精一杯で、その先の言葉を紡げない。
でも軽くくすぐられた程度なら、普段であるなら拒否することくらいできるのに何故……
(ああああっ!)
もう一つ原因があった。力を奪う原因が。
浅乃さん、何気なく俺の手をぎゅっと強く握りしめてる!
しかも本人はそれに気づいていなくて、志穂と俺の顔を交互に見比べているだけ。
「そう言われてみると、なんだか少し嬉しそうにも見え……」
「ち、違いま、ああっ!」
カリカリ……こちょこちょ……
ぎゅうううっ!
志穂の手付きは明確なくすぐりへと変わりつつある。
それに加えて熱心な浅乃さんの握手攻撃が、あああぁぁぁ!
「そうなのよ。だから浅乃さんには今後のためにも悠真を知っておいてほしくて」
困り果てた演技をする志穂も大概だが、それをもろに信じてしまう浅乃さんもピュアすぎる。
「私が悠真と同じクラスだったらいつでもここへ入院補助させてあげられるけど」
「い、いらんっ、そんなの、求めてな――、」
こちょ……つぷううぅ!
「いぎいいい、あひいいいいいいいいいっ!!
俺の体が跳ね、ベッドが思い切りギシギシと音をたてる。
「あら、大丈夫?」
志穂の手首が翻り、指先が脇腹に少しめり込んだ。
相変わらず浅乃さんに見えない角度で。
「奏瀬くん!?」
「んは、あ、ふああぁ、ああぁぁ……」
心配そうに覗き込む浅乃さんの顔、とても可愛くて純粋で……それなのにどこか残酷に見える。
どうして気づいてくれないんだろうか。
明らかに俺は志穂にいたぶられているというのに。
そんな彼女に対して、志穂がタオルを手渡した。
「浅乃さん、優しく撫でてあげて」
「えっ」
「このタオルで、悠真の体を拭いてあげるとか」
チラッとこちらを見た志穂の目は、明らかに嗜虐心で満ちていた。
(やば、やばい……今そんなことされたら、また声が出ちゃう!)
志穂に促された浅乃さんが小さく頷く。
駄目だから、頷いちゃだめえええええええええ!!!!
「そ、そうだよね……」
「ん、あ、ぅ……!」
「奏瀬くん、失礼します!」
ぴとっ♪
「んひゃああああああああ!!」
無邪気な天使が、タオルを片手に俺の忍耐力を全て拭い去ってしまった。
浮かび上がった汗が拭き取られたところから、またすぐに新たな汗が玉になって浮かび上がる感覚。
「えっ、何が駄目だったの? ごめんね、ごめんね!」
「きもひ、いいいぃぃ……」
俺の顔を覗き込みながら、彼女は懸命に体を拭いてくれる。
会ったことはないけど、ナイチンゲールってこんな感じだったのかな……献身的で優しくて、そしてどこか天然ボケだったりして。
そんな光景を志穂は小さく体をゆすりながら眺めていた。
「ちょっと刺激が強すぎたみたいね」
「そう、なんですか?」
「うん。でも大丈夫みたい。ほら」
ツゥ……ぺとっ♪
「んくううっ!」
「きゃ……」
志穂が浅乃さんの手を握り、俺の肌に直接触れさせてきた。
「蕁麻疹が出てないでしょ。浅乃さんに触れられても悠真は平気みたいだよ」
「そ、そんな拒絶反応があるんですか?」
「今まで見てきた限りだと、私とか妹の結菜ちゃん以外の女性に触れられて、こいつが無事だったところを見たことはないわね」
悔しいが志穂の言うとおりだ。俺はこの体質のせいで、まともな青春なんて諦めざるを得ない状況に追い込まれているのだ。
好きな人が居たら告白したい、手を握りたい、キスしたい……そんな当たり前のことを、望むことすら許されないのが俺の体質「絶対敏感」なのだ。
「奏瀬くん、大変な毎日だったんだね」
「浅乃さん……」
でも彼女は違う。数少ない対象外だ。
しかも現状で理想的な女性として設定されているわけで、もしかしたら全力でお願いする案件なのでは?
(よし、ここは勇気を振り絞れ自分!)
志穂がいる前でも構うものか。俺はこの機会に、一気に彼女と仲良くなって――、
「大丈夫、これからは私が守ってあげる!」
「えっ?」
「一緒に克服しよう。ねっ?」
「ちょっとまって、それすごくかっこ悪いっていうか……いや、なんか思ってるのと違う!?」
ぎゅうううっ♪
「あにゃあああああああっ!」
愛情ではなく正義感や使命感に近いものを彼女から感じる。
そしてそれら振りかざし、彼女はまた思い切り俺の手を握りしめた。
「あ……ごめんなさい」
拒絶反応が出ないと言うだけのことであり、浅乃さんへの免疫は未だゼロに等しい。
「ふふっ、あーはははは! おかしー」
志穂はそのやり取りがおかしかったのか、ベッドの隅をバンバン叩いて笑った。
「悠真、良かったね! 嫌われなくて」
「お、おまえっ……」
ふいに志穂が耳元に顔を寄せてきた。
「好きなんでしょ? 彼女のこと……」
「ひっ!!」
「黙っててあげる。貸しが一つ増えたわね」
真横なので表情は見えないが、きっと魔女のように冷たい微笑みを浮かべているに違いない。こんな恐ろしい女なのに、うちの男子の間ではかなり人気だと言うから本当に世の中わからない。
志穂はゆっくりと体を起こし、ベッドから腰を上げた。
「じゃあここは浅乃さんに任せてもいいかしら」
「はい。仲川さんは教室に戻って」
「そうさせてもらうわね」
そして背を向ける直前、
「また今度、ゆっくりお話しましょ?」
「! こ、こちらこそ喜んで!」
「美味しいケーキのお店、一緒に行きましょ。そこで……」
俺と朝乃さんの顔を同時に見つめて、志穂が小さく笑った。
「悠真のこと、もう少し教えてあげる♪」
「え……」
志穂が少し声を小さくしたせいで、俺の耳にはぎりぎり届かない程度の声だった。
そして何故か急に、浅乃さんが怯えたような反応を見せる。
「悠真ほどじゃないにせよ、浅乃さんも……とってもわかりやすい人みたい」
志穂の言葉を受けて、浅乃さんは両手で顔を隠してしまった。
あいつ一体何を吹き込んだんだ?
「や、あぁぁ……」
「大丈夫? あいつに何を言われたの?」
尋ねてみても、浅乃さんは首を横に振るばかりで何も答えてくれない。
先程までとは立場が逆転したように、俺は数分間そのままオロオロするばかりだった。
少しだけ彼女の耳が赤くなっているのがとても印象的だった。
■
そして下校時刻が過ぎ、帰宅――。
「ただいまぁ……」
ぐったり疲れた声で俺は家の玄関をくぐる。
「おかえり、おにい!」
ぽにゅううっ!
「ぐぬうううううっ!!」
「ただいまのギュ~~~は?」
耳元でなにか言われたが、顔面を拘束されてパニックになる。
視界が真っ暗のまま俺はもがいた。
妹の結菜(ゆうな)の声を認識した直後、思い切り柔らかいものに視界を塞がれた。
そして当然声も出せず、鼻からは何か甘い香りが侵入してきて……
数秒後。
(だめだ、これ……あたまがふわふわする、やつだ……)
ドサッ
鞄を床に落とし、膝から俺は崩れ落ちた。
全身の力が入らないのは、学園で起きたことだけのせいではないと思う。
おそらく、この、目の前にある凶悪な二つの塊が……
「ゆうな、おまえ……あぅぅ!」
「ああああ、駄目~~~~! しっかりしてよぉ、おにい!!」
妹の泣きそうな声を聞きながら、俺はそのまま玄関で数分間気を失ってしまうのだった。
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