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第二章 第二話



 俺は視線を落とし、ノートを見つめながら震えていた。
 恐れや不安ではない。
 これは武者震いというやつだ。

「名前を書けば恋仲に! じゃあ、浅乃さんと無条件で結ばれるってことか!」
「いきなり妾の知らぬ名を出すな。アサノサンって誰じゃ。それに、無条件とは言ってないぞ」

 リリスの冷ややかな視線が俺に突き刺さる。

「うう、やはりそうか……俺は異性と触れ合えない呪いをかけられているからな……」
「なんじゃそれは?」

 不思議そうな顔で覗き込んでくる彼女に、俺は自分の体質について簡単に説明をした。
 異性に触れても触れられても、何かしらの発作が出ること。
 特定の異性に対しては限定的だが、その発作が現れないことなど。

「なるほど、把握した。そして落ち着け。とりあえず妾の話を聞け」
「聞いてる、聞いてるってばよ神様……」
「リリス様じゃ! 神様などと呼んでくれるな。死にたくなる」

 心底嫌そうな顔をして、リリスは手のひらを左右に振ってみせた。
 やはり悪魔と神は相容れないものらしい。

「それにしても、こんな都合のいいものがこの世に存在するなんて」
「いや、それはこの世のものではなくて淫魔界にある実体の映しでな……」

 そこからノートに関する注意事項をいくつか聞かされることになる。

「そのノートはエスノートと呼ばれる淫魔界の至宝じゃ」
「エスノート!?」
「名前を書かれた人物の性格がエス寄りになる」
「う、嘘ですよね?」
「もちろん嘘じゃ! ふはは、引っかかりおって!」

 俺の困り顔を見ながら、リリスは突然笑い出す。
 種族の性質上、相手を困らせたり驚かせたりするのは好きだと言う。

 人懐っこい笑顔を見せられるとこちらもあまり強く言い返せなくなるのがずるい。
 そしてリリスは言葉を続ける。

「……しかし、いい気になって名前を書きまくると、その時点でキサマの人生は終わりじゃ」
「なんでですか! ハーレム禁止ですか!?」
「そうではない。書き込む時にキサマの魂と、書き込まれた相手の魂がノートに一時的に吸い取られるから慎重に取り扱わねばならんのじゃ」
「それってまさか、寿命が縮むってことです?」
「違うわ! 魂が一時的に吸い取られ、コピーされることで相手と心が交わるのじゃ」

 怯える様子を見せた俺に、リリスは呆れたように言った。

「名前を書いたら死ぬノートなんて、礼を尽くそうとする相手に渡すはずなかろう?」
「それもそうですね」
「しかし、書き込んだことは未来永劫相手に伝わりっぱなしじゃ。一生追いかけ回されると思っていい。浮気しようものなら、殺されても文句をいうなよ」
「ずいぶん重い設定なんですね……」
「人の心を操るのじゃ。主導権を持っている方にも、リスクは背負ってもらわねばフェアじゃないからのう」
「悪魔って、公正な精神を持ち合わせているんですか……」
「はっ? 何を言っとるんじゃ。我らの世界は取引を重んじる。キサマが住む、この世界では平気で裏切ったりするじゃろ? あれが魔界なら即刻死罪じゃて」

 たしかに彼女の言うとおりだった。
 身近なところで言うならば、学園生活でも小さな嘘は飛び交っているし、家族の中でさえ、俺も結菜をからかったりすることもある。
 だが淫魔の世界ではそれは許されないらしい。嘘は取引の正当性を害する。つまり契約違反は重罪だという。

「今までの使用者を見ている限り、書き込む相手は三人くらいまでにしておくといいぞ」
「浮気は三人までってことですか」
「そういう意味ではない。本気になれるのは三人まで……ということじゃな」
「本気、ですか」
「恋愛するなら結果にかかわらず常に本気であれ。そうは思わんか?」

 ニヤリと笑う彼女を見て俺は背筋が震えた。
 とても冷たくて、色っぽくて……相手を甘やかすような魔性を感じたからだ。
 不意に見せたリリスの微笑みに心を奪われそうになる。そんな自分を律するように、俺は慌てて道具や荷物をまとめ始めた。

「と、とにかくありがとう! 持って返ったら早速書き込んでみるよ」
「まだ説明はあるぞ」
「いやっ、今日はこれで帰る! リリスも気をつけて帰ってね!!」
「あ、こらー! 妾の話を聞かんかー!」

 怒りっぽい彼女を置き去りにして、俺はその場から離れるのだった。









「まったく……気の早いやつじゃ。だが心根は優しそうなやつなので問題なかろう」

 取り残されたリリスは腰に手を当てながら苦笑する。
 あのノートは彼女自身が選んだ者にしか扱うことはできない。
 そして説明した以外のことを書き込むと無効になる呪いがかけられている。

「ちょうど選定の義も近づいていることだし、渡りに船というやつか……」

 本当は他にもいくつか説明しておきたいことはあったのだが、それは後日でも構わない。

 周囲を見回し、誰も居ないことを確認してから彼女は再び湖に飛び込むのだった。










 帰宅してからも俺はぼんやりした様子で、手元にあるノートを眺めていた。
 パラパラとめくって、それぞれのページをじっくり観察する。
 消しゴムで消したあともなく、とにかくペラペラの紙だ。薄いゆえに枚数がかなりある。概ね百ページ前後だろう。

「さて、どうしたもんかな……これ」

 夕食後も暫くの間、ベッドの上でゴロゴロしながらその行為に没頭した。
 釣果が振るわず、妹から文句を言われたこともそれほど気にならないほどに。

 リリスの言葉を思い出す。
 これは淫魔の世界の宝物。
 名前を書くだけで相手が恋人になり、その人と心がつながる。
 書いた者の魂と、書かれた者の魂一部がコピーされて交流する……どんなメカニズムなんだろう。

 疑問は尽きない。そもそもこの道具、使いみちは何だ?
 淫魔の国が他国に攻め入る時に、相手のトップを虜にしてしまうためなのか。
 それとも単なる興味本位で男を操るためのものなのか。
 今更だけど、しっかり彼女に質問してから帰宅するべきだった。

 それはさておき、ノートに向かい合う。
 最初に誰を書くべきか。実は大体決まってる。
 対象は身近な方がいいと思う。
 普段の言動や、本来の性格を表に出さない芸能人やアイドルと仲良しになっても、あまり面白くないように思えるからだ。
 今がいちばん大切だ。身の丈に合った幸せでいい。

 できれば優しいほうがいい。
 性格が穏やかで、真面目で純情な人と付き合いたい。
 男なら皆そう思うんじゃないか? 
 それこそテンプレ的な美少女がいい。
 髪がふわふわで、目が大きくて胸も、大きい……すでに頭の中にあの人がいる。
 付き合ってもらうこちらとしても、会う時の変化がつけやすい気がする。
 以上の理由から、ノートに書き込む最初の名前は浅乃香織さんしかいないのだ。

「彼女は確定だとして、あと二人は?」

 せっかくだから三人目まで考えよう。
 リリスもそう言ってたし。

 ただでさえ異性と付き合うなんて夢物語とは縁遠かった俺なのだ。
 保険は必要である。否、保険などという言い方はするべきではない。

 二人目のパートナー、浮気じゃなくて本気ならば問題なかろう。
 リリスもそう言ってたし。

「ここはやはり、志穂、かなぁ……」

 自然と頭の中に浮かんだ言葉とイメージがあいつだった。
 なにげに美人だし、面倒見がいい。おっぱいだって小さくないし、スタイルが良くてクラスの人気者だ。何より得難いのは幼馴染属性。プライスレス!
 そんな彼女を恋人にすれば、勉強だって教えてもらえる。俺は勉強嫌いだから、教えてもらう気はそれほどないけど。

「いつもそばに居てくれるし、あいつもしかして俺のこと好きなんじゃないか?」

 思い上がりの一言が口からこぼれてしまった。
 もしかしたらエスノートなしでも勝算はあるのか。
 いや、無いだろうな……今のままの関係じゃ駄目だ。
 俺が上じゃなくてもいいけど、せめて対等の関係でありたい。
 ここは淫魔の至宝の力にすがるべきだろう。

「この二人でいいような気もするけど……その前に結菜でちょっと試運転してみるか?」

 そして三人目を、と考えるより先に出てきたのが妹の顔と声とバストだった。

「いや、妹だぞ? ありえない選択……」

 だがそのありえない相手に俺は毎回敗北している。
 あいつずるいんだ……よくわからない催眠と、あのふわっふわの胸で俺を魅了して、好き放題人体実験を繰り返して。
 一度わからせてやる必要がある。ヒイヒイ言わせてやりたいのも事実。
 そんな理由で三人目までが決定した。
 ペンを手に取る。

 ノートを開き、浅乃さんの名前を書き込もうとした瞬間だった。
 突然ノートが輝き出し、俺は閃光に包まれた。

(2018.06.17更新部分)




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