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第二章 第三話
気がつくと俺は薄暗い通路に立っていた。
石造りの壁と松明。まるでゲームの中みたいな光景だ。
「なんだここは……」
床に敷き詰められている分厚い絨毯のおかげで足が冷たくなることもない。
慎重に息を吸ってみると、漂う空気はどこか花のような香りがした。
「俺は異世界に飛ばされて勇者になってしまうのか? ラノベみたいに!」
すると遠くから金属がこすれ合うような音が響いてきた。
ガシャン、ガシャンと規則的にその音は続き、こちらへ近づいてくる。
数秒後、暗闇の中から現れたのは甲冑を身にまとった兵士だった。
本当に兵士かどうなのかもわからないけど、俺にはそれ以外の言葉が思いつかない。
体つきからして女性だとわかるけど、顔は甲冑に隠れているのでよく見えない。
「こちら警備隊。拝命どおりの怪しげなニンゲンを発見しましたが」
彼女の口から警備隊という言葉が聞こえた。きれいな声だった。
通信機の類は見えないが、誰かと話しているようだ。
「なんだ……」
「承知しました。チャーム無しでお連れします」
通話が終わったのか、彼女がこちらへ一歩近づく。
目線の高さはほとんど同じで、手に持っていた槍のような武器を両手で構えている。
「お、おい……」
「勅命である」
槍の先は尖っていない。しかしその先端がにわかに光りだす。
とんっ……
その光の先が音もなく伸びて、少しだけ俺の胸を小突いた。
痛みはない。
だが瞬時に俺は脱力した。
「え……」
「任務完了。帰投します」
糸を斬られた操り人形のように、膝から崩れ落ちる直前、俺は目の前の兵士の腕に抱き寄せられた。
■
そのまま暫くの間、俺は気を失っていた。
目が覚めた時、俺は肘掛けの付いた一人用ソファに座らされていた。
「待ちかねたぞ少年」
「その声は自称人魚の……高慢ピチピチギャル!」
聞き覚えのある声に対して反射的に応えてしまう。
視線を上げると、やはり記憶通りの……湖畔で語り合ったリリスの姿が目に映った。
ただ現在は、普通に尻尾が尾ひれのようにも見える。やっぱり人魚はこうでなくっちゃ。
「ぶ、無礼者! リリス様に向かってなんという暴言を」
真横から聞こえるその声は、おそらく俺を気絶させてここへ運んできた兵士だろう。
こうしてみると結構美人さんだな……こいつもサキュバスなのか。
「良い良い、構わん。こやつは妾の恩人ゆえな」
リリスが俺を責める兵士をたしなめると、彼女は素直に引き下がった。
「さて、ユウマよ。エスノートに名前を書き込もうとした瞬間、ここに飛ばされた……そうであろう?」
「ええ。やっぱりこれは貴女の仕業だったのですか」
「ま、そうじゃよ……でも安心して欲しい。ニンゲンの世界では何も起きていない」
「どういう意味です?」
「キサマがここへ来る瞬間に時を止めた。故にユウマが消えたことは誰も知らぬ」
さらっとすごいこと言ってるけど、浦島太郎状態であることをやんわり伝えられただけに過ぎない。
でも命があるだけまだマシか。問題はこのあとだ。
「少しだけホッとしましたけど、ところで此処は?」
「淫魔の世界よ。他の魔族からは、『悲しみの都』と呼ばれておる」
リリスはそう言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
その優雅なふるまいに思わず俺は息を呑んだ。
(立ち上がっただけで相手を魅了することができるんだ……)
全身からにじみ出る色気がこちらの手足に絡みついてくるようにも感じた。
心地よい束縛感と言い換えようか……そんな雰囲気を味わっていると、リリスの左手がそっと俺の顎を持ち上げていることに気づいた。
「キサマに頼みがあって妾の近くまで転移してもらったのだ」
「あ、だめ……です……」
鼻先に感じる吐息が甘すぎて意識がぼんやりする。
「この世界の誰にも頼めないことなのじゃ」
「顔、近すぎて……あああぁぁ……」
つん……
リリスの整った鼻が、俺の額をつついた。
同時にまた甘ったるい息を吹きかけられる。
更に両手で彼女は俺の顔を挟んで、自分の方へと引き寄せた。
「どうじゃ? 頼まれてはくれぬか」
「ふあぁ、ぁぁ、どんなこと、ですか……」
意識がとろけた思考能力では、これが精一杯の返事だった。
状態異常に引きずり込んだ上で同意を引き出す手法はずるいとわかっているのに、抗えない。リリス、ずるすぎる……
「ユウマに頼みたいのは、その側近……三人のサキュバスの中で、誰が妾の後継者にふさわしいかを意見してもらいたい」
「……はっ!」
急に思考がクリアになった。
リリスが俺から少し遠ざかり、距離を置いたからだ。
「後継者選びって、どういうことですか?」
「妾はもう16代目を襲名してから長い。悲恋湖の水瓶が一杯になるほど泣き続け、水を貯めたのと同じくらいの時を過ごした」
「あ、あの噂って本当だったんだ……いやいや! そんな責任重大なことを俺にやらせる理由がわかんないんですが……」
「もちろんただでとは言わんよ……そのエスノートを使いこなす権利、本当の使い方を教えてやる」
戸惑う俺に対して、リリスは畳み掛けるように言う。
「その過程で、キサマが悩んでいる些事……絶対敏感といったか? 童貞特有の体質改善にもつながるであろうな」
「な、なんだって!?」
「ほれほれ、年頃の女子に触れあっても平気な学園生活を送ってみたくないか?」
これじゃあ反論できない。
目の前に美味しそうな餌をいくつもぶら下げられてはたまらない。
だいたいこのリリス、流石に王を名乗るだけあって、人の心を弄ぶのがうますぎる。
「……わかりましたよ。俺は何をすればよいですか」
「簡単なことじゃ、ベッドの上でゴロゴロしながら決めた女子三人の名を、エスノートに今ここで書け」
「それはさすがに恥ずかしいんですけど……」
「ふっ、今更じゃな。キサマの行動など、全て妾に筒抜けじゃて。今更照れずとも良かろう」
「ずっと覗いてたのかよアンタ! くっそー、なんだよそれ……」
ニヤニヤしながら羽ペンを差し出すリリスを睨みつつ、俺は三人の女性の名前をノートに書き連ねた。
「ふむ、書いたか」
「わかるのですか?」
「ああ、わかるとも……名前を書かれた三人の魂の一部がこちらへ向かっている」
その言葉を裏付けるように、無骨なエスノートがほんのりと虹色に輝き出した。
「うわぁっ! なんですかこれは!!」
「ふっ、完了の通知……じゃな」
程なくしてその輝きは収まり、元のつまらないノートに戻った。
「こちら側の準備は整った。淫魔三騎士をここへ」
「はっ!」
リリスの指示を受けて、俺の脇でずっと控えていた兵士の姿が消える。
「淫魔三騎士?」
「ああ、妾の側近じゃよ。全員が優秀でな。それで後継者選びに迷っているのじゃ」
「やっぱりサキュバスなのですか?」
「当然じゃろ。それに……ふふふ、ユウマがあやつらと対面してどんな顔をするのか、ちょっとした楽しみじゃ」
「!?」
不敵な笑みを浮かべるリリスを見て、背筋に悪い汗が流れる。
言葉の意味が理解できないまま数十秒ほど過ぎようとした時だった。
「ほれ、すでに到着したようだ。キサマの背後に控えておるぞ」
「あっ……!」
俺の背後にいる存在をリリスが促す。
振り返るとそこには、甲冑姿とは違う……露出度の高い衣装を着た三人のサキュバスが片膝をついて俯いていた。
「黎明の騎士、ルルカ・モルゲン参上しました」
「白昼の騎士、シフォン・スタークここに」
「宵闇の騎士、リンネ・ナハト……お呼びですか?」
穏やかな声、涼しげな声、可愛らしい声。
それぞれの美しい声が共鳴して、楽器の三重奏のように聞こえた。
そして三騎士と呼ばれる淫魔たちが顔を上げた瞬間、
「な、なっ、なんでお前たちが!?」
「ひゃーはっはは! ふひ、ひいっ、予想以上のリアクション、愉快じゃああ!」
俺の前で笑い転げるリリスのことすら気にならないほどの衝撃だった。
三騎士それぞれの顔は、それぞれよく知っている人物の顔だったからだ。
「あなたが選定の義を司るニンゲン……ユウマ様なのですね?」
そして、ゆっくりを腰を上げ、近づいてきたのは黎明の騎士。
彼女は、ルルカ・モルゲンは……浅乃さんそっくりの顔立ちで、俺に向かって優しく微笑みかけてくるのだった。
(2018.06.18更新部分)
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