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  第三章 第一話
  
  
  
  「時計の針が止まったままだ……」
  
   部屋に戻った俺はベッドに転がってぼんやりと壁を眺めている。
   時が止まった世界というのは異様だ。
   空気も動いていないので新しい風の流れがなくて、見えない何かに拘束されているように感じてしまう。
  
  「あ……!」
  
   だが、急に時は動き出した。
   わかるのだ。自分の鼓動、空気の流れ、家の中で遠くに感じる音まではっきりと。
  
  「結菜、いるか?」
  
   いつもはこんな風に呼びつけたりしない。
   でも今は自分の生を感じたいというか、何時になく気持ちが焦っていた。
  
  「なぁに、おにい?」
  「ッ!!」
  
   きょとんとした妹の顔を見て俺は何故か安心した。
   いつもどおりの結菜だ。
   俺を性的に蹂躙したリンネ・ナハトじゃない。
  
「どしたの? 結菜のおっぱいじゃなくて顔を見てるけど」
「それが普通だろ! もういい、戻っていいぞ」
  「ふ~ん、へんなの……?」
  
   どこか腑に落ちない様子で妹は背を向ける。
   こんな風に兄が横暴に呼びつけたのだから当然だろう。後で謝っておこう。
「あっ、そういえば! しほちゃんからのメール見たぁ?」
「なんだそれ?」
  
   だが結菜の一言でそんな殊勝な気持ちも吹っ飛んだ。
   なんか嫌な予感がする。
「むふふ~、いいことあるかもね?」
  「へんなやつだ……」
  
   結菜は怪しげな笑みを浮かべてから自分の部屋へと戻っていった。
   俺はケータイの着信履歴を見る。メールが二件届いてる。
  
  「ん、これは。志穂と、もう一人は誰?」
  
   とりあえず志穂の方から開く。絵文字もスタンプもないシンプルな文面。
   間違いなく志穂だ。
  「なになに……悠真へ、浅乃さんに連絡先を教えました。感謝しなさい、って……はああああぁぁぁぁぁ!?」
  
   個人情報は? 俺の人権はガン無視かよ!!
   浅乃さんに教えたって、どういう流れでそんな事に……、
  「まさか! じゃあこの見慣れないアドレスは……」
  
   俺は震える手でもう一通のメールを開く。
   署名は、浅乃さんだ。電話番号まで添えられている。
  「嘘だろ。でも、これは本当っぽい……試しに通話してみるか」
  
   返信するための文章を考えることもできず、反射的に電話番号をクリックした。
   当然、電話の機能としてそれは有効なわけで――、
  
「もしもし?」
「ひいいいいっ、浅乃さん!?」
「あっ、奏瀬くん? 奏瀬くんだよね、その声」
   数コールもせずに彼女とつながった。
   電話の向こうは何故か楽しそうな雰囲気だった。
  
  
  ――次の日。
  「なんだよこれ……」
  
   俺は電車で4つ隣の駅の改札口に佇んでいた。
   昨日の電話の内容に従い、俺はここにいる。
   一緒に付き合ってほしい場所があるということで、俺は緊張しつつオッケーの返事をした。
   浅乃さんは切羽詰ったようにも感じられた。それ以前に彼女からのお願いは断れない。
   おかげで眠れない夜を過ごした……全てが彼女のせいではないけど。
  
   さて、待ち合わせの時間まであと5分ある。
   暇つぶしにゲームでもするかと思った時、真横から声をかけられた。
  
  「奏瀬くん、おまたせ! ごめんね、急に呼び出しちゃって」
  「えっ……」
  
   声をかけた相手は浅乃さんだった。
   ヤバイ、可愛すぎる……学園の制服では隠されていた肌が白すぎる。
   髪型はかろうじていつも通りだけど、それ以外がもう……まっすぐ見つめられないほど可愛い。
   パステルカラーのシャツとネックレス、それにミニスカート……とても似合ってる。
   何よりもスタイルの良さが半端ない。胸なんて、これ絶対周りのやつがチラチラ見てる気がする。
  
  「あ、ああ! 別にいいよ、いいんです! 俺は問題ないから」
  「本当に? 怒ってない?」
  「ここで嘘ついても仕方ないし」
  「そうだね。じゃあ、あとでお詫びにソフトクリームごちそうするね!」
  
   そんな事を言いながら彼女は俺を促し、歩き始めた。
   手を後ろに組んで、俺の隣を歩いているだけなのにドキドキする。
  
  「これは夢の続きなのか……」
  
   幸せ過ぎる現実が、逆に俺から現実感を奪い去ってゆく。
  
  
  
  ■
  
  
   浅乃さんと二人でショッピングモールを歩く。
   そして何件かお店を見て回ったあと、彼女は約束通り俺の分のソフトクリームを手にして戻ってきた。
  
「本当にごちそうしてくれるんだ」
  「私が嘘つくと思ったの?」
  「いや、そういう意味じゃなくて……」
  
   ちょっとムッとさせてしまったけど、それでも幸せなんです。
   もちろん口には出せないので、黙ってアイスを舐める。
   隣同士じゃなくても、彼女と向かい合ってこんな時間を過ごせるなんて考えてなかった。
  
   暫くお互いに黙ったままでいたものの、彼女の方から顔を近づけてきた。
「あのね、急に付き合わせちゃった理由……まだ言ってなかったよね」
  「うん……」
  
   そこで浅乃さんはキョロキョロと周りを見回した。
   まだ時間が早いせいもあって、俺達の他には二組程度が座っているだけだ。
  
  「実はね、昨日の夜なんだけど……急に眠くなっちゃって、うたた寝してたの」
  
   周囲の目を気にしながら彼女は続ける。
  
  「そうしたら、変な夢を見ちゃって」
  「えっ」
  
   俺が怪訝な顔をしたせいか、ほんの少しだけ彼女の顔が赤くなる。
  
  「あのね……う、ううぅ……」
  「うん、どんな夢だったの」
  「か……奏瀬くんと、仲良しになった夢。う、あっ、、へんだよね私! いきなりこんなこと言い出すなんて」
  
   状況的には告白に聞こえなくもないが、俺の心はそこまで浮ついていなかった。
   あくまでも変な夢なのだ。どんな風に変だったのかを聞くべきなのだ。
  
  「あんまり驚かないんだね……」
  
   黙ったままの俺を見て彼女は不思議そうに言う。
  
  「あ、ごめんなさい。その夢の話、続きが聞きたいんだけど」
「うん、あのね……」
   俺の言葉を受けて、彼女が堰を切ったように語りだす。
   二分程度話を聞き終えた時には立場が逆転していたはずだ。
   俺は先程の彼女よりも顔を真赤にしていたのだから。
「すとっぷ! そろそろ、無理……俺が無理ッ」
  「あ、あっ、ごめんね……お顔が真っ赤だよ、奏瀬くん」
  
   話の内容が生々しすぎたのだ。
   直接的なエロ表現は皆無だったが、彼女の豊富な語彙力のせいで胸の内側がムズムズし始めてどうしようもなくなった。
  
  「奏瀬くん……こんな風に、近づくの初めてじゃない気がする」
  
   彼女は心配そうにハンカチを取り出し、俺に貸してくれた。
  
  「ほ、保健室で! 検温してくれたからじゃないかなっ」
  
   わざとふざけたように俺は笑ってみせるが、浅乃さんはじっとこちらを見つめていた。
   真面目な顔ではあるが、何かを探ろうとしているような目をしている。
「ごめん、実は俺にも心あたりがあるんだ」
「えっ、どうして」
  「それを話す前に、浅乃さん。俺に隠していることがあるよね?」
  「えええっ!!」
  
   とてもわかりやすく彼女は狼狽した。
   俺は構わず続ける。
「仲良くなった時、浅乃さんはどこにいたの。場所」
  「えっと、あのね……それはよく覚えてないっていうか、思い出せないの」
「違う、お城だよね?」
  「あっ! ああぁ、奏瀬くん……なんで?」
  
   ある程度予想はしていたことだった、
   話の流れによっては、とぼけてやり過ごそうと考えていた。
  
   しかしもう隠す必要は無さそうだった。
  「……俺も話すよ。ルルカとのこと」
  「っ!!!」
   浅乃さんの目が、今まで俺が見た中で一番大きくなったように見えた。
  
  
  
   そのまま話せる内容ではないので、俺達は場所を移した。
   お手軽な防音室……カラオケルームへ。
  
  「驚いた、本当だったんだね……」
  
   ここならワンドリンクだけで3時間粘れる。そんなに話すつもりはないけど。
  
「あの時の俺は、確かにあっちの世界に居たんだよ」
「夢の世界?」
  「それならどれだけ気が楽だろうなぁ……」
  
   そう漏らしただけで、彼女もなんとなく理解してくれた。
   テーブルの上に手を伸ばし、飲み物が入ったグラスをつかもうとした瞬間、
  「奏瀬くん、どうして私を選んだの?」
  
   泣き出しそうな彼女の声に、俺は驚く。
   そして確かに彼女は、膝の上で手のひらを握りしめて、肩を震わせていた。
「私、怖かった……自分が自分じゃなくなってしまったみたいで、心細くて、それで仲川さんに連絡したの」
  「ごめん、俺のせいだ……」
  
   他にかけるべき言葉が見つからない。
   エスノートに名前を書いたのは俺で、その結果大切な人に怖い思いをさせてしまったのだから。
   しかしそうなると志穂や妹の結菜も同じようなことになっているのではないか。
  
   俺が余計な気を回していると、浅乃さんは目元を軽く拭ってから、こちらへ向き直った。
  
「認めるんだ。じゃあ、どうやって責任とってくれるの?」
  「それはまだ考えてないよ……ずっと昨日の夜から悩んでて、そのまんま」
  「奏瀬くん、私の意見を聞いてもらえるかな?」
  
   いつも学園で話すトーンで彼女が言った。
   同時に彼女はこちらへ身を寄せて、そっと右手を俺の左手に重ねてきた……。
  
  
  
  (2018.06.22 更新部分)
  
  
 
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