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第三章 第七話
短い時間ではあったが、リンネやシフォンと話し合いの場を持つ事ができてよかった。
こちらに来てからというもの、ルルカばかり贔屓しているみたいで、俺自身も少し後ろめたさを感じていたからだ。
(でもルルカって、やっぱり可愛いんだよなぁ……わかってるんだけど、どうしてもね……)
まず見た目が反則なのだ。
いわゆるチートキャラ。ただし俺に対してだけだが。
だって憧れの同級生にそっくりなんだもの。
浅乃香織という女の子は、本当に俺にとっては高嶺の花で、学園に入学した当初から輝いていた。
例えるなら朝焼けの花壇にひっそりと咲く一輪の花みたいな……ずっと眺めていたくなるような存在だった。
それがこの間なんて一緒にデートしてしまうとか、もうこの世に未練はないレベルで俺は幸せだった。
たとえそれがリリスが与えてくれたエスノートの効力だとしてもだ。
「リリス様とのお話し合いはいかがでしたか、ユウマ様」
「あっ!」
通路内を、ゲートがあるリリスの間へ向かって移動している最中、ルルカが迎えに来てくれた。
嬉しそうに近づいてきて、そっと俺の隣に寄り添い、腕を組む。
柔らかそうな髪から、いい匂いがする……だめだ、これだけでうっとりしてしまう。
「ユウマ様?」
香織さんそっくりの、きょとんとした愛らしい表情。
しかもルルカはサキュバスで、エッチに関しては俺より断然詳しくて、性格も真面目だ。
腕に押し付けられているバストの感触だけで魅了されてしまいそうだが、幸か不幸かリリスの加護があるおかげで正気を保っている。
「ああ、リリスの言ってることはだいたい理解できたんだけど……」
それは、サキュバスの世界では禁忌にあたる話だった。
この世界では悲しみという感情は不要で、その判断から歴代のリリスが呪いを一身に背負ってきた話。
「聞きたいです」
「え」
「よかったら、私に聞かせていただけませんか?」
ルルカにとって辛い話になるかもしれない、と言いかけた俺の心を見抜いたように彼女が先に切り出した。
「お話、してもらえますね?」
「そうだな。ルルカには聞く権利があるよ」
「はい?」
首をかしげる彼女に、俺はリリスとの対話について語りだした。
サキュバスにとっての悲しみとは何か、この儀式の後でリリスの座についたものが何を感じるのか。
「ルルカは、俺と永遠に別れることになったらどう思う?」
「お別れですか。ちょっと困るかなーって」
「何故そう思うの?」
「それは、よくわかりません」
「……うん、今はそれでいい」
リリスの後継者になれば、たしかに膨大な魔力を手にすることができる。
だがそれにはリスクが伴う。
「好きになった相手が、先に死んじゃったりしたら?」
「蘇生します」
「いや、死因が寿命なら魔力も効かないでしょ……」
「そうなのですか?」
肝心なところで話がすれ違う。
怒りの感情がないものに怒れと言っても理解できないのと同じなのだ。
見えないものを見ろと言っているのに等しいのだから、仕方ないのかもしれない。
「まだ続きはあるんだけど、ルルカには……」
彼女の顔をじっと見る。
表情に変化はなく、いつもどおり穏やかに微笑んでいる。
「ここまで、少しは理解できてるのかな……」
「いいえ」
ルルカは首を横に振る。彼女はどこまでも素直なのだ。
「でも、はっきりとわからなくてもお話したい。ユウマ様と一緒にお話ができるだけで、私は満足なのです」
「そ、そうなのか……」
「うふふ♪ 耳まで真っ赤ですよ? ユウマ様」
「そんなことないし!」
「そんなことありますぅ~♪」
クスクス笑いながら、さらに彼女が身を寄せてくる。
甘い香りに包まれるけど、悪い気はしない。
「俺は、ルルカが先に死んだら嫌だけどな」
「どうしてですか?」
「悲しいから」
「私がいなくなるのが悲しいのですか」
「そう。わかるだろ?」
「うーん、やっぱりわかりません」
死に対しての概念が違いすぎるのかもしれない。
ただ、こうして話をしていること自体は苦痛じゃない。
彼女はそんな事を考えていないのだろうけど、労られてるような気持ちが強い。
何よりもルルカがしっかり向き合ってくれていることが、俺にとってはこの上なく嬉しい。
(でも何故、今更そんな気持ちに……あぁ、そうか……)
好意を寄せられている相手に対して優しい自分でありたい。
そんな当たり前のことに気付かされる。
ルルカは香織さんの分身じゃない。
心の一部を共有しているだけの別人物なんだ。
その事をわかっていなかったのは、俺の方だったのかもしれない。
「あの、ルルカ……ちょっといいかな」
「なんでしょう」
「香織さんには内緒で、君にお願いがある」
ルルカは何も言わずに頷いて、じっと待ってくれる。
こういうところもたまらなく俺の好みだ。
「……ルルカを、抱きしめたいんだ」
「いいですよ」
言葉と同時に彼女は少しだけ離れ、両手を広げて俺を迎え入れてくれた。
にこにこしながら、少しだけ頬を赤く染めて俺が抱きしめてくるのを待っているようだ。
「見た目で判断しちゃいけないよな」
「はい?」
「ルルカはルルカで、ちゃんと見つめてあげないと」
俺が正面から近づいて、彼女の顔を抱きしめる。
ルルカは両手を俺の背中に回した。
(かわいい……)
柔らかい髪を手のひらで撫でながら、更に強く抱き寄せる。
ほわぁっと花のような香りが強くなる。
「えっ……ユ、ユウマ様!」
「どうしたの?」
「いいえ……ただ、はじめての気持ちですね……これは……」
明らかにルルカの声は震えていた。
そして怯えるように俺を見上げてから、ルルカが微笑む。
ギュッと抱きついてくるルルカの心の中に、今までと違う何かが芽吹いたように見えた。
「うっ、はうっ……ユ、ユウマ様ぁ……」
「どうした? 苦しいのか」
「なんでもないんです。もっと近くにいたい……ぎゅってしてもいいんですよ?」
抱きしめた腕の中で、ルルカがさらに甘えてきた。
左右に肩を揺らして体を擦り寄せてくる。
機嫌良さそうに尻尾も揺れて、豊かなバストが形を変えて、俺を誘惑してくる。
「さあ、遠慮なさらず♪」
ルルカは甘くささやきながら、俺の背中を優しく撫で回す。
手のひらが触れた場所の力が抜け落ちる。
「うあっ……それ、魅了の魔力じゃないのか!?」
「あら、すみません。つい……♪」
とっさに言い訳をしたつもりだったのに、ルルカは慌てて体を離した。
本当に誘惑のために魔力を纏っていたのかどうかは不明だ。
だって俺が魅了されていたのは何かのせいではなく、彼女への恋心だったのだから。
「……ユウマ様、このあとしばらくお別れですか?」
「えっ」
「先ほどリリス様から申し付けられていたので」
ルルカが言うには、エスノートの魔力が溜まったらしい。
人間界に戻ることが可能になったことを彼女は伝えに来たのだ。
「ユウマ様に喜んでいただけると思って、急いでここまで来たのです」
「そうだったんだ。ありがとう、ルルカ!」
そう告げると、彼女は嬉しそうにニッコリ微笑んだ。
俺たちはそれから数分間ほど抱擁してから、通路を並んで歩いた。
■
「じゃあ、またのー!」
リリスとルルカに見送られながら俺はエスノートが開いたゲートを潜る。
この先にあるのは時が止まったままの俺の部屋だ。
サキュバスの世界も悪くないけど、やっぱり住み慣れた場所のほうが落ち着く。
ちらりと振り返るとルルカと目があった。
悠真の姿が消えたあと、ルルカが呟いた。
「これが悲しみ……なのかしら。
嬉しいのに物足りなくて、もっと相手を求めてしまうような?
でも胸の奥に温かい何かがずっと残ってる……不思議です」
表情は微笑んでいるものの、それはどこかさみしげな言葉だった。
いつものルルカなら通路で立ち止まったりはしない。
「相手を思う気持ち……私はいつもその時だけで、もっと欲しいと感じたことなんてないのに」
両手を胸の前でギュッと握りながら、ルルカはゲートの先を見つめている。
「ユウマ様、会いたい……また会いたいです。たくさんお話したいです」
そんな自らの変化に戸惑うルルカの背中を、リリスは満足そうに眺めるのだった。
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