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(う、うごけー!!)

 痛めつけられた左腕を右腕に交差させて、加藤はクロスアームブロックの姿勢をとる。いや、取ろうとした。
 しかし左腕が言うことを聞かない。奈緒の素早い動きに対して圧倒的に反応が鈍い。

くるんっ……

 加藤の目には奈緒の左拳が少し回転したように見えた。しかも左肘をグッと引き絞っていつになく溜めを作っている。
 何かがヤバイ、と本能的に彼女のパンチを全身で警戒する加藤。

「えいっ!」

ギュンッ!!

 次の瞬間、ライフル弾のようなストレートが加藤の顔面めがけて飛んできた。
 明らかに普通のストレートと切れ味が違う!!

(クロスガードは無理だ! 間に合わん!!)

 とっさに右腕を折り曲げて顔面への直撃を防ごうとする加藤。
 客観的に見て彼の判断は正しかった。

パッチイィィィ―――ッィィイン!!!……

「ぐあああああぁぁ!!!!」

 彼の右腕全ての皮膚が一瞬で引き裂かれたかのような高音が場内に響いた。
 奈緒のパンチの軌道を完全にふさいだように見えたブロックが粉砕された。
 ちょうど加藤のグローブと右ひじの間に炸裂した左ストレート。

「あ、ああぁぁ……」
「フフッ、まだ意識あったんだ……すごいね」

 むしろ今の左で意識が完全に覚醒させられたといってもいい。それほどの威力を秘めたパンチに加藤の右腕がダラリと下を向いた。
 辛くも加藤が防いだ奈緒の左ストレートはコークスクリューブローだった。
 このパンチは左手の小指を内側に捻りこむように意識しながら相手に炸裂させることで通常よりもかなりの衝撃を与えることができる。
 奈緒が先に放った右のスマッシュという大技に負けない必殺ブローを加藤は何とか耐え切った。

「くそっ……」

 真っ赤に腫れ上がった右腕に力を込めてガードを固める。
 観客もステルス加藤のタフネスに賞賛の声を上げた。それ以上に彼の最後まであきらめない闘争心に観客は感動しているのだ。

「お前には絶対負けねぇ!!」
「やだ……まだそんな強がり言えるの……」

 両腕をボロボロにされながらも全く諦めない加藤を見て、奈緒は小さく身体を震えさせた。

(やめてよ、本当に感じてきちゃうじゃない……!)

 ブルブルと両腕を震わせながらファイティングポーズをとる目の前の男。
 口には出せずにいたが、加藤の姿を見て奈緒のテンションはますます高ぶりを見せていた。

(あん……この人、試合の後に絶対犯してあげる!!)

 奈緒の秘所は再び熱く潤い、とろけそうになっていた。

(はっ、いけない……!)

 奈緒は彼に見惚れていた。
 ほんの2秒程度だったが、勝負を忘れて彼をうっとりと見つめてしまった。

キュキュッ、トーン、トーン、トーン……

 そんな自分を律するかのように、奈緒は軽快にサイドステップを刻み始めた。
 彼女の動きに合わせるように身体を揺さぶる加藤だが、上半身の動きに対してフットワークがほんの少しだけ遅れてしまう。
 観客にはわからない程度の些細なことではあったが、彼の蓄積された疲労をうかがい知ることができた。

「もう足も満足に動かないんでしょ?」
「……」

 加藤は何も答えなかった。
 ここはあえてポーカーフェイスを貫き通す。
 だが対戦相手の奈緒には全てお見通しだった。

「あなたをリングの中央で貼り付けにしてあげる」

スッ……

 なんと奈緒は左のガードを下げた。
 そして右のガードは上げたままで左の肩をググッと前に突き出す。

「ほら、どうぞ?」

 さらにグローブで自分の頬の辺りをさしての挑発。

「あんまり…………なめるなよっ!」

 ずいっと彼に向かって一歩踏み込む奈緒。
 完全に彼女の顔が手に届くエリアに入った。
 あからさまなノーガードにイラついた加藤が右ジャブを放った。

パシィッ!

「うっ、くっ!」

 ジャブを出したはずのステルス加藤の右頬に衝撃が走った。

パンッ、パシッ、パパンッ!

 さらに続けざまに加藤の顔が左右に弾かれる。

「見えてる? このパンチ」
「きっ、さ……まぁ!!」

パチンッ!

 見えない位置から飛び出すパンチを食らいながらも加藤は奈緒の動きをしっかりと見ていた。

「ほらほら、全部あたっちゃうよぉ?」

パパンッ、パシッ、ピシッ、パンッ!

 即座に足がふらつくほどの衝撃ではない。だが、奈緒に全く近づけない。

(これはまさか、フリッカージャブ!?)

 彼にとっては未知のパンチ。
 加藤が予想したとおり、それが奈緒の長くしなやかな腕から放たれる不思議なパンチの正体だった。
 軽く下ろした左腕が鞭のようにしなり、加藤の顔面を何度も打ち続ける。

「ちっ!!」

 たまらず顔面をガードする加藤。そのガードを切り刻むようなジャブ。

「ふふっ、もう降参?」

 奈緒はお構いなしでガードにフリッカーをぶつけ続ける。軽いパンチのはずなのに当たった場所がヒリヒリと痛みを増してくる!

(なんとでも……言え!……ぐああぁっ!?!?)

 フリッカージャブに紛れて重い一撃がガードに叩きつけられた。思わず後方によろける加藤。

「ガードもできなくしてあげようか?」

バチン!

「うぶっ!!」

 先ほどの重いパンチをきっかけに一気にクロスレンジに入った奈緒の右フックが加藤のこめかみにヒットした。

「ぐあっ!!」

 痛みを感じる間もなく今度は左ショートアッパーであごを跳ね上げられる。
 無意識にクリンチをしようとする加藤をするりと避けて、奈緒は再び間合いを取った。

「抱きつくなんてエッチね」

ヒュンッ

「うばぁっ!」
「まだまだ楽しませて……ね?」

 今度は少し体重を乗せたフリッカージャブ。
 左右のコンビネーションで脳を揺らされた加藤が回復するまで、奈緒は丁寧にジャブを重ねた。
 彼がガードの姿勢をとろうとするとその腕を狙い、顔が開いたところを拳でつつく。

(ぐはっ……避けることも許されない……のか……)

 たいした威力ではない分、奈緒のパンチが意識に刻まれる。
 加藤はすでに数百発くらいパンチを食らったような気分になった。
 ふと絶望感が彼の脳裏をよぎる。

(だんだんいい顔になってきたわね)

 奈緒は彼に浴びせるパンチを意識的に顔面の一部に集めていた。
 わざと軽いパンチを彼の右目のまぶたに浴びせる。

(そろそろいいかな?)

 フリッカージャブの速度をだんだんと緩めてみる。
 もはや腕が上がらず防戦一方の加藤の顔が少しずつ赤く染まってきた。
 約一分近くその行為を続けた後、奈緒は加藤に問いかけた。

「ねえ、私の姿が見えなくなってるんじゃない?」
「あっ……!!」

 目の前に奈緒の姿がない。
 声がするほうを向いたはずなのに彼女を捉えられない。

「クスッ……こっちよ」

ヒュッ

「えっ!? んぐぅっ!!」

 加藤の即頭部に衝撃が走る。またもや右のまぶたを狙われた。

「そっちか……!」

ぶんっ

 敵の位置を推測して迎撃のパンチを放つも空振りに終わってしまう。

「鬼さんこちら? ふふっ」

パキッ!

 カウンターで放たれた奈緒の左フックがあごをかすめる。
 神経が切断されたかのように加藤の右膝がガクンッと落ちた。

(しまっ……)

「これで終わりよ」
「んぶぅぅぅっ!?」

 加藤の視界の端に奈緒の脚が見えたと思った瞬間、突然柔らかい感触に包まれた。

「そろそろ眠らせてあげる」

 奈緒は加藤を片手で抱きしめるようにクリンチしていた。
 彼女の胸に顔をうずめさせるように細い腕が彼の頭を引き寄せる。

ふにゅっ、むにゅん……

(えっ!? まっ、な……これ、はっ……)

 甘酸っぱい奈緒の香りに包まれ、恍惚となる加藤。
 だがようやく柔らかさの正体に気づいた彼を待っていたのはそんな甘い時間ではなかった。

「サービスタイムはおしまい」

ドムッ、ドフ、ドッ、ズムッ……

 奈緒は彼を抱きかかえたまま数回左胸を打ち抜いた。

「がっ、あっ、うっ!」

 そしてさらに加藤の左耳の後ろをチョンチョンと何度もこするように叩く。

「ふぁっ、ぶっ……」
「念入りに壊してあげるからね……クスッ」

ピンッ、ピチッ、パシン……

 何度も繰り返される奈緒の集中攻撃に、加藤の腕が弛緩していく。

「ブ、ブレイクッ!!」

 あわててレフェリーが割って入ると、奈緒はあっさりと彼を解放した。
 しかし加藤が再びファイティングポーズをとることはなかった。

ドサッ……

 一瞬だけ構えを見せたと思った刹那、彼は膝から崩れ落ちた。
 どよめく観客に向かって軽く手を上げる奈緒。
 続いて鳴り響く試合終了のゴング。

 奈緒に抱きしめられながら、短い時間で何度も心臓を撃ちぬかれた。
 さらに三半規管を不規則に揺らされた加藤はしばらく立つことができなかったという。




→試合後の控室へ




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