『スライムバスター3 ~境界線からの使者~』






周囲の氷に反射した月明かりが差し込む部屋で少女は不意に目覚めた。

夜明けまであと三時間程度かかる時間帯。

静寂に包まれたこの場所は、北の大地を統括する皇族が住む壮麗な氷の城・ティフォリア。

その最上階で暮らす彼女の名前はミルティーユ・シアノといった。



「また昨日と同じ夢……お父様と戯れる夢……」

先代の王の名(ティフォリア)をそのまま残すこの城で、彼女は長い間一人の時間を過ごしてきた。

ここは北の大地。まともに言葉が通じる魔族のほうが少数派で、実質的には先代の王である父と語り合うしかなかった。

自分の母については聞かされていない。いや、聞かされていなかった。

もともと父と二人であると認識していた彼女にとってはそれほど重要な問題ではなかったので、ミルティーユは自分の母とは幼い頃に死別したと考えていた。



「昔を懐かしむ夢が続くのはこのティアラのせいかしら」

彼女は枕元に置いてある青い冠を指先で引っ掛けて持ち上げた。

ほのかに青く輝くこの物体は驚くほど軽い。

これこそが先日、スライム女王の居城より奪取した「ブルーティアラ」である。

その秘められた魔力は桁外れで、並みの魔物では触れることすらままならない凶器。

現に彼女の家来が二名ほど不慮の死を遂げている。


驚くほど肌になじむ、といった表現が適切であるほどにブルーティアラはミルティーユの願いを受け入れてくれた。

ろくに言葉も話せなかった、力でねじ伏せる以外に意思の疎通が不可能だった氷の魔族に会話と知識を与えた。

その知性を与えられた魔物たちはもれなく彼女の言う事に従うようになった。こんな便利なものがこの世にあるなんて、とミルティーユは感嘆した。

しかしその驚きと喜びも長続きしなかった。むしろ彼女の不遇さを、今までの寂しさを際立たせる事になった。


「憎い……」

その言葉を受けて心なしかティアラがぼんやりと輝きを放つ。

自分と共鳴している――それが何故だかは判らないけれど、ミルティーユの大きな瞳に写るティアラはこの世で何よりも美しい宝石に思えた。


「お父様の最期の言葉、絶対に忘れない……私だけが不幸な世界なんて無くなってしまえばいいと思っていたけど、生きる希望を見つけたわ」

先代の王の言葉、それは……彼女の出生についてだった。

(ミル、今まで独りぼっちにしてすまなかった、お前には母と姉がいる。お前の名は母親の一部、生まれながらにして授かった氷のエレメントは母親の愛の証…)

(同じく私の名を、ティフォリアの名を持つお前の姉は炎のエレメントを――良いか、世の中を恨まず、理性と誇りを持ってこの地域を統治せよ。決して……)

途切れ途切れとなった愛する父の言葉をミルは思い返してみる。

何を伝えたかったのか。

何故自分の父と母は離別したのか。

自分の姉は……数日前に「境界線」付近で見かけた赤髪の美女。

対峙しただけで魂が共鳴した。

次の瞬間、相手の考えがわかった。きっと相手にも私の考えは伝わっていると確信した。


すごく穏やかな、あれは愛情で満ち溢れていた……

それはきっと、彼女のそばにいた男性を守りたいという強い意志。

羨ましかった。自分には持っていないものを全て手に入れているような姉が、名前も知らない血族がねたましい。

まるで自分と瓜二つといった外見を思い出すだけで怒りが甦る。


「あの子から全てを奪ってやる……」

ミルティーユは静かにつぶやいてから、ゆっくりと目を閉じてベッドに身を沈めた。











「よろしかったのですか、女王様」

窓の外を眺めるスライム女王・シアノの後姿を見つめながら、淫界参謀であるルシェが口を開いた。



「ルシェ、ありがとう」

心から自分を案じてくれる彼女の言葉を噛み締めるように、女王が返す。




「いえ……私はただ…」

ルシェ自身、先の戦いでウィルという人物をかなり高く評価している。

単にスライムバスターという肩書きだけでなく、敵である自分たちを殲滅せずに人間界と和解させたその力量は驚嘆に値する。

しかしそれとこれとは別。
女王が彼を名指しで、しかも単独で国家機密に匹敵する事柄を語る姿には若干の不安を禁じえない。

ルシェ個人の感情を押し殺して、忠臣としての立場で女王の真意を問う必要性を感じている。


「参謀である貴女には昨日までに全てを話しておきましたけど、ライムやリィナに対しては事実を伏せてくださっているのね」

「……」


「でも、いつかは私の娘…………ライム自身にも伝わることだと思います」

「っ! それならばまず最初にライムに――」

ルシェにとってライムは、かつてお互いを認めあった旧知の仲。

いくらウィルが有能な人間とはいえ、種族の壁を無視する気にはなれない。

その思いを察したのか、女王は静かに微笑んだ。


「今の彼女は周囲の人たちに支えられて幸せな日々を過ごしている。私にはそう見えるのです。だから……」

そこまで口にした女王は、ルシェのほうへと向き直った。


「身内で語り合うよりも、別世界の住人である彼に託す事にしました。貴女の目には、それが愚かな行為に見えましたか?」

穏やかな笑みを浮かべた女王の表情に迷いは無かった。


(あの人間嫌いだった女王様に、これほどまでの信頼を勝ち取るとは。ウィル様、あなたという御仁は……)

もはや何も返す言葉が見つからなかった。

ルシェは黙って首を横に振った。









場所が変わってここはクリスタルパレス・客人の間――。

ベッドに腰掛けて不機嫌そうに自分のほうを見ているライムの視線を、ウィルはひたすら逸らし続けていた。


「ねえ、さっきから私のほう見てくれないよね。どうして? なんかあるの? やましい感情とか」

「いや……そんなことない、けど……」


そうは言ってみたものの、先ほどの女王の言葉が頭を離れなくて困っているのだ。


(目の前にいるのがスライム界のお姫様――ってことなんだよね)

チラリとライムのほうを見る彼。

切れ長の目尻と、ツヤツヤとした赤い髪。真っ白な肌、シャープな顔立ちと、そして美脚。

泣きぼくろまで確認してから、いつもどおり綺麗だな…とウィルはため息をついた。


しかし、ありえない現実。ウィルの頭の中でいくつもの疑問が渦巻いている。

今まで一緒に暮らしてきたライムが、あまつさえ命がけのバトルファックまでした間柄の彼女が、まさかそんな大物だったなんて。


(しかしあの髪の色、抜群のスタイルと圧倒的な性技、ライムって人間とスライムのハーフじゃなくて……北国生まれのスライム育ちって言うべきなのか……ああぁぁ! 出生の秘密を知ってしまった僕はどうすれば…)


苦悩するウィルではあるが、女王の話をまとめていくと全部つじつまが合うのだ。

だからこそ何も考えずにライムに向かって真実を口にすることなんて出来ない。

なぜ女王はあんな重要機密とも言える事柄を自分に話したのだろう。


(女王から直接伝えたほうがよかったんじゃないの、これ?)

そんな疑問が次々と湧き出てくる彼のその傍らで――、



「さっき女王様と何を話してきたの? そろそろ答えなさいよ」

「……言えない」

普段と違った様子の彼をからかうように、ライムが顔を覗き込んできた。


「ねえねえ、もしかして私のこと?」

「ぃぎっ!!」

今日のライムは勘が冴えまくってる様子だ。



「綺麗になったとか、可愛くなったとかそんなカンジ? 私最近少し痩せたんだよね。誰も指摘してくれないけど……女王様は気づいてくれたのかしら?」

「……」

ウィルは慌てて口をふさぐだけでなく、ライムから体ごと逃げるように背を向けた。

その先には可愛らしくベッドを揺らしてるリィナの姿があった。



「やっぱり、い、言えない……っ!」

「もうっ、つれないわね! ねえリィナ、貴女はウィルのこと、どう思う?」

「ふぇぇぇ!?」

突然話を振られたリィナはきょとんとした表情でライムを見つめてから、ウィルのほうを凝視する。


(こっち見ないで……おねがいだよおおお!)

ウィルは心の中で祈った。しかし彼の願いもむなしく、


「超あやしいいいいいです、ウィルさん! なんであたしのほうばかり向いてるんですかぁ」

「いひいいいいいいっ! あっ、きょ、今日はちょっと首が痛くてね。ははははっ」

自分から笑い出してみたものの、場の空気は一向に軽くならない。
言い訳にしても苦しすぎる。

(やばい、どうしよう……)

とうとうウィルが困り果てたとき、突然部屋のドアがノックされた。


















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