『スライムバスター3 ~境界線からの使者~』
無表情に近かった半透明な口元が静かに笑う。
追い詰めた獲物が自分が仕掛けた罠に足を取られてバランスを崩した。
これほど愉快なことはない。
相手はスライム界の精鋭の一人であるリィナ・リモーネ。
一見すると無防備な少女だが受け身に回った時の回避力はすさまじく、これまで有効打を浴びせることができずにいた。
そしてやっと生まれたわずかな好機を逃さず、ミルティーユの分身はリィナの左肩から右の脇腹にかけて氷の刃を振り下ろす。
敵を一刀両断するには充分な力を込めた一撃だった。
渾身の袈裟斬りは一辺の情けも迷いもなく、本体であるミルティーユからの任務を遂行しただけのこと。
それでも主から思考能力を分け与えられたミルティーユの分身は歓喜した。
『うふふ、これでミル様に褒めてもらえる……ホメテモラエル……ホメ……』
だが相手を切り裂く手応えが感じられない。
柔らかそうなリィナの体を真っ二つに引き裂いた確実な証拠が自分の腕に伝わってこない。
おかしい……何故だろう。
その疑問に応えるように、分身の目の前には黒くて大きな布がはためいていた。
マントのようなものが広がって彼女の視界を塞いでいる。
ドサッ、と乾いた音がした。
『んっ……アッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!』
ほんの一瞬遅れて、自らの右後ろに何かが落ちた事に気づいた分身。
振り返った先に、転がっていたのは自分自身の右腕だった。
リィナを討つために、刀の形状に変化させた部分が丸ごと削除されている。
分身は戦慄した。右肘の中央から先を切断されたのに全く痛みを感じない。
それがまた不気味だった。
まるで時間が止まったかのように。
「……だから僕は反対したんです」
黒いマントの向こうで静かな声がする。
かすかに聞こえたそれは男性のものだった。
「マルクくんっ!」
◆
リィナの危機を救ったのは、彼女から遠く離れているはずのマルクだった。
遠征を固辞し、ウィルの自宅を警備する役目を買って出た彼が突然ここに現れた秘密は、リィナの左手の薬指に光っていた。
旅立つ前に彼女に贈られたお守り・青い指輪が危機を知らせてくれたのだ。
「ふぅ……ちゃんとあの指輪をしてくれてたから良かったですけど、あのままだったらうわああああああああ!!」
ぎゅうううう!
「うああああぁぁぁん! マルクくうううぅぅぅん!!」
「ちょ、リィナさ……はな、く、苦し……」
不意打ちに悶えるマルク。スリスリと顔を押し付けられ、まんざらでもない気持ちではあったが、今は楽しめる状況ではない。
素早くリィナを抱きかかえ、目視できるかぎり一番遠くの岩山に意識を集中させる。
マルクたちは次の瞬間、その岩の上に移動していた。
魔力による空間移動は彼の得意技の一つ。
振り返ると苦しげにミルティーユの分身が右腕を抑えながら悶えている。
「あんな高濃度な分身を作れるなんて脅威だな……僕も一気に消耗した」
「本当に強かったですぅ」
ちょうどマルクの左手に宿した白と黒の精霊たちが消えかけていた。
黒い悪魔のような外見の精霊はブロムという。
白い天使のような外見の精霊はリリア。どちらも彼のパートナーだった。
精霊達が司る「時を進める魔法」と「時を戻す魔法」を駆使することで、マルクはリィナの危機を救ったといえる。
「かなわないと思ったら一旦逃げて下さい。体勢を整えてから勝負したほうが」
「ふえええぇ、そんな余裕なかったんですぅ……ウィルさんもライムお姉さまも大ピンチで、お姉さまそっくりなのがラスボスみたいで突撃してきたんですううぅぅぅ! しかも分身、いっぱい! マルクくんの馬鹿ッ」
「……いつも以上に意味不明ですねリィナさん。とりあえず落ち着いて。あとは僕が引き受けま――」
「ふああああ、危ないですぅ! また来ます!」
「えっ……」
リィナの声に弾かれるように彼が振り返ると、遠くに居たはずのミルティーユの分身が迫っていた。
「許さない。ユルサナイ! ユルサナイイイイイイ!!」
切り落とされた右腕は時間停止の魔法がかかっているので再生できないと理解したのか、分身は左腕の数を増やして襲いかかってきた。
(こ、これ本体じゃなくて、分身なのか!? なんて激しい憎悪と執念だ!)
空気中の水分を凍らせ、足場となる空中を蹴りながらミルティーユの分身が時計回りに体を捻った。
回転力を増した拳をマルク達に叩きつけようとしている。
「リィナさん逃げて!」
咄嗟に彼女を突き飛ばし、衝撃に備える。
分身の攻撃は軽くなさそうだ。
おそらく片方は弾ける。でも一撃は確実に食らってしまう。
そう覚悟したマルクが体に力を込めた瞬間、
ズンッ!!
分身の動きが止まり、彼の目の前にドロリとした粘液が飛び散った。
「うわあああっ!!」
マルクの鼻先に現れたのは、ミルティーユの分身のものではない右手。
それが手刀の形で突き刺さって攻撃を止めたのだ。
「こっちは間に合ったみたいだね!」
続いてマルクの耳に入ってきたのは元気のいい女の子の声だった。
彼には聞き覚えがある声。分身のボディを貫いた手刀の主はとりあえず敵じゃない。
「ガッ、フウウ……オ、オノレ……」
背中を貫かれたままで分身が苦しげに声を絞り出す。
手刀でえぐられた場所には彼女のコアがあるように見えた。
貫通した場所からは白い煙が立ち上っている。
「へぇ、まだ動けるんだ? もう眠りなよ。ボクが導いてあげる」
ザシュッ……
「ガ、グアアアアアアアアアアアア!!!」
瞬時に背中を十字に切り裂かれ、断末魔の叫びを上げる分身。
ついに戦いが終わった。
コアを破壊されて粘体を維持できなくなったミルティーユの分身はそのまま煙となって消えてゆく。
その様子を見ながら、身の安全を確保したリィナは、マルクの向こう側にいる救世主に向かってペコリと頭を下げた。
「ライムお姉さま、ありがとです!! って、あ、あれ? なんか一回りちっちゃいですぅ……?」
リィナの大きな目に映ったのはオレンジ色の髪をした少女だった。
「ボク、メタリカだよ! 久し振りだねリィナちゃん!!」
「あっ、ホントに久しぶりですぅ~~!!」
手を取り合って喜ぶ二人を見ながらマルクは一息ついた。
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