『スライムバスター3 ~境界線からの使者~』
「だいたいあっちの方かしら」
遠くに海が見える。問題の氷塊は目視できない。
それでも確信はある。
テラスを吹き抜ける風はどこまでも冷たく、空気は乾ききっていた。
「どうするつもりですか?」
窓辺に佇むライムを見ながら、心配そうにミルティーユが尋ねる。
今の彼女には朧気ながらライムの思考が読めるのだ。
「氷を割ってくる。それだだけよ」
ライムはあっさりと答えた。
あまりにも現実離れした回答に、質問をしたミルティーユも、その他の者も二の句を継げない。
やがて遠くを見ていたリィナが海を指差して叫んだ。
「お姉さま、あれを!」
リィナが指をさした先に見えるのは黒い点だった。
かなり遠く離れた場所であるには違いないが、それゆえに急激に大きくなっていることがわかる。
しかしその大きさは次第に横へ広がってゆき、ミルティーユは胸を抑えて苦しそうに呟く。
「エレメント、が、共鳴してる……まさかあれが!」
「なるほどね。先に私達を潰そうってこと?」
亡き王が最後に仕掛けた罠。
それは自分の偉業に悪意を持つものに、氷塊を体当りさせる呪いだった。
「逃げましょう、ライム!」
「だから言ってるじゃない。もうどこにも逃げ場なんてないって」
金切り声に近い叫びを発するルシェに、淡々とライムは言う。
「それに手間が省けたわ。ちょっと割ってくる」
片手にティアラを持ち、ライムはテラスの手すりの上にフワリと飛び乗った。
だがすぐにウィルがスカートの端を掴む。
「駄目だ! いくらなんでも無茶だよライム、もう少し考えて――、」
必死の思いでウィルが反対したのと同時に、ライムはブルーティアラを激しく輝かせた。
それは昼間であっても目を瞑らざるを得ないほど強烈な閃光だった。
「くそっ、目が……!」
「ごめんね。時間がないの」
そしてウィルが怯んだ隙に、ライムは一度だけ彼に口付け、勢い良く虚空に身を踊らせた。
「くそおおおおおおおおおおおおっ!!!」
目が眩む中、ウィルはライムの香りが消え行くのを感じ取る。
そして彼にしては珍しく、本能に身を任せてライムが居た場所へと足をかけた。
「師匠、無茶です!」
「ウィルさんッ!!」
凍えきった空に身を投げ出すウィルを、マルクもリィナも止められなかった。
ウィルは空気中の水分を凍らせ、足場にしながらライムに向かって身を蹴り出す。
「ライム、その手を僕のほうへ伸ばせ!」
「ウィル……来てくれたんだ……」
「いいから早くッ!!」
空気中の水分を凝結させて階段を作り、蹴り砕きながらウィルはライムへ迫る。
落下速度を上回る速度で愛しい恋人を求めて手をのばす。
ミルティーユの分身が見せた技を、完全にコピーして空中を自在に駆け抜けてゆく。
「馬鹿なんだから、ホントに……」
「今なら必ず届く! 絶対掴んで見せる! だから僕に向かって、手を伸ばせええええぇぇ!!」
愛するライムに向かって、未だ視力が戻らない目も気にせず力いっぱい手を伸ばした。
後にも先にもウィルが叫んだのはこの時だけだった。
その覇気に気圧された彼女はそっと白い指先を伸ばした。
「ウィル……私、本当に嬉しい」
しかしライムは伸ばしかけた指先を自ら引っ込める。
「ありがとう……今の私、ホントに……幸せ……」
「ライムッ! 君は、僕の傍に居なきゃ駄目なんだ! どんなときでも絶対にッ」
最愛の彼が、命がけで自分を止めようとしている。
その事実だけでライムは胸が一杯になる。同時に溢れる思い。
彼を守りたいと本気で願う。
「さよなら……貴方は必ず、生きて」
彼女がこぼした一滴の涙は、寒空の中でスライム化し、透き通るほど薄い硬化膜となってウィルの体を受け止める。
「違うっ、違うんだ! わかってるだろ、僕の望みはそうじゃない! 答えてくれライム!!」
どこまでも終わりのない浮遊感の中で、ウィルの叫び声が次第に遠ざかってゆく。
スライム化した涙を硬化膜にして、浮力を得て大気を受け止める姿を見届けてから、ライムは静かに目を閉じた。
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