『スライムバスター3 ~境界線からの使者~』 (改稿 2020.11.08)





「本当に、幸せものね……私」

 ウィルの姿が完全に見えなくなった頃、ライムは指先で涙を拭った。
 自分の目から涙がこぼれることが、誰かの為に心を揺らすことが彼女自身も信じられずにいた。
 そして自分はもう一人きりではないとライムは確信する。
 静かに燃える熱い炎を感じながら、体内に眠るエレメントに語りかけるように、目を閉じてつぶやく。


「……導け!」

 すると、彼女の体が空中で鋭角に曲がり、海の方へと引き寄せられていった。
 炎のエレメントが共鳴する先にある巨大な氷塊――もはやそれは大陸と言って差し支えないレベルの質量にむかって、彼女は飛翔する。
 速度は次第に上昇し、ライムは呼吸すら苦しく感じるようになった。

 それでも握りしめたブルーティアラは離さない。
 むしろ強く握りしめ、ライムは薄く笑った。

「今回は遠慮なしよ。存分に力を引き出してあげるから協力してよ」

 ライムの手から伝わる魔力に反応してティアラが眩さを増す。
 彼女は以前、このティアラの力を使用したことがある。だがその時は、持っている力の半分も使うことはなかった。
 目的を果たしつつ、自分も生き残る。つまり自らの肉体への負担を考慮してのことだった。

 しかし今回は違う。
 あの氷塊を粉砕するには、全力以上の力を出す必要がある。
 後先を考えなくてよいのは、今の彼女には好都合だった。



 やがて、ほとんど音速に近い速度で、氷塊と呼ぶには巨大すぎる大陸の表層に肉薄する。
 ライムは痛さすら感じる冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「極限まで弾けて、私の中の炎(エレメンツ)!!」

 気迫を込めた叫び声とともに、ライムの体は空中で燃焼した。
 青みを帯びた赤い炎は輝きを増して白くなる。
 ライムは一条の紅蓮の矢となって氷塊を貫く。

 氷塊に突入したライムは、強引に中心部を目指した。
 10メートルも氷を砕いて進めば、そこはもう深海と同じような環境だった。外からの太陽の光が届かない。


「わかっていたことだけど、キリがないわね」

 体内に宿る炎のエレメントだけが唯一頼れる、確実な光源となった。

 彼女の周囲では、氷が固まる時に起きる音が不規則に鳴り響く。
 キシキシと締め付けるような冷たい音。

 ライムの体が接触した部分は、溶けて蒸発しているはずなのだが、すぐに周りの氷が補修してしまう。

 炎のエレメントを駆使して切り込んでいく突進は、瞬間的な力を出すことはできる。
 だが圧倒的な質量を持つ氷の前には無力に思えた。

「参ったなぁ……前後左右どころか、上下までも全部、逃げ道を塞がれちゃってる。まあ逃げるつもりは無いけどね!」

 自分が溶かして作り出した空間の中で、ライムは苦笑いする。

 以前、ウィルに教えてもらった遠い国のことわざを思い出す。
 こういった状況を「シメンソカ」と言うらしい。
 窮地に陥った自分を、かつて同胞だった敵が取り囲み、馴染み深い祖国の歌を歌う。
 戦闘意欲をなくすほどの、この上ない孤独感と絶望感だ。

 翻って、氷のきしむ音がライムにとって馴染み深いものかと言えば、それは違う。
 氷の国の狂った王が生み出した呪いの音でしかないのだから。

「今さら絶望なんてしない。さあ、もっと燃えて!」

 耳につく冷たくて無機質な忌々しい音だ。
 水と火は相性が悪い。
 そんなわかりきったことを考えるつもりもない。
 炎が燃え盛る勢いを止めようとする静寂など、今の彼女には必要はない。

「ウィル、マルク、リィナ、そしてミルティーユ……見てて。全部消して見せるから。だからもっと、もっと力を!」

 体内に宿る力を徐々に解放していく。
 一気に火力を上げれば、ライムの肉体が持たない。
 自分を囲む氷の中で確実に温度を上げてゆく。

 体の中心から生まれた精霊の炎が、強いオーラとなって、彼女の髪の先まで包み込む。

「もう少し……もう少し、もっと熱く……うん、これなら……いける!」

 自分の手のひらを、指先を見つめる切れ長の瞳が、今迄で一番の輝きを映した。







 ティフォリア城、外周部。
 あれからすぐに、救出されたウィルはミルティーユに詰め寄っていた。


「何故ライムを止めなかったんだ! ブルーティアラを渡したら、あいつがどんな行動に出るか……」

 ウィルに糾弾されて、ミルティーユは肩を落として返答する。


「無理です。お姉さまは、誰にも止められません……」

 ひたすら申し訳なさそうにする彼女を見て、ウィルは思う。

 確かにそうなのだ。
 いくら妹とは言え、あのタイミングでライムを止めろというのは無茶なことではあった。
 スライム界の女王でも引き止める事はできないだろう。


「それよりも、お姉様の様子が」
「えっ……ミル、君とはライムは、今でも意思疎通が出来るのか。ライムはまだ生きてるってこと?」

 興奮してまくし立てる彼に対して、ミルティーユはコクコクと頷いた。

「はい、生きています。でも、でも……ッ!」

 そこまで口にしてから、ミルティーユは突然ウィルにすがりついた。
 肩を震わせ嗚咽を漏らしながら彼女は続ける。

「どんどん、小さくなっていく、命が縮んでいくのが分かるんです。だから私も辛いのです……」

 涙を浮かべる彼女を、ウィルはそっと抱きしめた。
 エレメントを持つ者同士、知りたくなくてもお互いの状況がつかめてしまうのだ。
 改めてウィルは彼女の気持ちを理解した。

「怒鳴って済まなかった、ミル……」
「いいえ、私こそごめんなさい。お姉さまを止めることができなくて」

 一時的に取り乱したウィルだったが、緩やかに冷静さを取り戻していた。
 腕の中で泣き続けるミルティーユの涙をそっと拭い取ってやる。
 ライムの妹である彼女の髪を数回撫でてやる。

「僕は信じて待つよ。きっとライムは――」

 彼が呟いたその時、ひときわ大きな轟音が海の向こうから津波のように押し寄せてきた。







「やっと見つけたわ」

 分厚い氷壁の中心部は直径10メートル程度の空洞だった。
 ライムが見つけたそれは悪意の塊だった。
 闇を凝縮したような青黒い物体が周囲の氷と一体化していない空間の中に浮かんでいる。

「……」

 目の前にあるそれは、物言わぬ氷の魂・ティフォリア王の残滓であろう。
 明らかに周囲の氷とは質の違う冷たさを放っていた。

 ここさえ砕けば、窮地は脱するとライムの本能が告げる。

「覚悟なさい……はあああああああああああああっ!!」

 冷え渡る空間内で気勢を上げ、燃える拳で何度も攻撃する。
 しかし何故かここだけ魔力の濃度が高く、簡単には砕けそうになかった。

 ライムは一旦手を止め、再び気合を入れ直す。
 すでに全身は解けた氷と、吹き出た汗で水浸しになっていた。

「なんていう硬さ……ありえないわ。でも、次こそ本気を見せてあげる」

 覚悟を決めたライムは、凄絶な笑みを浮かべてから炎のエレメントの力を最大まで解放する。
 リミッターを外してしまえばもう元の身体には戻れない。
 しかしこの瞬間が勝負の時だと彼女は判断した。

「さようなら、お父様」

 そっと目の前に手のひらをかざす。標的は目の前だ。
 目を瞑り、体中の力を一点に破壊のイメージを集中する。

「力を貸して、お母様」

 再びライムが目を開くと、燃え盛る炎がきらめく光の剣を形成していた。
 全てを斬り裂く精霊の剣を彼女は握り締め、静かに呟いた。

――そして、

 ライムの体の芯に響く確かな手応えとともに、悪意の塊が爆散した。

 要を失った氷塊はその内部から徐々に崩壊し始める。

 真っ赤な閃光が氷塊の中心から四方八方へと広がり、その直後にいつまでも鳴り止まぬ地割れの音が続いた。



「寂しくさせないからね、お父様……
 私と一緒に、逝きましょう。
 今まで会えなかった分、ずっとお供してあげるから」


 自らが切り裂いた氷の大地に飲み込まれながら、ライムは満足げな表情を浮かべて目を閉じた。





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