『スライムバスター3 ~境界線からの使者~』(改稿 2020.11.08)





 冷たくて真っ暗な世界に、ライムは漂っていた。
 ここはおそらく海の底。星のない夜空のように孤独な空間。
 彼女は漂っている自分の姿を俯瞰していた。

 しかしそれが、本当に自分の肉体なのか、それとも意識だけになってしまったのかすら彼女には判断できない。

 暗い、そして冷たい空間には苦も楽もない。

 ひたすら永遠の時と、浮遊感だけが彼女の全てになりつつあった。

 直感的に彼女は、自分は死んだのだと断定した。

 しかしそれはすぐに否定された。



「……ム、大丈夫か、ライム!」
「あっ……」

 自分を呼ぶ声に応えるようにライムは重たくなったまぶたを上げる。
 そこに居たのは、逆さまになってライムを心配そうに覗き込むウィルだった。

 死後の世界に彼がいるなどと考えたくはない。彼らを守るためにライムは全力を使い果たしたのだから。

 よく見ればウィルの後ろに顔見知りが数名ほど居た。
 安堵の表情を浮かべる者、泣き出しそうな表情で顔を背ける者、それぞれ半分ずつに思える。

 もしかして、自分は死んでいないのかな……

 ぼんやりとそんなふうに考えていた彼女に、ウィルが優しく声をかける。


「気がついたんだね、良かった……ライム、おかえり!」

 顔をグシャグシャにして涙を浮かべるウィルの顔に手を伸ばす。
 しかしライムの右手が彼の顔に触れることはなかった。

「あはっ、もう動けないみたい……無様ね、私」
「そんなことあるもんか! じっとしてなよ」

 相変わらず彼は優しい。
 そしてライムは自分がまだ生きていると実感する。


「私、珍しく無理してみたけど、これでもう大丈夫だよ……」

 元凶の氷は全て砕いた、と説明しようとして面倒くさくなって彼女は黙り込んだ。
 ウィル達にもそれくらいはわかるだろうと思った。

 苦しそうに笑うライムに寄り添うウィルの耳元に、リィナが口を寄せる。

「……ウィルさんっ! お姉さまの、エレメントが」

「わかってる。でも、話をさせてくれ……」

 ライムを見つめる彼の顔は、安堵よりも絶望の色が濃いように思える。


(なぜだろう、悲しみ……哀れみ、感謝など、いろんなものが入り交じった表情で皆が私を見つめている。あ、そうか……)
 
 それだけでライムは察した。
 おそらく自分の体が原型をとどめていないことに。
 体内で輝くエレメントの存在も感じない。きっとボロボロなのだ。

 限界以上に頑張ってくれた炎のエレメントは、きっと私の身体以上に燃え尽きてしまったんだ……とライムは推察した。


「ねえ、顔を上げて、ウィル」
「ううっ、なん、で……こんな……」

 ウィルはそれ以上の言葉が出なかった。
 そんな彼の頬に伝う涙を、ライムは指先で拭い去ろうとする。
 しかしそれすらできなかった。

 体が痛みで麻痺しているからではなく、肘から先が消失しているからだ、とライムは冷静に感じ取った。


「ごめんね、ボロボロになっちゃった……綺麗なままで死にたかったな」

 その言葉に、ウィルだけでなくルシェやリィナまでもすすり泣きを漏らす。

 ここにいる全員が気遣っていた。

 プライドの高いライムの最期を、彼女自身に絶望させてはいけないと。

 だが勘の鋭いライムには無用の気遣いだったのかもしれない。

 炎のエレメントをブルーティアラの力でブーストした結果、全身のやけど、右腕と左足の一部欠損……この世界にどんな名医が居たとしても、彼女を完全な姿に戻すことはできないだろう。
 それ以上に深刻なのは、炎のエレメントの崩壊だった。ライムの中核とも呼べるそれは、彼女自身が感じている以上に輝きを失い、形を保っているだけでも奇跡といえる状態だった。


「こうしてあなたを感じてられるだけで奇跡だよね」
「僕にはキミを止めることも、助けることもできなかった」
「泣かないでよウィル、こうなる事はわかっていたけど、やるしかなかったじゃない?」
「そうだね……ライムなら絶対に飛び出すと思ってた」

 ウィルは、彼女の残った片手を優しく握りしめる。
 それはすでに燃え尽きたあとの木のようで、体温などほとんど感じ取れるものではなかった。

「私ね、実の父親と会えた喜びなんて感じてる余裕もなかった。ウィルと、そこにいる可哀想な妹を助けることしか考えてなかった」

「っ!!」

 姉の思いを知って、ミルティーユはその場で声を出さずに泣き出してしまう。
 必死で泣き崩れるのを堪え、時折ライムの姿を見るのが精一杯という様子だった。


「その結果がこれよ。決して悪く無いわ」

 強がりを言いながら、ライムは自分の死期を感じ取っていた。
 すでに体の半分以上が透け始めている。
 事実、体内のエレメントは形を保ったまま、消失しかけていた。


「ウィル、一つだけお願いがあるの。必ず聞いて欲しい」

 ライムの真面目な願いに、ウィルは強く手を握る。


「その子を、ミルを幸せにしてあげて」
「ライム……」
「貴方が私に与えてくれたのと同じように、何も知らない妹に……これからは笑顔を教えてあげて欲しいの」
「わかった。わかったから消えちゃ駄目だ、ライム! ライムッ!!」

 取り乱すウィルをその場にいる誰もが痛ましい思いで見つめていた。
 存在自体が消滅しつつあるライムに、最期まで寄り添うウィル。

 その傍らに、ミルティーユが静かに腰を下ろした。





「本当にそれでいいのですか? お姉さま」
「ミル……?」

 彼女はすっかり落ち着いた様子で、ウィルの反対側に寄り添った。
 深い関係のある二人が、ライムを挟みこむような体勢。

「今の私にはわかります。これもきっと、姉妹だから……なのでしょうね」

 ミルティーユがウィルの手の上からライムの手を握る。
 すでに感覚のないその指は、音もなく崩れ落ちた。


「ごめんなさい……ミル、私からあなたに残してあげられるものが何もないの。だからウィルを」
「お姉様からはもう、たくさん頂いてますわ!」
「え……」
「私を、ティフォリアの呪いから自由にしてくださってありがとうございます。お姉様」

 感謝の言葉を述べる妹に、ライムは思わず涙した。

「私には見えなかった。植え付けられた憎しみ以外、何も見えていなかった。
 それなのに、お姉様にはずっと見えていた。
 最初から手加減しながら、最後まで狂気に堕ちたお父様から私を守りながら戦ってくださいました」
「ミル……」

 ライムは思う。
 自分が考えていた以上に、ミルティーユは素直だった。
 もっと早く出会いたかった。
 その気持は妹にも伝わった。


「お姉さま……はじめから私の負けなんです。
 それよりもウィル様の想いがわからないのですか?」

 妹に促され、ずっと黙りこんでいたウィルをライムは見つめる。

「私には、あなた方ふたりの絆、わかっていたけど認めたくなかった。
 憎らしいほど羨ましかった。でも今は――」

 ふいに何かを感じてウィルが大声で叫ぶ。

「ライム、消えちゃ駄目だ!!」

 寄り添っているライムの体から生気が抜けていくのを、彼は敏感に察知していたのだ。


「そんな顔しないで。私は幸せだったんだよ……ウィル」
「ライム! 待て、もっと頑張れ、消えるなよ!!」
「二人で過ごした時間、楽しかったわ」

 覚悟したようにライムが目を閉じた。
 時を同じくして、ミルティーユも目を伏せる。しかしその表情には強い決意がみなぎっていた。


「お姉様、時間がないようですわ。あとで叱られても構わない。続きは……」

 ミルティーユは強い祈りをこめて自らの体内に宿る青いエレメントを輝かせる。
 彼女の体が光りを放ち、ライムやウィルを含む周囲が閃光に包まれた。



 ほんの数秒、もしくは十秒以上だったのかもしれない。

 まばゆい光が収まった後、ゆっくりとウィルは目を開けた。
 抱きしめていたはずのライムの姿は完全に消失していた。

 呆然としながら、ウィルは隣りにいる彼女に問いかける。

「ミルティーユ、さっき君は一体…………えっ?」

 ウィルは自分の目を疑った。ミルティーユ、じゃなかった。

「……何よ」

 聞き覚えのある強気な声。

「ライム? どうして、え、えっ?」

 トレードマークのポニーテールと、少しつり目の彼女がそこに居た。

 ライムは消えたはずの右手を握ったり開いたりしていた。
 そしてどこか様子が違う。

「フフッ、あの子ったら最後は勝ち逃げ……っていうか無理やり引き分けに持ち込んできたわ」

 ウィルは違和感の正体に気づく。

 真紅だったはずのライムの左目は青くなり、髪の毛も赤から赤紫に変化していた。
 まるでミルティーユとライムが溶け合ったみたいに。

「さすが、私の妹ってところかしら」

 エレメント消失の瞬間を狙って、ミルティーユは魂をライムに重ねた。
 その結果としてライムは蘇り、ミルティーユは彼女に吸収されたのだという。


「じゃ、じゃあ名前どうします?」

 恐る恐る脇から口を出すマルクに、ウィルは相槌を打つ。

「そうだよ! なんて呼べばいいのかな……ミルライム?」
「どうでもいいわよ! 馬鹿じゃないのッ、今まで通り、ライムでいいわよっ」

 面倒くさそうに彼女は、思わずウィルのお尻を蹴りつける。

「痛いいいいいぃぃ! でもやった、いつもどおりのライムだ!
 ルシェ、リィナ、みんな! こっちに来てくれよ!」

 蹴られた痛みのせいなのか、喜びのせいなのかわからないままウィルは涙を浮かべて大いに喜んだ。
 その様子を見てライムは小さく微笑む。


(ありがとう。それと、さようならミルティーユ……)

 嘘みたいに晴れ渡る青空。大きく息を吸い込めば、冷たい風が体中を駆け巡る。
 フワリと舞い降りた雪の花びらを手に乗せて、ライムは双子の妹に感謝した。





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