Elbereth

 今日も柊柯がやってきた。
「どう?」
「熱は下がったけど、喉と鼻がまだちょっと」
「ふぅん……相変わらず夜遅くまで遊んでいるからなかなか治らないんじゃないの?」
「……夜中に目が覚めたんだからしょうがないだろ」
「病人って、目が覚めても大人しく寝てるものじゃないの?」
 柊柯はふわふわと歩み寄ってくると、ベッドの縁に腰掛けた。
「おい」
「何?」
「ベッドに座るなよ」
「どうして?」
「どうして、って……それは、ほら。風邪がうつるといけないし」
「私に床に座れって言うの?」
「椅子に座ればいいだろ?」
「でも、あなたってぼそぼそ喋るから離れると聞き取り辛いんだもの」
 どうして人が気にしていることをこうも遠慮なく言えるのだろう。
「……悪かったな、声が汚くて」
 壁に向かって寝返りを打ち、柊柯に背を向けた。
 ふぅ、と、柊柯は小さくため息らしきものを漏らした。
「明後日は出掛けるとか言ってなかった?」
「ああ……出掛けるけど」
「その次の日も予定があるんでしょう? 早く直さないとね」
「そうだ、思い出した」
 背を向けたのも束の間、上体を起こして柊柯に向き直る。
「人から聞いたんだけどな。麦茶で薬を飲むのはよくないって言われたぞ」
「そうなの?」
「お茶と一緒に薬を飲むと、成分が変化して良くないんだって」
「ふぅん」
「……それだけか?」
「だって。知らなかったんだもの」
 柊柯は拗ねるようにそう言った。
「いいけど……べつに」
 予想外にしおらしい反応をするので、すっかり気勢を削がれてしまった。再び横になって目を閉じる。
「もうだいぶ良くなってはいるし。明後日には治るだろう。きっと」
 起きた際に撥ね退けた布団がそっと掛け直された。
「楽しみ?」
「楽しみだね」
「週末になると時々そうやって嬉しそうに出掛けて行くけれど。何なの?」
「何って……人と会ってるんだけど」
「人と、ね。普段は面倒がって外に出たがらないのに。余程素敵な人と会うんでしょうね」
「……何が言いたいんだ?」
「別に」
 目を開けて見た柊柯は、いつものように僕を睨んでいるように見えた。
「誰とも会えずに部屋の中で腐っている方があなたには似合うのに、と思っただけ」
「なんだよ、それ……」
「そのままの意味」
「そうじゃなくて。なんだってわざわざそんなことを……」
 思わず顔を上げると視界の端に何やら見慣れぬ白いものがあることに気が付いた。しかし、眼鏡を掛けていないので瞬時に何か判断できない。
 言葉を切り、目を凝らして見ると、柊柯もつられてその方向、部屋の入り口のドアへ顔を向けた。
「何?」
 柊柯が見るよりも僅かに早く、微かに開いていたドアが静かに閉まった。
「ドアがどうかしたの?」
「いや……なんでもない」
「何よ」
「なんでもないってば」
「言いなさい」
「だから気のせいだったんだ、きっと」
「言わないと殴るわよ。時計の角で」
 そう言いつつ傍らの目覚まし時計に手を伸ばす。本当に殴られそうだったので観念した。
「……ドアが少し開いてて、誰かが覗いているような気がしたんだよ」
 聞くや否や、柊柯は時計を放り出してベッドから飛び降りた。スカートを翻して入り口へ向かうと、開けたドアの隙間を滑る様に出て行く。
「何奴!」
 ふたつの足音が騒がしく遠ざかって行く。気のせいではなかったらしい。



 しばらくして、柊柯が何かをやり遂げた顔で戻ってきた。
「やったわ」
「……何を?」
「ご主人様の部屋をこっそり覗き見るとは何事だと言って折檻をしてやったの」
「おい」
「何?」
「もしかして僕の病気で遊んでないか?」
「気のせいよ」
 そう言って今まで見たことがない爽やかな笑顔を見せた。

Elbereth

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