その後、無事に防具を渡し終えたユラが協会に戻ると、そこは人で溢れかえっていた。
皆一様に外套を着ているので、協会員と街の人たちとの区別が付かない。しかも、全員が中庭を目指している為、何人か掻き分けて行かないと執務室に戻れない状態だった。
結局、混んでいたのは入り口付近だけだったようで、入って右側にある道に抜けた途端、混雑は嘘のように消えていた。人波に揉まれ、よれよれになったユラは、動く壁を見て、ため息混じりに呟いた。
「今日って、何かあったっけ?」
「ああ、やっと戻ったのか」
背後から声を掛けられ、彼女が振り返ると、シグレがいた。
彼も同様に淡い卵色の髪を乱し、よれよれの姿でいることから、この波はかなり前から続いている事になる。
「ねえシグレ、いつからこんな状態なのさ」
「お前が出てすぐだな。大雨で陸路がほぼ使えないって事で、転送陣を利用したいって人が押し寄せてきたんだ。今が十四の刻だから、かれこれ四時間はこんな感じだ」
「うわ、これじゃあ外にも出れないじゃん」
「だがな、買出しに行った所で、青果、魚介系は全滅だ。長雨で漁に行けず、作物が育たない上に、売り物が無い状態で、どの店も空っぽだった」
「……まあ、そうだろうね」
先ほど、城で聞いてきた状況のしわ寄せが、協会に来ているのだと悟ったユラは、肩を落とした。
そりゃ、城内が慌しいわけだ。彼女は心の中で呟きながら、依頼終了の報告だけでもしようと、執務室の扉に手をかけた――が。
「ゆ、ユラさーん! い、居たら助けてくださーい!」
人波の向こうから、ヒラヒラと動く手と少女の叫び声を聞こえてきた。それは丁度、人の波が動くのと同時だったようで、白く伸びた腕はそのまま中庭の方へと消えていく。
ユラとシグレは、顔を見合わせ、その後を追っていった。
「あ、ユラさん、シグレさんも! よかった、ちょっとこれ手伝ってください」
中庭に入った途端、二人に声をかけてきたのは、レムラシードと言う名の魔術師の少女だった。彼女は、その場に居たほかの協会員達と必死になって荷捌きと、人波の整列、人数調整を行っていた。
ふと脇を見ると、屋根の有る通路では、数人の魔術師がぐったりと床に倒れている。
「ねえレム、あれは何?」
「レグス、及びプート達の屍です。力の強い術師さんが、他地域へ出向してるんで、転送陣安定係として連日働いていたら、魔力空っぽになって、ぶっ倒れちゃったんです」
「どっかで聞いたこと有る話だね。でも協会長が居るじゃん」
「それが、川の様子を見てくるといって外に行ったきり、帰ってこなくて――」
「また、明確な死亡フラグを立てて行ったな」
レムラシードの言葉に、少し呆れたようにシグレが溜息をついた。
それに同調するように、ユラも頷く。
「まあ、城に堀があるから、お貴族さまのお宅周りが冠水しやすいのは分かるけど、ね」
言いながら、ユラ達は雨に濡れた荷物の山を崩していった。
一応、雨よけの布は掛けてあるものの、地面が濡れていては、あまり意味は無い。ぬかるんだ地面に置かれた物は、すっかり泥まみれになっていた。
「にしても――雨、続くね」
「この国は、そんなに雨が多いのか?」
「普段はここまで多くないよ。本当に、精霊の悪戯かもなー」
服を泥だらけにしながら、ユラが箱を一つ開けてみると、すっかり湿って染みの付いた絹の布地と、薄汚れた宝飾品があった。その隣では、シグレが泥を被った青果を見つけた。
「――――これは、かなり危険な状況じゃないのか?」
「そうですよ。下手をすれば、パン一つのために暴動起きちゃいそうなんですよね」
突然、背後から聞こえてきた声に、ユラとシグレは振り返る。そこには、にこやかに手を振る、魔法使用者協会の長、ロマ=ウェンデルがいた。
彼の身に付けている外套は、元は濃い青色だったのだが、雨と泥ですっかり色が変わってしまっている。
「いやー、川は大丈夫だったのですが、帰り道で冠水している所に出くわしてしまい、このざまですよ」
「え、協会長、歩いて回ったんですか?」
「この雨ですよ。飛んで回るのは困難ですし、移動魔法で全ての地域に行くのは、さすがに疲れちゃいますしね」
そばで聞いていたレムラシードが驚くと、ロマは苦笑しながら答えた。そして、ユラ達の方に向き直ると、にっこりと笑って見せた。
「それじゃあ、ユラにシグレくん、荷捌きがある程度落ち着いたら、執務室に来てね。頼みたい事があるから」
これを聴いた瞬間、ユラは荷捌きに時間をかけてやろうと考えたが、すぐに彼は付け足した。
「二人なら、このくらいものの十分で片付くよね。十分以上掛かったら、ペナルティとして――」
「十分以内には確実に終わりますので、その話は後にしてください」
ユラはあからさまに嫌そうな表情で、きっぱりと返事をした。その脇では、シグレは呆れたような表情をし、レムラシードは必死に笑いを堪えていた。
約束の十分後、ユラとシグレの二人は、執務室の協会長席――少し、物が沢山乗った大机の前に立っていた。ロマは、彼女達にチラリと視線をよこした後、一冊の資料を見せた。遠目で見た限りでは、今回の長雨についての各地の被害状況をまとめたもののようだ。
「ユラは、城に行ってきたから……ある程度状況は知ってるよね」
「――ものすごく嫌な予感がするんですが、もしかして、長雨についての調査、ですか?」
「あ、分かった? その通りだよ。さすがだねユラ、話が早くて助かるよ」
「でも、今回の事は私よりも、気象学に精通している人に頼んだ方がいいと思うんですが」
「だってその、気象学に精通しているミレットさんが言ったんだよ、これは、ただの天候の崩れではない。精霊の悪戯だ、ってね」
ここで、ユラとシグレは表情を硬くした。
「冗談、ですよね」
「冗談だったら良かったと思うよ、私もね。でも、長雨になりやすい状況ではなく、その前触れも無かった。そして何より、精霊に守られている街には、こっちで長雨が始まってから全く降っていないんだ、一粒もね。どう考えても、何かが可笑しくないかな?」
ロマの口調は、あくまで穏やかなのに、表情は険しい。空気も、湿気だけではない重苦しさがある。
そこでふと、シグレが口を開いた。
「精霊が守っているというのなら、雨が降らないというのは当然なのではないのですか?」
彼の疑問に答えたのは、隣に居たユラだった。
「シグレ。精霊が守るっていうのは、土地を豊かに保つって事なんだ。適度な雨と、適度な日差し。だから、天候を安定させる事も、『守る』事の中に入ってるんだよ」
それに同調するように、ロマが首を動かした。
「そういうこと。一応研究所とは連絡取っているんだけど、あんまり芳しい返事が無い。しかも、あっちこっちの協会で人手不足となれば、君の出番だ。ユラ=シグド」
話を降られ、ユラは返事をしようとして――ふと尋ねてみた。
「――あの、協会長」
「何だい?」
「私ってもしかして、協会長にとって『動かしやすすぎてどうしよう!』って感じの駒なんですか?」
「何を今更」
悪びれる気も無いロマの態度に、ユラは肩を落としながらうな垂れた。その肩を、シグレが軽く叩いて慰めてくれたが、全く気分は晴れない。
「私の都合は、ガン無視なんですね」
「ユラの都合は、大体本を読んで一日潰すだけでしょ? それも、すでに読み終わってる本の」
「時間の有効活用と言って下さい」
「ともかく、この件は二人に預けた。転送陣は見ての通りだし、飛んでいくにも雨は全く止む気配なし。と言う事で、馬車は用意しておいたから、それに乗って、早速お願いね」
休む暇もくれないのか、と文句をつけようとした。
だが、良く考えてみると、ここ数日の協会員は、ほぼ全員が不眠不休だということを思い出す。ユラは口をもごもごさせながら、何とか悪態を心の中にしまいこんだ。
「分かりました。その代わり、これが終わったら、山ほど休暇とってやりますので」
「旅行だったら、お土産忘れないでね。当地限定がいいな」
ユラの嫌味に、ロマは苦笑しながらのんびりと答えた。全く困る様子の無い彼に、彼女は報告資料を掴むと、シグレを連れ、やや乱暴に執務室の扉を閉める。
二人はまだ人の多い、それでも少しは落ち着いてきた協会を出ると、横付けされていた遠距離用の馬車に乗り込んだ。